39話:リザードマンの長は語る
リザードマン達はただひたすら前を向いて歩みを進めていた。自分達の神を復活させる為に、リザードマンの力を世界に知らしめる為に、己らの欲を満たす為に必死に脚を動かした。
険しい山を越え、幾つもの生贄を用意し、準備は着々と進んでいく。後一つ山を越えれば儀式の場へと着く。そこに辿り着けば目的を果たす事が出来るのだ。そう思えばリザードマン達の脚は軽くなり、行進を速めた。
数歩進んでリザードマン達は疑問を感じた。景色がおかしい。自分達は山を目指していて歩いていたはずだ。それならば自分達の前にはその山が無くてはならない。だがどういう訳か目の前には平原が広がっている。リザードマン達は首を傾げ、そして言葉を失った。なんと自分達の頭上で巨大な山が浮いていたからだ。
「……グルァ!?」
リザードマンを束ねているリザードマンの長も思わず声を漏らし、自身の目を疑った。山が浮いているなどそんな事はあり得ない。あり得るはずが無い。だが目の前にある光景が現実だと訴えてくる。リザードマン達はそのあまりの超常現象に狼狽え、困惑した。
「山が、浮いてる?……この魔法はひょっとして……」
その光景を見て鎖に繋がれて拘束されているミミも異変に気が付き、何かを察した。このようなあり得ない現象を起こす人物に一人だけ心当たりがある。だがそれこそあるはずが無い。その人物はもうこの世には存在しないのだ。なら、目の前で起こってる現象は誰が起こしている物なのか?ミミですらその答えにはたどり着けず、呆然と口を開く。
「目的地を奪った。道を失ったお前達は次に何をする?」
その場に少女の声が響いた。リザードマン達がその声の主を探すと何とその少女も上空に浮いており、美しい銀色の髪を靡かせていた。
叡智の魔女、シャティア。彼女は優雅にその場に居座り、リザードマン達の事を見下ろしている。浮いている山を背にしながら、さも黒幕であるかの如く振舞っている。
「轟け」
シャティアは片腕を上げ、勢いよく振り下ろした。直後にリザードマン達の近くに雷が落ちた。轟音を響かせ、地面を黒く染まらせる。リザードマン達は雄たけびを上げ、シャティアが敵だと言う事を認識すると牙を鋭く尖らせた。
シャティアは続けて腕を振るい、幾つもの雷を落とす。上空からの攻撃にリザードマン達は抵抗出来ず、一時散開する事にした。
「今だ。勇者、リリ」
リザードマン達が散ったのを確認し、シャティアは指を鳴らして合図をした。直後に林の間から勇者とリリが飛び出し、生贄を連れているリザードマンを吹き飛ばして魔族達を救出した。
「お姉ちゃん!?」
「早くこっち来なさい! ミミ!」
リリが突然現れた事に驚き、なおかつ見知らぬ少女が山を浮かしている光景にミミは完全に戸惑っていた。しかし姉に導かれるがままに林の中へと走らされ、勇者に連れられた魔族達もリザードマンの包囲から脱出する。
「シャティファール!」
「我は時間を稼ぐ。その間に魔族達を安全な所まで連れて行け」
一度歩みを止め、勇者はシャティアの名を呼ぶ。するとシャティアは浮遊魔法を解いて一度地面に降り立ち、勇者にそう言うと早く行くように手を払った。
勇者は申し訳なさそうに唇を噛み、仕方なく頷くと魔族達に付いてくるように指示を出し、走り出した。リリとミミもその後に続く。
「……さて」
全員が避難した事を確認し、シャティアは小さくため息を吐く。まるで肩が凝ったかのように僅かに首を回し、腕を振るった。しばらくすると散開していたリザードマン達が戻り始め、シャティアを囲むように集まった。
「グルァァァァァァアア!!」
「こうして大勢集まると圧巻だな。さすがの我も全てを相手するのは骨が折れそうだ」
集まったリザードマン達を見てシャティアは僅かに笑みを零しながらそう言った。余裕そうな態度を取っているがリザードマン一体一体が強いのは事実。それが束となればとてつも無い力を発揮する。いくらシャティアでもそれを抑えきるのは不可能である。故にシャティアは策を講じる。
