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楓と合流したのは、伊乃宮の部屋をあとにし、エントランスに降りた時だった。あれだけ居たはずの職員たちも、仕事中の今は疎らだ。
「それでは、行きましょうか」
楓は、なぜか制服に着替えていた。白い半袖のブラウスの右胸に、白いバラのエンブレム。黒に緑色のラインが入ったスカートは、太ももの中間くらいの長さであったが、朱音にとっては、それだけでも刺激が強いものだった。護衛という身の上的に、コスプレというわけではなさそうだ。
楓は、特に話すこともなく、ロータリーへと向かった。その後を追うように紅葉と朱音は、歩く。
ロータリーに停まっていたのは、黒の高級車ではなく。ただのタクシーであった。この島での移動手段には、バスが使われることが多いのだが、なぜか管理庁前にバス停は無かった。
「さあ、乗ってください」
楓は、朱音を先に乗せようとドアの傍で待っていた。タクシーの運転手に荷物を任せ、足早にタクシーへと乗り込む。今回は、楓が朱音の隣に座ることになった。
ドアを閉め、タクシーが走り始めると、楓は唐突に切り出した。
「とりあえず、これから朱音さんには、星界学園に中途入学していただきます」
朱音が高校に通う理由は、勉学のためだけではなかった。この島の学生は基本的に、どこかの教育機関に属している。朱音の年代で学校に通っていないというのは、かなり目立ってしまうという理由があったからだ。
「は、はあ……」
学校というものを聞いてはいたが、朱音は一ヶ月の訓練機関の間。小中一般の常識を訓練されただけで高校の勉強は一切行っていなかった。
「とりあえず、今から朱音さんの住む星界学園寮の入寮手続きを済ませてから、学校へ向かいます。その荷物を学園へ持っていくのは、さすがに変ですから」
楓は、星界学園の入学案内を朱音に手渡し、他にもケースから取り出した書類を整理していた。
「あの?」
朱音は、ある程度書類の整理が終わったのを見計らい、訊いた。
「なんですか?」
「あなた方って、一体どういう?」
「そういえば、言っていませんでしたね。――私たちは……この島の公安。対超能力者警察の派遣員みたいなものです」
「その若さで、ですか?」
「この島では、ある程度の低年齢採用は行っています。それに、学生が多いこの島では、学生による超能力者警備組織までありますからね」
楓の言う通り、この島では高校生を採用する企業や機関も多い。この島に居るのは、ほとんど超能力者だからか、その能力を活かせる職場を早期に見つけるために、インターンシップのような形で採用している現状があるのだ。
「つまり、この島では、仕事と学生をする『兼業学生』が居るってことか」
朱音は、一応納得した。
「まあ、朱音さんもその一人ってことになりますが、生活費などは我々が負担させていただきますので、心配なさらないでください」
「生活費って、どれくらい?」
「ざっと、月五十万円くらいですかね」
「五十万!?」
「まあ、寮費、学校の授業料もタダなので、実質は食費くらいしか掛からないかと。あとは自由に使って戴いて構いません」
「一体、そんなお金どこから」
「我々は国家機関です。国家予算からの出費ですから、この程度は大したことありません。命を懸けて仕事をしていただくのですから、これくらいは当然かと」
楓は、ケースから報酬の明細書を取り出し、朱音に手渡す。
一通り目を通し明細書を返すと、朱音は外を眺めた。灼熱の太陽の下を歩く小中学生や高校生の姿が、そこにはあった。
「そういえば、この島には本当に学生が多いんですね」
「ええ、一応、全人口の半分が学生で占められています。まあ、いろんな事情でこの島に来る人が居ますから」
「それにしても、なんでこの島にこれほどの人口の学生が?」
「超能力者というのは、迫害される存在なんです」
その話は、朱音の本土訓練でも聞いた話であった。
超能力者というのは、昔も今も迫害や差別の対象だ。本土の学校では、未だに常人の有利が常識化しているため、超能力者というだけでいじめを受ける。それも、教師すらも寄ってたかってだ。
更には、子供を守る責任を持つ親ですら、養育を放棄する事もあり、孤独から逃れるためにこの島に来る者も多い。超能力者に対して補助金などの支援が行われるこの島の学校に来る人は、後を絶えない。それが、人口における学生の割合が高い原因であった。
「私は、この島に十歳の時に来ました。本土の小学校では、好奇の目で見られ。もう生きるのが嫌になっていました。でも、この島は超能力者を受け入れてくれる。超能力者の唯一の居場所なんです」
楓は、握りしめた拳を震えさせていた。怒りなのか、感動なのか、それはわからない。
「ということは、あなたも?」
「ええ。能力者です……呪われた能力ですけどね」
「え?」
楓の悲しげな苦笑に、朱音は開いていた口を閉じた。
