13話:悪魔の儀式
「……その程度で、魔女が死ぬとお思いですか?」
剣で胸を貫かれ、エメラルドはガクリと背中を曲げて天を仰いでいた。だが顔だけ異様に動かして起こすと、目を歪に光らせながらシェリスにそう問うた。
シェリスは驚愕する。いくら恐ろしい魔法を使う魔女と言えど、身体を剣で貫かれれば無事では無いはず。その考えがあったと言うのに、目の前の魔女は全く痛みを感じた様子を見せず、冷ややかな視線を向けて来る。
「隊長、一旦下がってください! 此処は俺等が……」
剣で貫かれても無事なエメラルドを見てシェリスの仲間の魔族達はそう声を掛け、シェリスの事を庇う様に前に出た。だがエメラルドはそんな彼らを見ても全く動じる事無く、自分の瞳に手を当てるとそっと笑みを零した。
何かして来ると思ってシェリスはすぐさま剣を引き抜いてその場から離脱した。だが仲間達は魔女と対峙したままピクリとも動かない。何かがおかしいと思って彼らに引くように命令を出すが、反応が無い。思わずシェリすはエメラルドの方を見た。そこではエメラルドがクツクツと邪悪な笑いを零していた。
「私の部下に……何をした?」
「少し眠ってもらっただけですよ……まぁ、もう二度と起きる事は無いでしょうけどね」
試しにシェリスが尋ねてみるとエメラルドは残酷な真実を告げた。そして動かない魔族達の事を指差し、シェリスはその指を追って彼らの姿を見た。
シェリスの部下はまるで石になったかのように固まっていた。呼びかけても全く反応が無く、死んでいるように静かであった。シェリスはそれを見て歯ぎしりをし、持っている剣を強く握り締めた。
「驕らないで頂きたい、魔族の方。人間よりも多少魔力が秀でていた所で、魔女の私達からすれば大した差は無いんです。どちらも等しく塵ですよ」
絶望に陥っているシェリスにエメラルドは冷ややかにそう言葉を発した。
シェリスは改めて認識する。魔女がどれだけ恐ろしい存在かを。姿形は人間と似て様と、その中身は全く別もの。まさしく化け物とも思える程の恐ろしい力を秘めている。
こんな物に勝てる訳が無い。シェリスの直感がそう告げていた。
「ああ……貴方もそうやって私に化け物でも見るかのような目を向けるんですね。貴方達の王、魔王だって同様の力を持っているのに……何故貴方達は魔女という括りで私達を迫害するのですか?」
シェリスの様子を見てエメラルドはまたか、と悲しそうな表情をし、彼女にそう語りかけた。
何故多少の魔力差があるだけでここまで怯えられるのか?同じくらいの魔力を彼らの王だって持っているのに、どうして魔女という存在だけでここまで態度に違いがあるのか?エメラルドは理解に苦しんだ。そして最早理解しようとも思わなかった。理不尽な人間、異物を嫌う魔族、隔たりのある異種族、彼らは等しく愚かな存在。故に、排除しなければ。
「昔からそうでした。訳の分からない力を持って生まれ、悪魔の呪いを掛けられ……私は他の人とは違う存在として見られて来た。怖がられ、怯えられ、仲良くしたいのに石を投げられて蔑まされる……」
エメラルドは手の平を掲げ、そっと握り締めて語った。人形の身体はカラカラと力無い音を立て、彼女の悲しい風貌を物語っている。
「もう分かり合うつもりはありません。阻まれるのなら、私の方から突き放して上げます。暗雲の闇の底へと」
エメラルドはそう言うと握り締めた拳に魔力を込めた。辺りを振動させる程の強大な魔力が蓄積されて行く。
最早エメラルドは他者に魔女を理解してもらおうとは思わなかった。一度は街の人間と分かり合ったはずなのに、彼らは王国の人間の命令でエメラルドを裏切り、勇者の手によって魔女を葬った。その出来事はエメラルドにとって死よりも衝撃的な物だった。
