表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Cafe Slow Life

作者: 木立あろえ

 初めての投稿です。

 一行一行を大切に、すべての行に魅力を持たせるよう、努力しています。

 未熟者ですが、よろしくお願いいたします。

 一杯だけたてるコーヒーというのは、妙にさらりとしてしまって味気ない。だから最低、コーヒーはいつも二杯以上たてるようにしている。

 いつものカウンター席に座って、この店のエプロンをした真っ黒なショートカットの女の子、西村がコーヒーを飲んでいる。高校二年のとき初めてこの店でバイトを始めた西村ももう三年目、大学一年生になった。この店で僕は何年もコーヒーを淹れ続け、店内にはコーヒーの薫りが染みついているようにさえ思う。

 四人がけの席が四つと二人がけの席が一つ、あとはカウンターだけの小さな喫茶店だけれど、店の隅々まで目が届くし、僕にとっては丁度良い大きさだと思う。

 西村がこの店に入ってから、店に物が随分と増えたなと思う。茶色い木目を基調とした落ち着いた雰囲気の店内には西村や従妹のトモ江の買ってきた手に収まるくらいの大きさの観葉植物がいくつも置いてあるし、窓辺には西村が彼氏の新島君と一緒に祭で取ってきたという金魚と金魚鉢が、まるでずっとそこにあったかのように腰を据えている。

 僕がこの喫茶店を始めたとき、もちろんバイトなんてものを雇うほどお客も来なかったし、お金もなかった。それもそのはずで、そもそもこの店を建てたのだって計画的なことじゃなかったし、店の開店資金なんてものを考えず、店の形態を整えるだけで全財産を使ってしまったのだ。考えてみれば僕は、今日に至るまでずっと計画性のない人生を送っていたのだな、と思う。

 何気なく入った文系の大学を卒業後、何をやりたいのかまったく考えていなかった僕はギリギリまで就職活動を始めようとせず、気がついたときにはもうどこにも就職先がなくて、なんとか友人のコネで入った会社も当然自分のやりたかったことではないのでやり甲斐を見つけることができず、それでも二年はがんばったが結局やめてしまった。

 それからは、昔取った杵柄というのだろうか。大学のサークル活動で何度か記事を書かせてもらった雑誌社になんとか仕事をもらい、周りにはフリーライターをやっているとかなんとか適当なことを言って、バイトをしつつも特に一貫性もない記事を、それでもそこそこの人気はあったので毎週数ページほど書き殴っていた。

 そんなこんなでダラダラと生活をして四年。趣味のコーヒー以外にほとんど金を使わなかった僕はほどほどに金がたまり、以前からやりたいと思っていた喫茶店を、全財産はたいてポーンと建ててしまったのだ。

 それが何年前だろう。確かトモ江が中学一年生だった頃で、今カウンターに座ってコーヒーを飲んでいる彼女と同級生だったから、もう六年以上前になる。

 つまり、四年。四年の間僕は、一人でコーヒーを淹れ続けたということになる。途中、地方誌に掲載されたりして一時的に客が増え、どうにも忙しくて一人で店が回せなくなったときトモ江に手伝いに来てもらったことはあったけれど、それ以外は基本的に自分一人で接客から料理、飲み物、そして帳簿付けまでやった。

 その頃は休憩時間や閉店後、自分の為に淹れたコーヒーをもったいないと思いつつも、いつも飲みきれなくて捨ててしまっていた。

「マスターマスター」

 と、コーヒーを飲みながらノートに目を落としていた西村が、カップを磨いていた僕に話しかけてきた。

「久しぶりにこのノート見たんだけど、結構お客さん書いてくれてるよ。『チョコレートパフェおいしーい』とか、『チョコケーキが絶品!』とか……マスターがこだわりまくってるコーヒーについては今回一っ言も書いてないけど」

