水を走る人
「ハァッ! ハァッ!」
相も変わらず俺は走っていた。
街を分断する水路を行くは小舟だけではない。そう、人間だって水の上を走る。
ゴンドラを漕ぐ人は皆、驚いた表情で目を皿に、口をあんぐり開けて俺のことを見ている。
魔王のいる異世界とて、水の上を猛烈に走る人は珍しいのだろうか。
パシャンパシャンと水たまりを叩くような音と荒い息遣いが水路水面に響き渡る。
俺は何をしているんだ。
死神に魔王を倒してやるとか意気込んだ矢先。何で斧振り被られて、身体が勝手に動いて逃げ出したかと思えば水の上を走って。
「と言うか何で水の上を走ってんの俺? アハハ。曲芸師か何か? そういえばさ。なんかこっちに来るときに何かしらのチートくれるって言ってたっけ。もしかして水の上を走れるチート。アは、あハアはあハ。わけわかんねぇよ」
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スタン・トサーチ
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またしても体が勝手に動いた。
俺は思いっきり横に跳ね退き水面の上をでんぐり返る。
今度は何だとすぐさま面を上げるとポヂャンと音を立てて何かが入水した。
一瞬だけ見えた。細長い棒のようなもの。
飛んできた方向を見てみると先ほどの二人組の片割れ、弓を構えた細男が屋根を足場に矢先をこちらに向けていた。
「オイオイ……冗談でしょ?」
細男は矢を引き絞り、何の迷いもなく一直線に打ち出される。
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スタン・トサーチ
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水面に膝を付けていた俺はまるで地面を弾むボールのように前に向かって跳ねる。
俺自身でもわかる。今までの俺では決して出来はしない動きだ。
アクロバットと言うにはいささか貧弱だが。
跳んでいる最中、またしても弓が水面に沈んでいくのが見えた。
「お、俺はこの異世界を救うために来たのに、何なんだいこの仕打ち、」
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スタン・トサーチ
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「おぉウ!?」
体が勝手に反応し思いっきりバク転をすると元いた足元から水しぶきを立てて先ほど打ち出したであろう矢が空に向かって飛びあがった。
何で水路の中から矢が飛びあがってきたんだ?
しかしその理由はすぐにわかった。
空に飛びあがった矢を見ているとその矢が方向転換し、矢先がこちらに向かってきた。
嘘だろ。ホーミング機能か?
あの矢は俺をターゲットにして動いているのか。矢がいきなり進行方向を変えるなんてまさしく異世界と呼ぶべき異能だ。ちょっとだけ異世界に来たんだなと感心してしまう。
ちょっとそのことに心躍った自分がいるけどコレ、ヤバいんじゃないの。
「よくわかんない力で逃げてきたけど、矢が俺を追跡してくるんなら逃げきれないんじゃないのか? 待って、矢がヤバイ! 帰省本能の鳥のごとくUターン!」
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スタント・トロウル
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またしても体が勝手に浮き上がる。
しかし今回は違う。先ほどみたいに地面に落とされて跳ね返るボールのようではなく、一度足場でギュッとタメを作った。
体を横へ大きく捩じり、そして空中へ跳ね上がると同時に大きく、速く横に回転した。
視界がグルングルンと回転する。
まるでフィギュアスケートのアクセルジャンプ。まるで撃ちだされた独楽のようだ。
そう、高速回転する独楽は外部からの衝撃に強い。
こちらに向かっていた矢は体に触れた途端にポキンと情けない歯切れの良い音を立てて折れてはまたしても水面に沈んでいった。
「あれを叩き落とした!? 流石に異世界人ってだけはある」
回転しながらそんな声が聞こえた。
足先が水面に触れ、身体の回転が止まる。
覚束ない足元。定まらない焦点。ゆりかごに揺られる思考。
あ、ハハ。確かにチートだ。こんな動き、死ぬ前には出来やしなかった。と言うより体を回転しただけで矢を弾くってマジチート。
「あ、フラフラするよ。ニゲナイト」
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スタン・トサーチ
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もう何度目か。
第六感に冴える緊急信号。
俺はその場から大きく前に前転して跳び退いた。
横目から見た光景。
二人組の片割れ、斧持ちの大男が両腕で斧を持っては後ろへと振り被り、まさしく振り下ろそうとしている光景だった。
そのすぐ後にざっばーんと豪快は破裂音が水路内に響き渡り大きな波紋を作り出す。水柱が立ったかと思えばそれは小さな津波として俺を飲み込んだ。
津波に揉まれながら体が水面へと中途半端に沈む。もう、体中ビショビショ。
「チィッ! 避けやがった」
「バカ野郎! 俺が隙作ってやったってのに何やってんだよおバカ!」
「あんだと! 矢を全部避けられ叩き折られたおバカに言われたくないわ!」
水路につかる大男。それを見下す細男。2人が何故か口論を始めた。
そんな中俺は水面に浮かんでいた。
もうヤダ。何でこんなに濡れてんの? 何でこっちに来た矢先、命を狙われなきゃなんないの? 俺は何かした? いや、何もしてないからこそ命を狙われる?
