35話:リザードマンの行進
とある山奥、魔物が頻繁に出るが故にそこは【獣の山】と呼ばれており、生えている木々や植物も何処か毒々しい見た目をしている。薄っすらと霧も広がり、人が迷い込めばもう二度と戻る事は出来ないとさえ言われている、そんな恐ろしい山。そんな山奥のある洞穴の中で、一人の少女が何やら妙な儀式のようなものを行っていた。
「……ふむ。やはり何かが足りないな」
銀髪の少女シャティアは薄汚れたローブから顔を覗かせながらそう呟き、神妙そうな顔つきをして口元に手を置いた。彼女は丁度岩の出っ張りに腰かけており、その前には儀式で使われる魔法陣が地面の上に描かれていた。だが何か特別な力が感じられる訳でも無く、その輪は魔力すら注入されずただそこに存在していた。それを見つめながらシャティアは小首を傾げる。
「材料は全て揃えたはずなんだが……詠唱も間違っていない。我が記憶違いなどする訳も無いし……何だ?何が足りない?」
シャティアの前には何かの生き物の骨や牙、見たことも無い草や触手などが置かれていた。
本来ならそれらを揃え、必要な魔力を送って詠唱を唱えれば人体生成の魔法が発動するはずであった。だがどういう訳か、必要な材料を揃えても、どれだけの魔力を込めても魔法は発動しない。記憶力に絶対的な自身があるシャティアは自分がミスしているなど当然考えない為、この現象に疑問を抱く。
「……困ったな」
ふとシャティアは自分の手元に置いておいた人形を手に取りながら寂しそうにそう呟いた。
瞳を揺らしながらじっと人形の事を見つめ、また元の場所に戻す。そして彼女は動かぬもう片方の手を抱えながら起き上がり、これからどうするべきかを考えた。
その時、洞穴の入り口に一匹の狼がやって来た。銀色の綺麗な毛を携えた狼で、その瞳は月のように美しく輝いていた。その名はスレイドウルフ。獣の山の中でも特に危険な魔物達として知られる狼達。実はシャティアはこの洞穴を住処にするようになってからはスレイドウルフ達を従わせ、周辺に人間達が近づいて来ないように調教して置いたのだ。
「何だ、どうかしたのか?」
「グルルル……」
シャティアが顔だけ入り口の方へ向けて尋ねると、狼は頭を垂れるように伏せながら声を上げて返事をした。そのスレイドウルフは群れのリーダーであり、シャティアが自ら監視を任せている狼であった。そんな彼がわざわざやって来たという事なのだから、何らかの異変があった事は確かであった。
「なに、軍勢?……人間達か……違う?なら一体何処の奴らだ?」
狼の報告を聞いてシャティアは目を細める。
本来スレイドウルフ達はシャティアが儀式している時に邪魔が入らないように侵入者を追い払う使命を与えられていた。だが彼らですら手が負えない相手が来たという事はそれなりの規模の勢力が現れた事が予想される。それならば軍勢だというのも納得出来るが、次の問題はその軍がどこに所属するものなのか、というものであった。
狼は小さな唸り声を上げて答える。それを聞いた瞬間、シャティアは目を見開いて硬直した。
「リザードマンだと……?」
リザードマン。それはトカゲのような姿をした二足歩行の生き物であり、その大きさは人間の約二倍。身体は硬い鱗に覆われており、剣や矢を跳ね返す。身体能力は極めて高く、魔法が使えずとも十分な実力を有している。そんな危険な種族。
彼らは人間の国や魔国と違い、大規模な領地を持たない。必ず少人数で集落を作り、普段は山に囲まれた秘境などに隠れ住んでいる。それは彼らの独自の文化が影響しており、リザードマンは自分達こそが優れた種族だと信じている為、下等な異種族達とは関わり合いを持たないようにしているのだ。
そんな彼らが軍に纏まって動き出した。シャティアにとってその報告は何よりも恐ろしい事であった。
「何故奴らがこんな所に……何か目的でもあるのか?奴らが動き出す程の利などそうそうあるとは思えんが……」
顎に手を置きながらシャティアはブツブツと呟いて思考にふける。だがいくら考えても答えは導き出せず、疲れたようにため息を吐くと髪を乱暴に掻いた。
上手くいかない事ばかり起きる。エメラルドの復活は成功しないし、予想外のリザードマンの動向。まさに事態は悪い方へとばかり向かっていた。どうにかしてこの状況を変えたい。そう考えるシャティアは目を細めながらしばらく黙り、動かぬ片方の手を掴みながら指をトントンと動かした。そして何かを決めたように目を瞑ると息を吐き、置いてあった儀式の道具を片付け、洞穴の外へと向かった。
