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1、神木

1、神木


 温かい日差しに全身が包まれる。

 爽やかな風が肌を撫でていった。

 濃い緑の匂いが鼻の奥を刺激する。

 太陽の輝きに目が眩んで、反射的に閉じた瞼を今度はゆっくりと開いた。

 白く染まった視界が段々と情報を捉えていく。

 初めに目にしたのは大きく広がった大樹の枝葉だった。

 濃緑の葉が茂った自然の天蓋。

 ぼんやりとした頭で考える。


(ここ、どこだ?)


 緩慢に進む思考で思い出そうとする。

 直近の記憶は、高校の、保健室?

 そうだ。

 確か授業中に気分が悪くなって保健室で休んだんだった。

 ベッドを借りて眠っていたはず。

 当然、高校の保健室は屋外にあるわけがない。観葉植物として、木を植えるなんてありえない。

 となると、ここは保健室ではないわけだが。


(じゃあ、ここはどこなんだ?)


 最初の疑問に戻ってくる。

 保健室の後からの記憶がない。

 何者かがここまで俺を運んだということなのだろうけど、誰が? どうして?

 誘拐なんて物騒な単語が浮かぶけどそれならこんなところで放置される理由が思いつかない。

 ゆっくりと体を起こす。縛られたり拘束されていなかった。ますます誘拐の線が薄くなる。

 情報を求めて周囲を見回して絶句した。


「う、わ」


 思わず声が漏れる。


 驚いた。

 いや、素直に表現すれば感動した。


 一面の緑。

 彩色濃淡。

 世界の緑という色の展覧会みたいだ。

 見渡す限りの森林が少し先からずっと続いている。


 見惚れていたのは数分か。

 ようやく観察に意識が向かう。

 木々は一定のスペースから向こう側で生えている。

 どうも俺のいる辺りを中心に広がっているようだ。

 この森林の中心地がここっぽい。

 改めて現在地をよく確認しようと背後を見上げる。


「――――――――――――」


 今度は言葉も出なかった。

 巨木。

 なんて表現でも足りない。大木でも大樹でも全然だ。『この木なんの木、気になる木』の木だって勝負にならない。

 スカイツリーとかああいった超高層建築物が木になったといえば伝わるだろうか。

 真下からでは頂上が視認できなかった。

 絶壁にも見える幹。

 鉄板じみた硬い皮。

 柱のように太く長い枝。

 葉の一枚ですら俺の背丈を超えている。

 スケールが違いすぎる。

 これを見てしまった後なら世界樹なんて伝説も信じられた。

 そんな巨木の下に俺はいた。

 ようやく放心から回復した俺は再び同じ疑問を抱いた。


「だから、ここはどこなんだよ」


 図鑑か何かでカリフォルニアに世界最高とか世界最大の木があるなんて知識はあるがこれは明らかにそれよりでかい。いや、実物を見たわけではないが目の前の木は数倍はある。

 ここまで来るとほとんど山みたいなものだ。

 少なくとも地球上に存在する木とは思えなかった。

 仮に存在するというなら人類の目が届かない秘境となるのだろうが、そんなところが現代の地球に残っているのか疑問だし、なによりそんな場所に俺がいる理由が皆目見当もつかない。


 ここで「やった。発見者として歴史に名前が残るぜ」なんて考えられたら俺も幸せなのだろうか。

 馬鹿な考えは置いといて、現実に目を向けよう。

 いや、違うか。

 確かめるのはここが現実か否かから。

 夢というなら簡単だ。

 手始めに頬を叩いた。


「ぶはっ!」


 普通に痛い。

 身近な木の幹に触れる。ザラザラとしたリアルな感触。

 ……空を飛べというイメージをしてもピクリともしない。

 明晰夢の経験はないのだが、これは現実味がありすぎるのではなかろうか。

 夢だとすれば俺のイメージが元になっているのだろうが、俺のような人間の中にこんな世界を抱えているとはどうしても信じられない。


 なら、外部から情報を与えられているとしたら?

