17話:いざ王都へ
賢者ヴェザールは自身が羽織うローブを揺らしながら風の強い崖を歩いていた。ほんの数センチしか無い崖の切れ目に沿いながら真っ直ぐと歩き、彼は前へ前へと進んで行く。その瞳には迷いは無く、恐怖する事も無く強い意志で突き進んでいた。すると突風が巻き起こった。ヴェザールは僅かに身体を揺らして崖にしがみつく。そして天を見上げると、その雲で覆われた空を見て目を見開いた。
「また……歴史が一つ動いたか」
何かを悟るように目を細めてヴェザールはそう呟く。
彼は今確かに感じ取ったのだ。大きな力が揺れ動く瞬間を。それは何かの誕生か、それとも消滅か、どちらにせよ大きな出来事には変わりない。大きな事象は世界に影響を与える。果たして今回の出来事はどのような異変な世界に齎すのか?ヴェザールは不安そうな顔つきで自身の髭を触った。
「やはり世界は揺れ動いておる。魔女が死んでから人間達は領土を拡大し、魔族達も活発に動き始めた……このままでは、世界が滅びてしまうぞ」
不安そうに、本当に恐れるようにヴェザールはそう言う。髭を触っている自身の腕は震えており、本人ですらそれに気付いていなかった。
賢者は大きな事象を感じる能力を持っており、元々この現象は昔からあった。昔は年に数回程しかこのような現象は無かったのだが、ここ最近は一ヶ月に数回の感覚で行われている。あまりにも異変が多すぎるのだ。
「バランスが崩れた事によって、人々は争いの中に飲み込まれておる……彼らは気付いていないのじゃ。自分達が破滅の道を進んでいる事を」
人は何かに夢中になっている時、自身がどのような事をしているか全く理解して居ない。綱渡りで神経を集中させて突き進んだ後、途中で突然正気に醒める様なそんな感覚。それが争いによって行われてしまっているのだ。彼らは気付けない。他人を傷つければ傷つける程自身も傷を負う事を。他人に剣を突き立てた時、自身の身体にも剣が突き刺さっている事を気付けない。そしてようやく理解した時はもう手遅れになっているのだ。
「いずれ竜が目覚める……その時までに、間に合えば良いが」
ヴェザールは気がかりの事を呟いてもう一度天を見上げた。相変わらず雲で覆われ、光は差さない。もう少しで雨も降って来そうだ。急がなくてはならない。ヴェザールはフードを深く被り、また歩き出した。
予言にあった魔女の復活、そして運命によって定められている竜の覚醒……どちらも決して無視出来ない事象である。故に賢者ヴェザールは進み続ける。世界を救う為に。
◇
「シャティアちゃん、王都が見えて来たよ」
手綱を握りながら馬車を操縦し、家庭教師は見えて来た王都を指差して車内に居るシャティアにそう教えた。するとシャティアは気怠そうな顔をしながら自身の結わいている髪を顔の前に垂らし、疲れ切った表情をして顔を起こした。その姿は明らかにいつものシャティアらしく無い。
実はシャティアは村から出た後、途中の街で借りた馬車に乗った途端体調を崩してしまったのだ。どうやら馬車の揺れにやられてしまったようで、今の彼女は時折口を手で塞いで顔を俯かせたりと散々な有様だった。
シャティアは自身の重たい頭を動かして窓から王都を見た。巨大な街。地平線まで続くその巨大な都市は壁によって囲まれており、その大陸に君臨している。中央には城らしき物が見え、恐らくそれが人間達の王が住む城なのだろうと推測される。実に壮観だ、とシャティアは感想を零した。
「すっかり忘れていたな……我が乗り物が苦手だという事を」
「アハハ、まぁ仕方ないよ。二日間も馬車に揺らされてれば、そりゃ体調も悪くなるさ」
シャティアは顔に掛かった髪を退かしながらそう悔やむように言った。
実はシャティアは乗り物が苦手なのである。何分魔女だった頃はそこまで乗り物に乗るような機会は無かった為、すっかり忘れてしまっていたのだ。
家庭教師は手綱を手にしながら水の入った袋を取り出し、それをシャティアに手渡した。シャティアはそれを受け取って有り難く思いながら口に水を含んだ。
