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試作2  作者: サ鳥
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試作

 同情なんかしない。

漁ったものから順番に、地面へ広げていく。一つ一つ丁寧に。広告用紙は数えられない程のシワを実に失くすように、食品袋から滴る液体で、コートの袖が汚れたって構わない。今日穿いてきたタイツだって、数時間地面に膝を付けているだけで、こんなにも肌蹴てしまった。今更コンクリートが冷たく感じるなんて、ゴミたちはそろそろ底を付く。

 長らく感情的になっていたせいで、見開いたままの瞼を落ち着かせるのには、まだ時間が掛かる。最後のゴミを広げ終えてしまうと、立ち上がって、肩で息をした。

 私は情緒不安定だ。また世界に居心地が悪くなって、ゴミを漁ることで安定を取り戻した気になる。まるで一仕事終えたようで、清々しく、上から綺麗に並べられた絨毯を見下した。もう要らなくなったからと捨てられた、可哀想なゴミたちに、同情なんかしない。それでも、私は賢いから、それらを元通りにして、鉄網のゴミ箱に戻してあげる。一つ一つ丁寧に。そうするうちに段々と正気が戻ってきて、今度は、焦燥感に駆られる。普段から、この公園に人はいない。こんな外れた私を、遠目からでも、通りすがりに見た誰かにはどう映るだろう。浮浪者にも見えるかも知れない。考えただけで怖くなって、公園を逃げるように出た。

 まだ人通りのある道を歩く時、液体で汚れた袖が変に気になって、隠れるところまで捲ってみた。しかし、ガラス張りのビルに差し掛かると、あまりにも不格好な私が現れて、堪らず目を反らした。私はもう、自分の心でさえも居心地悪くなっていた。自分ではどうしようもなくて、だから、あんな事をしてしまうんだ、と良心に言い訳した。

 私は一心に地面を見ていた。私は、どうして考え込んでいるんだろう。どうして自分の事でさえ、簡単にコントロールできないんだろう。ふと、目線を上げたら、小さい子が覚束無い短い足で、玄関に続く浅い階段を、懸命に上っていた。先ではお母さんが玄関の扉を開けたところで、しゃがんで待っている。忘れているだけで、私にも、ああして親から見守られていた時期はあったんだろう。

 そこから更に顔を上げると、犇めき合っている、建物たちの間から狭く覗いた空は曇っていた。天気予報を見ていなかったから、これから、晴れるか雨が降るかも分からない。そこに、頬を撫でてきた生温い風。湿っぽさを感じて、帰ろうと思ったけれど、あまりにも気が進まない。

 私の気分を、天気が示している。少し暗くなって来た所で、近くにあった喫茶店を見付けた。若い人ほど入るのに一歩躊躇うに違いない、所謂老舗という風貌で、やけに深い緑色の古惚けた扉が目を惹く。私は不思議と、引き込まれる様に、チャイムを鳴らして、扉を開けた。仄かな明るさしかない店内は木製が殆どを占めていて、アンティークを邪魔しないように、ステンドグラスのランプがテーブルに付き一つずつ置かれてある。天井から吊り下げられている角砂糖風のキューブペンダントライトも、慎ましやかに光っていた。客人の見えないのも相俟って、何とも落ち着いた雰囲気だった。――客人というと、そう言えば、店員も見当たらない。もしかして、今日は休みなのだろうか。いや、休業日だとしたら、クローズの看板も出ていなかったし、況してや、扉が開いているのもおかしい。

「すみませーん……」

普段こんな場面に遭遇することはない。静まり返った店内に私の声は吸い込まれる。期待薄く待ってみたものの、やはり、返事はない。私は早々に足を翻した。

「あ、しまった。誰か来てた」

――と、背後に声がして振り返る。キッチンから、まだ学生にも見える若い女性がバンダナとエプロンを持って顔を出しているところだった。ただ、私の声を聞いて出てきた反応ではない。客人が来てから、どれくらいの時間留守にしていたか図りかねている様子だった。

「いらっしゃい。ごめんねぇ、ニュース見てたもんだから、つい遅くなっちゃって。もしかして、声掛けてくれたりした?って言うか、座りなよ。お客さんでしょ?」

彼女が喋り出すと、今までの静寂は幻想だったのかも知れない、と錯覚を起こしそうになった。当の店員は、客を待たせた時間を取り戻す如くに随分と早口で捲し立てる。まるでなっていない接客だったけれど、いきなり賑やかになったお陰で、そんな事にも気後れする。こんな店では誰も来ないのは納得できた。

「えっと、注文は決まった?あ、まだメニュー渡してなかったね」

彼女は、尚も絶えず、大きな声で話し掛けてくる。バンダナを頭に巻くと、エプロンを付けながら、カウンターの下を覗いて何かを探しているようだった。私は、そんな彼女から視線を外さずに椅子に腰掛ける。

「あったあった」

「あの、珈琲で良いですから」

ノート型のメニュー表を手に、漸く腰を伸ばした彼女の忙しなさに、ちゃんと書いてあるメニューを出せるのか不安にさせられる。鼻から息を吐いた。

 私が断ると、途端に、真顔でメニューを置いてしまう。

「お客さんなんだから、気遣わないで良いのに」

しかし、それも一瞬のことで、次には口元が緩んでいた。

「でも助かる。うち普通のやつしか作れないんだ」

彼女が背を向けると、向こうのセミオーダーテーブルから、紙袋と、中から流れ出す珈琲豆の香ばしい音がした。あんなにも賑やかだった彼女の声はなくなり、私の中の時間だけが止まっているようだった。私は、そこに耳を傾けつつ、膝部分の肌蹴たタイツや捲ったコートの袖に目を落とす。私の鼻先に、段々と珈琲特有の香りが漂ってきた。袖部分の裏生地に茶色いシミを見付けて、親指の腹で擦ったけれど、消えてくれはしなかった。

 これからどうしよう。このまま、まだ来て間もないここに居座り続けることはできない。今、珈琲を入れてくれている彼女はこの惨めな格好の事情を、何も聞いてこようとしない。店員と客という関係なら、或いは当然のことかも知れない。この距離感は私にとって居心地良いものだけれど、それでも、私は不安になった。

「はい、珈琲」

――と、彼女の明るい声で我に返り、反射的に袖を隠して顔を上げる。彼女はカップとセットになっているソーサーを二つずつお盆に乗せて持って来て、一つを私の目の前に、もう一つは向かい側に置いた。

「私も座っていい?」

彼女は私の接客と珈琲しか淹れていないはずなのに、疲れたような顔をして言いながら、私の頷くのも見ずに椅子に腰掛ける。私はカップから立ち昇る湯気に誘われて、一口飲んでみるけれど、私には市販との違いは分からなかった。


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