神能儀典 ~転生した姉がボクの妹で、そんなボクは姉の戦略兵器として魔王をぶっ殺すために使われる事になりました~
短編です
左腕が熱い。
でもそれ以上の感覚が無い。
右手に感じる柔らかいけれど、とても頼もしく暖かい感触。
左腕から感じる熱には恐怖しか感じないのに、逆の腕から感じるのは安らぎにも似た何か。
とめどなく流れて、流れ果てて。
もう涸れてしまったのではないかと思えるような涙がまた一筋頬を伝う。
頭の中で先ほどまで激しく鳴っていた慟哭と怨嗟と絶望。
もうそれはない。
不思議なほどに私は無感情だ。
トップギアに入って暴走していた心が嘘みたいに静かで。
ボクは私が死んだ事を静かに自覚した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
月と星の明かりで辛うじて足元が見える森の中をひた走る。
すでに息は荒いを通り越して体力の限界を訴えている。
それでも走らなければいけない。
私が死んだのはアイツらのせいだから。
逃げなければボクまで殺される。
そして殺されるのはボクだけじゃない。
ボクの手を引いて前を走り続けてくれている小さな存在も同様だ。
この子はボクの妹で、私が母の代わりに大事に育て、いつも一緒にいたとても愛しい存在。
せめてこの子だけでも守らなければ。生きなければいけない。
でも母がいない環境で貧しくも正しくまっすぐに育ってくれたこの子はとても頭がいい。
それこそ私なんかよりずっとずっと聡明で、健気で頑張り屋で。
だからこそ私が死んだ今、ボクは私の代わりにこの子を、レティシャを守らなければいけない。
でも現実というものは非情で、残酷で、とても厳しくて――。
アイツらは私だけじゃなく、ボクやレティシャまで殺すつもりだ。
村を焼き、住民を食い殺し、すべてを奪ったアイツらが目の前に立ちはだかっている。
あれほど必死に逃げたのに。
もう息も絶え絶えなほどに必死に逃げたのに、こうもあっさりと追いつかれて今まさにボクとレティシャを私の元へ送ろうと牙をむき出しにして唸り声をあげている。
あぁ……私を殺した絶望がまた襲ってくる。
ボクも死ぬのだろうか。
村を焼かれ、親しい人を目の前で食い殺され、心を壊され死んだ私のように。
でも最後の最後で私が死んでもボクは死ななかった。
今まで眠るようにして共に生きてきたボクに全てを、最後に残った希望を託して。
だから死ねない。
こんなところで死んじゃいけない
今尚、必死に小さなその身でボクの前に立っているこの愛しい存在を守らなければ。
だから――。
『第12階層障壁の突破を確認。世界干渉を開始します。
神能の顕現を確認。現実空間にて物質生成完了。
システムオールグリーン。
神能儀典起動。
敵性体緊急確認。
緊急自動迎撃を開始します』
脳に突然書き込まれた情報がボクの体を勝手に動かす。
いつの間にか持っていた長方形の物体上には【緊急自動迎撃/魔法アプリNo,487『神罰の熱波』を強制実行】と書かれていた。
そして足元が辛うじて見える程度の月明かりしかなかった空間を光が埋め尽くした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『つめたっ!」
突然の冷たさに目が覚めた。
前髪から滴る滴と冷たさに何があったのかを知る。
冷水をぶっかけられたようだ。
『おはよう、お姉ちゃん。そしてあんた誰?」
『……ぇ?」
目の前にはレティシャが仁王立ちで見たこともない冷たい瞳でボクを見下ろしていた。
一体どういうことかまったく頭が働かない。
『わけがわからないって顔だね?
じゃあ説明してあげる。あんたの姿形は確かに私のお姉ちゃんのレイナのもの。
でも中身が全然違う。
その程度の事が私にわからないとでも思ってたの?」
私の記憶の中にある頑張り屋さんでいつも一生懸命で優しくて可愛いレティシャ。
でも今目の前で底冷えするほどの冷たい瞳でボクを見下ろしているのはそんなレティシャであって、とてもレティシャには思えない。
『黙秘する気?
神能儀典の緊急自動迎撃魔法まで使っておいて今更すぎない?」
レティシャの小さな可愛い口から紡がれる言葉に脳に直接書き込まれた情報が出てきて余計に混乱する。
ボクだって一体何があったのかよくわからないのに。
でも確実にレティシャの方がボクよりも現状を把握している。それだけは確かだ。
『ア、神能儀典って……?」
『冗談! 『神罰の熱波』を無自覚で使えるなんてありえない!
覚醒直後にレアリティSSRの魔法が使えるわけないでしょ!
とぼけるのも大概にしなさいよ!」
あの可愛いレティシャの顔が歪み、嘲笑と怒りに染まっている。
私の記憶の中にすらないその表情にボクは凍りついたように動けなくなってしまった。
『神能儀典で使える魔法アプリは覚醒直後にはレアリティRまでがせいぜい!