「ま、全てを相手にするつもりはもとより無いが」
ニコリと可愛らしい笑みを作ってからシャティアはそう言い、指を下に振るった。その瞬間、リザードマンの頭上から何やら重々しい音が聞こえてきた。何事かと思って見上げてみれば、先程まで浮かんでいた山が落下して来ていた。
まるで大地が蠢くかの如く、その場に落雷よりも凄まじい衝撃音が鳴り響いた。いち早く逃げ出したリザードマン達は幸い山に押しつぶされずに済んだが、それでも周りに伝わった衝撃波と砂煙によって何人ものリザードマン達が吹き飛ばされていた。
そんな中、シャティアだけは浮遊魔法を使って衝撃波から逃れており、悠々とその光景を眺めていた。
「あまりこう言った乱暴な事はしたく無かったが……まぁ、後で綺麗に元通りにしよう」
元々自然を愛しているシャティアからすればこのような魔法はあまり使いたくなかったのだが、今回は仕方なく行使した。その代わり後で被害があった木々や地面を元通りにすると決め、リザードマン達の方へと視線を戻す。
「グルゥゥァアアアアアア……ッ!!」
「ほう、結構残ったな」
砂煙が収まり、起き上がったリザードマン達は咆哮を上げてシャティアと対峙した。全員がこの異質な少女を倒す為に戦意を高めている。そのプレッシャーを受けながらシャティアは小さく息を吐き、肩の力を抜くと片手を前に出した。
「来るが良い」
そう言うと同時にリザードマン達は一斉にシャティアへと襲い掛かった。爪を光らせ、牙を剥き、己の力を持って圧倒しようとする。その全てをシャティアは魔法の壁で受け止め、続けざまに光の球を放ってリザードマン達を吹き飛ばした。しかしリザードマン達も木を足場に使って上空から攻撃を仕掛け、シャティアの不意を突こうとする。すぐさまシャティアはそのリザードマンに手を向け、魔法の鎖を放つと拘束して地面へと打ち付けた。
「どうした?その程度か?」
にやり、とわざとらしくシャティアは笑って見せる。言葉は通じつともリザードマン達はそれが挑発だと分かり、一際大きな咆哮を上げるとシャティアへと飛び掛かった。リザードマンの太い腕がシャティアを潰さんとばかりに振るわれる。シャティアはそれを浮遊魔法で後ろに回転する事によって躱し、続けて振るわれた尻尾も魔力波によって吹き飛ばした。そのまま衝撃を受けてリザードマンは地面に崩れ落ち、気絶する。
流石に数では圧倒するリザードマン達も次々と仲間達が倒されるのを見て恐れをなしたのか、一瞬攻撃の手が止まる。囲まれているのはシャティアだと言うのに、まるでシャティアの方がリザードマンを捕まえているかのようだった。
「……む?」
ふとシャティアは異変に気が付く。囲んでいるリザードマン達の一部が道を開き、そこから一匹の巨大なリザードマンが姿を表した。子供のシャティアよりも何倍も大きく、他のリザードマン達よりも強靭な身体を誇る。シャティアはそれがリザードマンの長だとすぐに見抜いた。身体には幾つもの傷が残っており、鱗は一際鋭い形をしている。より竜に近づいた体系をしており、尻尾の長さも他の倍はあった。
「ルルゥァ……」
「リザードマンの長か……立派な姿をしている」
長なだけあって知恵もあるのか、リザードマンの長はすぐにシャティアに襲い掛かろうとはしなかった。低い唸り声を上げながらシャティアを見定めるように見つめる。
「人間……下等種族に、しては……中々面白い技を、使う……」
「ほぉ、言葉が分かるのか。長なだけあって頭も良いな」
リザードマンの長は喉を震わせ、低い声でシャティアへと語り掛けた。時折唸り声が混ざり、聞き取り辛い言葉ではあったがシャティアには十分理解出来る物だった。片腕を下ろし、地面に降り立ってシャティアは耳を傾ける。
「貴様はもう、気づいているだろうが……我々は竜を目覚めさせる、つもりでいる……」
