30話:秘密の交渉
魔王ベルフェウスにとってシャティアという存在は自身とは別次元に居る存在だった。一度しか会ってはいないがそれでも十分に彼女の実力を肌で感じ、敵わぬ存在だと悟った。だが、今のベルフェウスにとってシャティアは必要な存在だった。今魔国で起きている嵐を沈める為にどうしても必要な戦力だったのだ。
シャティアはベルフェウスの向かい側のソファに座ると脚を組んでくつろいだ。遠慮の無いその身振りは初めて会った時と変わらない。姿形は変われど、魔女シャティファールという存在は確かにそこに残っていた。それを見てベルフェウスは懐かしむ様に小さく笑みを零す。
「随分と……小さくなったな。シャティファール」
「今はシャティアと名乗っている。お前もそう呼んでくれ。この姿はあくまでも村人の娘シャティアだからな」
ベルフェウスの言葉にシャティアも笑みを浮かべながらそう言った。
今の彼女はあくまでシャティアという少女であり、魔女シャティファールでは無い。それにシャティファールという名前を此処で使うのは色々と都合が悪い。それを考慮してシャティアはそう注意した。ベルフェウスもそれを理解し、コクリと顔を頷かせた。
「お前の方こそ大きくなってしまったな。昔はあんな可愛らしい子供だったのに、今ではアギトに似てしまった……嘆かわしい事よ」
「フフ……そんな事を言えるのは貴方だけだ」
前魔王アギトの事を知っているシャティアはベルフェウスが父親に似てしまった事を悲しむようにそう言った。指を目元に当て、泣く様な仕草を取る。それを見てベルフェウスは苦笑し、手を上げて参ったと言うように首を振った。
周りの誰もが前魔王アギトの事を知っている。魔族にとってアギトは英雄同然であった。そんなアギトに似たのを嘆かわしいなどと言えるのは、冗談でもシャティアくらいである。やはりシャティアは別次元の存在である事を認識しながらベルフェウスは視線を彼女に戻す。
「アギトの奴はどうしているんだ?まさかあの筋肉の塊がそう簡単に死ぬような事はあるまい」
「父はもう隠居して秘境で生活している……最近足腰にガタが来ているらしくてな」
アギトの存在の事を思い出しシャティアが尋ねるとベルフェウスは淡々と答えた。
やはり死んではいないようなので一応シャティアは安堵する。だがそれ以上に何か感情が芽生える訳でも無いので、そうかとだけ返事をした。
「……で、わざわざ我をこんな人気の無い部屋に連れ込んだのだ。何か用があるのだろう?ベルフェウス」
世間話が終わった後、シャティアはいきなり本題に入った。別にやましい事がある訳でも無いので遠慮はしない。シャティアの相変わらずな態度にベルフェウスは少し目を開けて驚いた素振りを見せたが、静かに目を細めると口を開いた。
「単刀直入に言うと……貴方には魔国を救ってもらいたい」
「……ほぉ?」
シャティアに対して遠回しな言い方は失礼だと思ったベルフェウスは真っ先に自身の願望を伝えた。それを聞いてシャティアは面白がる様に口元に手を当て、品定めをするように指を動かす。
「今魔国は二つに分裂している……俺を支持してくれる仲間達と、人間の大陸を支配しようとしている過激派の二つにだ」
ベルフェウスは指を立てながらそう説明した。魔国の現状を伝え、この国が今どれだけの危機に迫っているのかを分かってもらおうと必死に口を動かす。シャティアはその説明を黙って聞いていた。
「過激派を指揮しているのは探究の魔女クローク……と言うよりはクロークが企てている計画に魔族達が乗っかっている図式の方が正しい。クロークは人間界を支配しようとし、魔族の半数以上がそれを支持しているんだ」
「そしてそれを反対しているのがお前達、か?王が民衆から見捨てられるとは……恐ろしい事だな」
現在魔女クロークは表立って魔女だという事を明かしてはいないが、それでも研究者の一人として人間界を支配する計画を企てている。魔族達の何人もがそれに賛同し、侵略を望んでいるのだ。その規模は魔王であるベルフェウスですら止められない程になっており、魔国はほぼ分裂状態に陥っている。このままでは内乱が起きてもおかしく無い程であった。
ベルフェウスが危惧しているのはクロークの暴走。クロークの行動はあまりにも無茶があり過ぎる。彼女は自身の能力で魔族達を北の砦へと攻めさせ、見事落としたがその結果何人もの犠牲者が出る事となった。戦いに犠牲は付き物であるが、それをベルフェウスは王として無視する事は出来なかった。止めなければならないのだ、クロークを。
「クロークは人間達を滅ぼす為ならどんな犠牲をも厭わないつもりで居る……奴の行動は行き過ぎているんだ……頼む、どうかあいつを止めてくれ……!」
ベルフェウスは此処で初めて頭を下げてシャティアに頼み込んだ。その姿を見てシャティアはかつてのアギトの姿を思い起こす。だが彼はどんな事があっても絶対に頭を下げるような事はしない魔王だった。静かに目を瞑り、シャティアは僅かに口元を歪ませる。
クロークの大体の目的は理解出来た。分かり易く言ってしまえば人間達に対しての復讐だろう。クロークはプライドが高く、馬鹿にされるのを酷く嫌う。それ故に魔族達を利用し、戦争を起こして人間達の大陸を支配しようと狙っているのだ。実に分かり易い手段だ、とシャティアは評価する。人間と魔族の戦争は昔から続いており、そこに少しの手を加えれば簡単に激戦を起こす事が出来る。その手を加えるのが魔女ならば、その激しさは更に大きな物となるだろう。
