33話:悲しみの決着
シャティアの本気。それはすなわち魔法の行使である。
別段彼女が普段から魔法を使っていない訳では無い。簡単な火魔法や浮遊魔法だって立派な魔法の一つであるし、魔法の剣や盾も作り出す。だが彼女は大体の事は魔力の塊をぶつける事で済ましてしまっている。特に攻撃面に置いては。それはシャティアの魔力があまりにも高過ぎるが故にそれで十分になってしまうからだ。故に彼女は本気を出していない。彼女の本領の発揮はその数え切れない程の魔法を行使した時こそ始まるのである。
「燃えよ火炎、荒ぶれ嵐、鎖に繋がれし魂は今解き放たれん……我が名は魔女シャティファール。魔よ、従え」
シャティアが詠唱を唱えると同時に膨大な魔力が彼女へと集まって行く。その激しい威圧感に圧倒されながらもクロークは怯まず、黒蛇達を出現させるとシャティアへ向かって放った。しかしシャティアが指を振るうと、魔法陣が展開されそこから無数の魔力の鎖が飛び出した。鎖に繋がれ、黒蛇達は悶え苦しむ。煙になろうと身体をよじらせるが、魔力の拘束されているからか、煙へと姿を変える事が出来ずに居た。
「くそが……!」
クロークはそれを見て舌打ちをし、自身が攻撃の体勢に入る。攻めの状態になったシャティアはどんな攻撃を仕掛けて来るか分からない。何にせよ何かをされる前に動くのが得策。そう考えた結果だったが、その判断は遅かったらしい。気がつけばクロークの足下には闇の変わりにドス黒い煙が漂っていた。そこから死人のような黒ずんだ手が飛び出し、クロークの脚を掴んだ。
「なんだこれッ……!?」
「亡者の手だ。手荒く扱うなよ?地獄に引きずり込まれるぞ」
クロークは軽く悲鳴を上げて手を払おうと脚を動かす。しかしシャティアはそれを注意し、暴れない方が良いと忠告した。だがクロークが素直に聞く訳も無く、手に魔力を込めると死人の手に向かって火炎を放った。次の瞬間煙の中から奇声が聞こえ、無数の手がクロークへと襲い掛かった。
「ひっ……!」
黒蛇達を喚ぼうにも出せるだけ出した蛇達は鎖によって固定されてしまっている。これ以上喚びだす事は出来ない。クロークは這い寄って来る腕を手で払い、何とか脱出しようと試みた。
腕を振るい、突風を巻き起こす。それで幾つかの手を払う事が出来、その隙にクロークはその場から下がった。だがそうこうしている内にシャティアが詠唱を終え、魔法陣を展開していた。
「そら、本番は此処からだ」
巨大な魔法陣が展開され、そこから何か奇妙な物が現れる。クロークは息を飲みながらそれを見つめた。それは肉塊のような物だった。何かの一部、と表現するのが正しいのかも知れない。恐らく召還魔法関連の物を発動したのだろう。という事は召還した物が何らかの効果を持っているのは明白。クロークは警戒し、身構えた。
魔法陣から肉塊がはみ出し、ようやく姿を現した。それは巨大な手だった。しかも先程の亡者の手とは違い、明らかに人間の物とは違う。化け物のような醜い見た目をした腕だった。その腕はクロークを潰そうとばかりに振り上げられ、真っ直ぐ下ろされた。
轟音と共に広間に巨大なクレーターが出来上がる。破片が飛び散り、ギリギリの所で避ける事が出来たクロークも衝撃波で壁際まで吹き飛ばされた。身体を抑え、痛みに耐える。
「ぐっ、がッ……んだその魔法はッ!!?」
口から血を垂らし、クロークは恨めしそうにシャティアの事を睨む。
召還魔法にしては異質過ぎる。あの巨大な腕は一体何なのだ?あれが本体なのか?それともほんの一部なのか?もしもあれの本体があるのだとしたら、それはどれ程巨大な生き物なのだ?見た事が無い。知る由も無いシャティアの魔法にクロークは恐怖を覚える。だが、今更引く訳には行かないクロークは咆哮を上げ、ありったけの魔力を腕に込めた。
「こ、のぉぉおおおおおおおおッ!!」
最も殺傷力の高い火炎の魔法。眩い光と共に巨大な火柱が現れ、化け物の腕はそれを浴びると怯む様に魔法陣の中へと引っ込んで行った。だがシャティアの魔法はそれだけでは無い。既に広間の天井に魔法陣を展開し、そこから滝のごとく大量の水が放出された。一瞬で火柱は掻き消され、その水の放出にクロークも巻き込まれる。
「ぬぐ、ぁああ……転移!」
水に打たれながらクロークはすぐさま転移魔法を発動する。場所が変わり、ずぶ濡れの姿になったクロークは魔王城の屋根の上へと移動していた。冷たい風が彼女に身体の突き刺さり、クロークは咳き込みながら屋根の上に倒れ込んだ。その直後、屋根の一部が火柱によって破壊され、そこから浮遊魔法でシャティアが浮いて来た。その少女は笑っており、クロークは薄気味悪さを覚えた。