私だって未だにRRが限界だっていうのにSSRの魔法アプリが使えるわけがない!
どういうことなのよ! 一体いつからお姉ちゃんに成りすましていたのよ!」
怒りに震えるように叫ぶレティシャのアーモンド形の綺麗な瞳から涙が一筋零れ落ちる。
そこでボクは気づいてしまった。
そうか、レティシャは私が死んでしまった事に気づいて悲しくて……。
『むぐっ」
『ごめんね……ごめん……これからはボクが私の代わりに君を守るから……」
私がいつもそうしていたようにレティシャを抱きしめ、髪をゆっくりと撫でる。
初めはもがいて抜け出そうとしていたレティシャだったけれど、次第にその体から力が抜けていき、最後には泣き出してしまった。
ボクは腕の中で泣きじゃくる小さな愛しい存在が泣き止むまでずっとずっと彼女の髪を撫で続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『そう……じゃああなたはお姉ちゃんの中に最初からいたんだ……。
珍しい……意識共同体なんてプレイヤーの中じゃ4人くらいしかいないはずなのに」
『プレイヤー?」
『この世界――ユビリアーには私やあなたみたいな前世の記憶持ちが特別な力――神能儀典を持って転生してるの」
泣き止んだレティシャを膝の上に抱っこしながら彼女の話を聞いた。
彼女はボクのような前世の記憶持ちであり、転生者と呼ばれる存在。
そして転生者はこの世界にかなりの数いて、みんな神能儀典と呼ばれる力を有している。
もちろんレティシャも持っている。
プレイヤーは皆同じ時期に死んだ者たちで同じ時間に開始しているそうだ。つまりは4歳のレティシャと同じ。
でも一部違った存在もいて、それが意識共同体。つまりはボクみたいに私の中に眠っていた存在だ。
神能儀典には情報をプレイヤー同士で共有できる掲示板みたいなものがあって、そこで意識共同体の事を知ったそうだ。
意識共同体は基本的に2つの意識が1つの体に共存している存在だが、プレイヤーはその事を知ることができてももう1つの意識――ユビリアー人の意識は知ることができない。
その上ユビリアー人の意識が何らかの事情で死に絶えない限り表に出てこれないそうだ。
ボクのほかの4人も皆ユビリアー人の意識が死んで代わりに体を動かせるようになったそうだ
だからレティシャの姉であったレイナがもう死んでしまった事をすぐに彼女は理解してしまった。
『ごめんね……。で、でもボクが私の、あ、レイナの代わりに君を守るから。
君の姉として頑張るから……」
『……必要ない。私は1人でも生きていける。神能儀典もあるし」
『で、でも……」
『しつこい! いくら体はお姉ちゃんのものでもあんたはもうお姉ちゃんじゃない!
あんたもプレイヤーなら昔の記憶があるからわかるでしょ!?
体が小さくても私には積み重ねた知識がある。1人でも平気よ」
抱きしめていた腕を強引に引き剥がし、レティシャがボクを睨みつける。
でもその瞳には悲しみと不安が溢れている。
そんな瞳を見てしまっては何を言われようと無理だ。ボクはレティシャを、愛しい妹を放っておけない。
『じゃあ……せめて一緒に行動しよう? ボクはSSRだっけ? の魔法が使えるんでしょ?
戦力としてはすごくいいと思うんだけど……?」
『う……。た、確かに私はまだRRまでしか使えないし、回復と補助しかないし……それにSSRの、しかも緊急迎撃魔法が使えるなんて大きなアドバンテージに……」
やはりレティシャは頭がいい。
私の記憶の中にある彼女もすごく聡明で慎重な子だった。
それが転生者だからだとしても関係ない。
ボクにとっては彼女は妹で、私の最後の願いを叶えるためならどんな事だってする。
『ボクは今はレイナだけど、前の名前は『兵藤観鉤』。
高校2年生だったん、だけど……」
少しでも信頼を得るべく生前の事を話そうと思って名前を言ったら、レティシャの大きくて可愛い瞳が零れてしまうんじゃないかと思うくらい大きく見開かれて、それ以上言葉を続ける事ができなくなってしまった。
『ど、どうし……」
『ミ、ミカなの!?」
『へ?」
『私よ! 美袋毛糸よ! 嘘でしょ!? なんでミカが……」
レティシャの口から聞こえた名前は確かにボクも知っている人の名前だ。
いや、知っているなんてもんじゃない。
血のつながりこそないけれど、小さい頃からずっとボクの姉のような存在だった憧れの人で……。
『ミケ姉……? え? えぇ? ええええええ!?
ミケ姉がボクの妹……?」
『こっちの台詞よ! なんで男のミカがお姉ちゃんなのよ!」
静まり返る森の中で2人の運命の歯車が静かに回り始めた。
どう見てもプロローグですが、あくまでも短編です。