31話:決意
クロークはあの日の事を思い出していた。自身が敗北した日、人間達の卑劣な手によって葬り去られたあの日の事を。
それは唐突に起きた事だった。いつものように自身の住処である塔で魔術の研究をしていた時、クロークは侵入者の気配に気がついた。別段珍しくは無い。魔女の首目当てでやって来る冒険者は日々後を断たない。今回もそれ関連であろう、とクロークはため息を吐きながら迎撃に向かった。
彼女からすれば侵入者など骨を砕いて身動きを取れなくし、研究の実験台にしたいくらいが本音だった。だが魔女にも掟と言う物が存在する。魔女の長シャティファールが取り決めた掟。如何なる事があっても異種族を傷つけるような事はあってはならない。無闇な殺生も御法度。我々魔女は傍観に徹し、静かに見守るのが務め。そう教えられて来た。
クロークはそれを甘いと蔑んでいた。単純に支配を望んでいる魔族はともかく、人間は明らかに魔族を嫌っている。彼らを野放しにするのは危険だと推測していた。だがシャティファールには育ててもらった恩もある為、クロークは口出しをしなかった。
彼女はいつものように漆黒のコートを羽織って広間へと向かう。研究室が破壊されては困る為、侵入者と戦う為の部屋は広間と決めてる。垂れている青髪を結びクロークは静かにその場へと向かった。
そしてそこには一人の少年が立っていた。
茶色の髪を後ろに掻き分けて平凡な顔つきをし、大人しそうな雰囲気をした本当に何処にでも居るような人間。とても争い事など向かなそうな普通の少年だった。だがそんな彼は白金の鎧を纏い、光り輝く剣を所持してる。そこから彼が魔女を狙っている輩だという事は推測出来た。
クロークは途端に寒気を感じた。普段は魔女として頂点に君臨している彼女だが、目の前に居る平凡な少年に気圧されたのだ。そんな体験はシャティファールと模擬戦をした時以来だった。
クロークは有り得ない、とその事実を否定する。探究の魔女と称される自身がただの人間等に気圧される訳が無い。こんな剣も握った事の無さそうな平凡な顔をした少年を恐れる訳が無い。クロークは震える腕を抑え、少年に手の平を向けた。だがその行為は間違いだった。
気がつけばクロークは腹部から大量の血を流し、意識が朦朧としていた。
一体何が起きたのかが分からない。本当に一瞬で勝負は付いてしまった。自身が長年掛けて磨いて来た魔法が全く通用せず、まるで化け物かのようにその少年は剣をクロークを倒してしまった。
「死ね、魔女。お前達は存在しては成らぬ存在なのだ」
少年は剣を構えながらそう言った。クロークの存在を全て否定し、それがまるで理であるかのような口振りで語る。クロークは歯ぎしりしながら血を垂らし、反論の声を述べた。
「ふざけるな! 人間風情が……アタシ等魔女を殺すだと!? お前達人間の勝手で殺されてたまるか!!」
クロークはそう吠え、窓がある方向へと向かった。少年は追いかけて来るが、その前にクロークは窓から飛び降りた。落ちれば確実に死ぬ高さ。だがクロークは笑みを浮かべ、指を振るうと魔法を唱えた。途端に視界に映る景色が変わり、何処か見知らぬ荒野へとクロークは倒れ込む。
転移魔法。クロークが編み出した独自の魔法。自身でも他者でも何でも好きな物を好きな所に移動させる魔法。もちろん魔力消費が激しく幾つか制約は存在するが、それでもその強力さはあのシャティファールですら一目置く程。クロークにとってこの魔法は自身が誇れる唯一の成果だった。
「がはッ……はぁ……はぁ……」
冷たい風が吹く荒野でクロークは身体から流れて行く血の温かさを感じながら息を漏らした。ひとまず治癒魔法で応急処置を施し、身体を引きずる様にして移動を開始する。
ランダムに転移魔法を使った為、自身が何処に転移したのかも分からない。もう一度転移しように傷のせいか魔力が回復せず、微々たる魔力しか無かった。とにかく今は身体を休める場所が必要だ。少年が使っていた剣は恐らく何らかの加護がある剣。傷をそのままにしておくは危険だとクロークは判断した。