 脳にヘッドセットみたいな装置をつけて、脳に映像を送っているとか。

 馬鹿らしい。俺の知っている科学技術はそこまで到達していない。

 していたとしても結局のところ、そんな装置の被験者になる経緯が不明だった。

 なのでここがバーチャルリアリティとも考え難い。


 うーん。正直な感想、この目に見える世界はリアルすぎる。

 夢とか電脳とかでは説明がつかない。


「現実、なのか?」


 そう考えるとしっくりきてしまう。

 考えたくないんだけどなあ。

 とはいえ夢ではなかった時、なんの対処も持たないのは最悪だ。


「最悪の場合、ね」


 既に今が最悪とは考えたくない。

 ここがどこかは考えても答えが出ないだろう。

 今度はなぜここにいるのかを考えてみようか。

 心当たりはない。それでも自分の意志でここにいない以上は何者かの意思が介在しているわけだ。


「誰が、どうして?」


 そこから探るべきか。

 木の幹に額を当てて瞑目する。

 ダメか。情報が足りない。

 何をするにしても、何を決めるにしても、判断しようがない。


「そっちからだな」


 方針が決まる。情報収集だ。

 目を開けて、初めて足元に目が向いた。

 というか、自分の体に。


 裸。

 裸族。

 まっぱ。

 はだかんぼうばんざい。


 いろんな単語が真っ白な脳裏を高速で過ぎ去っていった。

 お巡りさん、俺です。

 誰だこのストリーキングは。や、俺なんだが。

 うお。急激に恥ずかしくなってきた。

 今までの自然に対する感動とか、現状への考察とか、どれもが素っ裸のままだったと気づくときつい。

 自然と一体化しすぎだ。


「いや、落ち着け。俺は悪くない。悪くない。被害者。剝かれた側」


 恥ずかしいのは我慢。我慢だ。

 しかし、思考が働き始めると問題に直面してしまう。


 1 事情の知らない人は俺を見て変態にしか見えない件。

 2 こんな格好で森の中に入るのは危険すぎる件。


 うわあ。なんて絶望感。

 辺りを見回してみても服なんてない。

 今さら気づいたが俺は裸のまま寝ていたらしい。布団どころかシートもなし。大胆だな。

 人生に飽き飽きしてはいたがこんな刺激は求めていなかった。変な趣味に目覚めたらどうしてくれる。

 今のところ解放感に幸せは感じない。心もとない気分だけ。よかった。

 ともかく、危急な対策が必要になった。

 こんなところを誰かに見られたら……。想像しただけで血の気が引く思いだ。


「きゃ ――――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!」


 絹を裂くような悲鳴。

 気が付けば森と広場の境目辺りに少女が一人。

 よく見れば僅かに小道ができていてひと一人が通れるようになっていた。

 小学生高学年ぐらいだろうか。清潔な白いワンピースに木靴。健康的に日焼けした黒髪の少女がしゃがみこんでいる。辺りに散らばった果物や花などは彼女の持ち物だろう。

 彼我の距離、約二十メートル。高低差2メートル。

 涙目の彼女と目が合ってしまった。


「は、は、はだか。はだかの、おとこの、ひと」

「待て!」


 混乱して呟く少女に毅然と語りかける。


「これにはわけがある」


 この場面で説明が入ると思わなかったのか、ひとまず少女は沈黙した。

 いや、こっちを凝視しないでほしいのだが。ばっちり見てやがる。おい。やめろ。目を合わせるんだ。下はやめろ。ちくしょう。俺の目が汚いからって目を逸らすな! せめて横を向け。

