45話:魔女と怪物
シャティアに言われた通り爆発音があった場所に向かうと、エメラルドの視界に入って来たのは騎士の恰好をした人達が倒れている酷い光景だった。鎧が変にへこんでおり、魔法や特殊能力と言った物では無く打撃で倒された事が分かる。幸いまだ息はあったが、それでも重症である事には変わりなかった。
エメラルドは躊躇する。もしも今ここで自分が治癒魔法を使わなければこの人達は死んでしまうかも知れないだろう。だが、だからと言って本当に治癒魔法を使うのは正しいのだろうか?人間は信用出来ない。すぐに裏切る。この騎士達も自分が驚異的な治癒魔法を使えば不審に思って捕まえようとして来るかも知れない。そんな不安がエメラルドの中にあった。だがふと、彼女は蹲っている男が零した声に反応した。
「助けて……くれ……」
「……ッ!」
男はエメラルドが誰なのかも判別出来ないようで、ただ腕を伸ばして助けを求めた。こんな小さな女の子に助けを求める程の重症。エメラルドはほぼ反射的に動き出し、倒れている男に近づくと治癒魔法を掛けた。苦しそうな声を上げていた男はすぐに静かになり、眠りに付いたように目を瞑った。それを見てエメラルドはつい安堵の息を吐いてしまう。そしてそんな反応をしてしまった自分に戸惑いを覚え、震えている自身の手を見つめた。
やはり自分はどこまでも愚かだ。散々裏切られた癖に、散々復讐を誓ったのに、結局こうやって人を助ける。エメラルドは自分の本心を知り、呆れたようにため息を吐いた。すぐに彼女は他の倒れている騎士達の所に向かい、全員に治癒魔法を掛ける。
これが本当に正しい事なのかは分からない。結局はまた裏切られるのかも知れない。だがそれでも、今後悔しない為に動こう。エメラルドはそう答えを出し、シャティアに言われた通り自分の心に従う事にした。
全員に治癒魔法を終えた後、シャティアは戦いの音がする方向へと向かう。塀を飛び越え、民家の破壊された残骸に着地するとそこでは異形の怪物と銀髪の騎士が戦っていた。エメラルドは異形の怪物のその異質な姿に驚き、妙な魔力反応に疑問を示す。どこかで感じた事があるような気味の悪い魔力、エメラルドは警戒しながらその戦いを観察した。
銀髪の騎士が倒され、とどめを刺されそうになる。その瞬間エメラルドは立ち上がって腕に魔力を込めると特大の魔力砲を放った。この距離なら直撃のはず、そう思ったのにあろう事か異形の怪物はその見た目からは信じられない程の俊敏さでその場から飛び跳ね、渾身の魔力砲を避け切った。驚きの表情を浮かべながらもエメラルドは民家の残骸から飛び降り、怪物が立っている道に降り立って対峙する。
「人を傷つける事は私が許しません。貴方を、排除します」
エメラルドは決して戦う事が得意な魔女では無い。もちろんそこいらの魔術師が束になっても勝てない程の人智を超えた存在である事は変わりないが、その枠を超えた存在の中では最弱と言っても良い程弱い。
まず彼女はろくに攻撃魔法を覚えていない。適正とエメラルドの性格から治癒魔法に特化している為、必要が無かったのだ。故に彼女は目の前に居る怪物に対して有効な攻撃手段が無かった。ただでさえ硬そうな見た目に、素早い身のこなし。自分が出来るのは有り余る魔力を込めてただ放つだけ。ハッキリ言って厳しい戦いだろう。
「小娘ごときが……!!」
怪物が走り出す。地面を揺らす程の巨大な音を立てて飛び出し、目の前に怪物が迫って来る。すぐさまエメラルドは目の前に魔力の壁を作り出すが、その壁も怪物が振るった拳で破壊されてしまう。衝撃でエメラルドは吹き飛ばされ、民家の壁に激突する。身体の中で何かが折れるような嫌な音が響いた。彼女は口から一滴の血を流しながらお腹に手を当て、自身に治癒魔法を掛ける。完全回復、だが痛みがすぐに引く訳では無い。
