ピエロ
ボクはピエロだ。
町から町への小さな雑技団。そこで白く染めた顔に涙目のワンポイント、ダブダブの服を着てにっこり笑う。
そんなピエロだ。
綱渡りのマドンナのように艶やかさはなく、空中ブランコのスターのように鮮やかさのない。
それがピエロだ。
別にやりたくてやっているわけではない。単純に「ピエロ」の役柄が空いていて、手が空いてるのがボクだったからだ。
何をするかって?
まずはジャグラー。少し大きめのお手玉だと思えばいいさ。数はそれなりに多いよ。
けど、基本過ぎてわりと皆出来るんだよね。
次は玉乗り。自分ほどの大きな玉に乗って移動するんだ。止まったりもするんだ。
動物だって出来るんだけどね。
だけど、一番重要なこと。
これぞピエロってものがあるんだ。
なんだと思う?それはね。
必ず舞台で一度は、皆の前で一度は…失敗することなんだ。
笑われて、指を指されて、からかわれて。最後に笑い返す。
頭をかいて、散らばったジャグラーを集めて、置いてかれた玉を追いかけて。それがボクにしか許されないもの。
「失敗」なんだ。
他の皆には絶っっっ対に許されない。
艶やかなマドンナには似合わないから。
鮮やかなスターにはそぐわないから。
だから、絶対許されない。そして、皆は絶対に失敗をしない。
するのは成功。
貰うのは喝采。
皆は彼らのことを笑ったりはしない。それどころか立ち上がり、熱視線を送り、テントが震えるほどに手を叩くんだ。
きらびやかな世界。
きらびやかな瞬間。
そこにボクは…いない。
何故?簡単さ。
そんな世界のそんな瞬間にボクは似合わないうえにそぐわないからさ。
だってボクは必ず一度は失敗する皆の笑い者。ピエロだからさ。
頑張ってジャグラー覚えた。
努力して玉乗りを覚えた。
諦めずに…失敗を繰り返した。
そんなボクがあの場所にいられるわけがない。
だからボクは自分の出番がすむと外に出る。そして帰り際、子供のお客さんに渡す風船を用意するんだ。
これだって大変なんだよ。
拍手の音、効果音、歓声。少しだけ遠くに聞こえた気がしたが、すぐ近くのテントから聞こえていた。
すべての見世物が終了したらしい。中の幕が閉じ、出口の幕が開いた。
さあ、最後の出番だ。風船を持つ。
「今日は皆さん、ありがとうございます」
ニコニコ笑いながらボクは風船を配る。
疲れた。
「皆さんのまたのご来場、お待ちしております」
ヘコヘコ頭を下げながらボクは風船を配る。
疲れた。
本当はこの時、この瞬間。ボクはお客さんにもう来るな、って思うことがある。
笑われるのも、指を指されるのも、からかわれるのも…疲れてるときはけっこうキツイ時があるからだ。
今日は久々にそんな日だ。
鼻に付けた赤鼻が重たく感じる。
だいたいこの鼻だって一体なんの意味があるって言うんだ。
華がないから鼻を付けたって。馬鹿だろう。
……いや、そうだ。ボクは馬鹿なんだ。
そうだろう?だって失敗するために練習するんだよ。考えてみたらこれ以上ないくらいの馬鹿だった。
顔のワンポイントじゃないけど、泣けてきそうだ。
「はいどうぞ」
こんな日はさっさと配りおえて家に引きこもるに限る。笑顔と台本を武器に最後の戦いを続ける。
「はいどうぞ」
「ありがとう、ピエロさん」
女の子が笑顔で受け取ってくれた。
次は…。
「あのね、ピエロさん」
次の子供を探そうとすると、ダボダボの服の裾を女の子に引っ張られた。
なんだろう、面倒だな。また笑われるのかな。
「どうしたんだい。ボクに何かようかいお嬢さん」
「ピエロさんはすごく頑張ったんだね」
まるで秘密を打ち明けるようにニコッと呟いた。
意味が、わからなかった。
頑張った。何を。
「え、えと」
「私、見てたよ。ピエロさん、転んだけど泣かなかったよね。一人でたてたよね。転んだら痛いのに、我慢出来てたよね」
女の子の言葉にボクは言葉が出なかった。
だって「失敗」して「転ぶ」のは仕事で、立ち上がるまでが「役割」だからだ。
「でもボクは失敗しちゃった」
せめておどけたようにそう言った。仕事なんて夢のない言葉を使いたくなかったから。
それに。
この子がボクにしてくれた評価を壊したく無かったから。
「知ってるよ、見てたもん」
女の子はボクを口元に寄せた。
「でもね、ママも言ってたよ。失敗することが悪いんじゃない。諦めることが悪いんだって。ピエロさんは最後まで頑張れたもんね」
やっぱりすぐには言葉が返せない。
「それにパパが言ってたよ。笑われることは恥じゃない。笑われたことを恥じるのが恥なんだって。ピエロさんは最後まで堂々としてたもんね」
舞台に下がる前の挨拶がかっこいいよ、と言ってくれた。
何だか胸の奥が熱くなってきた。
「ボクは…頑張れたかな?堂々と、出来てたかな?」
胸の奥から溢れてくるような熱はそんな言葉をボクに言わせた。
大変だ。こんな台詞、台本にはない。失敗ではなく「大失敗」だ。
けど、それでもいいと思えた。
女の子は笑っている。
「ピエロさんは知らないんだ。私は知ってるのに」
そう言って赤鼻に触れた。
胸の奥に触れられた気がした。
「転んだ時に鼻を打ったんでしょ?こんなに真っ赤にして。それでも立ち上がったんでしょ?皆の笑顔に答えるために」
この塗装の鼻をこの子は「努力」と言ってくれた。
笑われたのを踏まえて認めてくれた。
「私、ピエロさんが頑張ったのを見てすごく頑張ろうって思えたよ。だから最後の挨拶、ピエロさんを探したんだよ」
ボクを?舞台に相応しくない、ボクを。
「いなくて寂しかった。でも、ううん。だからここで最後に出会えて良かった」
寂しかった?あんなに艶やかなマドンナがいるのに?あんなに鮮やかなスターがいるのに?
「今日は楽しかったよ。ありがとう」
この子はボクに向かってそう言ってくれた。ボクに対してそう言ってくれた。
嬉しかった。
疲れなんて、本気で吹き飛んだ。
報われた。
家に引きこもる?とんでもない。もっと練習したくなった。
救われた。
明日が…明日からが楽しみで仕方が無くなった。
「こちらこそ、ありがとう小さなレディ。是非、またのご来場をお待ちしております」
ボクは自然に笑顔になった。女の子は応えてくれた。
「もちろん。また会いに来るからね、ピエロさん」
ボクは風船を渡してから手を振った。普段なら疲れるからあまりしないけど、今日は無性に、一人一人に感謝を伝えるために、せめて、手を振りたくなった。
「是非、またのご来場を」
心からそう言えた。
ボクはピエロだ。
町から町への小さな雑技団のピエロだ。
華やかさが無いのを赤鼻で誤魔化し、艶やかさが無いのを笑顔で誤魔化し、鮮やかさが無いのを失敗で誤魔化す。そんなピエロだ。
だけど、誰かを笑顔にするために努力を欠かさない。
だから、笑われても堂々と胸を張ることが出来る。
そんな、ピエロだ。