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6 こいつはいいやつだよ

 次の日の朝、フアンが煙草を吸うためにベランダに出ていたら、下にいたホセに呼び出された。何かと下に降りてみたら、ホセはひそひそ声でこう言った。

「フアンさんがんばってるよね」

「何が」

「パロマちゃんの事。恋人とかじゃなくて、本当に家出を手伝っただけなんでしょ」

「おう。それの何が頑張ってるんだ?」

「あんな可愛い子が隣にいてさ」

「そういうことかよ」

 ふん、とフアンは笑い、煙草をくわえた。

「俺は、あの子のことをそう言う目で見てないから」

「って自分に言い聞かせてるんじゃないの?」

「冗談はよせ」

「ふうん、なんだつまんない」

 ホセはそう言うと、空を仰いだ。澄みきった空に、雲はほとんどない。

「あの子はすぐにここを出るだろうよ」

「そうなの?」

「知らん」

「出て行ってほしいんでしょ」

 フアンは、ホセの顔面に向かって、思い切り煙を吹きかけた。

「うわっ……げほっ、何するの!」

「お前は、俺とパロマをどうしたいんだ?」

「からかっただけじゃん。案外昨日の夜、パロマちゃんのこと、悩みに悩んで眠れなかったんじゃないの? 隈が凄いよ?」

「まじかよ」

 フアンが目もとに手を持っていくと、ホセはほらね、と笑って見せた。フアンは苦笑して、ホセをじとりと睨んだ。フアンの白い歯がきらりと光る、まったく、いたずら好きな男前だ。

「フアンさんは自分に正直じゃないから」

「うるせぇ」

 その時、頭上からフアンの名を呼ぶ声がした。二人で見上げると、パロマが上から手を振っていた。

「おはようございます、ホセさん」

「ホセでいいよ、パロマちゃん。髪、可愛いね」

「ありがとうホセ! 私もパロマでいいわ! フアン、まだご飯買ってないことに気が付いたの。朝御飯一緒してもいい?」

「あぁそうだったな、今行くよ」

「ありがとう!」

 パロマは笑顔で手を振ると、部屋に引っ込んだ。フアンは煙草の火を消すと、傍にある灰皿に煙草を投げ捨てた。ねぇ、とホセがフアンに耳打ちする。

「髪、切っちゃったの?」

「変装、だそうだ」

「そっか……もう、警察とか動いちゃってる?」

「それが、なんか裏があるらしくて、警察はまだ」

「まじで? アルベルト情報?」

「おう」

「ならまじか……なんかあったら言って、俺助けるよ」

「ありがとう、ホセ」

 フアンは手をあげると、急いで部屋に戻った。部屋の中から隣の部屋に通じる扉を、二三度ノックする。すぐに扉は開き、パロマが笑顔で出迎えた。


「おはようフアン」

「よく眠れたか?」

「うん。フアンは?」

「ばっちりさ」

「よかった。ねぇ、ところで……前から聞きたかったんだけど、思い切って聞くわね。もしかして、ホセって……」

 その、あの、と、物事をはきはき言うパロマには珍しく、口ごもりながら何かを言おうとしていた。フアンはにやりと笑うと、一言「ホセってモデル?」と言った。

「えっ?」

「って聞きたいんじゃないのか?」

 パロマは少し頬を赤らめると、小さく頷いた。

「うん……ホセって、あのよく雑誌で見る、その……」

「そうそう。よく雑誌でみる、あのホセだよ」

「やっぱり!」

 パロマは目を輝かせた。その笑顔に、思わずフアンもつられて笑ってしまう。

「あいつ、有名なんだなぁ。こんなに近くに居るから、どうも実感がわかないけど」

「有名よ! いろーんな雑誌に出てるもの! 今をときめくモデルよ。メディア出演はほとんどなくて、ミステリアスなのよね。昨日、実は会った時からあれ、もしかしてって思ったんだけど、でも、それどころじゃなくって」

