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システィーナ幻想夜話

作者: 倉名まさ

 ミケランジェロ・ブオナローティは憤慨していた。

 幾度にもわたる召喚命令にとうとう根負けし、彼はローマに戻ってきた。

 権威や脅しに屈するような性格ではなかったが、てっきり中断していた大陵墓建設の仕事を再開できると思っていたのだ。

 ローマ教皇ユリウス二世に建造を命じられたその陵墓は、大理石の壮大な造りで、聖書の登場人物や聖人の像を縦横に飾り立てた、未曾有の豪奢な建築物となるはずだった。

 ミケランジェロはこれを終世の大作に仕上げるつもりでいた。もし完成した暁には、自身の名声は不朽のものとして語り継がれることだろう、と彼は夢想していた。

 しかし、彼の期待は裏切られた。

ローマへ戻った彼を待っていたのは、思いもよらぬ新たな命令だった。

「……無論、陵墓の建築は中断しているとはいえ、いずれは仕上げてもらいたいところだ。

 この我が眠りにつくにふさわしい奥都城。その建造を任せられるとすれば、ミケランジェロ、お主しかおらん。だが、それはそれとして、だな……」

 ユリウス二世は曖昧な言葉で、陵墓建築から話題を逸らした。

 イタリア諸都市におけるフランス軍の掃討など、難業を幾つも抱えた当時の教皇庁は、財政状況がひっ迫し、とても陵墓建設を再開できる状況ではなかった。

 なにより、教皇自身の関心が陵墓建築からサン・ピエトロ大聖堂の再建の方に移っていた。

 そして、もう一つ、彼の頭にはある事業の構想があった。

「ミケランジェロ。おぬしには、システィーナ礼拝堂の天井画を描き直してもらいたい」

 ローマ教皇の公邸にあるシスティーナ礼拝堂、その内部の壁画装飾の依頼。

 それが、ミケランジェロをローマに呼び戻した理由であった。

 陵墓建築の話題を曖昧にぼかした代わりに、教皇はシスティーナ礼拝堂の天井壁画を描くことを、自分がどれだけ望んでいるか力説した。

 偉大なる事業であり、それを任せられるのはミケランジェロをおいて他にいない、と断言する。

 だが、ミケランジェロは気乗りしなかった。

 説得の言葉を重ねられるほど、かえって陵墓建築への未練が募り、憤りが増していった。

「ワシは画家ではなく、彫刻家だ。そういう仕事なら、そうだな……ラファエッロあたりの方がよっぽどうまくやるだろう」

 ミケランジェロの言葉は、決して謙遜から出たものではなかった。

 後世の人々には、彫刻、絵画、建築、あらゆる芸術活動に偉大な功績を残した万能人の一人として知られるミケランジェロだが、この頃までは彼に絵画の依頼はほとんどなかった。

