28話:魔王の夢
魔王ベルフェウスは夢を見ていた。自身がまだ魔王では無い、父親であるアギトが魔王を努めていた頃の幼い頃の日々を。
その頃のベルフェウスはまだ父親のような屈強な身体付きはしておらず、至って普通の少年だった。政治や国の事も分からず、ただ父の背中を見続ける日々。ベルフェウスとしては父の手伝いをしたかったが、無力な自分ではそれは出来ないだろうと自ずと理解していた。
「ベルフェウス、お前はいつか儂の後を継いで立派な魔王となるのだ。良いな?」
「はい、父上」
いつものようにアギトが息子のベルフェウスにそう言うと、ベルフェウスは力強く答えた。それを聞くとアギトは満足そうに笑い、尖った歯を見せながら盛大に笑った。
アギトは非常に独占欲の強い魔王である。【強欲の魔王】と言う異名すら持っており、歴代の魔王の中でも特にその傾向は顕著であった。彼はいつか人間の大陸も支配し、魔族こそが生物の頂点と立つ事を目指していた。ベルフェウスも父親のその迷い無い意思を尊重しており、父なら出来ると信じていた。だがそんなある日の事だった。
「久しぶりだな、アギトよ」
それは突然現れた。翼のように見繕ったローブに、真っ黒なとんがり帽子を被った怪しい風貌をした女性。その姿は人間のそれとそっくりであったが、その者の魔力を感じた途端ベルフェウスはそれが化け物だと思った。とても人間とは比べ物にならない恐ろしい存在。ベルフェウスは自然とアギトの後ろに隠れた。
「おお、シャティファール! ようやく来てくれたか!」
「お前達があまりにもしつこんでな……ご馳走だけ貰いに来たよ」
その銀髪の女性を見るとアギトはシャティファールとその者の名を呼んで喜ぶように手を上げた。どうやらアギト自身が以前から魔国へ招待していたらしく、アギトの知人でもあるらしい。アギトの様々な知人が居る事はベルフェウスも分かっていた。時には敵国の者とも話し合いを行う程なのだから、今更このような事があっても驚かない。だがベルフェウスはシャティファールという女性が前例の無い異質な存在だと何処か気付いていた。
「ん?そっちの小さいのは何だ?」
「ああ、儂の息子だよ。ほれ、隠れてないで挨拶せんか」
「こ、こんにちは……ベルフェウスです」
せっかくアギトの後ろに隠れていたのに簡単にシャティファールに見抜かれ、更には父親に挨拶するように言われたからにはもう逃げられない。ベルフェウスは緊張しながら頭を下げてシャティファールに挨拶をした。すると彼女は興味深そうに口元に手を当ててベルフェウスの事をジロジロと観察し、アギトと見比べると何処か面白そうに笑みを浮かべた。
「ほぉ、これはまた随分と真面目な子だな……お前とは全然似てない」
「うるせい」
シャティファールがアギトに向かって笑いながらおす言うと、アギトはバツの悪そうに口を歪ませて言葉を返した。
ベルフェウスは信じられなかった。こんな風に父親と話した人は見た事も無い。アギトは魔王であり、少なくとも誰からも尊敬される存在だった。だが目の前に居るシャティファールという女性はむしろアギトの事を嗜めるような素振りすら見せている。まるでアギトの事を昔から知っているような態度だった。
「では儂等は重要な話し合いがあるからな。ベルフェウス、お前は部屋に戻ってなさい」
「わ、分かった」
急にアギトは顔つきを変えて真面目な顔になるとベルフェウスにそう言った。ベルフェウスも会議に参加出来るとは思っていなかった為、素直に頷いて返事をする。そのまま二人は会議室へと向かって行った。途中、ベルフェウスが二人の後ろ姿を眺めているとシャティファールが顔だけそちらに向け、ニコリと微笑んだ。
「また会おう、次期魔王よ」
その言葉と共にシャティファールはアギトと共に会議室の中へと消えて行った。
そしてベルフェウスの意識は浮上する。長い長い眠りの中から少しずつ自身の意識が鮮明になり、暗闇が消え、視界には薄暗い自室が見えた。子供の時とは違う屈強な筋肉を持った自身の身体を起こし、ベルフェウスは額に手を当てて小さくため息を吐く。
「……夢か」
まるで悪夢でも見てしまったかのようにベルフェウスは表情を歪ませた。ただでさ青白い彼の肌は増々気色悪い物となり、目元も若干隈が出来ている。