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タクシーの目的地は、『学園特別区(学園特区)』と呼ばれる島の東部だ。
約五十の教育機関が、隙間なく敷き詰められている。限られた敷地の為、校庭や体育館がない学校も多い。
星界学園の寮は、学園特区の手前。どちらかというとセントラルエリアに近い位置にあった。五階建ての建物は、寮というよりマンションのような見た目だ。部屋は、全部で四六部屋。基本的に学園側が許可した学生だけが住む事を許されるのだが、朱音は特例中の特例でこの寮に居住する事が許可された。
寮に到着したのは、管理庁舎を出て十五分ほどだった。
「それって。誰の名前ですか?」
楓の書いている『星界学園寮の入寮手続き書』の入寮者欄には、『南沢 朱音』と書かれていたのだ。
「誰って、そりゃあ――」
楓が弁明しようとした瞬間、寮の窓口に居た老人が訊いた。
「ん? それは、君の名前じゃないのかね?」
「い、いえ! 彼の名前です。全く、すぐにそう言う冗談を~」
異常なテンションになる楓。入寮書の空欄をすぐに書き埋め、二人は部屋へと向かった。
朱音の部屋は、最上階の南側。扉を開けると、そこは、まだ家具が揃っていないがらんとした部屋だった。
寮というわりに、マンションの一室のように広かった。リビング、寝室、書斎、キッチン、浴室など、一人暮らしには広すぎる程だ。
「広いですね……」
朱音は、思わず呟いた。側に居るのは楓だけで、紅葉は寮の前に停められたタクシーで待っていた。
「一応、この寮で一番広い部屋です。普通は、兄弟や双子用の部屋なんですけど、現在は使用している人が居ないらしいですから」
楓は、簡単に説明する。
「それより、先程はすみません」
「先程? ああ、さっきのですか」
「この島では、あなたの事は『南沢 朱音』という架空の人物になってもらうんです。朱音さんの事を知る人はまだ居ますし、顔を知らないとしても、気付かれたら元も子もありませんから」
楓は、簡単な説明をした。だが、ひとつ引っ掛かるものが、朱音にはあった。
「顔を知らないって、僕は世界的な犯罪者じゃないんですか?」
「そうですね、世間的には史上最悪の大犯罪者となっています」
「なら、なんで!?」
朱音は、前のめりになりながら語意を強め訊く。動揺の色は表面化していた。
「確かに、世界にはあなたの顔が公開されています。鮮明な顔写真で」
「それなら」
「落ち着いて下さい。あなたが6歳の時の、ですよ」
朱音の大声とは正反対の落ち着いた声で、楓は言った。その後、リビング置いてあった白のソファーへと案内し、朱音を座らせる。
「六歳のって、十年以上も前の物じゃないですか、どうしてそんなものしか……」
「監獄の中には、監視カメラがなかったという報告があります。それに加え、厚さニ十センチの鋼鉄製の壁、食事は機械によって間接的に渡される。ヒトとのコミュニケーションが隔絶された状態で、写真など撮れるわけがありません。まして、年齢が高くなるにつれて能力が強化される児童期から思春期の間でなら、尚更です」
朱音は、呆然としていた。自分がどれ程の脅威だったのか、自身の想像を超えていたのだ。
超能力は、基本的に対象を視認しなければ発動されない。ただし、発電系や発火系などの対象を必要としない能力はその例外だが、ヒトを対象とする能力は、対象の視認が必要となるものが多い。
超能力犯罪者のうち、能力を自覚できていない者や未知の能力者は、基本的に人間と完全に隔離された状態に収監されるのだ。
「俺は、そこまで怖がられていたんですか……」
ソファーに深く座りこむ朱音。目線を下に向け、俯いていた。
「恐怖されたというよりは……拒絶されたと言った方が適切かと」
「拒絶?」
「ええ。あの事件の後、世界ではあなたを死刑にするよう、大規模な運動が起きたんです。無期の禁固が確定した時も、史上最大レベルのデモが起こりましたから」
「じゃあ、あなたも僕を?」
朱音の問いに、楓は唇を噛んだ。だが、すぐに口を開く。
「いえ、私も同じような境遇で育ちましたから……」
心の叫びにも似た楓の答えは、無声音のような小声でのものだった。朱音の耳に、その言葉は届かない。
「どうしました?」
「いえ、なんでもありません」
楓は、笑いながら誤魔化す。しかし、それ以上朱音が何かを訊くことはなかった。
寮の滞在時間は僅か数分で、しばらくすると、またタクシーの元へと戻った。朱音の手荷物は大幅に減り、必要最低限の物だけが入った黒いショルダーバッグのみを持っていくことになった。
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「これから向かう星界学園は、この島でも最高レベルの教育施設を備える場所です。あまり不便は無い筈ですが、何か不都合があった場合、私達に言ってください」
タクシーに乗り込むと、楓が説明を始める。
朱音がバックミラーで確認した紅葉は、腕を組んで俯き不機嫌を体現していた。
タクシーは、『星界学園』に向かって走り出した。