 習作のスケッチなら無数にあるが、完成された作品はほとんどなく、彼自身、あくまで自分の本領は彫刻であると信じていた。

 それに、天井画製作というのは、一般にあまり名誉な仕事ではなかった。

 側面の壁画の方がずっと評価は高く、天井画など芸術家よりも大工職人の領分と考えられていた。

 だが、地上二十メートルの高さの歪曲する天井に絵画を描く、というのは想像するだに困難な作業のはずだった。

 労多くして、名誉は少ない。

 陵墓建設と比べて、あまりに魅力に乏しい仕事だった。

再三、再四、ミケランジェロは言いわけを並べたて、なんとか天井画製作の任から逃れようとした。

 だが、ユリウス二世は簡単に自分の考えを曲げるような人物ではなかった。

 自分で命じた陵墓建築は平気で中止したくせに、ミケランジェロのこの態度を、無責任である、としてなじった。

 ミケランジェロの憤慨にむこうを張るように、教皇も段々と声高に、顔色を赤く染めてゆく。

 彼は、ミケランジェロ等芸術家のよき理解者であり、太っ腹なパトロンだ。

 教会的な信仰よりも古典古代の文学や芸術作品に傾倒する、典型的なルネサンス人の一人だった。

 だがそれ以上に、彼の本質は武人だった。

 寒村の貧家に生まれ、若い頃から乗馬、弓術、狩猟を好み、戦争に明け暮れた。

 好戦的で粗野で傲岸で、法衣よりも甲冑の似合う男だった。

 教皇の任に就いたのは六十歳の時だが、年齢より遥かに精力的で若々しい。

 長々とした議論を好む性格ではない。

 説得しようとする態度はかなぐり捨て、「教皇の名において」ミケランジェロに天井壁画制作を命じた。

 教皇の性格をよく知っているミケランジェロも、自分がこの難事業から逃れ得ないことを悟りはじめた。

「しかし、礼拝堂にいったい何の絵を描けばいいのか」

「うむ。それだがな、天井の各区画に十二使徒を描いてはどうかと思っておる」

 ―――十二使徒だって!?