 イタズラっぽい笑顔でこちらに向かって開いたノートには、ページを丸々一枚使ったパフェやケーキの絵と一緒に、丸っこい文字で西村が今言ったのと同じコメントやメッセージがでかでかと書いてあった。そのノートは一年ほど前、西村が旅行にいったときにあった喫茶店で『お客様意見ノート』というのがあるのを見つけ、それがとても面白かったのでこの店でも置くべきだと熱弁したので断り切れず置くことになったノートだ。とりあえず四人がけのボックス席に置いておいたら思いの外評判が良く、見る側としても楽しいので常設することにしたのだ。

 しかし、初めのうちは面白くて置いているだけだったノートだけれど、今ではこの店では欠かせないものになっている。あまりこちらとはコミュニケーションを取ることのない、二人や三人でいつも来る常連のお客さんのニーズを知ることもできるし、新規のお客さんが来たことや、その新しいお客さんから見た店の意見なども知ることができる。経営者側や、いつも話すまるでこの店に住み着いているような常連客では分からなかった新しい視点が、そのノートから発見される。

 すでに『お客様自由帳』として店に定着したそのノートには、常連から新規のお客さんまで、落書きやらコメントやら、僕や西村あてのメッセージなどが好き勝手書かれていて、表紙のナンバーはすでに23だ。バックナンバーはもちろん、すべて店の倉庫に大切に保管してある。

「コーヒーについてのコメントが全くないわけじゃないけど、明らかに少ないよね、ケーキとかパフェとかに比べてさ。それに前、『コーヒーの種類が多すぎて訳が分かりませんでした』って意見書かれてきたこともあったでしょ。多すぎるんだよ、ここ。ストレートコーヒーの数。豆屋じゃないんだからさあ」

 この店の豆の品揃えを西村に全否定され、僕は少しむきになって反論する。

「それはノートを書いてくれるのが若い女性のお客さんに多いからでしょ。どうしたって意見は甘いもの系に偏るよ。それに、ケーキにしろパフェにしろ、店のものを褒めてくれるのはありがたいことです」

 最初は豆の名前も知らなかった西村も、最近になってやっと店にある豆の種類を覚えてくれたし、一応一通りのコーヒーも飲んだ。それでもやはり西村はブレンドコーヒーが一番飲みやすくておいしいと言うし、ストレートはこんなにいらないなんて言う。しかしその西村が一番おいしいというブレンドコーヒーだって毎月僕が四苦八苦して、西村が覚えるのにさえ苦労した沢山の豆達をブレンドして創っているのだ。

 すると西村はちょっと意地悪そうな顔をして、

「でもケーキとパフェって、コーヒーに比べて利益率低いよね」

 と言った。

「ああ言えばこう言う。利益率なんてどうでもいいの」

「そんなこと言ってるからこの店儲からないんだ」

 西村は笑って、またノートをぱらぱらとめくりだした。

「でもマスターのコーヒーは美味しいから安心して。私は好きだよ」

「別に、慰めなんて必要としてないんですけど」

 僕がそう言うと、西村はまた、今度は声を立てて笑った。西村の言う利益率のことももっともだけど、実際コーヒーだけが売れたとしても店は儲からない。コーヒーもサイドメニューも、両方売れて初めて店はやっていけるようになる。ただ西村は頭がいいから、多分そのことも分かって言っているのだろう。

 するとふと、西村はぴくんと動いて、そのまま視線を開け放しにしている入り口のドアに向けたまま固まってしまった。

「何、どうしたの?」

 僕が聞くと、西村は視線を入り口に固定したまま、小さな声で、

「……の気配がした」

「え?」

 僕が聞き返すともう一度、「……ネコの気配がした!」

 何をいきなり言い出すのかこの子は、と思った。何の前振りもなしにいきなり入り口の方に振り向いたと思ったらコレである。それに僕がいくら入り口に目をこらしても、ネコの姿なんて見えないし、気配なんて感じられるはずもない。それでも西村は、息を殺して身動き一つせず、ドアの方向を凝視していた。

