16話:お別れ
存外シャティアの王都行きの件については母親の説得は簡単に進んだ。家庭教師も同行するという事になり、それなら安心だと彼に任せたのだ。だが問題は幼馴染みのモフィーだった。シャティアがしばらくの間村から離れてしまうと知ると、シャティアに抱きついて泣き叫び始めたのだ。
「嫌だ嫌だ嫌だ〜、シャティアと離れたく無い〜!」
「……モフィー、頼むから離れてくれ。お前の涙と鼻水のせいで服がベタベタだ」
じたばたと暴れながら泣き叫ぶモフィーにシャティアは困ったようにため息を吐き、彼女の頭を撫でながらそう言った。
予想していた事ではあったが、流石にこれはシャティアもお手上げの状態だった。別に黙って行ってしまえば良い事なのだが、何分良心という物が存在しているシャティアにはそんな裏切りの行為は心苦しい物であった。故にシャティアはどうしてもモフィーを悲しませずに村を出て行ける方法を模索しているのだ。
「何もずっと村に居ない訳じゃない。ほんの六、七年程王都で暮らすだけさ。用が済んだら戻って来るよ」
「六、七年もじゃん〜! そんなに待ったらロヴおじさんも死んじゃうよー!!」
シャティアはそう言ってモフィーを説得するが、彼女はポカポカとシャティアの胸を叩いて反論した。その言葉を聞いてシャティアは人間にとっては七年は長い年月なのか、と思い出した。何分千年以上を生きる魔女だった為に時間の流れには疎い部分がある。七年も経てば子供のモフィーもお姉さんになる年月だ。そう考えると何とも複雑な気分になった。だがシャティアは王都行きを中断する訳には行かなかった。エメラルドを復活させる為にもどうしても人体生成魔法を習得しなければならないのだ。その思いはもう幼馴染みのモフィーですら止める事は出来ない。
「ふむ……やれやれ、困った物だな」
この調子では家に居座って眠る時も離さない勢いである。シャティアは疲れたように肩を落とした。
乱暴を振るう訳には行かない。何とかしてモフィーが納得する理由を用意するしか無いのだろう。シャティアは考えるように顎に手を置き、ぴんと閃いたように目を見開いた。
「ではこうしよう。我が王都に行っている間、モフィーには宿題を出して置く」
「宿題……?」
泣いているモフィーにシャティアがそう言うとモフィーはぴくんと耳を動かして顔を上げた。泣きじゃくった酷い顔がそこにはある。シャティアは彼女の頬に垂れている涙を拭いながら言葉を続けた。
「よく家に遊びに来た時に教えてやっただろう?魔法だよ。モフィーには我の魔法を特別に教えてやろう」
シャティアが指をちょんと動かすとモフィーのぐしゃぐしゃになっていた顔が途端に綺麗になった。着ている服もくっ付いていた涙と鼻水が消えて新品のようになっている。モフィーは目をぱちくりとさせてシャティアを見た。彼女はニコリと微笑んでシャティアの頭を撫でた。
シャティアの魔法。それはすなわち“叡智の魔女”と呼ばれた伝説の人物の魔法である。天地を裂く程の威力を持つ強大な魔法。それを知る事は他の六人の魔女ですら難しく、完璧に習得出来た者は少ない。当然モフィーにはその事は理解出来なかったが、シャティア自身は自分に出来る精一杯の贈り物のつもりだった。
シャティアは本棚からある本を取り出した。黒く分厚い本で表示には白い線で文字のような物が彫られていた。それを手に取ってモフィーに見せるとシャティアは説明を始めた。
「これは我が作った魔法書だ。特殊な魔法が掛けられていてモフィーにしか読めない。これを読んでしっかりと勉強すれば、モフィーは立派な魔術師になれる」
「え……本当!? 私魔法を使えるようになれるの!?」
魔術師になれるという言葉を聞いてモフィーは途端に目をキラキラと輝かせてその本を凝視した。
幼馴染みのシャティアが魔法を使えるという事もあって当然モフィーも魔法を使いたいと思っており、前々からシャティアに教えてもらったりもしていた。だがシャティアが面倒くさがったりする所もあった為、あまり進展は無かった。それ故にモフィーからしてみれば魔法書というのは自身が最も欲しい物だったのだ。