もう裏切られるような事はされたくない、傷つきたくない。その思いからエメラルドはもう繋がりを持とうとはしない。どうせ、無駄だから。
「罪の枷」
エメラルドは指を走らせ、シェリスの身体に魔力の枷を出現させる。魔法陣に四肢を拘束されたシェリスは抵抗するが、次々と魔力を奪われ、岩にでも繋がれた様に腕が上がらなくなった。
「ぐっ……う!?」
「呪いの瞳だと意識まで凍り付きますからね。貴方には意識を保ったままで居てもらいます。そこで見ていなさい」
罪の枷はそもそも対象の行動を制限するのが主軸の魔法。シャティアの時は大した影響は出なかったが、普通の人であれば動けない程の効力を発する。
枷によって動きを奪われたシェリスは悔しそうに歯を食いしばった。このままでは殺されてしまう、そんな恐怖に襲われるが、意外な事にエメラルドは彼女に背を向け、妙な言葉だけ発するとカラカラと人形の腕が揺れる音を立てながら台座の方へと向かって行った。
「何を、するつもりだ……?」
「ただ殺すだけでは怒りは収まらないですから、貴方には人間がおぞましい悪へと堕ちる瞬間を見届けてもらいます。まぁ、敵対している種族の子供が醜い姿になるだけですから、そこまで怖くは無いでしょう?」
シェリスの質問にエメラルドは何て事の無いように答え、賛同を求めるように小首を傾げた。その言葉を聞いてシェリスは絶句してしまう。
いくら敵対している人間達と言えど、まだ争いも知らない子供が儀式の生け贄とされるような状況はとてもでは無いが見ていられない。なおかつ今は少しも動けない状況である。シェリスの額に冷や汗が流れた。
その間にエメラルドは儀式の準備を初めて行く。眠っているモフィーの前に改めて立つと、腕を上げて瞳を瞑ってブツブツと呪文を唱え始めた。
「貴方もどうせ魔女の私の力を狙って此処に来たのでしょう?愚かですよねぇ。私達の事は蔑んでいる癖に、その力だけは欲するんですから。本当に貪欲な生き物達です」
時折呪文の手を止めるとシェリスの方に目をやってエメラルドはそう言葉を投げ掛けた。その事に対してシェリスは何も言う事が出来ず、ただ黙ってエメラルドが儀式を進める様子を眺めるしか無かった。
「さて……準備は完了しました。後は魔力が蓄積されるのを待つだけ……その間、昔話でもしてあげましょうか」
呪文を唱え終え、台座の真上に巨大な魔法陣が浮かび上がるとエメラルドは頬に一筋の汗を垂らし、満足そうに顔を頷かせた。儀式の準備は完了し、後はあの巨大な魔法陣に必要な分の魔力が注がれるだけ、その間エメラルドはシェリスとの会話で暇を潰すのも良いだろうと考えて彼女に話し掛けた。
「昔話……だと?」
「そうです。まぁよくあるおとぎ話みたいな物ですよ。ただし、ハッピーエンドではありませんが」
シェリスの質問に自分の脇に手を当てながらもう片方の手を振ってエメラルドは注意事項を先に言った。ハッピーエンドでは無い、という言葉が気になったがシェリスはここで拒否権が無い事は分かっており、ただ黙ってエメラルドが語り出すのを待った。
「あれは五百年……いえ、七百年前でしたっけ?それくらい大昔の事、ある村に一人の少女が住んでいました」
エメラルドは瞳を瞑り、思い出に浸るようにゆっくりと話し始めた。その喋り方はとても優しく、それでいて悲しそうな儚い喋り方であった。
「少女は他の人達とは違いました。膨大な魔力を持ち、成長も遅く、いつまで経っても少女の姿のまま……そんな少女の事を人々は化け物と呼んで蔑みました」
上げていた片方の手を胸に当て、エメラルドは悲しそうに言う。実際泣いているような表情をしていた。どれだけ彼女が壊れようとも、その純粋な心だけはまだ保たれている。ただし、純粋と言っても悪の方向の物だが。
「やがて少女だけを残して村の人達は皆寿命で死んでしまいました……時に置き去りにされた少女は孤独に苦しみ、一人泣き続けました」