馬車はゆっくりと丘を下がり、壁に近づくと一つの門に向かって行った。そこだけは造りが砦のようになっており、壁の上では門番が立っていた。家庭教師は声が届くまでの距離に近づくと、立ち上がって門番に話し掛けた。するとすぐに門番は門を開いてくれた。親しそうな会話をしていたから、もしかしたら知り合いなのかも知れない、とシャティアは勝手に考えた。
門が開き、いよいよシャティアはは王都へと足を踏み入れた。正確には馬車の中で寝転がっているのだが、入った事には変わりない。窓の外には活気そうな町並みが広がっており、時折元気な子供達が走り回っていた。誰もが明るい顔をしている。商人らしき人や旅人の恰好をした人が歩いていたりもしていた。シャティアはそれを観察したかったが、何分体調が優れない為、寝転がったまま景色を眺める事しか出来なかった。
やがて馬車がようやく止まり、シャティアと家庭教師は人気の無い街の奥に辿り着いた。その空間には巨大な屋敷が建っており、シャティアはそれを見上げてほぅと息を零した。
「さて着いたよ。此処が僕の別荘だ。いやぁ久しぶりだな〜」
「……随分と大きいな」
「まぁ当時はお金が一杯あったからね。でも使用人とか居ないし、埃っぽいだろうけど我慢してね」
家庭教師は腕を伸ばしながら懐かしそうにそう言った。シャティアからすれば夢中になって読書をすると平気で一週間くらい掃除などをしなくなってしまう為、むしろそのような空間は慣れていて落ち着いた。
試験を受けるまでの間シャティアが世話になる屋敷、今夜はここで寝て明日試験を受ける予定であった。村でずっと過ごしていた為、シャティアは巨大な屋敷を見て少しだけ緊張感を覚えた。
屋敷の中に入ると二階に続く螺旋階段があった。所々に騎士の甲冑やよく分からない装飾品が飾られており、壁には絵画が掛けられていた。シャティアはそれらを見て改めて王宮魔術師というのがどれだけ凄い物なのかを実感した。ただし意味の無い装飾品を飾る事だけは理解出来なかったが。
「試験は明日。僕は途中までしか付いていけないけど、大丈夫かい?」
「ああ、問題無い。さっき貰った地図で王都の構造は大体把握した」
部屋を回っていると持って来た荷物を机に広げて整理している家庭教師がそう声を掛けた。その事は既に聞かされていた為、シャティアは頭をトントンと指で叩いて問題無いと返事をした。
既に彼女の頭の中には馬車の中で見た王都の地図が記憶されており、一人での行動も何ら問題無い状態になっていた。故に彼女は何の不安も抱かない。
「この屋敷は好きに使っていいからね。あ、そうだ。何ならこの後街でも見て来たらどうだい?」
「ふむ……確かに人間の街を観察するには絶好の機会だな」
家庭教師の提案に顎に手を置いて聞こえないようにシャティアはそう呟いた。
元々彼女の目的は全ての魔法を知る事だが、だからと言って人間の生活に全く興味が無い訳では無い。街の暮らしを観察する事で得る事が出来る物もあるし、何かの拍子で魔法を知る事が出来るかも知れない。いずれにせよこの機会を逃す訳には行かないとシャティアは判断した。
例え何か遭った所でシャティアなら簡単に解決出来る。その信頼があったからこそ家庭教師も安心してシャティアを一人で街に送り出した。
シャティアも全く不安は無く、頭に記憶した地図を辿りに街を探索した。まずは明日行く予定の魔法学園の下見をする事にした。柵に覆われたその空間には城のように大きい学園が建っており、天辺には巨大な魔法陣の時計が魔素の粒子を漏らしながら針を動かしていた。
「随分と派手な魔法だな。一体誰が詠唱しているんだ?まさか永続魔法?なら魔力供給はどうやって……」
その魔法の時計を見てシャティアは一人思考に耽る。初めて見る魔法なだけに興奮してしまい、彼女はすぐに自分の世界へと浸ってしまった。だが横の方から子供の声が聞こえる。シャティアは一旦思考を停止し、そちらに意識を向けた。
そこには小さくてか弱そうな女の子を囲む男の子達の姿があった。制服を着ている事から魔法学園の生徒だと推測される。そして背格好から大体同い年くらいだろうかとシャティアは考え、さてどうしたものかと頭を悩ませた。