 羞恥は脇に置いて続きを考える。

 当然、わけなんかない。少なくとも自分では説明できない。

 果たしてありのまま話したところで信じてもらえるだろうか。

 万人が納得できる理由なんて『変質者』しかない気がする。

 くっ、世界が俺に対して厳しすぎやしないか。

 ならば、手段はひとつ。


「じゃ」


 逃げる。

 全力ダッシュ。

 入り組んだ木の根を飛び跳ねていく。

 少女は突然の展開についていけず固まっていたが、


「誰か来てえ! 変態よ! 神木に変態がいるのお!」


 そんな叫び声が背後から聞こえた。

 ぐう。言い訳しようがないとはいえ心が痛い。

 幸い裸身を見せつけたことに快感はなかった。大丈夫。目覚めていない。論理的に俺は変態ではない。状況的に変態なだけ。

 とまれ、捕まれば本当に釈明の余地はない。

 俺の未来のためには逃げ切るしかなくなった。


 木の根は所々で大きく波打っているのでまるでアスレチックのようだった。

 少女が応援を連れて来るまでどれぐらいかかるだろうか。よくて数分か?いや、声が届く範囲内にいるのだとすれば一分前後か。

 しばらくすると想像通りの野太い男達の声が聞こえ始めた。

 一層、速度を上げる。

 このルートなら大人数での追跡は難しいだろうが回り込まれてしまえばおしまいだ。

 くそう。幹が太い。半周するのにどれだけかかるんだ。

 後先考えない全力疾走で一気に裏側まで走り抜ける。

 そういえば「走れメロス」のメロスは最後全裸だったとか。今なら彼と友人になれるかもしれない。


 木々の隙間に飛び込んだ。途端に日の光が木々に遮られて暗かったが、それでも足元は見える程度だった。ちらりと背後を振り返るが人影は見えなかった。

 おそらく森に入ったところは見られていない。これで追跡の手は半減するはず。あちらは根元の隙間に隠れているという疑念を捨てきれないからな。二手に分かれるだろう。


 体力の続く限り森を走った。

 正直、方角には自信がない。

 見える限り木、木、木。

 規則性のない木々の隙間を縫って走っているのでどこかで反対方向に戻ってしまっているかもしれない。

 とはいえ、今は距離を取る時だ。方位はあっていると信じる。

 果たして前方が段々と明るくなってくる。森を抜けるようだ。その先があの大木の広間か外なのか。


「頼むぞ」


 祈りが通じたのか。そこは広場ではなかった。

 砂利の敷き詰められた広い道。どこか神社に似ている。


 安心するのはまだ早い。誰かに見られた瞬間に詰みだ。

 道の向こうは木製の建物ばかりだった。

 呼吸がきつい。もう走り続けるのは無理だ。どこかで休まないと倒れる。

 意を決して一番近くの建物に忍び込む。

 頑丈そうな扉の何やら立派な建物だった。階段や壁にも精緻な彫刻が施されていて、いかにも特別だという様子。

 こんなところ鍵が掛かっているに決まっているが疲れた体は一縷の希望に縋って扉を押す。

 そんな予想に反して扉はあっさりと開いた。まるで抵抗もなくスッと開いたのでそのまま倒れ込んでしまった。

 ゴロンと盛大に一回転して寝転がる。


(……立てない)


 自覚していた以上に疲れていたようだった。胸の鼓動は荒く、息は熱く激しく、足は痙攣していた。

 扉は自然と閉じてくれたが鍵をかけなくては。


(鍵が、ない?)


 鍵どころか、閂も、鎖もない。

 しまった。ここでは籠城もできない。

 捜索の手が追いつくまで僅かもあるまい。

 必死に視界を巡らせると高級そうな木製の箱がいくつも置かれている。中央には縦長のケースが鎮座していて、そこだけは注連縄で囲まれていた。

 倉庫……というか宝物庫?

 ここが神社だとすればかなり重要な施設っぽい。


(失敗だったか)


 再び外に出て次の隠れ場所を探すリスクとここに留まって捜索者に見つかるリスク。

 どっちだ。

 しかし、決断する時間もなかった。

 外で複数の足音が聞こえる。


「探し出せ!」

「近くにいるはずだ!」

「近衛は建物の内部をあたれ!衛兵は外を囲め!絶対に逃がすな!」


 もう外は追手が来ていた。

 せめて箱の陰に隠れる。這いずって近くの箱の裏に回り込む。


「いたか!」

「宮殿にはいませんでした!」

「外にも出ておらんのだな。神域はどうだ!」

「今のところは。足跡は確かにこちらに向かっております!」

「裏をかいて戻っているかもしれん。もう一度探し直せ!拝殿から探すぞ!」


 やはり神社なのか。宮殿というのはわからないが神域とか言っていたし間違いないだろう。

 この辺りは神社の施設らしい。追手が物々しくも慎重に調べて回っているのが声でわかった。

 段々と声が近づいてくる。


「まだ見つからんのか!」

「後は本殿だけです!」

「ぬう」


 声がこの建物の前で止まった。

 本殿。ここなのか?

 誰かが階段を昇る音がする。

 いる。扉の前に。


(終わった)


 悪あがきとはわかっているが呼吸も止めてじっと隠れる。

 せっかく落ち着いてきていた鼓動が跳ね上がった。

 永遠にも感じられる数秒の後、


「……開かぬか」


 外の誰かが呟いて足音が離れていった。


「相手は変質者とは限らん! 木人であれば神木の危機だ! 草の根わけても探し出せ! いくぞ!」


 驚きで硬直したままでいると外の集団は別の場所へと移動していったようだ。念のため、完全に音が聞こえなくなってからさらに百数えて動き始める。

 まずは大きく深呼吸。


「……助かった」


 鍵もない扉が開かなかったというのは何故だろう。

 考えられるのは調べに来た男が俺を庇ってくれた可能性ぐらいだが理由がない。

 とりあえず、一度調べられたここならしばらくは大丈夫か。色々と考える時間はできた。

 得た情報を並べよう。


・さっきの木は神木というらしい。そして周辺の森が神域。

・外は宮殿と神社の施設がある。

・ここは本殿と呼ばれる場所。

・近衛や衛兵がそれらを守っている。

・日本語が通じる。日本人のようなアジア圏の人種だった。

・裸は変態。


 こんなところか。

 仮にここが日本だとするとあの神木というのがわからない。俺の知る日本にあんな巨木は存在しない。

 だが、他に日本人が多くいて日本語が普通に使えて日本文化が根づいている土地などあるのだろうか。もう日本だろ、ここ。


「色々と符合しないな」


 日本に近衛兵団がいたのって帝国陸軍の頃だよな。衛兵っていうのもなんだ? 警察じゃないのか? それに宮殿? ここは皇居とか御所とでもいうのか。

 混乱してきた。

 とにかく俺がしなければならないのは辺りからの脱出と衣服の確保だろう。情報収集はそれからだ。


 とはいえ、しばらくは待機の一択か。

 捜査が長引けばどこかで打ち切りになるし、そうでなくても通常業務のために人数は減る。

 それまでは体力の回復に専念しよう。

 なに、言葉が通じるなら問答無用で殺される可能性も減るだろう。


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