「お前は仲間達を森の奥に下がらせろ。我は様子を探る」
「グルル……」
洞穴の外に出た後、ぴったりと横にくっ付いていた狼にシャティアはそう指示を出した。命令を聞いた狼は顔を頷かせながら唸って返事をし、地面を強く蹴って洞穴の横にあった岩場に飛び乗りながら去って行った。
シャティアは顔の向きを変え、目の前に生い茂っている木々に目を向ける。そして小さく深呼吸をすると辺りの魔力の気配を探り、リザードマン達の魔力を探った。しばらくすると彼らの魔力はようやく感じ取る事が出来た。リザードマンは魔法を使役しないが故に体内にある魔力も少なく、その反応は極めて小さい。シャティアですらこの山の中からリザードマン達の微弱な魔力の反応を探るのに時間が掛かるくらいであった。
リザードマン達の居場所が分かった後、シャティアはさっそくその反応があった場所へと向かった。気づかれないように浮遊魔法は使わず、歩きで深い森の中を歩いていく。草木は枯れ、トゲトゲとした枝をどかしながらシャティアは進み、ようやくリザードマン達が居る場所へとたどり着く。そこは丁度崖となっており、崖の下の道でリザードマン達が行進している所だった。シャティアは岩場に隠れながらその様子を探り、観察を始める。
「あれか……数はざっと百程。鱗は赤……【赤竜族】の奴らか」
行進しているリザードマンは全員鱗が赤く。いずれも巨体で鱗が尖った荒々しい見た目をした者達だった。リザードマンにも種族は色々とあり、今シャティアが見ているのは一般的に赤竜族と呼ばれるリザードマンであった。
攻撃的なリザードマンで、ただでさえ獰猛な種族と言われているのにその中でも更に危険な存在として認知されている。見分け方は鱗が赤いかどうかの為、見掛けた場合はすぐに逃げてしまえば問題無い。最も、リザードマンの身体能力の高さから逃れる術は限られているが。
「ふぅむ……謎だ。ここ数十年間リザードマンが動き出すなど滅多に無かったのに、何故これだけの勢力が突然動き出した?」
シャティアは首を傾げながらそう疑問を口にする。
納得が行かないのだ。リザードマンは余程の事が無い限り自分達の住処である秘境から出るような事はしない。彼らは異種族を見下し、同じ空気を吸いたくないと思う程外の世界を嫌っているのだ。そんな彼らが軍を率いて現れたからと言うからには余程の事があるのだと推測出来る。シャティアはそれが何なのかを知りたかった。
「グゴルル……」
「--ッ!!」
その時、突如シャティアの隠れていた岩場の横からリザードマンが現れた。小さな布を羽織っており、その着方からまるで盗賊のような風貌をしている。
魔力が少ないが故にシャティアはその存在に気づくのに遅れた。偵察兵なのか、リザードマンは子供の姿のシャティアを見るなりいきなり襲い掛かった。何本もの牙が生えている口を大きく開けながら、手を広げて飛び掛かる。シャティアはすぐさま腕を払い、氷の槍を放った。
「ゴグァヴァアアッ!!」
「ちっ……我が接近を許すとはな……!」
リザードマンは氷の槍によって吹き飛ばされ、近くにあった木にぶつかる。しかしその身体は布が破けただけで目立った外傷は無く。逆に氷の槍が欠けている状態だった。
やはりリザードマンの鱗は硬い。シャティアは身体を起き上がらせると腕に力を込め、それを勢い良く振り下ろした。
「眠ってろ」
シャティアがそう言うと同時にリザードマンに凄まじい重力が襲い掛かった。いくら硬い鱗が持とうと重力の前ではそれは何の意味も成さず、むしろ硬い身体が故に逃げ出す事が出来ず、リザードマンは悲鳴を上げながらそのまま崩れ落ちて行った。地面に伏せ、うめき声を上げるリザードマンは最後に小さな悲鳴を上げて意識を失う。それを見たシャティアは腕を横に払い、魔法を解除すると小さく息を吐いた。
「まさか偵察兵までいるとはな……こいつ等、まさか戦争でも始める気か?」
シャティアは最初、リザードマン達は何処か別の土地にでも移動しているのだろうかと思っていた。何らの事情で集落を捨て、別の拠点を探す。それならこの大移動にも納得が出来る。だがリザードマン達は偵察兵も用意し、闘志が剥き出しだった。いくらリザードマンと言えどそこまで敵意を剥き出しにする必要があるのだろうか?シャティアはそこに引っ掛かった。
「もう少し様子を探った方が良さそうだ……奴らの目的が何なのか。それを明らかにする必要がある」