 あやうく叫び声を上げそうになるのを、ミケランジェロはかろうじておさえた。

 たびたびイエスを疑い、小さな裏切りを繰り返し、それでも自分たちが神の使徒であると信じて疑わない楽天家の弟子達。

 彼らの人間的な卑小さが、かえって救世主の分け隔てない絶対的な愛の深さを際だたせるのかもしれない。

 そうだとしても、とてもミケランジェロが好きになれるモチーフではなかった。

 陰鬱で、孤独癖があり、人間嫌いなミケランジェロとはおおよそ相容れない人物像だった。

 元より天井画の制作に気乗りしていなかったところに、さらに意欲を削がれる思いがした。

「だが……礼拝堂の天井を埋めるには、十二使徒では数が足りないのではないか」

 ミケランジェロは言葉を選びながら、おずおずと反論した。

「そうじゃな。あまりの部分はなにか幾何学模様でも埋めればよかろう」

 ユリウス二世はこともなげに言う。

 彼の発想は万事がこの調子だった。

 決定の全てが大味で、およそ些事にこだわることがなかった。

 迂遠な言い回しでは教皇の考えを変えるのは不可能だということを、ミケランジェロも思い出した。

「しかし、十二使徒というのは……聖堂を飾るにはあまりに貧弱な主題ではないか。第一、彼ら自身が貧弱だ」

 ミケランジェロは、今度はきっぱりと返す。

 この芸術家の態度には、教皇の側近たちがぎょっとした。

 何が引き金になって癇癪を起こすか分からない男なのだ。

 その怒りを契機に戦争さえも引き起こしうる。

 側近たちも、そんな教皇の横暴を長年横で見てきていた。

 だが、ユリウス二世は、この問題に関しては存外に鷹揚だった。

「ふむ、それもそうかもしれんな。ならば、お主の好きな主題を自由に描くがよかろう」

 この態度には、ミケランジェロも虚を突かれた。

 当時、主題は元より、描き方の細部に至るまでパトロンが芸術家に事細かな注文をつけるのが当然だった。

 それが、「自由に描いてよい」とまで寛容に言われては、ミケランジェロとしてもこの仕事を固辞することは難しかった。

「ならば、仰せのままに……」

 渋々ながら、低頭するより他に、ミケランジェロに選択の余地はなかった。


 ミケランジェロは、あらためてシスティーナ礼拝堂二階を視察した。

その天井を見上げ、愕然とする。

「ここに絵画を描けというのか……」

 システィーナ礼拝堂の天井は、およそ千二百平方メートルもある、巨大な半円状の空間だった。

 ミケランジェロが天井画を描く以前、そこには青地に金の星が散りばめられた、夜空が描かれていた。

 見上げていると、あたかも本物の天空に視線が吸いこまれるような錯覚におちいる。

 絵画のおおよその構想は、既に彼の頭の中にあった。

 天井の各区画をダイナミックに連動させ、旧約聖書の物語を展開するつもりだった。

 現世に悲観的で、峻厳な悔悟の色合いが濃い旧約の物語は、新約聖書の十二使徒などよりもはるかに彼の趣味に適っていた。

 しかし、実際にそれを歪曲する広大な空間にフレスコ画として描くとなれば、途方もない作業だ。

 何年かかるかも想像がつかない。

 ミケランジェロは、己の陥った命運に、ただただ呆然とするしかなかった。


「出ていけ、役立たずどもめ!」

 怒鳴り声とともに、ミケランジェロは助手たちを礼拝堂から追い出した。

 画材を放り、殴りつけんばかりの剣幕だった。

 天井壁画の制作は、最初から困難が降り続いた。

 まずは、元の星空を描いた天井画を剥がさなければならなかった。

 この時点で何トンもの漆喰が運び出される。

 次に必要なのは、天井に絵を描くための足場の建設だった。

 これもミケランジェロ自身が設計しなければならなかった。

 足場によって窓の明かりが塞がれたため、礼拝堂内は昼なお暗く、ロウソクの火を頼りに製作を進めなければならなかった。

 ミケランジェロの身体は、この頼りない足場の上に拘束される。

 無理な姿勢で身体をよじりながら絵を描き、時にはあおむけになって描くことすらあった。

 最初に着手した《ノアの洪水》の場面では、絵具の配分がうまくいかず、カビが生じ、人物像が無茶苦茶になってしまった。

 これを言い訳に、ミケランジェロは、やはり自分は絵画のことは分からないと再度辞退を申し入れようとした。

 だが、結局、画料の問題も専門家のアドバイスを元に改善されてしまい、その場面は描き直された。

 さらには、ミケランジェロの雇った助手達の追放である。

 助手といっても皆、フレスコ画の扱いに長けたプロの芸術家達だった。

 だが、歪曲した空間に、ミケランジェロの構想を再現しえたものはいなかった。

 それは短縮法でもなく、単純な区画分けでもない、ダイナミックに躍動し、互いの図絵が連動する、まったく新しい絵画手法だった。

 助手達の習作を目にしたミケランジェロは、評価を付けるのも馬鹿らしくなり、問答無用で彼らを礼拝堂から追い出した。

 もとより、孤独な作業を好むミケランジェロである。

 天井壁画の膨大さに助手を雇ってみたものの、彼を満足させうる者はなかった。

 結局、彼はこの広大な空間に、再び独り向き合うこととなった。


 それは人語を絶する闘いの日々だった。

 昼夜の別なく礼拝堂は暗く、地に足つけることなく足場の上で寝起きし、ろくな食事もとらない。

 眠りは浅く、夢と現実の境界は曖昧なままだった。