「ああ。ただし七年間しっかりと勉強しなきゃ無理だがな……やれるか?」
「もちろん! 私頑張る! 頑張ってシャティアと同じくらい魔法使えるようになる!!」
シャティアがもったいぶるように本を掲げながらそう尋ねるとモフィーは間髪入れずに返事をした。いつの間にか立ち上がって先程の泣きっぷりは何処へ言ってしまったのか、輝く様な笑顔を浮かべている。シャティアはそんな彼女を見て思わずクスリと笑った。
「では約束だ。我が王都から戻って来るまでに、モフィーはたくさんの魔法を使えるようになっておくんだぞ?」
「うん、分かった! シャティアが居ないのは寂しいけど……私、シャティアがびっくりするくらい魔法使えるようになって待ってる!!」
「ククク……それは楽しみだ」
二人はそう言って指切りをして固く約束を結んだ。
シャティアからすれば自分と同じくらい魔法が使えるようになる為には天候を操る魔法も習得しなければならないがな、とモフィーの事を小馬鹿にするように考えていたが、ひょっとしたら化けるかも知れない為、何も言わない事にしておいた。
こうしてモフィーの説得は成功し、シャティアは家庭教師と共に王都へ行く為の準備を進めた。
何でも家庭教師は元王宮魔術師なだけあって色々と顔が利くらしく、既に魔法学園に手続きを進めていた。後はシャティアが学園に行って必要な試験を受けるだけ。無論シャティアの実力ならそんな試験程度造作も無い事であった。
持って行く本などを整理している間、シャティアの部屋で手続き書の準備をしていた家庭教師を見てつい気になり、シャティアはある事を尋ねた。
「ところで……先生は王都に行っても大丈夫なのか?昔色々あったのだろう?」
シャティアの質問を聞いて家庭教師は動かしていた筆をピタリと止めた。癖なのか眼鏡を掛け直すような仕草を取り、何処か気怠そうな顔をして口を開く。
「ああ、まぁ……大分年月も経ってるしね。そこまで気にする事じゃ無いよ。多分……僕が目立たなければ問題は無いと思う」
「…………」
その言葉は何とも信用性の無い震えた声であった。実際眼鏡の奥で家庭教師の目も泳いでおり、いつもの聡明そうな雰囲気をした顔つきが不安に染まっていた。シャティアはその分かり易過ぎる態度をジト目で見つめた。何なら魔法で聞き出す事も出来るが、敢えて此処は子供の特権を使って気になるような仕草をする。すると沈黙に堪え兼ねたのか家庭教師は参ったと言って足を崩して語り出した。
「分かった、分かった。教えるよ……と、言っても子供のシャティアちゃんにはちょっと分からないかも知れないし、面白くも何とも無い退屈な話なんだけどね」
「構わない。我はそう言うのは大好物だ」
家庭教師は指を立てて注意するようにそう言ったが、長い年月を生きていたシャティアからすれば暇つぶしにそういう類いのくだらない話を聞くのは大好物であり、むしろ有り難い物であった。シャティアは興味津々な顔をしてベッドの上に座り込む。そして家庭教師はポツリポツリと自身の過去を告げた。
「知っての通り僕は昔王宮魔術師として王都で暮らしていた……これでも当時は“鬼才の魔術師”って呼ばれててね。まあまあ有名だったんだ」
家庭教師は別に自慢する訳でも無く、むしろ恥ずかしそうにかつての自身の二つ名を述べた。
そもそも王宮魔術師は数人の選ばれた魔術師しかなれない為、それだけで彼が優れた魔術師であると分かる。それに家庭教師の実力の事はシャティアも薄々と感じていた。家庭教師の王宮魔法を見せてもらった時、シャティアはその魔法よりも効率良く詠唱する家庭教師の方に目が行っていた。同じ魔法でも魔力量の限界値によってその威力は大きく変わり、術式の構築や詠唱の仕方でも変化する。少なくとも家庭教師はシャティアが感心する程の技術力を持っていた。それならば鬼才と呼ばれてもおかしくは無いとシャティアは顔を頷かせて納得する。
「とても順調に歩んでたよ。友人も出来たし、僕の研究に投資してくれる貴族も居た。本当に何一つ不自由の無い人生だった」
語られる内容は家庭教師の思い出。それも幸せそうな日々だった。念願の王宮魔術師になり、自身の好きな事が出来るのはまさしく幸せと言っても過言では無いだろう。だが何故か家庭教師の顔は優れない。幸せな内容を語っているはずなのにその表情は正反対だった。