腕を払い、山を指さしながらリザードマンの長は己の目的を語った。シャティアが予想した通りその内容は竜の復活であり、シャティアは反応を示さない。静かにリザードマンの長の言葉を聞いた。
「だが、我々は竜に頭を垂れるつもりは、無い……我々は、竜を支配するつもりなのだ……!」
「ほぅ、己らの神を救うのでは無く、利用するつもりだと」
リザードマンの長の話を聞いてシャティアは興味深そうに口元に手を当てた。自分達の神を解放させるつもりで竜を復活させようとするのなら普通だが、それを支配しようとなると中々に貪欲な話であった。そもそもリザードマンは竜によって生み出された存在。自分達の創造神を利用しようなどと、傲慢な事である。だがシャティアは怪訝な表情はせず、面白がるように口元を引き攣らせた。
「確かに我々は竜によって生み出された存在……が、我々は奴の僕では無い! ……我々は竜人として、世界の覇者となるのだ……!」
拳を強く握りしめてシャティアに見せつけながらリザードマンの長はそう言い放った。その言葉は不慣れが見えながらも意志は強く、シャティアはそこに確かな目的がある事を感じ取った。彼らは本気で竜という存在を越え、自分達が世界の頂点に立つ存在となろうとしているのだ。
「恐ろしく傲慢な話だな。我からすれば子が親を超える為に必死に頑張ろうとしているようにしか見えんよ」
「我々は子などでは無い……! 竜人だ!! 聖なる種族なのだ……ッ!!」
今度は牙を剥き出しにしてリザードマンの長はそう言い張る。そこには怒気が込められており、自分達が竜の配下のように扱われるのをひどく嫌っているようであった。
「竜人こそが、最強の種族……! 人間よりも、魔族よりも……あの魔女よりも、高見を行く存在なのだ!!」
「ほぉう……魔女よりも」
リザードマンが魔女よりも、という言葉を口にした瞬間シャティアは目を細めてそれを指摘した。別に魔女が下に見られて不満を抱いた訳では無い。シャティアが感じたのは忌まわしき魔女を恐れずそれを下に扱う竜人の欲の深さに感心したのだ。
「そうだ……! 以前我々が妖精の地を、侵略しようとした際……奴らに邪魔、されたが……その魔女も今はもう居ない……我々の時代だ!」
かつて一度魔女と竜人は衝突した事があった。その時は制圧される形で竜人が押され、一旦引き下がる事となった。その時の事を覚えているシャティアはああ、と小さく諦めたような声を漏らした。
「貴様、もどうだ?人間にしては強い……特別に、我の配下にしてやっても、良いぞ?」
リザードマンの長は首を大きく曲げながらシャティアに自身の大きな手を差し出してそう尋ねた。しかしシャティアは顔を下に向け、黙り込んでしまう。髪で隠れ、その表情を読み取る事が出来ない。やがてゆっくりと彼女は顔を上げ、リザードマンの長に答えを出した。
「悪いが……御断りしよう」
純粋な清々しい笑みを浮かべながらシャティアはそう宣言する。その瞳は真っすぐリザードマンの長の事を見つめており、自分の答えを曲げるつもりは無い、としっかりとした意志が込められていた。
「何故なら我は叡智の魔女だからな」
シャティアはそう言うと同時に手を払った。その瞬間辺りの影がゾプリと音を立てて沼のように蠢き、シャティアを中心に渦を巻き起こし始めた。その禍々しさはまるで地獄へと誘う闇のようで、リザードマン達は形容しがたい恐怖を感じた。
シャティアはただ静かに笑っている。優しい表情をしながら、そっと闇に手を翳す。
◇
勇者とリリとミミは魔族を連れながら林の中を走っていた。いくらシャティアがリザードマンを相手にしているからと言って、リザードマンがただ黙って生贄を見逃すような事はしない。現に何匹かのリザードマン達が木々を蹴りながら接近して来ており、勇者達は必死に逃走していた。
「お姉ちゃん! さっきの女の子って……!」
「その事は後で説明するから……! ああ、もう。大体あんたの想像通りよ! あれはシャティファールよ!!」