 朦朧とする意識の中、彼の心は次第に恐怖に満たされていった。

 それは苦痛や苦悩とは違う、死の予感にも似た冷気だった。

 その恐怖がどこからくるのか、彼自身分からずにいた。

 礼拝堂を覆う薄闇が、胸の内に沁みこんでくるような心地だった。

 芸術活動に一生を捧げてきたミケランジェロだが、このような経験は初めてだった。


 彼を苦しめ、恐怖させたものの正体は、時代の精神とも呼ぶべきものであった。

 複雑に絡みあう時代の潮流が彼一個の存在にのしかかっていた。

 時は古典古代に憧憬を募らせるルネサンス全盛の時代だった。

 人間存在に価値を見出し、才能ある者を称揚し、個人が台頭し、生の歓びが謳われる。

 だが、その一方で、絶対的な神の存在にひれふす、現世否定的な中世的価値観も根強く残っていた。

 新旧の価値観が互いに激しくぶつかりあい、うねりをあげていた。

 時同じくして、宗教改革によって信心の在り方が大きく揺さぶられはじめた。

 多くの者がアイデンティティを引き裂かれ、人生の価値観をどこに置いていいのか分からない不安定な恐怖に駆られた。

 その時代精神の象徴ともいえるのが、ミケランジェロだった。

 ミケランジェロはルネサンス期の芸術家としては、例外的なほど信心深い男だった。

 芸術家の活動を否定し、神の業罰を説き続けた修道士サヴォナローラの説教に傾倒したこともあった。

 彼を押しつぶさんばかりに圧倒するのは、旧約の神の幻想だった。

 彼の苦悩は深く、罪と業罰に怯えていた。

 その一方で、天井画いっぱいに散りばめられた裸身は、克明に人間存在の価値を謳っていた。

 無理な姿勢に身体を痛めるミケランジェロだったが、精神の面ではそれ以上に強烈なねじれに、身を引き裂かれんばかりに苦しんでいた。

 人知れず無人の礼拝堂で叫び声を上げたのも、一度や二度ではなかった。

 聞く者がいれば、それは地獄からの呼び声かと思えるような、怖ろしい悲鳴だった。

 その後は決まって、憑かれたように筆を取り、信じがたい早さで天井画を描いていった。


 世界を呑みこむ洪水の絵は、神への畏れであり、逃れえない宿命への諦念であった。

 後世の人々が感じるようなただの物語の一場面ではない。

 それは厳然たる“真実”の一幕であり、激動の時代を生きる彼にとって、いつまた我が身に降りかかるか分からない“予言”であった。

 人々の苦悩と嘆きが画面いっぱいを覆う。

 しかし、その一方、洪水に逃げ惑う人々の裸の肉体には、生命の力強さが宿っていた。

 そこには、抽象化され得ない人間存在への信頼がたしかに感じられる。

 洪水に逃げ惑いながらも、人々の姿にはどこか毅然とした尊厳が見られた。

 瀕死の仲間や家族を抱え上げ、手を伸ばし、少しでも高いところへ救いあげようと助け合う慈愛の精神もうかがえる。

 そこに描かれているのは、確かな意志を宿した“個”としての人間存在だった。

 それは中世以前の世界観にはなかった概念だ。

 人にまじわるのを嫌い、孤独を好むミケランジェロだが、彼の芸術は常に“人間存在”を描き、その本性を追い求めてきた。

 神の定めた業罰を粛然と受けいれることは、彼の内にうねる時代精神のエネルギーが許さなかった。

 だが、それがかえって彼を苦しめた。

 信仰の拠り所が分からず、足元がいまにも崩れさるような不安が常につきまとった。

 ミケランジェロは自身の不安な心境と過酷な作業環境への不満を、何度も手紙につづり方々の知人に送っている。あたかも、そうすることで自らの正気を保とうとするかのように。

 自身を押しつぶそうとする壁画の幻惑から何度も逃れようとした。

 だが、教皇は決して彼をこの任から解こうとしなかった。

 そして、ミケランジェロ自身、いつしか自らの描く天井壁画に取りつかれ、中断できなくなっていた。

 不安や苦痛を感じるほど、かえって作業の速度は増してゆく。

 この絵が完成した先に何が待つのか自分でも分からぬまま、筆を進めていった―――。


 ミケランジェロは、段々と自己の存在がどこにあるのか分からなくなっていった。

 絵画はもはや描く対象ではなく、自分自身の内に分かちがたく混在しはじめていた。

 以前より、彼は彫刻を造る時には、大理石の内側に既に完成された彫像の姿を見出していた。

 彫るべき姿は既に対象の内に存在し、のみを握る手が躊躇することはなかった。

 天井壁画の制作は外側の芸術対象ではなく、自身の内奥へと沈潜していく作業であった。

 外なる絵画が完成に近づくにつれ、ミケランジェロ自身の精神は深く、より深くへと内に潜っていく。

 時に彼は裸で泥酔するノアと一体であった。

 神に選ばれた男でありながら、その身体は老い衰え、酔い潰れ裸で眠る姿に、息子たちですら嘲りの視線を投げかける。

 ミケランジェロもまた、稀代の芸術家と讃えられながらも、その容姿は嘲笑の的だった。

 背は低く、汚れた服を着はなし、髪はくしけずらず、額には深いしわが刻まれ、頬骨や口元は歪み、鼻は若い頃の喧嘩が元で曲がったままであった。

 降る年月の重みに押しつぶされるように、老人は酔い、眠る。

 また時に、彼は来たるべき災厄を憂う預言者ヨエルと一体となった。

 ヨエル書が預言する、地上から太陽と月が消え、木々の枯れ果てた嘆きの大地とは、ろうそくの明かりをもとに昼夜の別なく足場の上で作業するミケランジェロのいまの状態そのものだった。