やがて何日も荒野を彷徨い、クロークはとある神殿に辿り着いた。置いてある石像はどれもうす気味悪く、恐らく何処か異種族の者が建てた神殿なのだろうと推測出来た。ひとまず此処で休息を取ろうとクロークは決断し、傷を抑えながら休めそうな場所を探す。すると彼女はこの神殿に何人か人が居る事に気がついた。魔力の反応からして自分達魔女と同じくらいの魔力量を誇る奴、そしてその他。クロークは面倒臭く思いながらひょっとしたらと言う思いでその反応がある場所へと向かった。
神殿の奥まで行くとそこには青白い肌をした男が居た。周りにはその従者らしき者達も居る。彼らは何か儀式でもしているのか、巨大な石像を前にして崇め立てるように祈りを捧げていた。
魔力の反応がしない事から恐らく儀式は儀式でも召還などを行う物では無いのだろう。何かのしきたりか掟か、いずれにせよクロークには関係無い為、用がある魔力量の多い男に向かって歩み始めた。
「貴様、何者だ!? 今は大事な儀式中だぞ!」
当然クロークの歩みは従者達によって阻まれる。彼らは青白い肌を黒いローブで隠しており、赤い瞳をしている事から此処で初めてクロークは彼らが魔族だという事に気がついた。
どうやら自分は転移で暗黒大陸の方まで移動してしまったらしい。まぁむしろ好都合だ、と思いながらクロークは自身を阻んだ魔族を全く問題視せず、軽く指を払うと彼を吹き飛ばした。
その騒ぎに気がついて魔族達が声を荒げ始める。魔王様、と言っている事からやはりあの男が魔王なのだろうとクロークは判断し、ニヤリと笑みを浮かべた。自身に槍を向けて来る魔族達を魔力波で吹き飛ばし、腹部を抑えながら魔王と対峙する。
「よぉ、こんにちは魔王サマ……悪いね、従者さん達を傷つけちまって」
「……お前は一体、何なんだ?」
何者、では無く何なのかを問われてクロークはあぁ、と声を漏らした。
同じ量の魔力を持ちながら、対して実力差も変わりない癖に、やはり彼らは自分達を異質な者として見る。やはり魔女は違うのだ。賢者とも、魔王とも、竜とも違う。全く異質な存在。そういう受け入れられない存在なのだとクロークは痛感する。だがそれで良い。受け入れられないのならばこちらだって歩み寄ろうとしなければ良いだけだ。クロークは自身の目的を明確し、大袈裟に魔王にお辞儀をした。
「アタシは【探究の魔女】クローク……魔王サマ、一緒に世界を征服しないか?」
クロークの言葉に魔王ベルフェウスは意味が分からず、戸惑ったように首を振った。だがそこからクロークは甘い言葉に誘惑を使い、ベルフェウスの望みを聞き出すとそれを叶えてやると約束した。ベルフェウスは自身がクロークに操られているなんて事は知らず、簡単に彼女を信じ込んでしまう。そうして、魔王と魔女は手を組む事となった。もちろん民衆達にはその事は伝えない。これはベルフェウスとクロークの二人だけの大切な秘密。
魔女の強力を得れた事でベルフェウスは歓喜した。魔王にとって魔女の力を手に入れる事は先代アギトが望んでいた事。それが叶えれたと言うのは息子である彼にとって喜び以外何物でも無かった。自分なら魔女を従わせる事が出来る。ついそんな事を思ってしまったのだ。それから魔女が次々と滅ぼされている情報を聞き、ベルフェウスはクロークのように瀕死の魔女が居るかも知れないと考え、調査隊を出す事にした。そして純真の魔女エメラルドらしき少女が人間の大陸に出没しているという情報を手に入れた。その報せを聞いた時、クロークは顔を顰めた。
「エメラルドを捕まえる?やめときな、きっとあいつは人間に裏切られて狂ってる。生き残ったつっても情報からして瀕死なんだろ?だったら楽に死なせてやる方が幸せさ……」
すでに完治した腹部をさすりながらクロークはそう言った。玉座に座っているベルフェウスはそれを聞いてもエメラルドの捕獲を諦めず、作戦を結構した。クロークはやれやれと首を振るい、自身の研究室へと戻る。
それからクロークは魔王に人間の国を征服する計画を与えた。長年均衡状態にある大陸の端の最前線を突破し、一気に王都の守りの要である北の砦を落とす方法を伝えた。それは魔王ベルフェウスにはとても理解出来ない作戦だった。
「本当にそんな事が可能なのか?軍を北の砦まで転移させるなど……」