「見たの?」

 僕が聞くと、小さな声で「見てない」と言った。左手が、ノートをめくったままの形で固定されていて、無理が出てきたのかプルプルと小刻みにふるえていた。そのふるえが僕にはまるで糖分の足りない人の起こすケイレンのように見えてしまって、なんだか唐突に西村に甘いものを与えたくなった。

 僕はショーケースの中に今一番多く残っていたチョコレートケーキを皿に盛ると、お客さんに出すとき同様にチョコレートソースと生クリームとアーモンドチップを皿にトッピングして、西村のプルプルとふるえている手の横に置こうとした。と、そのとき西村が、「あっ」と小さく声をあげた。僕のチョコレートケーキを持った手は、テーブルにそれを置く直前、空中で静止する。

 僕がもう一度入り口に目を向けると、そこには茶色と白の混ざった毛をしたとら柄ネコが、ちょこんと首だけだしてこちらを覗いていた。

 ネコは僕と西村を交互に見ながら、ぴくぴくと耳を動かしている。少しでも身動きしたら、そして少しでも音を立てたら逃げてしまう。そんな雰囲気だった。

 ネコは僕と西村にひとしきり警戒の色を示したあと、店内をくるりと見回して、それから一カ所に視線をとめた。ネコには人には見えない何かが見えるとよくいうけれど、この店にそんな、人には見えざるものなんているのだろうか。

 しかしふと記憶をたどると、そこには西村の金魚と金魚鉢があって、ネコはそれをじっと見つめているのだろうという結論に至った。

「金魚……みてるのかな」

 限りなく小さなひそひそ声で、西村は僕と同じ考えを言う。ネコの視線は、未だ金魚鉢の方を向いたままだ。

「たぶんね」

 と、僕もつられてひそひそ声で答える。小さな、まだ子供と大人の中間みたいなそのネコは、そう考えるとまるで一人前のハンターの目をしているようにも見えてくるから不思議だ。

 と、ネコは唐突に後ろを振り向いたかと思うと、スッと走り去ってしまった。

「あっ」

 身体の緊張がスッと抜けて、西村は本から手を放し「狙ってた。絶対金魚狙ってた!」と叫んだ。

 僕も一瞬遅れてハッとして、もう皿を空中で止めておく必要もないのかと思うとカタンと音を立ててテーブルにケーキを置く。

「狙ってたよねマスター」

 西村は妙に興奮してうれしそうに僕に同意を求めてくるのだけれど、僕はどう対応していいのか分からず、「ん、ああ、うん」と曖昧な返事をして、それでも西村はお構いなしだった。ネコはどんなに可愛くても狩猟本能がどうのこうの、狩猟本能があると言うことは猫じゃらしが充分通用するからどうのこうの、どうにも受け答えに困ることをそれでも僕の答えを求めるでもなく一人で騒いでいた。騒ぎついでにパタパタと椅子の脚を蹴って身体が揺れるので、今にも椅子から転げ落ちるんじゃないかと冷や冷やした。

 話は変わるが、先の金魚をもってきたという新島君と西村は、自分たちが付き合っているというけれど、僕はなんだか彼らの付き合いに違和感を持っている。なぜなら彼らはお互い十九という若さのくせに、まるで長年付き添った老夫婦か、はたまた同姓であるかのような付き合いしかしていないのだ。

 デートはもっぱらここ(しかも西村がバイト中で接客してることが多い)だし、どこかに遊びにいくときもトモ江や同級生の厚志君というとても体格のいい子が一緒である。たまにどちらかの部屋に二人で行ったかと思うと、課題のレポートを手伝ってもらっていただの、本を読んでいただの(翔一君の本棚はまるで本屋並みだと西村が言っていた)、浮いた話が一つも無いし、話からいってそのままコトに及んだということはまず考えられない。