エメラルドの話を聞いてシェリスは妙な話だと感想を抱いた。歳を取らない少女。おとぎ話にしてはおかしな登場人物である。ちっともおとぎ話らしく無い。普通なら此処で勇者様なり、騎士様なり、誰かしら助けてくれるような存在が現れるはずだ、と思った。そしてそのシェリスの疑問を察したように、エメラルドは小さく微笑むと胸に当てていた手を今度は天に仰ぐように伸ばした。
「……けれども、少女の前に救世主が現れました。その人もまた少女と同じ存在で、他人とは違う不思議な力を持ち、少女と同じ様な子達を探して集めていたのです」
一瞬エメラルドの瞳に光が灯る。口調も優しい頃に戻り、その姿は普通の少女の様であった。本来なら、この優しい笑みを浮かべたエメラルドが彼女の本当の姿だったのかも知れない。だがすぐにその光は消えてしまい、彼女は腕を降ろしてカラカラと無機質な音を立てた。
「少女は五人の姉妹達と、一人の母親を手にしました。今まで感じた事の無い程、そこは温かくて、優しい世界でした」
エメラルドはおもむろに顔を俯かせる。しばらくその先の言葉は続けず、彼女は何かを考え込むように黙り続けていた。シェリスも話し掛けようとはせず、エメラルドが何をするか分からない為、迂闊に口を開かなかった。
「なのに……人間達がその優しい世界を壊した。少女を殺し、その姉妹達も殺し、その子達の母親代わりだった女性をも殺した……」
急にエメラルドの声が低い物となって恐ろしい言葉を発せられる。先程までは本当におとぎ話のような物語だったのに、急に禍々しくドス黒い残酷な物語へと変わり果てた。それを聞いてシェリスはハッと何かに気付いた様に目を見開く。
「まさか、それは……」
シェリスはその先の言葉を言おうとしたが、その前にエメラルドが手の平を向け、魔法によってシェリスの口を塞いでしまった。突然口を塞がれてしまったせいでシェリスは呻き声を上げ、苦しそうに身体を震わせた。
「少女は絶望しましたが、まだ希望が残っていました。母親が生き残っていたのです……だから、もう残酷な仕打ちをされない為にも、少女は母親を守ろうと誓った……まぁ、昔話はここまでです」
「……ッ」
エメラルドが手を降ろして魔法を解除するとシェリスはぷはっと息を吐いて呼吸を整えた。押さえつけられるような、喉まで締め上げられるような感触がまだ残っている。シェリスは汗を垂らしながらエメラルドの事を見た。彼女の表情は此処からでは伺えない。だが、酷く悲しそうな雰囲気を出していた。
「さて、問題です。母親を守る為、人間の愚かさを理解してもらうには、どうすれば良いでしょうか?」
急に背中を曲げて顔をキリキリと動かしながらエメラルドはシェリスに問うた。その意味不明な質問にシェリスは答える事は出来ない。だが、嫌な予感だけは感じていた。
眠っているモフィーの上にある巨大な魔法陣が回転し、神々しく輝き始める。遂に魔力が溜まったのだ。エメラルドはそれを見て笑みを深める。そしてゆっくりと口を開き、答えを出した。
「正解は、人間を悪魔の儀式によって化け物に変える、でした。さぁ! 魔力は溜まりました。儀式を始めましょう!」
「なに、を……く、狂ってる……お前は、狂ってるぞ……!」
どうしたらそんな解答が出るのか理解出来ず、シェリスは怯える様に首を僅かに横に振ってそう口にした。だがその言葉はエメラルドには届かない。輝く魔法陣に腕を伸ばし、エメラルドは最後の儀式の呪文を唱えた。
「目覚めなさい、悪の心よ!!」
魔法陣が動きを止め、紋様が激しく揺れ始める。そして眩い光を放ち、モフィーの身体は光の中へと消えて知った。
儀式が始まった。増幅される悪の心よって、その身体は醜い化け物へと化す。