「リィカは本当に情けない奴だな〜」
「何でお前ってそんな落ちこぼれなのに学園に入れたんだ?」
男の子達は何やら小馬鹿にするように笑みを浮かべながらリィカと呼ばれる少女を囲んでいた。
クリーム色の柔らかそうな少し癖っけのある髪を肩まで伸ばし、翠色の瞳をした大人しそうな少女。全体的に細身で、握ってしまえば折れてしまいそうな白くて細い手足をしていた。
「う、うぅ……」
「なんか言ってみろよ。何なら僕が教えて上げようか?魔法のやり方を」
リィカという少女は反論も出来ずに手でもう片方の腕を掴み自身を守るようにして黙りこくっていた。音の子達はケラケラと笑い、一人が一歩前に出るとそんな事を言い出した。腕を振り上げて手を開くとそこから炎の球が現れる。とても小さい球だが、もちろん燃えている為に危険である事には変わりない。男の子はそれをゆっくりとリィカに近づけて行った。彼女は怯えた様に肩を震わせ、固まったようにその場から動かない。
仕方なくシャティアはその虐めの現場に乱入する事にした。明日は試験がある為出来るだけ問題が起こりそうな事は避けたいのだが、だからと言ってこんな現場を見逃す事は出来ない。良心に従ってシャティアは彼らに歩み寄り、男の子の持っている炎に手を伸ばすとそれをそのまま握り潰した。
「全然成ってないな。術式の構築が甘過ぎる。詠唱も省いたせいで魔力が不安定だ。こんな危険な物は人に近づける物じゃ無いぞ?」
「……えッ!?」
男の子達は二つの意味で驚愕した。一つは突然シャティアが現れた事、そしてもう一つは炎の球が握り潰された事であった。
水魔法で消すとか、同じ様な炎の魔法で相殺するとかでも無く、シャティアは何て事も無いように炎を手で握り潰してしまった。シャティアからすれば単純に圧倒的な魔力差で魔力を打ち消しただけなのだが、その事を知らない男の子達からすれば異様な手段を取ったと捉えれ、警戒するようにシャティアから離れた。
「だ、誰だお前は!? リィカの友達か……?!」
かろうじて男の子は大きな声を上げてシャティアにそう問うた。警戒しているようで、相変わらずシャティアからは距離を取ったまま。シャティアは別に気にする事も無く、リィカの前に立つとはて、と首を傾げた。
「いいや、単なる通りすがりだ。虐めの現場を見てしまったからちょっと口を出させてもらっただけだ」
「い、虐めてなんかねーよ! リィカに魔法を教えてやっただけだ!」
「ほぅ……」
男の子の反論に対してシャティアはまた反対方向に首を傾げて言葉を返した。その瞳は何処か冷たく、シャティアからすれば珍しく何処か男の子を蔑むような視線を送っていた。
「お前達にとってはアレが魔法を教える、という物なのか?不安定な魔法を近距離で見せ付け、何かの拍子で魔力が暴発すれば女の子の顔に一生残る傷が出来る……そんな物を教育と言うのか?」
シャティアは鋭い口調で男の子達にそう言い放った。明らかにいつものシャティアらしく無く、その声には怒気が混じっていた。男の子達は反論出来ずに悔しそうに歯ぎしりし、拳を握り締める。
今回シャティアが怒っているのは男の子がなりふり考えずに魔法を行使した事にあった。本来魔法は特別な力であり、しっかりとした技術が無ければ使用出来ない危険な能力である。だからこそシャティアはモフィーに魔法を教える時もそこまで深く教えず、彼女には危険な目に遭って欲しく無いと思っていたのだ。結局は魔法書を託す事となってしまったが。
もしも今回、男の子が間違えて出力を強くして炎を増加させた場合、リィカの顔には火傷が出来ていた事であろう。もしも魔力が暴発すれば、小規模ではあるが爆発が起こり、男の子達もただでは済まなかったはずだ。そんな危険性が在るのだ、魔法には。
「ぐっ……く、覚えてろよ……!!」
結局何も言い返す事は出来ずに男の子達は気まずくなってその場から退散した。捨て台詞も去る事ながら、中々に滑稽な人物であったとシャティアは小さくため息を吐いた。
「全く、謝罪くらいしたらどうだ。最近の若者は礼儀がなってないな……」
「……あ、あの」