 日輪の光は遠く、未来は昏く閉ざされていた。

 《ノアの犠牲》を描くその時は、ミケランジェロは我が身と心の全てを神に捧げる想いであった。

 娯楽も安逸も、彼からは奪われた。

 これを神への供物とでも思わなければ、とても彼の精神は持たなかった。

 燔祭(はんさい)に捧げられるため組み敷かれ、喉をかき切られた雄山羊の虚ろな瞳は、神聖なる血肉となって神の元に生まれ変わる自身の姿を夢見ているようでもあった。


 天井壁画は、旧約の物語を逆にさかのぼりながら描かれていく。

 それは、地上の人から神人の領域へ。そして神の営みへと絵画を通じて上昇してゆく試みだった。

 次第に、旧約の物語は具体的な人物像から抽象化していく。

 イエス・キリストへと連なる先祖達の系譜は、どこか超越的で、人よりも神々に近しい姿で描かれた。

 楽園追放の場面を描くにいたり、ミケランジェロの意識は地上的事物を忘れはてた。

 教皇への憤慨も助手の追放もはるか遠い意識のかなたに消え去っていた。

 苦悩も苦痛も、もはや彼を蝕むことかなわなかった。

 ミケランジェロの精神の変容は、外側にも表れる。

 目に見える絵画の手法もそれまでの場面とは大きく異なるものだった。

 余計な事物は排され、構図は簡潔で力強く、描かれる人物はダイナミックでスケールが大きい。

 イヴを誘惑する蛇すら、美しい女性の姿だった。

 ミケランジェロは罪の意識を捨て去っていた。

 矛盾は豊かさの証であり、苦悩も悦びと同じ神の賜物であると悟った。

 楽園に寛ぎ禁断の実に手を伸ばす姿も、大天使の剣に追い立てられ身をよじりながら楽園を追放されるアダムとイヴも、同じ画面に同じ美しさで、同一の尊厳をもつものとして描かれた。

 

 イヴの創造を描いた後、場面はシスティーナ礼拝堂のモチーフで、またミケランジェロの絵画で、おそらくもっとも有名な《アダムの創造》へと移る。

 神によって命の息吹をふきこまれたばかりのアダム。

 その身体は光輝に包まれ、筋肉の躍動は雄々しく、神そのものと見紛うばかりであった。

 天使に支えられた神と《始まりの人》との対比は、世界の完全なる調和を現出していた。

 それはもはや絵画の領域を超えでた、紛うことなき“奇跡”の体現であった。

 場面は神による人間の創造だが、ミケランジェロの精神はこの逆をたどった。

 伸ばしたアダムの指先を頼りに、被造物から神そのものの内へと上昇してゆく。


 彼は自身の内なる神と一体であった。

 それは全き自由の世界だった。

 時間も空間も、名だたるものも名づけえない全てのものも神の内にあった。

 苦悩や苦痛はおろか、悦びも安らぎからも彼の心は離脱していた。

 どこまでも透き通っていく彼の心にただ一つの光が満ちる。

 それは無限の広がりと量をもった神の愛であった。

 愛と神は分かちがたく一なるものであった。

 ただ愛をもって、神は天地を創造した。


 大地と海を分け、地上を形づくる。

 神の内より出ずる生命の源が祝福となり、天地に降りそそいだ。

 神は己の所業に満足した。


 次にさかのぼるのは天球の創造である。

 これは神の御業をもってしても大仕事だった。

 ミケランジェロはこの大事業を表現するのに、ためらいなく神を二つに分け、後ろ姿と正面の姿を同時に出現させた。

 彫刻を本業と自認している彼にとって、一つの姿を違う視点から完璧に描き分けることは、容易なことだった。

 背を向けた神の姿はその神性をそこなうことなく、より確かな調和を場面にもたらした。

 躍動する神の姿態は宇宙的なエネルギーに満ち満ちていた。


 最期に彼は光と闇の分離を描いた。

 光は世界をあまねく照らし、昼を形作り、地上を暖めた。

 闇は天を覆い、星となってきらめき、夜を作り、静寂を護った。

 これをみて、彼は良しとした。

 

