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八月の終わり。新東京島は、暑い日が続いていた。
温度、湿度共に高い海風が島全体に吹き渡り、全域が三十五℃を超える猛暑となっていた。
日本本土であれば、まだ夏休みの期間だが、この島に長期休暇の類は無い。島が休まる事はほとんどないのだ。
駅前の広場は、通勤、通学者で溢れていた。
バス停には十数台の満員バスが止まり、駅を出入りする人々も多い。
この島での基本的な移動手段は、島全域を網羅する高架モノレールに路線バス。島へのアクセスは、船とリニアモーターカーが主流だ。
モノレールとリニアの主要駅となる『新東京駅』。
その駅内に、葛河 朱音の姿はあった。
数分前まで付き人がいたのだが、十分前にその場で待機するように言われ、律義に一歩も動かず待機していた。
「……そろそろか」
右腕の時計を見て、呟く。
時刻は午前八時二十分。朱音の目の前には、黒いスーツを着たサラリーマンやデザインの異なる様々な制服姿。その全てが、朱音にとって新鮮なものであった。
「……あの!」
朱音を呼んでいると思われる声が、朱音のすぐ側から聞こえていた。
向いて見ると、そこには黒髪の少女の姿があった。
「葛河 朱音さんですね。私は、あなたの護衛役をさせていただく公安課の高倉と申します」
楓は、軽く頭を下げ、同時に身の上を明かす。
その少女は、黒髪に黒い瞳が純白のワンピースと良い対比を生み出していた。 白く綺麗な肌は、整った顔を際立たせる。年齢は、十五、十六歳くらいに見えた。
朱音は、対応に困ったのか、目を小刻みに動かしている。だが、それは彼女の美貌が原因ではないようだ。
「駅前に車を待たせてありますので、話はそこで」
楓は振り返り、出口へと向かい歩きだす。朱音は、足元に置いてあった黒いキャリーケースを転がして追いかけて行った。
人の波をうまく避けながら、朱音は駅前に出る。
照りつける真夏の太陽。朱音は、思わず目を細め、額付近に掲げた手で日光を遮る。
そして、思いがけず呟く。
「暑……」
駅前広場を抜けた先のロータリーに、一際目立つ黒い高級車が停まっていた。
ひとまず先に車の元へ着いていた楓は、後部座席のドアを開き、朱音の到着を待っていた。
「どうぞ――」
既に汗だくになっていた朱音は、言われるがまま車に乗り込もうとする。
だが、助手席に誰かが座っているのを朱音は見た。少しばかり驚く朱音だったが、楓にせかされ、キャリーバッグを載せると、すぐに乗り込んだ。
見た目通り、車内の内装は高級車そのものであった。
楓は、運転席に乗り込むと、エンジンを始動させる。助手席の人物は、腕を組んだまま、微動だにしない。
車は、ゆっくりと走りだし、ロータリーを抜けて公道に出る。軽快なハンドル捌きや、反動の少ない丁寧なブレーキ操作。運転にはだいぶ手慣れているようだった。
「とりあえず、新東京島にようこそ……と、言いたいところですが、すぐに今後の予定を説明させていただきます」
楓は、運転を続けながら淡々と説明を始める。
「これから、この島の管理庁舎で、ある人に会っていただきます。そのあと、星界学園の寮に向かいます」
「そ、そうですか……」
朱音の返答は、どこかぎこちなかった。
空白の一ヶ月間。朱音はある場所で様々な訓練を受けていた。
投獄されていた十年間の出来事や一般常識。監獄では一切と言っていいほど皆無であったヒトとのコミュニケーションなどを一通りレクチャーされた。
しかし、いくら訓練したとはいえ、それは慣れた相手との繰り返されるコミュニケーションのみ。さすがに、いきなりこんな美少女を相手するのは、朱音にとってかなりの苦労であった。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」
「まあ、それなりには……大丈夫です」
曖昧な答えをする朱音。本心は、緊張で死にそうなくらいであった。
「あの、僕が怖くないんですか?」
その問いに、楓は首を傾げる。
「どういう事でしょう?」