 まるで恋愛のレンをすっ飛ばしていきなりアイに至り、しかもそのアイというのが思いっきり円熟しているようだ、と思う。まあ、小学校以前からの付き合いというのだから、それもありだと言えばありなのだろうけれど、ただ言いようによっては円熟しているというより、小学生のように幼い恋だとも言えなくもないのではないだろうか。

 と、数瞬おくれて店に男性が一人入ってきた。四十代の、最近少し頭が寂しくなってきた、まるでこの店に住み着いているがごとく通い詰めている常連客、嶋井さんだ。

「こんにちは」

 僕が言うと、「相も変わらずこの時間は人がいなくていいね」とかなんとか言いながら、いつもの四人がけの席に座り、新聞をテーブルめいっぱいに広げる。

 すると、西村が不機嫌な声で「嶋井さんっ」と言った。嶋井さんは訳が分からず、広げたばかりの新聞から目をあげて、「なんだよいきなり」

「嶋井さんのせいでネコが逃げちゃったじゃん!」

「はぁ?」と、嶋井さんは怪訝そうな顔をする。

「今そこに茶色のトラ柄ネコがいて、だけど嶋井さんがきたからおびえて逃げちゃったでしょ」

「そういやいたな。茶色いネコ」

 嶋井さんは思い出すように言った。

「見えてたんなら、なんで店に入って来るのさ!」

 相変わらずめちゃくちゃなことを、西村は平気で言う。顔はまさに真剣そのものだ。僕は面白くなって、二人に隠れてこっそり笑ってしまった。

「なに意味わかんねえこと言ってんだ。注文も取りにこないで、それが店員の常連客に対する態度か」

確かに嶋井さんの言っていることはもっともだったが、それで収まる西村ではなかった。

「注文取りって言ったって、嶋井さんはいつもコーヒーの、しかも決まったやつしか飲まないでしょ」

「そりゃあそうだが」

 と言って、嶋井さんは黙り込む。何も言えなくなったというより何かを言い返すのが面倒になったという感じだった。

「こらこら、ネコが逃げたからって、お客さんにあたるんじゃないよ」

 なんとか笑いをかみ殺して僕が言うと、西村は残念そうにうつむいて、「煮干しとか買っとこうかなあ」と呟いた。

「何だ、あのネコに一目惚れでもしたか?」

 と嶋井さんが笑う。しかしそれには、僕が答える。

「や、でも可愛かったですよ実際、あのネコ」

「だよねマスター。ほら、マスターがかわいいって言うくらいなんだから相当可愛かったんだよ。そんなネコを、嶋井さんアナタは追い払ったのですよ」

 僕がちょっと肩を持つとすぐに西村は調子に乗って、ここぞとばかりに嶋井さんを責めだした。嶋井さんをいじめるときのその顔が、妙に生き生きしているように見えるから不思議だ。

「ああもう、わかったわかった。謝るから大人しくその目の前に出されてるケーキでも食いながら、ちょっとは黙っててくれ」

 すると、「えっ?」と驚いた顔をして西村が自分の座っているテーブルに向き直る。

「マスターいつの間に? このケーキ食べていいの?」

「食べちゃ駄目なら出しません。食べないなら引っ込めますよ」

「や、食べる食べる」

 言って西村は、テーブルの上にあるカゴからケーキ用のフォークを出してつつき出す。「んまい」といって、西村は本当においしそうな顔をする。僕は西村がケーキを食べ出したのを確認すると、コーヒーミルに嶋井さんに出す珈琲の豆を入れて、ゆっくりと挽く。

「マスター。コンビニで煮干しって売ってるかなあ」

 ケーキをぱくぱくとリズム良く口に入れながら、西村は言った。

「売ってるところは売ってるんじゃないかな。あゆむ君、あのネコ餌付けする気なの?」

 すると西村は手を止めて、「だめかなぁ?」と訊いてきた。

「別に僕は止めないけど……。餌付けしても、野良猫がなついてくれるとはかぎらないよ?」

「別にいいよ、そんなの。私は自分のあげたご飯をネコが食べてくれるだけで充分なの」

 そういうものかなぁ、と僕は思ったけれど、そう言ったときの西村はなんだかとても幸せそうな、というよりわくわくした顔をしていて、僕は疑問を口にする気にはならなかった。

