12話:突き放された心
シャティアは夢を見ていた。まだ魔女が全員生きていた頃、日々魔術の研究や自然の営みについて調べたりして過ごしていたあの平和な時を歩んでいたあの頃を思い返していた。
美しい銀色の長い髪が肩に掛かり、流れるように垂れている。人を魅了するような見た目をしたその女性は、黒いとんがり帽子を深く被りながら椅子に寄りかかっていた。近くでは木の上で小鳥達がさえずっている。その日は日向ぼっこには最適の日だった。
「シャティファール〜!」
シャティアが椅子に腰掛けながら静かに瞑想していると、何処からともなく少女の声が聞こえて来た。耳障りに思いながらシャティアが目を開けると、目の前には金色の髪を後ろで二房に纏め、丈の長いワンピースを着た可愛らしい少女が涙目になりながら歩み寄って来ていた。
「どうかしたか?エメラルド」
「ファンタレッタが私に水を掛けて苛めるの〜」
近寄って来たエメラルドを受け止め、頭を撫でながら落ち着かせると彼女の髪は確かに濡れていた。はて、と首を傾げてシャティアが何があったのか質問すると、エメラルドは鼻水を垂らしながら時折泣き声を交えて説明した。どうやら悪戯ばかりするファンタレッタがまた仕出かしたらしい。シャティアはやれやれと深いため息を吐いた。
「全く……あのお調子者は。相変わらずだな」
シャティアはそう言うとパチリと指を鳴らした。するとエメラルドの濡れていた髪は一瞬で渇いた。エメラルドは驚いたように自分の髪を触る。
「良いかエメラルド。ファンタレッタの奴もお前を苛めたかった訳じゃ無い。ちょっと遊びたかっただけさ」
「……うん」
シャティアは懐から取り出したハンカチでエメラルドの鼻水を拭きながらそう言い聞かせた。エメラルドは納得出来なさそうな顔をしているが、それでも大好きなシャティファールが言う事なので渋々頷く。シャティアはそんな彼女を見て優しく微笑んだ。
「良い子だ。やり返すのだけは絶対に駄目だからな。ちゃんと覚えておくんだぞ」
その言葉を最後に夢は途切れた。気がつけばシャティアの視界には青空が広がっていた。すぐさま彼女は身体を起きあがらせる。するととてつもない痛みが身体に走った。よく見るとまたもや服が裂けてしまっている。まるで嵐にでもあったかのような状態だった。シャティアは自身の状態を確認し、疲れきったように額に手を当てて肩を落とした。
「……夢か」
嫌な夢を見てしまった、とシャティアは悲しそうに言葉を漏らした。
これが昨日見た夢とかだったらまだ良い思い出として捉えられただろうが、このタイミングでは最早悪意しか感じえない。それとも、自身がエメラルドの事を考えてしまったからこんな夢を見てしまったのだろうか?とシャティアは自分自身を疑った。だがそんな事を考えている暇は無い。シャティアは痛みに耐えながら身体をゆっくりと起こし、事態を確認する事にした。
「少し気絶してしまっただけか……まさか教え子にここまでコテンパンにされるとはな。我も老いたものよ」
正確には子供になって若返ったはずなのだが、シャティアは状況が状況なのでついそんな事を呟いてしまった。
ひとまず命を拾った事には感謝しよう。隙を突かれたと言え、あんな一撃を喰らったのは不味かった。シャティアは自分のタフさに感謝した。そして浮遊魔法を唱え、自分が飛んで来た方向へと戻った。
森の一部がクレーターになっている部分。つい先程エメラルドと戦闘した場所まで戻ると、シャティアはそこで固まっている騎士達を発見した。触れてみてもぴくりとも動かない。正に石になったようであった。
「エメラルドの呪いか……解くにはエメラルド自身が解除するか、後もう一つ方法があったな」
固まってしまっている騎士達に申し訳なく思い、シャティアはそっと瞳を閉じた。
彼らを解放するにはエメラルドに呪いを解除してもらわなければならない。だが今のエメラルドがそれに従ってくれるとは到底思えない。という事は最悪の手段、呪いの使用者を殺害し強制解除という方法を取るしか無い。シャティアはそれだけはしたく無かった。だが、罪も無い人々をこのまま石のように立たせておく訳にも行かない。彼女は頭を悩ませたが、ふとある事に気がついた。いつも感じているあの魔力の反応が無い。それに気がついた瞬間シャティアは表情を真っ青にしてある方向へと飛んで行った。
「モフィー……ッ!!」
自身がモフィーを隠した草むらまで移動すると、そこにはモフィーの姿は無かった。案の定と言うべきか、抜かったと言うべきか、シャティアは唇を噛み締めて己の無力さを呪った。
守ると言ったはずなのに、傷つけないと決めたはずなのに、幼馴染みを魔女の戦いに巻き込んでしまった。それを防ぐ事が出来なかった自分をシャティアはどうしようも無くぶん殴りたかった。だが彼女は冷静に考える。
モフィーの姿は無いが、だからと言って彼女が無事では無いという訳では無い。まずモフィーを攫ったのは十中八九エメラルドの仕業。そしてその目的は自身に絶望を味合わせる為。それなら死体でも置いておけば良いはずだ。それをしないという事は、もっと別の手段を用いようとしているのだろう。例えば儀式の生け贄にするとか、分かり易いくらい残酷な方法で、モフィーの死を弄ぼうとしているのだ。