それは全ての被造物の始まりの時であり、同時に創作終焉の時であった。

 天井壁画は完成され、彼の手を離れ、そこにあった。

 天井画を描き終えたいま、彼は矮小なる独りの人でしかなかった。

 長い夢から醒めたような心地だった。

 夢見のうちに、四年の月日が経っていた。

 なにかが自分の内から喪われ、そしてそれは永久に取り戻せないことをミケランジェロは悟った。

「おぉ…………」

 獣がうなるように、低い声でおののく。

 震える指で手を伸ばす。

 だが、もはや絵画と画家の間には無限の隔たりがあった。

 ノアは、アダムは、そして神は彼の内にはもうなかった。

 てのひらから砂がこぼれ落ちるように、急速に霊感は喪われてゆく。

 もはや無用となった足場を取りはらう時がきた。

 

 壁画を描き終えてからしばらくの間のことを、ミケランジェロはどうしても思い出せなかった。

 もしかすると、しばし気を失っていたのかもしれない。

 だが、だとすれば一体誰が壁画完成の報を人々に告げたのだろう。

 知らせを聞いて、まっさきに教皇自らが礼拝堂に足を踏み入れた。

 まだ足場を外したあとの粉塵が舞うなかであった。

 ついで、ローマ中の人間が、一目これを見ようと押し寄せた。

 天井を見上げる誰しもが息を呑み、言葉を忘れた。

 歪曲する空間に、圧倒的な統一感と多様性が同時に現出していた。

 三百人を超す人間像がそこには描かれていたが、雑多な印象はまったくなく、星座の瞬きのように、輝く個別の場面が全体として一つの紐帯をなしていた。

 何故このように奇跡的な構成が可能だったのか誰にも分からなかった。

 だが、ミケランジェロはとても自身の大いなる作業を誇る気にはなれなかった。

 彼自身にすら、何故このような絵画を完成しえたのか分からなかったのだ。

ともかくも、疲れた。

もういまは何も考えたくなかった。

ミケランジェロのことを知る者達は、その変わりように驚いた。

彼はこの頃三十の半ば、もっとも精力的で男盛りな時期のはずだった。

だが、礼拝堂から這うように出てきたその姿は、実年齢より二十年は老けてみえた。

腰は曲がり、薄暗がりの中の作業によって視力は大きく落ちていた。

なによりも、そのまなざしには拭いようのない疲労感が色濃く漂っている。

まるで荒野をさ迷う隠者を見ているかのようだった。


ミケランジェロが同じシスティーナ礼拝堂の奥の壁に「最後の審判」を描くのは、天井画完成から約三十年後のことである。

画面いっぱいに乱舞する裸体のうちに、みにくく闘争する地獄の罪人から、神の姿に驚き畏れる天界の人々まで、ありとあらゆる《人間》の本性が凝縮されていた。

この疑念、不安、苦悩に満ち満ちた絵画をどんな想いでミケランジェロが描いたのかは、余人にはうかがい知れない。

ただ最晩年につづった彼の詩の終わりに、その片鱗が偲ばれるのみである。


人がいかに褒めたたえようと

絵画も彫刻も

もう魂を鎮めてくれることはない

魂は

十字架の上に腕をひろげた

あの聖なる愛にすがるのみ


当然ながら、この物語はフィクションです。

作者の資料検証の不足、誤解もありますが、現在は否定されている伝説・逸話もあえて物語に盛り込んでいます。(仰向けに寝ながら絵を描いた、助手を全て追い払ったなど)

もし、ご興味ある方がいらっしゃったら詳しくは下記参考文献をご参照ください。


参考文献

ピエルルイージ・デ・ヴェッキ 『システィーナ礼拝堂 甦るミケランジェロ』日本テレビ放送網 1998

ロス・キング 『システィナ礼拝堂とミケランジェロ』東京書籍 2004

岩山映子 『システィーナ礼拝堂天井画』東北大学出版会 2005

I・モンタネッリ R・ジェルヴァーゾ 『ルネサンスの歴史(下)反宗教改革のイタリア』中央公論社 1985

ジョルジョ・ヴァザーリ 『芸術家列伝3』白水社 2011

木下長宏 『ミケランジェロ』中央公論社 2013

青木昭 『図説ミケランジェロ』河出書房新社 1997

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