「けど、あわよくばっていう下心はあるんだろ?」

 と、新聞に目を落としていた嶋井さんが笑いながら言った。

「まあ、そういう下心が無いって言ったら嘘になるけど……」

 それからちょっとだけ黙って、それからケーキを二口食べて、

「なんか、そう言うのとは違う気がするんだよね」

「じゃあなんだよ」

 と嶋井さんは聞くけれど、「わからない」と西村は答えた。「ほんとにそんな、別に懐いてくれなくてもいいんだよ。ただ、なんていうか自分のあげたご飯たべてくれたらうれしいなあっていうか、それだけ」

 それからカップに残ったコーヒーを飲み乾して、

「それにしても、この時間帯ほんとに暇だよねえ」

 と、急に話題を変えた。そこが西村の思考回路のおもしろいところで、話題が一段落ついたと思ったらすぐに別の話題に移り、かと思ったらいつの間にか元の話題に戻っていたりする。

「お客さん一人もいないなんて」

「おい、今お前の後ろにいるのはなんだ」

 と嶋井さんが突っ込みを入れるのに構わず、西村は続ける。

「この前この店の帳簿見たんだけどさ、結構黒字、ギリギリでしょ」

「それでも黒字です」

 と僕は反論する。

「ほぼ安定してギリギリなんですけど」

「安定してるってことは、つまり常連客でもってるってことで、その黒字は小さくても強い物です」

「でもさ、思ったんだけど、一応黒字に余裕があるときもあるんだけど、黒字に余裕が無いときっていうのが大体……ていうかほとんどっていうか全部っていうか、私がバイトに入ってるときなんだよね」

 意外なところを突かれて、僕は何も言い返せなくなってしまう。確かに西村を雇っているときは、西村に払う給料もあるから経費がかさみ、黒字が削れてしまう。ただ、忙しい時間帯も一人で平気だといっても、やはり西村がいるのといないのでは、身体にかかる負担がまったく違う。それを考えると、人件費がかかるといってもやはり西村には居て欲しい。

「昼時や三時前後の時間は二人でも忙しいくらいだからいいとして、こういう時間や、おやつ時が終わって比較的暇になったときまで普通の時給で私を雇ってるのって、もしかしなくてもとっても無駄なことなんじゃない? ていうかおやつ時が過ぎた時点で私いらなくない?」

「別に、無駄じゃないしいらなくないよ」

 と、僕はなんとかそれだけ言う。

「そうかなあ?」

 と、西村は言って、もう一口ケーキを口に入れた。

 それから僕は黙って磨き終わったカップを食器棚にしまい、一つだけカップを持って席の方に回ると西村の隣に座り、置いてあったコーヒーサーバーからカップにコーヒーを移し、

「あゆむ君がいると、さっきのネコの事といい、退屈することがないし」

 と笑いながら言った。それからコーヒーを、一口飲む。やはりコーヒーは、二杯以上たてたものがおいしい、と思う。

「なに、私はただの暇つぶし相手? 暇つぶしの為だけに時給払ってるの?」

「別にそれだけって訳じゃないけど、でも、こうして一緒にコーヒーを飲む相手にもなってくれるっていうのは、とても大きいよ」

「マスターの寂しがり」

 怒るふうでもなくそう言って、西村はコーヒーに口を付けた。僕もコーヒーを飲みながら、カップの中で一人笑う。誰かと一緒に飲むコーヒーというのは、やはりいいものだな、と思う。

