シナイ半島の戦い 第二次中東戦争
1.はじめに
地中海沿岸部、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプトに囲まれたイスラエルは周辺諸国全てを敵に回したユダヤ人の国家である。周りを敵に回した状況でイスラエル国防軍:IDF(Israeli Defense Forces)は誕生した。1948年、イスラエル国防軍の前身となったHaganaは常備軍のPalmach(第9旅団、第10旅団、第12旅団)、予備役・義勇兵のHel Sadeh(第1旅団~第6旅団)、Hel Mishmar(第7機械化旅団、第8機甲旅団、第9旅団)、砲兵、工兵、空軍で構成されていた。
イスラエル人の戦いは1948 Arab Israeli Warで知られるイスラエル建国から半世紀以上と長い。日本で一般的に知られる中東戦争だけでも5回を数え、第二次世界大戦後の近代戦を経験し貴重な戦訓が蓄積されている。今ではカビ臭いが、当時の最新情報であり日本はもとより各国にもこぞって研究された。
一般的に中東戦争関連の本はそれなりに出回っているが、戦術レベルで「どの大隊のどの中隊がどのように動いた」と戦史の観点から語られた物は残念ながら少ない。一般的な読者を対象にした場合、その辺りの細かい描写が求められないという事があるからかもしれない。
戦史、戦術の参考では「第四次中東戦争シナイ正面の戦い」「ゴランの激戦」「中東戦争全史」が身内向けに書かれた物の市販として出ている。また邦訳された「砂漠の戦車戦」はかなり割愛されている物を感じさせるが、当時の部隊運用と言う観点から記された貴重な一冊と言える。邦訳で比較的新しい「イスラエル地上軍―機甲部隊戦闘史」は良書と言える。
※学研M文庫から出ている中東戦争全史は、中東情勢をコンパクトに纏めている点では優れているが、部隊の動きなどを追う場合に比較すると軍事史と言えない。M文庫以前に原書房から同じタイトルで出版されているが、著者は異なる。
イスラエルとアラブ諸国の戦いは米ソが支援していた事で代理戦争の側面があると捉えられているが、ユダヤ人とアラブ人が生存圏を賭けた闘争であった。事実、第2次中東戦争で米ソは英仏イスラエルの軍事行動を批難し占領地から撤兵する様に圧力をかけた。
2.Suez Crisis:Operation Kadesh(1956)
英仏は植民地主義から完全に脱却したとは言い難かった。スエズ運河の利権。これを彼らは捨てられなかった。イスラエルにとってエジプトは脅威であり英仏の軍事行動は渡に船であった。三者の利害が一致した結果、いわゆる第二次中東戦争が発生した。
英仏がスエズ運河の利権を確保せんとエジプトに派兵の動きを見せ、同調したイスラエルもシナイ半島に侵攻した。
Operation Kadeshが始まった当時、イスラエルとの境界線に展開するエジプト軍は第4歩兵旅団、第5歩兵旅団、第6歩兵旅団の3個旅団しか存在しなかった。これらの部隊は最前線に張り付いているにも関わらず充足率は低かった。
10月29日1659時、Raful Eitan中佐指揮の第202落下傘旅団第890大隊395名がダコタ輸送機16機によってスエズ運河東40マイルのMitla Passに運ばれ降下、北から第11歩兵旅団がGaza地区に侵攻。第77、第38任務部隊(Ugdah:師団規模)が国境を越えて、それぞれエジプト第5、第6歩兵旅団を攻撃した。
南側を前進する38th Ugdahは第4歩兵旅団、第10歩兵旅団、第7機甲旅団で構成される師団規模の任務部隊であった。※文献によれば師団と翻訳している物もあるが厳密には異なるので以下、任務部隊と表記する。
尖兵を勤めた第7機甲旅団はUri Ben-Ari大佐の指揮下、第9機甲大隊(AMX-13戦車3個中隊、機械化歩兵1個中隊)、第82機甲大隊(M4戦車2個中隊、機械化歩兵1個中隊)、第52機械化歩兵大隊、第61歩兵大隊、120㎜迫撃砲1個大隊、25ポンド砲1個大隊、1個騎兵中隊で構成される。対するエジプト第6歩兵旅団は第17歩兵大隊、第18歩兵大隊、第289予備歩兵大隊、第78対戦車中隊、第94対戦車中隊、第3砲兵連隊(25ポンド砲×16門)と貧弱な戦力だったが、山間部の隘路を守備するには十分な戦力とも考えられた。
エジプト軍前哨のQusaymahで歩兵大隊を撃破した第38任務部隊は第52機械化歩兵大隊、第82機甲大隊B中隊、騎兵小隊が北上してUmmoatefを指向する動きを見せた。第82機甲大隊と第52機械化歩兵大隊は下がり南から防御側の主陣地であるAbuageilaの後背を突く体勢に入り、Abuageilaのエジプト第6歩兵旅団は三方向から挟撃される形となった。
北側では平野部が広がる地形により機動の優位性を発揮して快進撃が行われた。Shmuel Goder大佐指揮下、第10歩兵旅団(歩兵大隊3個、砲兵大隊、偵察中隊、対戦車/対空中隊)は10月30日~10月31日、中央を前進。11月1日、Umm Qatefの防衛にあたった。
IDFの目的はエジプト軍主力の到着前にシナイ半島に展開する部隊を撃破し、スエズ運河に到達する事で英仏介入の大義名分と状況を作り出すことだったと考えられるが、IDFの攻勢に対してエジプト軍は第4戦車師団第1戦車旅団、第2戦車旅団のT-34戦車、SU-100自走砲200輛を急派した。
3.その後
あれやこれやでIDFはエジプト軍を叩き潰しシナイ半島を制圧するが、最終的に撤収する事になる。