「僕と本土で会った人は、ほとんどが最初は怯えていたんです。でも、あなたは一切そんな事がない」
楓は、路肩に車を停め、後ろ向いて答えた。
「あなたの本土での危険者指数は、最低数(ランクE)でした。敵意のない者を恐れる必要が、どこにあるのでしょうか? ご安心ください。私達が命を懸けてあなたをお守りしますから」
「そうですか……」
朱音は、その言葉を信用していなかった。
「紅葉、自己紹介ぐらいしなさい」
楓は、助手席に座る少女の肩を叩く。自己紹介を求められる少女は、一度ため息を吐き、
「高倉 紅葉……」
トーンの低い声で、紅葉はそっけなく名乗る。
「ごめんなさい。いつもはこんなんじゃないんですが……」
楓は、愛想笑いを浮かべながら言った。
それから先、その三人に会話はなかった。車は、島の中心部へと向かって走り出した。
#
新東京島の東。
島唯一の森林地帯内に、その倉庫はあった。
白い建造物は、太陽に晒された深緑の中でかなり目立っている。周りに人気は無い。
しかし、静寂はすぐに消し去られた。
緑と赤のランプに緑と白で塗り分けられた特殊車両。クリスマスカラーのメルヘンチックな車から出てくるのは、そのイメージとは正反対の黒いアーマースーツを着た男たち。
その手には、『電磁加速式小銃コルベートフルックⅡ型』。軍用の電磁加速砲を小型にした電磁加速小銃を更に改良した現段階で最強の銃である。
彼らは、この島の警察的な存在。『対能力者警備組織』の精鋭部隊だ。
彼らの標的。それは、その倉庫の中に居た。
〈現在、研究所内に熱源を確認。作戦通り実行してください〉
誰一人として返答することは無いが隊員たちは、速やかに配置につく。
そして、次の瞬間。無線に更なる通信が入る。
〈熱源。まもなく屋外に出ます。第一種警戒態勢〉
隊員たちのヘルメット下の眼が、鋭さを増す。
乾いた唇をなめる隊員の目に映ったのは、身長一七〇センチくらいのフードを被った男だった。この炎天下で季節違いな、赤のパーカーにジーンズ。
長い前髪に顔が半分隠れているが、見えている口だけ不気味な笑みを浮かべている。
隊員たちは、銃を構える。銃口の数、約四十五。
「……そんな物騒なもん、向けんじゃねーよ」
男は、スキルセキュリティ隊員側のピリピリ張り詰めた空気を一切読まずに言った。
「止まれ! さもなければ撃つ!」
一人の隊員が叫ぶ。その声にあわせ、隊員全員が引き金に深く指を掛ける。
「ハア……頼むから、余計な手煩わせないでくれるかなぁ……」
しかし、男は歩みを止めない。
「止まれと言っている!」
最終通告が、森の中に響く。
すると、男はパーカーのポケットに突っ込んでいた手を徐に隊員たちに向けた。
その時、ひとりの隊員が引き金を引いた。
次の瞬間、男の手から閃光が放たれた。音速を超え、空気を螺旋状に捻じ曲げながら飛んでいく鋼鉄製の弾丸は、その場で溶け落ち、閃光は隊員たちを包む。
閃光が消えた時、草などの緑に覆われていた地面が茶や黒で染まっていた。隊員たちの跡形は無く、また森には静寂が戻っていた。
男は、歩き続ける。そして、研修施設から少し離れたところに停まっていた、特殊車両に待機する男に問う。
「なあ『亡生の書』って、どこにある?」
車両の運転席に居る隊員は、恐怖していた。冷や汗にたじろぐ目。それは、死を恐れていたのだ。
亡生の書は、遥か昔に偉人が記した書物だ。その内容は、災厄をもたらす禁忌であり、使用した場合、世界を滅ぼす力を保持している。
だが、その存在を知る者は、あまりにも少ない。隊員も、その名すら知らない一人であった。
「わ、わかり……ませ……ん」
隊員は、震える声で答える。
「そうかよ……」
そう吐き捨て、男は倉庫と公道を繋ぐ道を歩いていく。黒く焦げているパーカーの袖に隠れた時計を見ると、時刻は午前八時を示していた。
「やばっ……遅刻しちまう」
男は、フードを戻す。すると、綺麗な金髪が姿を現し、灼熱の太陽光を反射させる。
そして、島の中心。摩天楼を見て、呟く。
「早く見つけなくちゃな……あいつらに見つかる前に……」
それは、政府に雇われた犬の決意だった。