「ただ、一つだけミスをしてしまった。僕は国一番の厄介な女性に惚れられてしまったんだ」
家庭教師から重々しく告げられた言葉にシャティアはキョトンとした表情をした。いまいちその言葉が何を意味しているのか理解出来ず、ノロけ話だと思ってしまったのだ。だが家庭教師の表情を伺う限りどうやらそうでは無いらしい。
「……惚れられて、しまった?」
「うん……自慢とか何でも無くてね。本当に、僕は大変な人と付き合ってしまったんだ」
シャティアが確認を込めて尋ねると家庭教師を顔を伏して答えた。
シャティアは大変な人なんて言葉初めて聞いたと呑気な事を考えているが、家庭教師は相変わらず重たい雰囲気を纏まったまま話を続ける。
「彼女はある有力貴族の娘で結構な地位と権力を持ってた。だから僕もその気になっちゃってね。当時恋人も居なかったから言い寄られて付き合う事になったんだ」
だけど、と手を上げて家庭教師は一旦話を区切る。相当辛い過去があるのか、非常に言いにくそうに口を引き攣らせていた。だが溜まっていた物を吐き出すように彼は大きくため息を吐き、ようやく続きを語り始めた。
「だけど……彼女はかなり過激な性格をしていた。自分の欲しいと思った物は何が何でも手に入れたいって言う欲求を持ってたんだ。その結果、僕は監禁に近い生活を強いられた」
簡単に恐ろしい言葉が転がって来た為、シャティアはどう反応すれば良いか分からなかった。好きな人と一緒に居るだけのはずなのに何故監禁なんて言葉が出てくるのか?人間の心を未だに完全に理解出来ないシャティアはただ驚くしか出来なかった。
「当然、僕は彼女と別れる事にしたよ。だけど彼女はそれを許さず、権力を使って僕に言われの無い罪を着せた。そのせいで王都を追われ、僕はこの村に隠れる事になったんだ」
懐かしいなぁ、と結構重い話をしたのにも関わらず軽く言う家庭教師にシャティアは呆れ、何も言えなかった。意味の分からない恋愛感情によって王宮魔術師の地位を奪われ、辺境の村まで追いやられるなんて。もしも自分がそんな目に合えば正気を保てないだろうとシャティアは身震いした。
「それなのに王都に戻っても良いのか?濡れ衣でも罪人扱いなのだろう?」
「正式にじゃ無いよ。それに関係者は皆その令嬢がどういう性格か知ってる……だけどなまじ権力があるから、見て見ぬ振りしか出来ないんだ」
「……つまり野放し状態という訳か。面倒な事だな」
罪を着せられてると聞いてシャティアは王都に行っても大丈夫なのかと尋ねたが、家庭教師は首を振って問題無いと答えた。
どうやらその令嬢の事は王都の殆どの人達が知っているらしく、彼女が何か騒いだ所でそれは彼女の身勝手な押しつけなのだと理解していた。だが彼女の父親が地位の高い貴族の為、人々は反論出来ずに居るようだ。
要は家庭教師は周りからは無実だと知られているが、令嬢のせいで表立った生活が出来ないという訳だ。だからこそ今回はその令嬢に見つからない様、裏方に回ってシャティアのサポートをするつもりなのだろう。
「まぁシャティアちゃんには迷惑掛けないよ。僕はあくまで仲介人だからね。シャティアちゃんを王都まで連れて行き、学園に入れるのが僕の役目だ」
既に王都に思い残しは無いのか、後ろめたさを感じさせずに家庭教師はそう言った。その真っ直ぐな瞳を見てシャティアも顔を頷かせる。
「ああそうだな、我の目的の為にもくれぐれも頼むぞ。先生」
「フフ、その先生って呼ばれるのも、もしかしたら後少しかも知れないね」
ふとシャティアの言葉を聞いて家庭教師は何処か寂しげにそう言った。
彼からすれば学園を卒業して自身と同じ様に王宮魔術師になってしまえばもう先生と生徒と言う関係は本当に無くなってしまうのだ。実際既にシャティアは王宮魔法を完璧に習得しており、家庭教師は完全にシャティアに追い抜かれている。だがシャティアの意向で今も先生と生徒と言う関係を続けているのだ。それが後数年も経てば終わってしまうと思うと、家庭教師は何とも言えない寂しさを覚えた。