「なんでこんなところにって感じだよな」

「ほんと! わー、やっぱりあのホセなんだ! びっくりしちゃった」

「秘密な」

「もちろん。恋人がいるなんて知れたら、大変でしょ」

「確かに」

 二人は目を合わせると、同時に笑った。


「今日は、食料やらを買い出しに行こう」

「そうね、ありがとう。そうだ」

 パロマはここで一息入れ、オレンジジュースを一口飲んだ。フアンはサンドイッチをかじりながら、パロマの言葉の続きを待つ。

「宝石を高く買ってくれるような人、知ってる?」

 パロマの質問に、フアンはにやりと笑うと親指を立てた。

「俺を誰だと思ってる? 泥棒だぜ、もちろん知ってるさ」

「よかった! あ、でもあのオルゴールの中の宝石はフアンの物よ」

「え? 何言ってるんだよ、じゃぁお前は何を売るんだ?」

「荷物の中に、ちゃぁんと売る用の宝石を入れてあるの」

「おお、さすがだな」

 パロマはにやりと笑うと、フアンをまねて親指を立てた。

「私を誰だと思ってるの? ずっと泥棒に盗まれたいと思っていたお嬢様よ。元だけど」

「今は泥棒と同居してるなんてな」

「面白い人生だわ」

 ずばりとパロマは言ってのけた。その姿に、フアンは小さく口の端で笑った。


 食後、二人はまず宝石を売りに出かけた。宝石を売り、手に入れたお金を一旦置きに戻り、その後改めて買い物に行くことにしたのだ。

 宝石を買ってくれる「引き取り屋」と呼ばれる女は、アパートから少し離れた場所に住んでいた。アパート付近よりもさらにうす暗く、古い建物が所狭しと並ぶ、気味の悪い通りに彼女は住んでいた。そこに行ったらパロマは驚くかな? とフアンは思っていたが、その逆で、パロマはレジャーランドに来たかのように喜んでいた。

 変なお嬢さんだ、とフアンは苦笑した。引き取り屋の女性も、パロマの姿を見た第一声がそれだった。その言葉に、パロマは目を丸くした。

「なっ、何でですか?」

「いや、失礼」

 引き取り屋の女性はくっくっと笑いを押し殺している。

「そんな男が、まさかあんたみたいな可愛いお嬢さんを連れてくるなんて思わないだろう。しかもこの店に入った瞬間、素敵、だなんて」

「素敵ですよ、このお店!」

「ありがとう、まぁ座りなさいな」

 引き取り屋の女性は、店の真ん中にある大きな机に埋もれるように座っていた。小柄な女性が、大きすぎる机に飲み込まれているようだった。机の上には古びた本や袋、アクセサリー屋服などが所狭しと積み重ねられている。

 その店は物で溢れていた。

 店は小さな道の隅にぽつんと存在している。外からは分からないが、中に入るとたちまち別世界に行ったような錯覚に陥る。淡いオレンジ色の光が全体にしみわたり、壁や床には所狭しとたくさんの物が並んでいる。それは全て彼女が「引き取った」ものだった。宝石や衣服はもちろん、家具や写真、絵にランプ、靴にネジや仮面など、存在するものにジャンルはない。


 そんな店に入ったパロマは、フアンが予想していた通り、目を輝かせて手を組んだ。

「素敵」

 その言葉を聞き、思わず引き取り屋の女性がはなった言葉が「変なお嬢さんだ」である。パロマは不満そうだったが、それでも席に座るように言われた直後には、もう機嫌は直っていた。天井を見渡し、落ちてきそうなほどぶら下がっているランプとカーテン、絨毯に目を奪われている。


「それで」

 女性は頬づえをつきながら、フアンを見つめた。オレンジ色の爪先に、真黒なアイシャドウは魔女を思い出させる。服装も、長い黒のドレスにオレンジ色のショールと、まるでハロウィンのような色合いだ。

「どうしたんだいフアン。まさかその子を引き取れなんて言うんじゃないだろうね」

「違うよメリッサ」

「んふふ」

 メリッサと呼ばれた彼女は、満足そうにほほ笑んだ。

「なんだよ」

「いや、その名前で呼ぶ客も、今じゃ少なくなってね。嬉しくなっちまった」

「名前がたくさんあるの?」

と、パロマは首を突っ込んだ。目の中に興味津々と書いてあるようで、メリッサは思わず吹き出した。

「そうだよお嬢さん。私はね、お客さんには二十人ごとに違う名前を教えてるんだ」

「どうして二十なの?」

「単純に好きな数字だからさ……しかし、なんだいフアン。どうしたんだいその子」

「まぁな、いろいろあったんだよ」

「ふうん。なかなか面白い子じゃないか、私を見ても驚かないなんてね」

 メリッサはフアンをじろりと見つめた。口元はにやりと笑っている。フアンはメリッサから目をそらさないようにした。この女は目をそらしたりすると、弱い男だとからかってくる可能性がある。そういう人なのだ。