実際ベルフェウスにとってあれは悪夢以外何物でも無かった。世界一強いと思っていた自身の父親と対等に話す存在。むしろそれ以上。魔力も底知れず、その性質は普通とは異なっている。ただでさえベルフェウスにとって父親アギトの存在は雲の上だったと言うのに、シャティファールが現れた事によって天を突き抜ける程の強大な存在を目の当たりにしてしまった。その衝撃は子供だったベルフェウスからすればとても耐えられる物では無い。
ベルフェウスがシャティファールを魔女だと知ったのは初めて会った時から数週間後だった。その時にはもうシャティファールも魔国を離れており、それから二度と会う事は無かった。だがベルフェウスは魔女という存在を恐れるようになった。更にベルフェウスが驚いたのはシャティファールのような存在が他にも六人居るという事実だった。
聞く所によると魔女という壁がある事によって魔族は人間の大陸を攻める事が出来ないらしい。だがアギトは魔女を味方に付けようとシャティファールに話を持ちかけたのだ。その結果がどうなったのかは、ベルフェウスは知らない。だが現状からすれば恐らく交渉は失敗したのだろうと伺えた。
ベルフェウスはもう一度ため息を付いてベッドからゆっくりと降りる。部屋は少し冷たく、肌寒さを覚えた。
「ただいまー、魔王サマー」
「……クローク」
何処からとも無く聞き覚えのある声が聞こえて来たと思ったら、ノックも無しの扉を開けて部屋に入って来る者が居た。魔王相手でも全く遠慮しない人物、当然魔女クロークであった。
魔族から見ても美女と称しても差し支えない容姿をしているのに、その粗暴の悪さは壊滅的で、ベルフェウスですら困り果てている。彼女は遠慮もせずズカズカと部屋の中を歩き回った。置かれている椅子に乱暴に座る込み、ああ疲れたと呟きながら脚を組む。
「今まで何処に行っていたんだ?急に散歩に行くとか言って出て行ったが……」
「うん、シャティファールに会いに行ってた。予定通りこっちに向かって来てるらしいからさ」
ベルフェウスがそう尋ねるとクロークはあっけらかんと衝撃的な言葉を発した。思わずベルフェウスは目を見開き、言葉を失う。しばらく二人の間には会話が行われず、正気に戻ったベルフェウスが声を震わせながらもう一度尋ねた。
「なっ……シャティファールって、あのシャティファールか?魔女の長の?」
「そー、アタシ等の母親みたいな存在」
「お、お前……何故そんなッ、そんな計画俺は聞いていないぞ!?」
あまりにも突然過ぎる事にベルフェウスは混乱して質問を続けた。そもそもベルフェウスの望みは父が果たせなかった人間の大陸の支配。魔女が居なくなった事でようやく動き出せたと言うのに、何故その魔女が再びやって来る。それが疑問だった。
「えー、だって魔女の力を欲したのは魔王サマじゃんかよ。別に今更それが一人二人増えた所で変わんねーだろ」
「だからって……アレは別格だろ!」
確かに魔女の力を欲したのはベルフェウスである。魔女が居なくなる事は喜ばしい事だが、もしもその力を手にすれば更なる支配が可能では無いかと。父アギトから受け継いだ強欲さによってベルフェウスはそう望んでしまったのだ。そしてその機会が一度だけ来た。ベルフェウスはひょんな事から生き残ったクロークと出会い、彼女と手を組む事にしたのだ。それから更に魔女の力を欲し、暴走しているエメラルドの事を狙った。それは否定する事の出来ない事実である。
だがシャティファールだけは別である。脳裏に残っているシャティファールの姿を思い出しながらベルフェウスは腕を震わせた。あれは絶対に関わっては行けない存在。自身が敵う存在では無いのだ。
「心配すんなよ。あんたがエメラルドの捕獲に失敗したのはアタシの忠告を聞かなかったからさ。アタシの計画通りにやれば全部上手く行く」
何処からそんな自信が湧いてくるのか、クロークはケラケラと笑いながらそう宣言した。
クロークは策を練るのが上手い。実際彼女のおかげで人間の大陸の北の砦を落とす事が出来た。その辺りはベルフェウスも評価していた。エメラルドの捕獲もクロークの言う通りにしていればきっと上手く言っただろう。だがそれではまるで、自身が魔王でいる意味が無いではないか、と彼は疑問に思った。
「さぁきびきび働け魔王サマ、人間共を支配する為にもシャティファールの協力は必要不可欠だ。アタシ等はもう、立ち止まる事は出来ないんだよ」
椅子から立ち上がると手を差し出しながらクロークはそう行った。ベルフェウスは言葉に詰まり、何の反応も返す事が出来ない。