今ならまだ間に合うかも知れない。そう思ったシャティアは周囲の魔力を深く探った。遠方であるが僅かにモフィーの反応がある。そこにエメラルドも居るだろう。
「ちっ……枷のせいで動きづらいな」
すぐに浮遊魔法で向かおうと思ったが、シャティアは足を躓かせて体勢が傾いた。自身の四肢に描かれている魔法陣。罪の枷の効力によって魔力を奪われ、身体の自由も拘束されている。シャティアはそれをうっとおしく思い、手の平に魔力を込めると魔法陣に手を突っ込んだ。
「あまり我を舐めるなよ、エメラルド。モフィーも、お前の事も……両方必ず救ってやる」
ガラスが割れるような音を響きかせてシャティアを拘束していた魔法陣は全て破壊された。彼女は瞳に小さな炎を灯らせ、固く誓いを立てる。
もう誰も、失いたく無いから。
◇
エメラルドは山の古い神殿に訪れていた。
既に崩壊し、廃墟と化したその神殿は所々が崩れ、天井も突き破られ、壁の一部も剥がれている程の惨状であった。だが、エメラルドにとってはこの場所は十分過ぎる程自分の理想が揃っている場所であった。
子供のモフィーを腕に抱きながら、エメラルドは台座の前まで来るとその上に彼女を寝かせた。静かに眠っているモフィーは突き出ている天井の日差しに当てられ、眩しそうに眉を顰めている。そんな彼女の頬をエメラルドはそっとなぞった。
「こんな可愛い顔をしてるのに……人間の心には必ず悪が潜んでいる。悲しい事ですね。貴方みたいな女の子でも、いずれは醜い化け物となるんですよ」
言い聞かせる訳でも無く、エメラルドはモフィーにそう語りかけた。当然眠っているモフィーからは返事は無い。だがエメラルドは悲しそうな、辛そうな表情を浮かべて拳を握り締めた。
「シャティファールはきっと貴方を救おうとする。そして私の事さえも……あの人はそういう方です。とても優しい……本当に優しい……」
エメラルドは次にシャティアがどう行動するかを見抜いていた。彼女の性格なら絶対に自分を殺すような事はしない。そういう事だけは最も彼女の嫌う行為だからだ。故に、その甘さとも言える彼女の弱点をエメラルドは突く。拳を握り締めながら、彼女は唇を震わせて語り続けた。
「だからこそ、あの人には人間の醜さを知ってもらわなければならない。またあの人が人間に裏切られるような事は無い様、人間に弄ばれるような事は無い様……私が証明しないとならない」
台座の上に拳を叩き付け、モフィーの事を睨みながらエメラルドはそう言葉を発した。
大好きなシャティファールだからこそ、自分を育ててくれた人だからこそ、また人間に殺されるような事だけはあって欲しく無い。故に例え敵対するような事になったとしても、エメラルドは証明しなければならないのだ。人間がどれだけ愚かで醜い生物かを。
その結果、自分が死ぬような事になっても良い。シャティファールが人間に邪魔される事無く生きれるようになるならそれで良い。それだけで良かった。エメラルドの瞳からポツリと涙が零れる。人形の身体になっても、涙だけはまだ出る。
「貴方には生け贄になってもらいます。古の儀式……心の悪を増幅させる、悪魔の儀式によって、貴方は醜き獣となるのです」
エメラルドはそう言うと自分の人形の手をモフィーの顔の前に翳した。これから行うのは悪魔の儀式。実に簡素な儀式であるが、それでも効果は顕著に出る恐ろしい儀式。だからこそエメラルドはこの廃墟の神殿へと訪れたのであった。
そして儀式を行おうと魔力を込めた時、エメラルドはふと神殿の壁に目をやった。何やら不穏な気配がする。エメラルドは目を細め、その壁を凝視した。
「……何者です?」
そこにあるのは明らかに普通の壁である。だがエメラルドは何か別の者が居ると見抜いていた。そして語りかけると、その壁がグニャリと揺らいだ。するとそこから黒いマントを羽織った魔族の女性が現れた。
「気付かれてしまったか……流石は“七人の魔女”の一人、エメラルドと言うべきかな?」
それはシャティアが森で出会ったシェリスであった。シェリスは腰にある細身に剣を握りながら試すようにそう言った。そしてそれが合図だったかのように別の所から魔族達が姿を現した。
「魔族ですか……何故この大陸に貴方達が居るのです?」
「何、ちょっとした用事があるだけさ。そう手間取りはせんよ」
此処は確か人間の大陸。それを思い出しながらエメラルドは警戒心を高めて彼らにそう語りかけた。するとシェリスは剣を引き抜きながら何て事の無いように答えた。エメラルドは腕に力を込めていつでも魔法を放てるように構えた。
その場に静寂が訪れる。だが空気はピリピリとしており、今にも爆発しそうな緊張感が流れていた。そしてシェリスが片足だけ前に出すと、挑発するようにニコリと微笑んだ。
「魔王様の命により貴様を捕獲する。ただそれだけだ」
そう言うと同時にシェリスは勢い良く地面を蹴り、振り上げて疾走した。仲間の魔族達もそれに続く。そしてエメラルドの身体には、シェリスの細身の剣が突き刺さった。