気絶しているリザードマンの持ち物を漁りながらシャティアは結論付ける。
物事には必ず目的がある。例えどんな小規模な物でも大規模な物でも、その要となるべき答えがあるのだ。それが謎のままでは対処のしようが無い。今は大胆に動かず、慎重に様子を探るべきだとシャティアは考えた。
懐にしまってある人形をそっと取り出しながら、シャティアは静かに瞳を揺らす。そして目を瞑りながら人形を戻し、再び目を開くと行進しているリザードマン達の後を追う事にした。
◇
「最近街の人達が攫われてるって噂があるらしいわ……まぁ、街の人って言ってもこの辺りは魔族しか居ないけど。それでもこれは無視出来ない情報ね」
荒野での道中、訪れた街なので情報収集したリリは自身の赤い髪の毛を弄りながらそう口にした。妹のミミはそれを聞いて怖がるように姉の後ろに隠れる。それを岩に腰かけながら聞いていた勇者も顔つきを険しくし、耳を傾けた。
「魔族が攫われている……?」
「そ、あくまでも噂だけどトカゲみたいな見た目をした化け物が魔族を攫ってるんだって……」
「お姉ちゃん、もしかしてそれって……」
勇者の問いかけに頷きながらリリは更に自分が耳にした情報を告げる。それを聞いて心当たりがあるミミは信じられないとでも言いたげに首を振って途切れ途切れに言葉を口にした。リリも頷き、その言葉の続きを請け負う。
「リザードマンよ」
トカゲのような見た目、二足歩行、巨体、それらの情報から導き出される答えはリザードマンしかあり得なかった。その答えにたどり着き、リリは子供ながらも神妙そうな顔つきをし、ミミは見るからに怖がるように肩を震わせた。そんな中、勇者だけが疑問そうな表情を浮かべている。
「リザードマン?」
「人間達はあんま知らないでしょうね。リザードマンは滅多に姿を表さないし、人間達の大陸から大分離れた所に生息してるから」
勇者に疑問の声に当然とでも言うようにリリはそう言った。その言い方は何処か小馬鹿にしたように聞こえる。実際の所勇者はまるっきりリザードマンを知らないという訳では無かった。異種族の中にそういう者も居るという事は知っていたが、何分今まで出会った事が無かった為、どのような種族なのか想像出来なかったのだ。それを察し、ミミはリリの後ろに隠れたまま説明を始めた。
「リザードマンは獰猛な種族なんです。言葉も通じないし、独自の文化で外界との接触も拒んでる。だから相互理解が難しい。正直言ってあまり出会いたくない異種族です」
ミミの説明を聞いて勇者はそんな種族も居るのかと顔を頷かせる。
異種族は皆独自の文化を持っているが、いずれも言葉が通じ、ある程度の理解をする事は出来る。故に勇者からすれば言葉を通じず会話も成り立たない種族が居るという事はちょっとした衝撃だったのだ。
「シャティファールですら手を焼く程よ。あいつ等はかつて竜を崇めてた……衝突した時は鎮圧に大分時間が掛かったからね」
「あの時は大変だったよね……竜の全盛期だったんだし」
リリは砂の上に腰を下ろしながら懐かしそうにそう言った。それに同調しながらミミも顔を頷かせ、指を弄る。二人の会話に付いていけない勇者はただ黙ってそのやり取りを見つめていたが、魔女は自分達が知らぬ所で世界の均衡を保とうとしていたという事だけ理解した。やはり自分の罪は重い。それを改めて理解し、勇者は悔やむように拳を握り絞めた。
「奴らはきっと何かを企んでるわよ。でなけりゃわざわざ人を攫うような事なんてしないはずだからね。早めに手を打った方が良い」
パン、と手を地面に打ち付け、リリはそう結論を出す。ミミはまだ迷っているのか、その提案に賛同できなさそうに不安な顔をしていたが、リリの顔は勇者の方に向いていた。彼女は訴えているのだ。勇者が動くべきだ、と。そしてそれは本人も同じ気持ちだった。握りしめていた拳を解き、今度はそれを地面の胸へと当てる。おもむろにリリと目が合った。その瞳はいつか見た銀髪の魔女と同じように澄んでいた。
「務めを果たす時よ、勇者。リザードマン達の企みを暴きなさい」
「ああ……分かってる」
リリの言葉に対し、勇者は力強く頷いて自身の胸蔵を掴んだ。
課せられた罪はまだまだ重い。きっとこの罪が軽くなる事など一生無いのであろう。それでも勇者は使命を果たし続ける。少しでもこの罪悪感から逃れる事が出来るよう。安心して眠れる夜が来る事を祈りながら、彼は自身の精神を削り取る。その姿を、双子の魔女の片割れは寂しそうに見つめていた。その瞳は悲しそうに揺らいでいる。