兎に角。言えることは一つだ。
スゥーと息を吸う。
「もうヤダ。無理。もう魔王倒すとかどうでもイイから、もう構わないで!」
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スタン・トウォーク
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水に浮かんでいた俺は段差に手をかけてよじ登るようにまた水面に両の足をつけて立つ。
そして喧嘩している二人を尻目に走り出す。
逃げ出したことに気が付いた二人がすぐさま『追うぞ! あと怒ってごめんな』『応! 俺も悪かった』とか言って仲直りしてまたしても俺のケツを狙う鬼ごっこの再開。
知るかよ! テメーらの仲違いがよくなったなんてどうでもイイ!
いや、どうせなら阿呆みたいに喧嘩してもらってた方がこっちとて逃げやすかったか。
しかしこのまま走っているだけで終わりはあるのか? 逃げ切れるのか?
そんなことを思いながら息を切らして走っていると先ほど手を振ってくれた人の乗っているゴンドラが見えた。
あれだ!
「おじさんごめん! 無賃乗車するよ!」
「お!? アンタ、水の上を走ってる? 中々珍しい術だな」
術と言われて何かは知らない。異世界特有の異能とかだろうか。
とりあえずだ、ほんの少しだけ高さができた。あとは水路の壁の上、仕切りの柵に飛ぶだけ。
「おじさん。ちょっと揺れるけど勘弁してね!」
ゴンドラの船尾から船首に向かって助走をつけて、思いっきり跳びあがる。
ズァッと身体が空中に放り出され、勢い良く身体が前へ進んでいく。
ほんのちょっと、もうちょっとで手が届く。
そして顔面からビターンと壁に激突するが手が柵の隙間をうまいこと掴んでくれた。俺は力を振り絞って柵をよじ登り、道の上に転がる。
「う、運動部に入っといてよかった。異世界に来て、こんなことする羽目になるなんて、」
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スタン・トサーチ
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何度目だ!
緊急危険信号が発令して体を思いっきり転がすと寝ていたところにカカカッと弓が連なって突き刺さる。
そうだ。水路を挟んだ対岸に行けたからと言って安全なんてわけがない。
斧持ちはともかく、弓持ちは遠くからでも狙ってくる。
「クッソ! こうなったら人通りの多いところに逃げるしかない!」
俺はまた走り出した。目指す当ても行く当てもなく走る。
すれ違う人々が物珍しそうな目でこっちを見てきた。そりゃそうだ。ここらでは見ないであろう甚平の着物。全身ずぶ濡れでおまけに鼻から血を流して走っているのを見たら珍しくもあろう。
目抜き通りを走り、巨大な聖堂チックな建物を横切り、気付いた時には薄暗い路地を走っていた。
そんな中俺は足を止める。
人の通りがない裏路地。だからこそ誰かに狙われそうな気がしたけど、少し落ち着くために足を止めた。
「さっきからずっと走ってるけど、あの二人が襲ってくることはなくなった。だけどこの恰好を見て異世界人だどうとか言って殺されそうになったんだからどうにかしないと表通りも歩けないぞ」
異世界に来たのはいいけど何の準備もないまま日陰者として過ごせってか?
無一文の俺には二日としないうちに野垂れ死に確実だ。
「表通りを歩く必要なんかない」
ドキンと心の臓が跳ね上がる。
俺は恐る恐る振り向くと二人が肩を並べている。
見つかった。どうする。
俺はちらりと後ろを見る。逃げ道は背中にしかない。
だけどその逃げ道も厳しいものだ。こんな一本道の路地。弓矢で射られたら一発で終わりだ。
今度こそ、終わりなのか。
振るえる歯と共にふらりと足元がぐらつき、右手の壁にもたれ掛る。
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スタン・トロープ
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