「ぐっ……」
「ほう、面白い小細工をする。が、その程度で俺を倒せるとでも思っているのか?」
ダメージを負ったはずなのに倒れないエメラルドを見て怪物が興味深そうにそう言う。余裕のある態度、魔女であるエメラルドの魔力を感じても一切の恐れを感じていない態度であった。一方エメラルドの方が余裕が無い。拳に直に当たった訳では無いのに衝撃波だけでこのダメージ。幸い自分は治癒魔法ですぐに復活する事は出来るが、いくら何でも何の補助魔法も掛けずにこの破壊力は恐ろし過ぎる。エメラルドは表情を険しくし、額から一筋の汗を垂らした。それを悟られないよう、何とか強気な立ち振る舞いをする。
「あまり調子に乗らない方が良いですよ、怪物さん。貴方はすぐに自分より上の存在を知って鼠のように尻尾を巻いて逃げ出す……」
「クハハ、それは楽しみだ」
エメラルドの挑発も笑い飛ばすだけで相変わらず怪物は余裕の態度を崩さない。エメラルドはバックにシャティアが居るという安心のおかげで今は何とか強気な態度を取っていられるが、もしもシャティアと怪物の実力が互角だったとしたら、と最悪な事を考えてしまう。それを打ち払うように首を振ってエメラルドは動き出す。手の平に最大の魔力を込め、球体の形を取らせてそれを発射する。凝縮した分、そのスピードは速い。だがやはり怪物はそれを避け切り、エメラルドの目の前まで迫って来た。
「ではそうなる前に、お前を粉々に潰す事にしよう」
黒い触手で覆われたその顔の隙間から鋭い牙を見せながら怪物はそう言った。筋肉の塊のようなその腕を振り上げ、容赦なくエメラルドに振り下ろす。今度のは何とか避け切れ、エメラルドは地面を蹴ってその場から離脱する。だが怪物はすぐにそれの反応すると目に見えぬ速さで動き、エメラルドの背後へと回り込んだ。
「ッ……!!」
あまりにも早すぎる。エメラルドは反応し切れずそのまま怪物の足蹴りを喰らい、地面へと叩きつけられた。視界の上下が反転するような錯覚に襲われ、一瞬頭が真っ白になる。意識が途切れそうになりながらもエメラルドはすぐに飛び退き、自分の身体に手を当てると治癒魔法を発動した。背中と頭をやられた。たった一撃で。もしも追撃を喰らっていたら魔法を発動する意識すら持っていかれたかも知れない。その恐怖を感じ、エメラルドは若干表情を暗くした。嫌でも口から荒い息が漏れてしまう。
「はぁ……はぁ……」
治癒魔法は本来怪我人が負った傷を丁寧に癒す為に使用する。決してこのように戦闘中に即座に使える物ではない。それが出来るのはエメラルドの技術と膨大な魔力のおかげだが、それでも使用時間は短ければ雑な治癒になってしまう。砕けた骨を元に戻しても、少しでもズレが生じれば後々不味い事になってしまう。故にエメラルドはなるべく治癒魔法を過度に使う訳にはいかなかった。
それが分かっているのか、それとも焦りを見せているエメラルドの余裕の無さに感づいたのか、怪物は醜い顔を歪ませながらクツクツと笑みを零した。
「どうした小娘?随分と余裕の無い顔になったぞ?」
「お気遣いどうも……ですがご心配なさらず、ちょっと身体を慣らしていただけですので」
怪物に心配されて嫌悪感を示したエメラルドは眉を潜ませながらそう言い返した。流れた汗を腕でふき取り、身体を起こす。
ここでこの怪物は止めなければならない。目的は分からないが、それでも聖騎士と呼ばれる集団を一人で倒す程の脅威を持っている。倒す事は出来ないだろうが、それでも拘束する事は出来るだろう。そうすれば後から合流するシャティアの魔法で心を覗き見て奴の目的が分かる。エメラルドはそう作戦を立てると身体中の魔力を指先に集め、指を走らせると切り札である魔法を発動した。