 頭の中に、一人でコーヒーを飲んでいた頃の、サーバーに残ったコーヒーをシンクに捨てるときの映像が思い浮かぶ。ばしゃっと勢いよくシンクにこぼれて、微かに芳ばしい薫りを放ちながら流れていく、焦げ茶色の液体。

 コーヒーは、一杯だけ淹れても妙にさらりとしてしまって、あまりおいしくならない。だからいつも僕は、コーヒーをたてるときは二杯以上たてるようにしている。

 多分、コーヒーというのは誰かと一緒に飲むためにあるのだ、と思う。

「なあマスター。なんだか店員二人でゆっくりくつろいでるようだが、俺のコーヒーはまだなのか?」

「わっ、ごめんなさい。忘れてました」

 僕は言われて思い出し、勢いよく立ち上がってカウンターの中に回り込んだ。

「おいおいおい。大丈夫かよ」

「いや、豆を挽くところまではやったんですけど、磨いたカップをしまったらそれで仕事が一段落したような気になってしまって」

 つらつらと言い訳を並べながら、僕はミルからドリッパーに挽いた豆を移す。お湯はすでに沸いている。三杯分くらいのコーヒーをたてて、保温性の高いポットに入れ、それを暖めたカップと一緒に西村がテーブルまで運ぶ。

「マスター、案外間抜け」

 コーヒーを運びながら、西村は楽しそうに笑った。

「クッキーおまけでつけときました。よければ食べて下さい」

「おお、悪いな」

 嶋井さんは言うと、クッキーを口に運ぶ。嶋井さんはふだん、この店ではコーヒー以外ほとんど何も口にしない。

「それにしてもお前ら、今仕事してるって自覚、まったく無ぇだろ」

 嶋井さんに言われて、僕と西村は同時にキョトンとしてしまった。僕は心のなかで、無いなぁとつぶやき、ソレとほぼ同時に西村が声を出して、

「……無いなぁ」

 と言った。

「そんなことより今私はネコのゴハンのことで頭がいっぱいです」

 と西村が言うと嶋井さんが、

「ネコの餌付けも結構だが、お前ネコに餌付けする前に、マスターに餌付けされてんの気付いてるか?」

「なに、それ」

 すると嶋井さんは「それ、それ」といって西村のケーキを指さす。

「え、何これって餌付けなの? マスター」

 と、急に西村が問いただすようにこっちに突っ掛かってきたので、僕は思わず声を出して笑ってしまった。

「笑ってないで答えてよ。ねえ」

 西村がそう言うけれど、僕は答えず、ただ笑っていた。

 動物扱い反対だの、労働者の権利がどーのこーの、自分は餌付けされても懐かないし懐いてないぞだの、西村は訳の分からない事を延々と喋りながらも、やはりケーキをパクつくのを忘れない。

 僕は笑いながら、そういえばまだ来月のブレンドを考えていないな、と思いだす。

 豆は何を使おう。ローストは、比率はどうしよう。ブレンドを考えるのは大変だけど、やはり楽しい。西村の詰め寄ってくる顔を見ながら、僕は西村に言われた『多すぎる』ストレートコーヒーの事に考えを巡らせる。

 今回は、西村の気に入りそうな味でも見つけてみようかな、と思った。


 最後までお読みくださってありがとうございます。

 お時間ありましたら感想いただければうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] おもしろかったです。けっこういろいろな小説読んでいるんですが、一番文体や内容がしっかりしていると思いました。 ほのぼの感がでていて好きです。 これからもがんばってください。
[一言] のんびりとしていて、ほんのりと暖かい。……和みますねぇ。 一行一行丁寧に、というだけあって読みやすかったです。 ただ力が入りすぎたのかな、と思う部分が少し。 時々長い文が出てきますが、テンポ…
[一言] まさにほのぼのの鏡ですね!いやー和みました。こういったお話は大好きです。素敵な喫茶店の一時が浮かびました。 一文一文を丁寧にとありましたが、じっくり読めて飽きない文章は力があるなぁと驚きまし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