「どうした?もう終わりか?」
「……ぐ、くッ!!」
全く余裕の表情を見せるシャティアにクロークは歯ぎしりし、転移魔法を発動する。シャティアの背後へと移動し、その小さな身体を大人の身体で圧倒し、押さえつける。シャティアは屋根の上へと押し倒された。
「ほぅ、力技か。お前にしては随分とごり押しだな。で、どうするんだ?」
「はぁ……はぁ……倒す! あんたを……!」
クロークは最早満身創痍だった。息を荒くしながら、濡れた髪を乱れさせながらそう吠えた。だがシャティアは全く焦った素振りが無い。それ所かクロークが力技に出たのを見て面白がる様に頬を緩ませた。
確かに魔法を使う者として力技に出るのはどうかと思うが、それでもこれだけの体格差があるならばそれを活かさない手は無い。加えて転移魔法からの不意打ちは中々の得策である。シャティアは冷静にそう分析していた。そしてなお余裕の表情のまま言葉を続ける。
「だからどうやるのかを聞いているんだ。我の首を折るか?それとも動けなくする為に骨を砕くか?舌を切ると言うのもアリかも知れないな?」
シャティアの言葉にクロークは顔を顰める。何を言っているのか理解出来なかったからだ。やがてシャティアは指をパチリと鳴らした。途端にクロークの両腕が魔法の糸によって操られる。だがそれはクロークの拘束を解く為では無く、むしろ逆にシャティアの首を強く掴み始めた。
「なに……を……?」
「我を倒すのだろう?ならばこのまま首を絞めろ。骨を折れ、そうすればお前の目的は果たされる」
シャティアの行動の一切が理解出来なかった。どうして自らそんな事をする。ほんの少し力を加えれば殺す事が出来ると言うのに、どうして自ら死に向かうような事をする?何か目的でもあるのか?分からない。何もかもが分からない。クロークはただ戸惑い、拒絶するように首を左右に振るった。シャティアはそれを見て冷たい視線を向ける。
「やれクローク。お前の手で我を殺せ。殺した感触を、刻み込め」
手が震える。反対に魔法の糸の操作はさらに過激になっていき、クロークの手はシャティアの首を絞めて行った。クロークは訳が分からず、気がつけば涙を流していた。何もかもが分からない。どうすれば良いのかが分からない。そもそも自分はシャティアをどうしたいのか、それすらも分かっていなかった。クロークは拒絶する。絶叫を上げて。
「ぁあ、あッ……あああああああッ!!?」
バチリと音が鳴って魔法の糸が引き千切れた。クロークは逃げるようにシャティアから離れ、屋根の端まで引き下がって行った。シャティアは小さく咳き込みながら起きあがり、怖がっているクロークの事を見下ろす。その姿はまるで小さな子供のようであった。
「それが破滅だ。何もかもが無くなる。自分が何をしたいのか分からなくなり、苦しみ悶える。それにお前は耐えられるか?」
「はぁ……はぁ……嫌、だ……」
クロークは頭に手を当てながら首を振ってそう答えた。先程までの強気な発言は全く無くなり、怯えるように身体を小さくしている。シャティアはそんな彼女にゆっくりと歩み寄った。怖がる彼女を見下ろしながら口を開く。
「ならば全てを受け入れろ。すぐにとは言わん。ゆっくりで良いから、お前は自分の出来る事を見つけるんだ……」
もう争うつもりは無い。クロークの頭を優しく撫でながらシャティアはそう説き伏せた。クロークは目に涙を浮かべながらシャティアの事を見上げる。何処か懐かしい、母親のような優しい匂いを感じた。
それからシャティアはクロークから魔法書を受け取った。人体生成の方法が書かれているページを探し、パラパラとめくって本を閉じる。そして満足と言わんばかりに本をクロークに返し、ちゃんと王都に返すようにと注意してから後ろを振り返った。その時、クロークは手を伸ばすようにしながら彼女に声を掛けた。
「シャティアは……耐える事が出来たのか?……この復讐心に」
「…………」
クロークの疑問を聞いてシャティアは歩みを止めた。振り返る事はせず、背を向けたまま何かを考えるように首を傾げる。
単純な疑問だった。シャティアはかつて復讐に身を投じた事があると言った。だが復讐した先には破滅しか待っていない。今さっきクロークが体験したように、自身の目的を見失う瞬間。それがシャティアにも訪れたと言うのならば、今居る彼女はそれに耐えれたという事だろうか?
