22話:変わり目
「編入生のシャティアさん……レイギス先生が担当した定期試験では一位、授業態度も良く、成績も優秀……文句の付けどころが無い生徒ですな」
職員室では現在ある会議が行われていた。二ヶ月前に編入したシャティアについての他愛無い情報共有。突然の編入であったが為に何か問題は無いかを確認する為のごく普通の会議。教師達はそれぞれ配られた資料を手にしながらシャティアの事について話し合う。その中にはレイギスの姿もあり、この前行った試験の事を思い出しながら会議に参加していた。
「この前なんかある魔法の術式構造に不備があると指摘していましたよ。調べてみたら確かに改善の余地がありました。素晴らしい洞察力を持っています」
「本人は王宮の保管されてる魔法書を回覧する事を強く望んでいるようだ……確かにこれだけの才能を持っているのならば、王宮の出入りを許可しても問題無いだろう」
シャティアの評判は良く、教師達は彼女の事を支持しているようだった。才能を持つ生徒ならば当然重宝される。一部ではシャティアの懇願である王宮の魔法書の回覧を許可しようと言い出す教師も居た。だが、中にはそれに反対する者も居る。まだ力の制御が出来ていない子供が王宮の魔法書を手にすれば、必ず暴走する。そんな不安を抱いている教師達が居た。
「……だが、あまりにも才能がありすぎる。この子は本当にただの村人の少女だったのか?」
一人の教師が手を上げ、周りの教師達の会話を中止させて意見を述べた。その表情は険しく、あまり良い雰囲気では無い。
「確かに……彼女の魔力は少々異質な所がある。底知れぬ力のような物を感じるな」
「最近は魔国の様子も怪しいと聞く。大袈裟だがひょっとしたら奴らの差し金とも考えられかねん……」
一人の教師の発言から次々とシャティアの強大過ぎる才能に疑念が上がり、彼女が何処かの国の息が掛かった刺客なのでは無いかと推測が立てられた。もちろん根拠も理由も無い机上の空論である事には変わりない。だが教師達の疑念は拭えなかった。
「いずれにせよ要注意な生徒である事には変わりない。金の卵か、それとも厄災の種か……見極める必要があるだろう」
老人の教師がそう言うと他の教師達を頷いてそれに従った。
ひとまずは現状維持。それが彼らの出した答え。疑う余地はあるがだからと言って責めるような訳には行かない。もしも無実だった場合はとんでもない濡れ衣となってしまうのだ。事は慎重に運ぶ必要がある。
レイギスは静かに目を細めた。シャティアの試験で見せたあの戦い振り。あれは長い間戦って来た者の熟練した技だった。魔法が強いだけでは無い。彼女はその扱い方にも長けているのだ。だが子供のシャティアがそんな巧みな技術を扱える訳が無い。果たして彼女は何者なのか?本当にロレイドの教え子なのか?謎は、深まるばかり。
◇
一般的には【魔女】がどのような存在なのかは判明していない。彼女達は大昔から存在しており、歳を取る事なく生き続けている。人の身体では抑えきれない程の膨大な魔力を持ち、大陸を揺るがす程の魔法を扱う逸脱の者達。
彼女達が何故人間と似た姿をし、そして女性しか居ないのか、その全てが謎に包まれたままであった。だが歴史にある“七人の魔女”が恐ろしい存在である事だけは詳しく記述に残されている。
事実、魔女の一人である【探求の魔女】クロークは独自の技術で街一つ吹き飛ばす恐ろしい魔法兵器を造り出した。その兵器は魔女が死んだ今でもこの世の何処かに存在しており、多くの国がその兵器を欲して探索していると言われている。
「……このように、魔女が居なくなった今でもその名残は世界の各地にあり、各国はそれを巡って争っています。魔女とは本当に厄災の中心に居る存在なのです」
窓からの差し込む太陽の光に当たりながらシャティアは教師の語る魔女学について呆けて聞いていた。
何分自身が魔女のせいで魔女の事を聞かされた所でちっとも興味を持てず、彼女は机に伏せて今にも眠りそうになりながら顔を俯かせたり上げたりを繰り返していた。