「百人程ならギリギリ大丈夫さ。後はそれを何回も繰りかえしゃぁ良い。ちょっとキツいけど、まぁ許容範囲だ」
自身の得意技である転移魔法の事を明かし、それを使って魔王の軍を北の砦まで一気に移動させる。そうすれば最前線の事など関係無く北の砦を落とす事が出来る。それがクロークの考えた作戦であった。だがもちろん問題もある。いきなり敵軍のど真ん中に兵を突入させるのだから、簡単に包囲されたり数で押されたりする。その危険性をクロークは敢えて魔王には伝えた無かった。兵士達はこの作戦で人間の国に大打撃を与えられると信じており、自分達が死ぬ可能性の事など一切考えていない。クロークはそれを利用した。魔国が世界の覇者となる流れを利用し、彼らを混沌の渦の中へと突き落としたのだ。
「クローク、もう止めよう……! 人間の国から休戦の申し出が来た。これ以上犠牲者を出すのは危険過ぎる……!」
「おいおい、何言ってやがるんだ?魔王サマ」
ある日の晩、クロークが王都から強奪した魔法書を自室で閲覧している時、ノックもせずにベルフェウスが部屋に入り込んでそう言って来た。クロークは髪を解きながらため息を漏らし、蔑むようにベルフェウスの事を見つめる。
「あんたは宣言しただろ?民衆達に、魔国が世界を支配するって……今更それは嘘でしたって言うのか?反乱が起きるだろなぁ、そしたら。アタシ等はもう手遅れなんだよ。止まる事は出来ない。走り続けるしか無い」
座っていた椅子から立ち上がり、自分よりも背の高いベルフェウスに歩み寄りながらクロークはそう語り掛ける。普段は分厚いコートを羽織っている彼女だが今は寝る時の衣服を纏っており、薄いヴェールのような物を羽織っていた。その姿は何とも魅力的で、彼女の容姿も相俟って実に美しい姿だった。だがベルフェウスは恐怖を覚える。近づいて来る美しい女性が、醜い姿をした化け物にしか見えなかったのだ。
「ようこそ魔王サマ、これが本当の戦争だ」
放心しているベルフェウスに対してクロークは舌を出しながらそう言葉を放った。
その言葉はとても冷たく、ベルフェウスの胸に突き刺さり、痛みを与えた。堪え難い後悔と、果てしない苦しみ。その感情に襲われ、ベルフェウスは小さな悲鳴を上げると部屋から逃去って行った。残されたクロークはケタケタと笑みを浮かべ、その後ろ姿を見送る。
それがつい最近の事。そしてクロークは現在魔王城の広間に立っていた。窓際に腰を掛け、空を見上げている。美しい黒ずんだ空。雲で覆われ、少しも光が差し込まない。だがクロークにとってはその方が良かった。光などただ眩しいだけ。うっとおしくて、煩わしい。
そんな感情を抱いている彼女の前に一人の少女が舞い降りた。銀色の髪を垂らし、澄んだ瞳をした少女。見た目とは裏腹に、その雰囲気が王にふさわしい貫禄を放っている。
「空を見て黄昏れてるとは……随分と詩人みたいになったな、クローク」
「……誰だって空を見たくなる時はある。帰巣本能って言うのかね?突然疑問に思うのさ。どうして自分はこの世に生まれて来たんだろう、ってね」
シャティアが腕を組みながらそう尋ねるとクロークは窓際から離れ、彼女と対峙するように広間の中心へと歩み寄った。黒いコートを垂らし、その手には魔法書が握られている。シャティアはそれを見て静かに目を細めた。
「魔女は何故生まれたのか?こんなに他者から忌み嫌われ、蔑まされるのに、生きてる価値なんてあると思うか?」
突然クロークは歩きながらそんな事を呟き始めた。独り言なのかそれともシャティアに語りかけているのか、窓から流れ込んで来る風に髪を揺らされながら、クロークはただ淡々と言葉を零して行く。シャティアはそれを黙って聞いていた。クロークはシャティアと数歩程離れた場所で立ち止まり、小さく笑みを浮かべて口を開く。
「アタシはその価値を自分で作り出す。邪魔な奴らは全て取り除き、魔女の国を作り上げる。もう誰にも魔女を馬鹿になんかさせねぇ。それがアタシの目的だ」
ギリっと歯を食いしばりながらクロークはそう言い、腕を振るった。途端に彼女の足下の影が広がり、広間の床を真っ黒の染める。そしてその闇の中から無数の黒蛇達が姿を現した。クロークは笑う、ケタケタと。