走りながらミミは姉のリリに質問し、リリも切羽詰まりながらも妹の願いという事から簡単に説明した。ミミもある程度予想しており、あの銀髪の少女がシャティファールだと知って確信を得た。
リリはふと後ろを見る。自分達が誘導した通り魔族達が付いてきており、さらにその後方にはリザードマン達が追ってきている。数はざっと五匹程。軍隊と比べれば大分少ないが、まともに魔法が使えない自分達と中途半端な勇者では幾分か苦戦する数だ、とリリは判断した。
「ったく……勇者! リザードマンが追ってきてるわよ!」
「分かってる……!」
リリに指摘され、勇者も心得ていると返事をしながら脚をさらに早めた。腰にある剣にそっと手を置き、何かを考え込むように眉間に皺を寄せる。そして覚悟を決めると剣を引き抜き、その場で停止した。
「リリ、魔族の人達を頼む!」
勇者はリリ達にそう頼むと横切っていく魔族達を急がせ、リザードマン達と対峙した。リザードマン達はスピードを緩めず勇者へと飛び掛かり、爪を走らせる。勇者は剣を振るって爪を受け流し、一匹目のリザードマンを横に引かせた。
「グルゥゥァアアアア!!」
「はぁぁぁ!!」
続けて二匹目のリザードマンが勇者へと飛び掛かり、そのまま勇者は地面へと押し倒された。リザードマンの鋭い牙が並んだ口が勇者を喰らおうと開かれ、顔を接近させる。しかし勇者はかろうじて握っていた剣の柄を使ってリザードマンの顔を殴り、一瞬怯んだ隙にリザードマンを蹴飛ばして起き上がった。
「グォァアアルルルッ!!」
体制を整えたもつかの間、すぐに背後から三匹目のリザードマンが襲い掛かって来た。勇者は剣で応戦するが四匹目のリザードマンも乱入し、勇者は窮地へと追いやられる。
勇者は徐々に後ろに下がりながら何とか剣を払い、リザードマン達の攻撃を防いだ。そして苦し紛れに手の先に魔力を込めると、それを解放した。
「勇者の名を以って命ずる、光よ切り裂け!」
詠唱を唱えると同時に勇者の手の先から無数の光の線が飛び出した。リザードマン達はその光に巻き込まれ、勢いよく回転しながら林の方へと吹き飛ばされて行く。だが勇者も何故か後ろに吹き飛ばされ、尻もちを付いた。腕が痺れたように震え、思わず剣を落とす。
「ぐっ……うぅ……!」
勇者は腕に伝わる痛みに耐えながら悔やむように唇を噛んだ。
やはり、と言うべきか魔法が正常に発動しない。魔法は使用者のイメージによって発動される。しかし心に問題を抱えている勇者は例え魔法を正しくイメージ出来たとしても無意識の内に罪悪感を感じており、自身を痛めつけるような副作用が起こってしまうのだ。
「やっぱり……上手く行かないか」
痛みが引き、何とか腕が動くなったのを確認して勇者は剣を拾う。そして最後に残ったリザードマンへと目をやった。そのリザードマンは他のとは違い、羽の付いた帽子を被った細身のリザードマンであった。手には槍が握られており、明らかに先程のリザードマン達とは違う雰囲気を醸し出している。
「ルルル……!」
「羽根つき帽子……シャティファールが言っていた疾風のリザードマンか」
シャティアから風を操るリザードマンが居るという情報を聞いていた為、勇者は目の前に居るリザードマンがその人物であるという事が分かった。疾風のリザードマンは槍を強く握りしめ、低い唸り声を上げながら構えを取る。同時に勇者も剣を構え、二人は静かに睨み合った。
「来い……此処から先へは、死んでも行かせないぞ」
勇者は剣を構えたまま力強くそう言い放った。言葉は通じないがその態度から疾風のリザードマンも勇者が自身を通さないつもりでいる事を悟り、それを了承するかのように小さく唸った。
リザードマンが僅かに脚を前に出す。それに応じて勇者も脚をズラし、いつでも攻撃が来ても対応出来るように剣を低く持った。
草木が風で揺れる音が響く。そして風が止んだ瞬間、疾風のリザードマンが勢い良く跳躍し、勇者へと襲い掛かった。