「罪の枷……!!」
光と共に魔法陣が飛び出し、その魔法陣が怪物の四肢を拘束する。突然動けなくなった事に怪物は驚き、腕を動かそうとしたが鈍い音が響くだけで全く動かす事が出来なかった。
拘束に成功した事にエメラルドは笑みを零し、同時に魔力が大幅に減った事を感じて脱力感から肩を落とす。
「ぬぐ! ……何だコレは!? 動けん!」
「無駄です。私の魔力を込めて作り出した脱出不可の魔力拘束具です……簡単には抜け出せません」
魔力拘束具、罪の枷は物理的に脱出する事は不可能である。これを破壊出来るのはシャティアの眠り歌のような直接魔力に干渉出来る物で無ければ出来ない、はずである。だが時には例外があるのかも知れない。例えば、拘束された者の力があまりにも術者を凌駕している場合とか。
怪物はいくら力を込めても腕が動かせない事に苛立ちを感じているようだった。身体を揺らし、何とか脱出しようとする。だがやがてその怒りが頂点に達したのか、醜い顔から牙を出して吠えた。
「愚かな! この程度で俺を拘束出来るとでも思っているのかァァァァアアア!!!」
それはまるで炎のようで、怪物は身体中から熱気のような物を出すと筋肉を肥大化させた。みるみるうちに魔力の拘束具にヒビが入って行き、やがて限界を迎えてガラスのように簡単に砕け散ってしまった。エメラルドは自身の切り札が破られた事に驚き、固まってしまう。
「なっ……え……」
「クハハハ! 貧弱だな小娘。所詮お前はその程度だ!」
最早エメラルドには怪物に対抗する手段が残されていなかった。魔力砲はもちろん当たらないし、治癒魔法を上回る程の攻撃力、更には切り札であった罪の枷を突破。全てが、敵わない。エメラルドは先ほど自分が言った言葉を思い出す。自分よりも上の存在。それは間違いなく、今目の前に居る怪物の事であった。この異形の怪物は魔女である自分よりもはるか上を行く実力を持っている。それに気づいた瞬間、エメラルドはもう対抗する気力を失っていた。
「だがお前はよく戦った……褒美として苦しまずに沈めてやろう。さぁ、終焉の時だ」
戦意を失ったエメラルドに気が付いた怪物も手荒な事をしようとはしなかった。ゆっくりとエメラルドに近づき、その小さな身体に拳を振り下ろそうとする。黒々とした漆黒の拳、エメラルドは呆然とそれを見上げ、ただ黙って振り下ろされるのを見ている事しか出来なかった。
◇
シャティアは爆発音があった方のとは別の妙な魔力を探っていた。それは大分注意深く隠れており、シャティアは民家の屋根の上に飛び移るとその残り香を辿って探し続けた。そして遂にその発信源を見つけた。一番高い建物の上で、それは黒い霧に紛れるように隠れていた。シャティアは浮遊魔法で宙に浮きながらそれに近づき、静かに話しかける。
「……お前、魔女だな?」
注意深く、警戒心を高めながらシャティアは呟くようにそう尋ねる。
かなり慎重に隠しているが、これは間違いなく自分達と同じ魔女の魔力反応であった。最初シャティアがそれに気が付いた時、すぐに信じる事が出来なかった。まず隠れている理由が分からないし、どうしてこんな禍々しいのかも理解出来なかった。故にすぐに話しかける事が出来ず、今もこうして警戒しながら話しかけているのだ。
シャティアの存在に気付いたその黒い霧は揺らめきながら顔らしき部分をそちらの方向へ向け、まるで嘲笑うかのように霧をまき散らす。
「…………」
そして次の瞬間、黒い霧が爆発するように周囲に飛び散り、シャティアの事を飲み込もうと大口を上げた。シャティアは目を見開き、呆然とそれを見つめる。視界が漆黒に染まった。