自分も若者であるという事を忘れ、シャティアはそんな言葉を漏らした。出来れば床に頭を付けるなりして強制的に謝らせたかったが、そこまでしたら問題になるだろうと思ってシャティアは彼らを見逃した。そしてリィカの方に振り返ると、彼女はモジモジと指を弄りながらシャティアの事を見ていた。
「助けてくれて有り難う……えと……」
「シャティアだ。別に気にする事は無い。偶々通りかかっただけだしな」
人見知りなのか、それとも元々そういう性格なのか、彼女は恥ずかしそうに顔を俯かせながらもお辞儀をしてシャティアにお礼を言った。シャティアも気にするなと言ってぽんと彼女の肩を叩く。僅かにリィカの肩が震えたが、それでももう一度お礼を言って安堵したような表情をした。
「あ、あの、シャティア、ちゃんも……学園の子?」
「いいや、まだ違う。リィカは学園の生徒のようだな。何故虐められていたんだ?」
リィカの質問にシャティアは一応の否定だけはし、逆に質問を返した。
せっかく学園の生徒と会えたのだからどうせなら色々と情報収集がしたい。本人は気付いていないがシャティアの瞳はキラリと怪しく輝いていた。リィカはちょっとだけ怖がったように肩を竦ませた。
「私、その……あまり魔法が得意じゃなくて。それで皆と、仲良く出来ないの……」
言いづらそうに顔を俯かせながらリィカは少しずつ語った。
何でもリィカは魔法学園に居るにも関わらずあまり魔法が得意では無いらしく、クラスでも落ちこぼれで周りと馴染めないらしい。そして先程のように、帰り道なので見つかれば虐めとも言えるお遊びをさせられていたようだ。
魔法学園は一応試験を通して審査が行われる為、一応は最低限の魔法が使えるはずだが、それでもリィカが虐められるという事はよっぽど学園のレベルが高いか、リィカが合わないだけかのどちらかなのだろう。シャティアはここでも人間の社会はこういった集団性を重んじる傾向を嫌々と感じた。
「ハハハ、それは難儀な物だな。魔法学園で魔法が不得意とあっては、それは確かに忌み嫌われるだろうさ」
「うぅ……そんな直球に言わなくても……」
暗く言っても仕方が無いのでシャティアは笑いながらそう言ってのけた。
虐めは絶対に駄目だが、それでも仕方が無いと思える部分もある。何事も仕方が無い事があるのだ。魔女だってどれだけ人間と友好に接しようとしても結局は裏切れて死んだ。世の中には絶対に何とかならない壁と言うものが在るのだ。ただし、問題はそこから……その後にその壁どうやって対処するのかが重要なのだが。
エメラルドは復讐でその壁を壊そうとした。それは最もシャティアが忌み嫌う方法である。だが完全に否定出来る訳では無い。エメラルドの気持ちも理解出来る部分がある。結局はどのような行動を取るかは人それぞれだ。
リィカも今まさにその状態である。虐めを受けながらもそれに反発するか、それとも受け入れて新しい自分を模索するか。どのような手段を講じるかはリィカの意思である。少なくともシャティアはそう考えた。
「仕方が無いさ。世の中にはどうしようもない事がある。肝心なのはその後だ。人はただ自身のやりたい事を貫き通そうとするしか無い。リィカはあるか?やりたい事」
「……私の、やりたい事……」
魔法学園に入学したのがリィカの意思かどうかは知らないが、それでも彼女はまだこの学園に残り続けている。ならばシャティアは彼女は何らかの目的があるのだと推測した。将来は王宮魔術師になりたいとか、賢者になりたいとか、そういう夢と言える目的があるはず。それを目指している限り人は腐らない。
シャティアはそれ以上のアドバイスはしなかった。そもそも今日会ったばかりの人にゴチャゴチャと言われた所で気に食わないだけだろう。最低限の忠告だけ言い、後は本人の意思を尊重させる。それだけで良い、とシャティア判断した。
「では、我はこれで。また近い内に会おう、リィカ」
「えっ……あ、うん……近い内に?」
シャティアは手を降りながらその場から立ち去った。リィカも手を振って見送ったが、シャティアの最後の言葉が気になって自身もその言葉を口にしながら首を傾げた。