「まぁいい……」

 フアンを試すようにしばらく黙った後、メリッサはふいとフアンから視線をそらした。机の上にある羽ペンを取り、手元でくるくると回す。

「知られたくない情報は言うべきじゃないからね。本題に入ろうか。何を引き取ってほしいんだい?」

「宝石」

「見せて御覧」

 フアンはポケットから宝箱を取り出し、差し出された手の上に、フアンは宝石が入った宝箱を置いた。

「この宝石箱だけで百ソールはくだらない」

 瞬時にメリッサは言う。フアンはえ、と驚きの声を挙げた。

「えっ、百ソール?」

 百ソールと言えば、安い車が購入できるほどの額だ。

「あぁ、有名な職人が作った宝箱だ、まだ若いけどね。お嬢さんのかい?」

 いきなり訪ねられたパロマは、黙ってフアンを見つめた。フアンも本当のことを言っていいのか分からず、黙って肩をすくめるだけだった。

「んふふ、まぁいい。オーダーメイドだよ。文献には載っていないね。これを作った職人は、随分と贈った相手が大好きだったと見る。引き取っていいのかい?」

 今度はフアンがパロマを心配そうに見つめた。パロマは肩をすくめると、小さくうなずいた。

「あぁ」

「ありがとうよ。じゃぁ開けさせてもらうよ」

 メリッサは宝箱を開けると、その中に入っている宝石を見て目を細めた。口元から笑みは絶えない。音楽が鳴っているが、それには全く反応しなかった。もしかしたら見た瞬間にオルゴールだと気が付いていたのかもしれない、とフアンは思った。

 メリッサはしばらくそれを見つめた後、蓋をぐいと押し、宝箱を占めた。それを見た依頼者の二人は、同時に「えっ」と声をあげた。その様子を見たメリッサは、んふふと笑いをもらした。

「どうしてこんな仕掛けを作ったが知らないがね、引き取り屋の私にとっちゃぁこんな仕掛けすぐに見破れるよ。フアン、これは全部で七百二十四だ」

「七百二十四ソールだって!?」

「そうさ、不満か? 嘘はついてないよ」

「いや、メリッサのことは信じてるよ。そんなに凄い額なのか?」

「あぁ。いい仕事したじゃないか」

 メリッサは机の上に宝箱を置くと、くるりと椅子を回転させて後ろを向き、古びたクローゼットを開けた。中には大きな金庫が四つ入っていた。上から三番目の金庫を開け、そこから金を取り出した。素早く金を数えると、それをひとつにまとめてフアンに差し出した。

「はいよ。七百二十四ソール」

「ありがとう……なぁ、小さい金庫ってある?」

「んふふ、お前が金庫をほしがる日が来るなんてね」

「ふたつほしい」

「お嬢さんの分かい?」

「それなりにいい奴を頼むよ」

 メリッサは左端をすっと指差した。

「緑色の棚、上から三番目の左の方にある」

 フアンは片手をあげると、言われた場所に行き、金庫を二つ取った。新品ではなかったが、それなりにいい物だった。力づくで壊そうとしても、そう簡単にはできないだろう。

「ありがとよ。ついでに袋もくれ」

 傍にあった白い袋を取ると、フアンはそれをメリッサの机の上に置いた。

「五百だよ」

 メリッサが口元を押さえながら言った。はぁ? とフアンは素っ頓狂な声をあげる。

「どんな金庫だよ!」

「くくく、面白いよフアンは。なんでよりによってその一番高い袋を手にするんだ?」

「え、これ?」

「その袋が四百九十ソールだ」

「おおおおおい、じゃぁこれ無し。やめた、一番安い袋くれ、金庫が入るような」

「風呂敷ならただでつけるよ、いらないのがあるんだ」

「それで!」

「はいよ、じゃぁ十ソールおくれ」

 あぁよかった、とフアンは額の汗をぬぐった。そのようすを見ていたパロマは、必死に笑いをこらえていた。

「お嬢さん。こいつはいい奴だよ」

 いきなり話しかけられたパロマは、慌てて表情を引き締めた。十枚の紙幣を数え終えたメリッサは、にやりと笑うとフアンを指差した。

「馬鹿だけどね。泥棒にしちゃ正直で、根はいい奴だ。育ちがいいからね」

「メリッサ」

 フアンが低い声を出した。空気が凍るのを感じ、パロマは肩をすくませた。

「おっと、すまないね、フアン」

 メリッサはパロマに向かって苦笑した。空気が溶けて行くような気がしたが、パロマはまだ肩をすくませたままだった。

 今のはなんだったのだろう?