魔法学園には歴史学と呼ばれる科目がある。主に魔法の歴史について学ぶ科目であり、シャティアの知らぬ人間の歴史について知る事も出来る為、最初は興味を惹いていた。だが途中に魔女学と呼ばれる魔女の歴史について語る授業が入り、シャティアは途端に興味を失ってしまったのだ。
そもそも教師が語る魔女についての歴史は殆どが人間達によって脚色された物あり、シャティアからすれば身に覚えの無い事ばかりであった。
やれ魔女が山から木を消したやら、やれ魔女が川から魚を全て釣り上げたやら、そういう意味不明な歴史ばかりであった。それでいて魔女を恐怖の象徴として仕立て上げるのだから困った物である。シャティアは肘を尽きながら手に顎を乗せ、小さくため息を付いた。
「先生、質問なのだが……」
「あら、何かしら?シャティアさん」
このままでは本当に眠ってしまう。そう思ってシャティアは少しでも自分の利になる授業にする為に情報を聞き出す事にした。真っ直ぐ手を上げ、先生に質問を求める。すると教師はニコリと微笑んでシャティアの方に顔を向けた。
「魔女は何故邪悪な存在として見られていたのだ?」
なるべく深い意味は無い様に素朴な疑問とでも言いたげに軽く首を傾げながらシャティアはそう尋ねた。教師はああ、と別に気にした様子も見せず、一度咳払いをしてから口を開いた。
「それは個人が魔王に匹敵する力を持ちながらどの国にも属さず、各々が好き放題に魔法を行使したからです。決められた法律に従わず、自分勝手な事をする人は悪い人ですよね?それと同じです」
教師はさも当然とでも言うように微笑んでそう答えた。シャティアもそうか、と笑みを返した満足したように頷くが、その内心ではモヤモヤとした複雑な感情が抱かれていた。
自分達はたったそれだけの理由で消されたのだろうか?ただ底なしの魔力を持っていただけで危険視され、自然の法則にしたがって魔導を極めていただけで邪悪な存在として見なされたのだろうか?
シャティアは疑問に思う。そもそも魔素と深い関わり合いがある自分達魔女は魔法とは切っても切り離せぬ存在。魔法を使う事は息をするのと同義である。それなのに、人間達は法を理由にしてそれを抑制しようとする。仕方が無い事なのだ。魔女と人間は違う。
シャティアは拳を握り締めた。自分の懐にしまってある人形をそっと撫で、気持ちを落ち着かせる。シャティアの瞳は綺麗過ぎる程澄んでいた。
授業が終わり昼休みになった後はシャティアはリィカと共に屋上へ向かった。いつもは食堂で食べるのだが、今日はリィカもお弁当を持参しており、シャティアもパンと飲み物を購入していた為、屋上で食べる事となった。
青い空の下で弁当箱を広げ、リィカは美味しそうにサラダを頬張っていた。その隣でシャティアも何処かぼうっとした様子でパンを千切って口に放り込んでいた。
「シャティアちゃん、どうかしたの?」
「……ん?」
ふとリィカがシャティアにそう尋ねた。その表情は何処か心配そうで、急にそんな顔をされたのでシャティアは戸惑ったように手を止めた。口に入れようとしていたパンの欠片を落とし、ああ、と声を漏らしてい急いでそれを拾う。
「なんか、悲しそうな顔してたから……」
「ああ、いや……種族の壁と言うのは難しい物だと思ってな……別に悲しんでた訳では無い」
ただ呆れていただけだ、という言葉は飲み込んでシャティアは気にしないように首を振った。
千年も前から分かっていた事である。魔女が人間から理解されない事は。姿形は似ていたとしても、その中身は山と小石のように差がある。遠くからなら分からずとも間近に迫ればその異様さに気が付き、人々は一目散で逃げ出すであろう。それくらい魔女とは人間達にとって異質な存在なのだ。
「ねぇねぇ聞いたあの噂?」
「うん、本当ヤバいよねー」
屋上に居る女子生徒達からふとそんな会話が聞こえて来た。シャティアは気を紛らわすようにその話に耳を傾け、目を細めた。女子生徒達は飲み物を片手に持ちながら話を続ける。