自身の知らない所で次々と計画が進んで行く。クロークの目的は確かに一致しているが、それでも彼女のやり方はあまりにも過激過ぎる。このままでは取り返しの付かない事になってしまうのでは無いか、そうベルフェウスは不安に思ったが、彼女の言う通りもう立ち止まる事は出来なかった。民衆達は人間の国を制圧する事を今か今かと望んでいる。兵士達の士気も高い。この流れを止める事は王ですら出来ないのだ。
魔王は魔女に付き従う。その光景はかつてのアギトとシャティファールの二人と何処か似ていた。
◇
生い茂っている木々の合間を抜け、浮遊魔法で山の天辺まで辿り着いた後、シャティアはようやくその瞳に魔王城を捉える事が出来た。
王都の時よりも更に大きく、高くそびえる街。幾つもの塔が並ぶその中心にはひときわ巨大な暗黒の城が建っており、一目でそれが魔王城だと言う事が分かる。
「……ようやく辿り着いたな」
額から汗を流し、シャティアはそう呟いた。着ている服は所々土で汚れており、此処まで来るのに苦労した事が伺える。シャティアは乱れた髪を整えながら目つきを険しくした。
クロークはこの魔王城に居る。奴の狙いが何にせよ、こちらを狙って来ている事は明白。ならばとて真正面から迎え撃ってやろう。それが母親としての役目なのだから。そう決意を固めながらシャティアは脚を踏み出した。
「待っていろクローク。我を怒らせたらどうなるか、その身にたっぷりと教え込んでやる」
こう見えて意外とシャティアは根に持つタイプである。特に娘同然に育てた相手から裏切られるとうのは色々とショックであり、その分仕返しにも力が入る。彼女は意地悪そうな笑みを浮かべ、浮遊魔法を唱えると宙を舞った。真っ直ぐ魔王城へと向かい、侵入を試みた。
気配遮断魔法を使えば一目に付かずに入るのは簡単んである。壁を飛び越えて街の中に侵入すると、そこにはたくさんの魔族達が道を行き来していた。このような光景を見るのも久しぶりであり、シャティアは念の為フードを被ってから地面へと降り立った。
「さて、問題はどうやって城に入るかだな」
口元に手を当てながら遠方に見える魔王城を見上げてシャティアはそう言葉を漏らした。
街に入るのは簡単だ。だが城となると警備も厚くなっている為、簡単には行かない。それに今回は王宮の時のような物を拝借する目的がある訳では無く、クロークと会う事が目的である。そうなると侵入にも色々と気を配らなければならない。
そんな事を考えている時だった、突然市場から騒がしい声が聞こえて来た。続けて暴発音のような物が響き、シャティアは嫌な予感を感じてそちらの方向に目を移す。そこでは何やら巨大な狼のような姿をした魔物が咆哮を上げていた。
「う、うおわぁあ! やべぇっ、檻が壊れて魔物が暴れだしやがった!!」
「ば、馬鹿! 早く何とかしろ! 大事な商品なんだぞ!!」
恐らく魔物を商品として扱っている店なのだろう。丁度馬車で運んでいたらしく、積まれていた檻が壊され、狼の魔物が咆哮を上げながら辺りの屋台を破壊し始めていた。民衆達は悲鳴を上げて一斉に逃げ出す。商人達は慌てて魔物を落ち着かせようとするが、持っていた鞭は簡単に尻尾で吹き飛ばされ、とても止める事の出来ない状況になっていた。
「あ〜……いやいや流石に此処で目立っては不味いだろう」
すぐさまその場に走り出そうとしたシャティアだったが、寸での所で歩みを止める。
いくら何でも魔国の中心で目立つのは不味い。気配遮断魔法を使っているからと言って視線が集まれば効力は無くなるし、何かの拍子でフードが取れれば自身の姿を見せてしまう事になる。どうせ兵士達が駆けつけて来るはずだ、わざわざ自分が出る幕では無い。そうシャティアは判断したが、彼女は不幸にも見てしまった。狼の魔物に喰われそうになっている魔族の子供を。
「ああくそ、仕方ない!」
シャティアはフードを深く被り直して走り出した。重力魔法を使って狼の魔物を動きを止め、続けて魔力波で吹き飛ばす。魔物の巨体は宙へと浮かび、馬車の荷台にぶつかって激しい破壊音を立てた。シャティアは子供の前へと立ち、腕を振り上げる。
「来い、ワンコ。我が相手だ」
こうなったらやるしか無い。自棄糞気味にシャティアはそう声を張り上げ、うめき声を上げている狼の魔物を挑発した。狼の魔物は身体を起こし、一際大きな咆哮を上げる。そして地面を蹴ると上空から牙を剥いてシャティアへと襲い掛かった。




