「輪の外」
とある集まりの場で思いついた作品です。
宴。
今宵ばかりは無礼講。誰も彼もが歌い、叫び、笑い合う喜びの席。
そんな、天と地をひっくり返したような大騒ぎの中、人知れず席を立つ影が一つ。
カランコロン、という下駄の音が響く。
深い紺の作務衣を着たその男は、部屋の外に出た後で小さくため息を吐いた。
私には……やはり、合わないな。
だらりと扉にもたれかかり、誰に聞かせるわけでもなく、そう独りごちる。
祭りが嫌いなわけではなかった。むしろ好きなほうだった。誰かと話すのも嫌いではないし、特に人の幸福を憎むようなタイプでもなかった。
でも……駄目なのだ。
宴に限らず祭りなどでも、人が騒いでいると何故か一歩引いてしまう。どこか冷めた心地になってしまい、一緒になって心の底から楽しめない。それが何故なのか。自分のことながら、私にはよく理解できない。
あの空気が苦手なのかもしれない。
宴や祭りには、不思議な力がある。ただ席を共にしただけで、互いの距離が一気に縮まるような気がする。人との距離感、というのは大事なものだ。仕事柄、私は相手との距離を不用意に縮めないようにしている。その癖のせいで、私はあの雰囲気に呑まれることを、無意識に拒絶しているのかもしれない。
あるいは……私は、怖いのかもしれない。
高揚感は、人を大胆にする。それ自体は悪いことではない。例えば、普段以上の実力が出せたり、より思い切ったことができたりするだろう。往々にして、行動力があるというのは良いことだ。
しかし、良いことばかりでもないというのも確かだ。大胆になるということは、よりありのままの姿を晒す……つまりは、無防備になるようなものだ。真に親しい人以外と、弱点にもなり得るその姿で接するというのは、やはり気が引ける。
また、昂った状態下では、普段通りの正常な判断を下せない場合もある。思ってもないようなことを、勢いでつい言ってしまうという体験は、おそらく私以外にも少なからずあることだろう。酒が入ればなおさらだ。そして……人と人との関係とは、存外脆いものだ。ただの一度の過ちで、繋がりなど、容易く途絶えてしまう。それこそ、よほど親しい関係でない限りは。
だからこそ私は、怖いのだと思う。
本当の自分を見せることが。
繋がりが切れてしまうことが。
……あと一歩、歩み寄ることが。
それゆえに拒絶し、一人輪を離れる。
輪の中には居場所がないから。
輪の側に居ては邪魔になるから。
輪の外に居てもどうしようもないから。
そんな、凡そどうでもいいことを考えていると、不意に部屋の方が騒がしくなった。また、何かしらの話で盛り上がっているのだろう。
すっかり温くなってしまった扉から背を離す。
頭がぼんやりしている。考え事のせいか、それとも宴の熱に当てられたか。どちらにせよ、火照った身体を冷ますために、夜風にでも当たるとするか。ならば……向かう先はテラスだ。
私は宙を見上げ、一人歩みを進める。
まぁ、いいさ。
楽しみ方は、人それぞれなのだから。
酒は飲んでも吞まれるな。
でも、ときには雰囲気に呑まれるのも悪くないと思います。
無論、飲みすぎは害ですが。