「北の砦が魔族に侵略されたって……不味く無い?北の砦って王都から結構近いよ。これって本格的に戦争が始まるって事かな?」
それは近頃噂になっている魔族達の突然の侵略事件の噂であった。まだ発表はされていない為、断定は出来ないのだが魔族達は王都へと続く経路を守っている北の砦を制圧したらしい。今までは大陸の端で小規模な戦争が起こっていただけなのだが、突然この侵略に人々は戸惑いを覚えていた。
何故?突然?最前線が崩されたと言う情報は入っていない。魔族達はどういう訳か突然人間達の中心地まで迫り、守りの要でもある北の砦を制圧した。この異変はまだ噂という段階であるが、それでも人々に恐怖を与えるには十分な物であった。
「それに魔国は魔女を保持してるって話もあるし」
「ええー、魔女って勇者様が滅ぼしたんじゃ無いの?」
「分かんないよ。ただの噂だし……だけどもしもそれが事実だったら……」
その続きは敢えて口にせず、女子生徒達は顔を見合わせると恐ろしげに身震いした。それで話は終わってしまい、二人は食事を終えて屋上から去って行く。丁度リィカとシャティアも食事を終えた所で、リィカは丁寧に弁当箱を片付けていた。
シャティアは静かに目を細める。先程の女子生徒達がしていた会話を一つずつ思い出し、頭の中を整理していった。
確かに近頃の魔族達の動きは不穏である。何故北の砦を制圧出来たのかという謎もあるし、魔女の噂も気がかりである。魔女であるシャティアからすれば魔族と人間の戦争が始まるなどどうでも良い事であったが、魔女の事だけはそう簡単には行かない。魔族が魔女を利用しているのか、それとも魔女が魔族を利用しているのか、それを判別しなければならなかった。
だが、すぐには動けない。シャティアはもどかしそうに唇を噛み締めた。
以前なら浮遊魔法ですぐに確かめに行く事が出来たが、今は学生という身分の為、そう簡単に外を飛び回る事は出来ない。記憶操作の魔法を使って無理矢理突破出来るかも知れないが、出来ればそのような無茶はしたく無い。エメラルドを救う為に学園に来たというのに、それが縛りとなって同じ魔女を探しに行けないとは、何とも皮肉な物だとシャティアは笑った。
「……そろそろ動き出すとするか」
食事を終えてリィカも職員室に用があると言って去った後、シャティアは柵に寄り掛かりながらそう呟いた。
彼女の本来の目的、それは王都にあると言われている人体生成魔法の書を閲覧する事。エメラルドを救う為にその魔法を習得する必要があるのだ。その方法は学園の生徒として王宮魔術師に認められる必要があるそうだが、元よりシャティアは六年間も学園で生徒を演じるつもりは無い。既にシルヴィアのような何人かの人物が自身の力を不審がっている。自身の膨大過ぎる魔力は隠し切れない。シャティア自身の尺度で物事を計っても、彼らかすればそれは異質だと感じられる事がある。長期間この学園に居る事が出来ない。だがそれでも構わなかった。シャティアはほんの少しの間だけ王宮に近い学園に居られれば良かったのだ。
「明日は確か王宮見学の日だ……人体生成魔法、習得させてもらうぞ」
振り返り、屋上から見える王宮を見つめながらシャティアはそう言った。
王宮は壁に囲まれ、厳重に警備されている。城は雲まで届く程巨大な塔が幾つもあり、屋上からでも見上げなければその全貌を把握する事は出来ない。普段は門は兵士達によって守られ、許可無く中に入る事は出来ない。城の周りも弓兵達が徘徊しており、薄くではあるが結界魔法も張られている。つまり気付かれずに侵入する事は難しい訳だ。だが学園には特別に王宮を見学する授業が設けられており、それが丁度明日だった。
本来ならこれは最終手段だった。もしもの時の為の強行作戦。自身の正体がバレるような事があった時の為に残された唯一の手段。だが、状況が変わった。魔族の動きが頻繁化し、魔女の存在が仄めかされた今、シャティアが動き出さない訳には行かない。
彼女は決意する。明日王宮に潜り込み、魔法書を拝借しようと。彼女は額に手を当てながら静かに息を零した。




