割ったのは僕じゃないです
するりと壁をすり抜ける。
そう、すり抜けて壁の向こう側、建物の中に入った。
建物の中? そうだ! ここでジッとしていればあの二人をやり過ごせるかもしれない。
なんて思っていた最中、壁をすり抜けるというあり得ない行為が体のバランスを崩したのと壁にもたれようとしていたため重心が崩れる。
危ない!
俺は必死に体のバランスを取ろうと思ったけどすり抜けた瞬間に棚らしきものに体がぶち当たりさらに体勢が崩れる。
倒れるものかと無駄な鉄の意思を発揮して足元を踏ん張らせるもその頑張りもむなしく俺は棚ごと前倒しになり、さらに棚の前の棚まで巻き込んで酷い巻き込み事故を起こした。
棚が地面に倒れる音とパリンパリンと弾けるガラスの音。
俺は急いで体を起こす。
ドミノ倒しになった棚と水浸しになっている床。一言でいうならまさに大惨事だ。
「やっべぇ。ドミノ倒ししちゃった」
部屋の中を見渡す。
薄い光が天井からまるで蛍光灯のように部屋を薄暗く照らしている。
俺が倒した二つの棚の他にも棚があり、そこには水の入ったフラスコのようなものがいくつも並べられている。部屋の奥にはどんと置かれた木造りのデスク。まるでコンビニのレジカウンターだ。
結論。どうやらここはドリンクショップのようだ。
「マズいよこれ。店ん中ぐっちゃぐちゃだ。やり過ごそうと思ったけどダメだ。に、ニゲナイト」
店と言うことは誰かがいるはず。見つかるのはマズい。
俺は割れた瓶の隙間を縫うようにそそくさと扉の方に向かう。
しかしそこで奇妙な光景を目にした。
扉が二つある。いや、扉が二つあることは別段不思議ではない。
だけどその扉は隣り合っている。
片方の扉の小窓からは日の光が差し、たびたびと人が通るのが見られる。
だけどもう片方は薄暗く、まるでどこでもない、どこか暗いところに繋がっているような景色が見える。
隣り合っている扉なのに、違う出口があるようだ。
だけどそんなことはどうでもイイ。ここは店の中だ。ならば店主がいるはず
店内をこんな地獄に変えた俺を許してくれるとは思わないし、何よりさっきの二人組のように異世界人だからと包丁を向けてくるんじゃないかと言う不安が胸の内を叩いてきてしょうがない。
悪いけど店主さん。弁償はできません。
俺は扉に手をかけようとする時、とんでもない物を目にした。
この扉、両方とも内側から鎖と南京錠で雁字搦めに施錠してやがる。
おいおい、なんてアナログで豪奢な留め方をしてんな。
アハハと乾いた笑いと共に南京錠と鎖を掴む。ガシャンガシャンとこじ開けようとしたけどこんなごっついの素手で開けられるはずがない。
二つの扉ともそんな感じで鍵が掛けられている。この扉から外に出るのは不可能だ。
「こうなったら窓だ。窓から外に出るしかない……やっべぇ窓ねぇじゃん」
え? もしかして外に出れない?
いや、カウンター机の隣に扉がある。あそこから奥に行けば裏口ぐらいは。
『ナニ? 誰!? そこに誰かいるの!?』
ビクンと身体が跳ねる。
マズい。女の人の声。店主か何かか。
カウンターの隣の扉から声が聞こえる。もうあそこから奥には行けない。かと言って扉から外に出ることもできない。
とりあえず俺は棚の影に隠れ、手で口を覆って死角に腰を下ろし、隠れてやり過ごそうとする。
「と言うより凄い音したけどって何これーっ!? え? 店内がごっちゃごちゃ!?」
驚愕の声を上げた女の人は急ぎ足で俺の目の前を通り過ぎる。
一瞬見えた女性は上背があり、ピンク色の髪を高めに纏めた年上の人物。
流石に一瞬過ぎて人相までは分からなかったが、女の人は扉の方に向かったようだ。
「鍵は……掛かってる。誰かが侵入した跡がないのに……いや、侵入は不可能のはずなのに」
お姉さんは扉と睨めっこしながら唸っている。
今だ。今なら気取られずに奥の扉に行くことができる。
俺はソローリと四つ足で奥の扉に向かうための一歩を踏み出す。
「どうやって入ったかはわからないけど、後ろでこそこそして逃げようとしてる人。言っとくけどバレてるわよ」
歩み出そうとしていた体が止まる。
心臓が止まるかとも思った。バレてる? 体から急激に熱が引いていくのが嫌ほど感じた。
俺は生唾を呑んでお姉さんを見る。
お姉さんはゆっくりとこちらに振り返った。
束ねられたピンク色の髪。たれ目がちな眼。体のラインを際どく攻め立てるようなぱっつぱっつな上下の服。そして口にくわえた細いタバコのような棒状の何か。
一目見ての感想としては見たことのない美人。
髪の色がピンクだからではなく、それこそ今までの記憶を振り返っても出会ったことのない、活発そうとも大人しそうとも取れない、眼球に映してしまえば目が離せない、文字通り見惚れてしまうような人だった。
「さてどこから入って……子供?」
お姉さんと目が合った。
少したれ目気味だけどこっちを見据えた眼光からが目が離せなくなった。
まるで獲物を狙う肉食動物のように見据えた目。
逃げた方がいいよな。逃げた方がいいよな。
なんて思っていても体が動いてくれず、お姉さんは行く手を阻むように俺の前に立ちふさがった。
お姉さんは元から上背があるからここまで近づかれてかつ上から見下ろされている状態だとさらに大きく見えた。
「君、どこから入ったの?」
怒っているかに思えたけど、お姉さんの声は優しげだった。
手を膝に、中腰になって、まるで迷子の子供に声をかけるかのような柔らかい物腰。
どこから入ったか。その問いに俺は答えられずにいた。と言うより壁から入りましたとも言えない、言えやしない。
「……」
「黙ってちゃわかんないよ。何で君はびしょぬれなのかな? というより、その装束……ここらじゃ見かけないね。そう言えば表が騒がしかったけど……もしかして君、異世界人?」
すとん、と鉈を振り下ろされ、何かが切り落とされたような感覚に陥った。
この人も異世界人を知っているんだ。なら、さっきの老人や二人組みたいに俺のことを。
ニゲナイト。
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スタン・トレード
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