やがてシャティアは顔だけクロークの方へと向け、寂しげな瞳をして答えた。
「いいや、だから我は失ったんだ。大切な人をな」
シャティアはそれだけ答えるともう後は何も告げず、城の中へと戻って行った。クロークもそれを追い掛けるような事はせず、その場に項垂れるとやり場の思いからただ声を漏らした。
魔女と魔女の戦いが集結した。その戦いに勝利者は存在せず、ただ言葉には出来ない悲しみだけが残った。
戦いが終わった後、シャティアはベルフェウスの下へと戻った。既に時刻は夜となり外も暗闇に覆われている中、城で起こった事件に民衆達は騒ぎ始め、人間達が攻めて来たのではという憶測も流れた。だがベルフェウスが予め待機させていた兵士達によってすぐに混乱は収まり、単に魔法の実験で事故が起こっただけという風に纏められた。
最初に招かれた部屋でシャティアは乱れてしまった髪や服を整え、ベルフェウスの方へと向き直る。
「では後の事は頼んだぞ。ベルフェウス。お前も一度はあいつと足並みを揃えたんだ。最後まで面倒を見てやってくれ」
「……ああ、分かっている。俺に出来る事があるなら、何でもするさ」
最初の交渉の時も既に行われた事であるが、クロークとの戦いが終わった後、その後の彼女の面倒はベルフェウスが見る事となっていた。元々彼女は魔王の側近という役職になっている為、それは何ら不思議な事では無い。だが絶望の淵に陥った彼女はきっと傷ついている事だろうだから、出来るだけ介護をして欲しいとシャティアはベルフェウスに頼んだ。元より自分が蒔いた種である為、ベルフェウスはそれを快く受け入れた。
「人間の国と今後どうするのかはお前が決めるんだな。休戦を受け入れるのも良し、和睦も持ちかけるのも良し、何だったら争っても構わないさ」
「いや、それは止めて置く。しばらく考える時間が必要そうだ。俺は世界を支配する事より、自分の国を纏める方を優先すべきみたいだしな」
ベルフェウスの返事を聞いてシャティアはふむ、と声を漏らす。首を傾げながら彼の下に近寄り、覗き込むように見上げた。そして彼の真剣な顔つきを見ると満足そうに笑みを零し、うんと力強く頷いた。
「貴方は……これからどうするんだ?」
ベルフェウスの何気ない質問にシャティアは少し悩んだ表情をする。
ひとまず人体生成の魔法は頭に入れた。恐らく必要な準備さえ整えればすぐにでも取りかかれるだろう。シャティアはおもむろに懐に入れてあった人形を取り出し、それをジッと見つめた。
「我も色々とやる事がある。こう見えて忙しい身なんでな。しばらくは誰にも邪魔されぬ場所に引き蘢るさ」
そう答えるとシャティアはフードを被り、出口に向かって歩き出した。ベルフェウスはその小さな背中を黙って見送る。かつて見た魔女だった頃のシャティアの背中とは比べ物にならない程小さな背中。しかしベルフェウスにはそれがとても大きな背中に見えた。まるで父アギトのような偉大な人の背中。彼にはそう感じた。
扉を開けてシャティアは廊下へと出る。そして最後にフードの隙間から覗いてベルフェウスの方を見ると、小さく笑みを零した。
「また会おう、魔王ベルフェウス」
その言葉と共にシャティアは扉を閉め、ベルフェウスの前から姿を消した。
決して届かぬ場所に居る存在。しかしその存在は暖かく、とても優しい。ベルフェウスは敵わないなと息を吐き、ソファにもたれ掛かった。