が、シャティアはすぐには顔を頷かせない。何かを思惑するように頬に手を当て、ユラリと首を傾げてみせた。
「止めてくれ……か。最初に手を組もうと言ったのはどちらだ?」
「…………」
何気なく呟いたシャティアの言葉にベルフェウスはピクリと肩を振るわせた。口を開こうとせず、俯かせていた頭を若干起こして目線だけは合わせないようにしている。その反応を見てシャティアは静かに息を零した。
「ベルフェウス……お前は父親のアギトとよく似ているよ。あいつは豪快だったから分かり易かったが、いつも魔女の力を手に入れようとしていた。強い野心で、全てを我が物にしようとしていた」
シャティアはかつてのアギトの顔を思い浮かべながらそう口にした。
アギトは良くも悪くも裏表が無い人間だった。建前など関係無く自身の要求を直球で伝え、相手を困らせる。それは彼自身が迷い無い野心によって突き動かされているからだ。他者からすればそれは困り用ではあるが、その豪快な性格から不思議な魅力を感じて従う者も居た。だがベルフェウスの場合は違う。彼は大人しい性格で正に王にふさわしい落ち着きさを持っている。端からすればアギトとは正反対であるが、その心は父親の野心をしっかりと受け継いでおり、性格とは反対が故に面倒な性格をしている。要するに控えめ目な性格の癖にちゃっかりと自分の要求を伝えて来る面倒くさい人物、と言うのがシャティアの評価なのだ。
「少なくともお前も望んだんだろう?魔女の力を手にしようと……そしてクロークと出会った……どちらから話を持ちかけたのかは知らんがお前達は協力関係を築いたのだ。それを今更反故にしたい等虫の良い話とは思わんかね?」
シャティアは小さく首を傾げてベルフェウスにそう問うた。それはまるで教師が生徒に物事の良し悪しを教えるような光景であった。ベルフェウスは顔を上げ、唇を振るわせる。何か言おうとするが、喉まで出て来た言葉はそのまま形になる事無く消えてしまう。彼の青白い頬に一筋の汗が流れた。
「……確かに俺はクロークと出会い、協定を結んだ」
ようやくベルフェウスは話し始める。自身の行いを認め、クロークと出会った時の事を語り始めた。その話はシャティアも興味があった為、黙って耳を傾ける。
「あいつは俺に言ってくれたんだ。俺が望めば、魔国を最強の国に出来ると。どの国にも負けない無敵の国になると……そう、言ってくれたんだ」
「…………」
ベルフェウスは拳を握り締めて辛そうに言う。シャティアには何故彼がそんな反応をするのか知っていた。
魔国を最強に国にすると言うのは初代魔王から続いている魔族全員の夢なのだ。最強の国と言うのはいささか具体性に掛けるが、要するに魔国が世界を支配する国になるという事である。だから彼らは最も邪魔な存在である人間達を滅ぼそうとしている。そして恐らくその隙にクロークがつけ込んだのだろう、とシャティアは推測する。
「だがそのやり方があまりにも乱暴過ぎた……だから約束を無かった事にしたい、か?」
「……ッ、人間の大陸に侵攻してからと言うものの、何百人もの犠牲者が次々と出ている……! 民衆はまだ気付けてないんだ。自分達が自身の首を絞めているという事に……!」
ベルフェウスは机を拳で叩いた。怒りを覚えている訳では無い。だが歯がゆい思いを抱くように表情を歪ませている。シャティアは呆れた様に小さくため息を吐き、腕を組んだ。
「戦に犠牲は付き物だという事はお前も承知のはずだ。いくら気弱なお前とてそれは分かっているだろう?」
「限度がある……! ただ単純に戦をするだけならともかく、クロークは人間の国以外にも手を出し始めている。あいつは支配が目的じゃ無く、破壊が目的なんだ……!」
此処でようやくシャティアはベルフェウスが何を恐れているのかを理解した。彼にとって目的は戦では無く支配。敵国を滅ぼすのでは無く、力を示す事こそが最も重要な事。だがクロークが重点を置いているのはそこでは無く復讐を果たす為の破壊。そしてその思いは過激さを増し、人間の国だけでは留まらなくなっている。恐らくこのままでは魔族は世界の支配者になる所か、全ての国を敵に回して孤立してしまうだろう。ベルフェウスはそれを危惧しているのだ。
「ふむ……大体理解した」
ベルフェウスから聞いた内容を頭の中で整理しながらシャティアは何度も頷く。そして満足そうに笑みを浮かべると、ベルフェウスの事を見つめた。
「お前がクロークに手を焼いている事は理解した……だが我の目的はクロークが強奪した魔法書だ。魔国の事にまで手は回せんよ」
「…………く」
シャティアの返答を聞いてベルフェウスは小さく悔しそうな声を漏らした。だが反論はせず、何か意見をする様子も無い。彼は諦めた様に項垂れ、明らかに落ち込むように肩を落とした。シャティアは組んでいた手を解く。そして不思議と笑みを浮かべた。
「だがまぁ、娘が迷惑を掛けているそうだからな。少しくらいはお灸を据えてやるさ」
決してそれは優しさでは無い。ただ自分の同胞であるクロークがやんちゃをしているから、それを止める。本当にそれだけの事であった。だがベルフェウスからすればそれは救いの手であり、顔を上げると霧が晴れたように明るい表情を浮かべた。