「忘れてくれ、お嬢さん」

「………………」

 パロマは何も言わず、首をかしげてその場をごまかした。育ちがいい? フアンが? パロマはフアンを横目で見たが、フアンはこちらを見てはいなかった。

 隠したいことなのかもしれない。

 パロマは好奇心に襲われそうになったが、黙っておいた。聞いてはいけないと言う事は確かだったし、フアンを怒らせたくはなかったからだ。


「メリッサ、実はまだ宝石があるんだ」

「なんだって?」

 ほら、とパロマに手を差し出すと、パロマはぴくりと体を震わせた。そんな様子を見て、フアンはパロマに何か悟られたかもしれないと感じた。このおしゃべりばぁさんが。フアンは心の中で悪態をついた。メリッサは、見た目こそ若いが年はけっこういっている。さすがに重要な情報をもらすようなことはしないだろうが、以前よりも話し好きになったのだろう。話しが弾めば、ついぽろっと、なんてこともあるのかもしれないと、フアンは自分を納得させた。

 パロマは慌ててポケットから袋を取り出し、フアンに渡した。それはすぐにメリッサの手に渡った。小さな袋を掌に置くと、メリッサはそれを上下に動かした。

「これも……宝石か?」

「はい」

と答えたのはパロマだ。

「さっきの宝箱のはフアンさんのお金なので、私のお金はそれで……えっと」

「ますます二人の関係が気になってきたところだね。まさかフアン、屋敷に入ってそのままお譲さんを盗んできたんじゃ……」

 フアンが決まりの悪そうに目を閉じ、パロマがあーうーとうなりながら言葉を探す様子をみて、メリッサは面白そうに目を見開いた。

「本当かい?」

「黙秘権を行使する!」

「あっはは」

 メリッサは天を仰いで笑うと、袋のひもをほどいた。

「楽しい話じゃないか。では、中身を失礼」

 メリッサは袋を逆さにし、中身をそっと空いている掌の上に乗せた。フアンも思わず身を乗り出してそれを見た。パロマの物だから、と一切中身を見ていなかったためだ。

 中からは真珠のネックレスと小さなピアス、それに指輪が出てきた。思ったより少ないな、とフアンは感じたが、メリッサの驚く様子を見て、宝石は数ではなく質だと言う事を思い出した。

「このネックレスだけで九百二十ソール」

「えええ!」

 思わずフアンは驚愕の声を挙げた。持っていた本人は無表情でメリッサの言葉を待っている。

「このピアスは五百だね。指輪は七百八十ソール。閉めて二千三百ソールだ」

「おおおいまじかよ……」

 フアンが驚くのをよそに、パロマはふんと不満そうにため息をついた。

「やっぱり」

 その声は低く、不満げな声だった。フアンは思わず訪ねた。

「やっぱりって、どういうことだ?」

「それを私にくれた男、嘘つきで有名だったの。そのネックレスは三千したって言ったわ。ピアスと指輪はセットで二千ソール! あの見栄っ張り、いつか殴ってやるわ」

「はっはっは、最高だね! お嬢さん、気に入ったよ」

 メリッサの笑顔に、パロマも満面の笑みでこたえた。

「私もメリッサさんが大好きになったわ。ねぇ、私にも名前を教えてくださらない?」

「いいよ、その代わりお嬢さんの名前も教えてもらわなければならないが、いいかい?」

「パロマ。パロマ・トーレスよ」

「私の名前はトリガー。」

「ありがとう、トリガー」

 嬉しそうに話しをするパロマを見て、フアンはパロマの決意を見た気がした。パロマはもう、あの家に戻る気はないのだ。着実に人脈を広げようとしているのが、果たして計算なのか、はたまたただの好奇心の産物なのかは分からないが……何にしろ、パロマはここでの生活をすでに作り始めているのだった。


 フアンは俯いた。

 こんなことをして、良かったのか?


 俺は、一時の感情に身を任せてしまった。あの夜、必死に屋敷から出ようとする姿に、思わず自分の過去を重ねていた。過去の自分を見ているようだと錯覚した。助けてやらなければと思った。

 十数年前のあの日、俺は一人であの家を出たけれど、彼女はきっと、そんなチャンスも訪れない。だから、泥棒が私を盗んでくれますように、なんてことを考えて自分を元気づけるしかなかったんだ。

 俺は、彼女を助けた。でも、でも本当にそれが正しかったのか?

 自分は、とんでもないことをしでかしてしまったのでは――――。


「フアン?」

「……ん?」

 パロマの声に、フアンは顔をあげた。慌てて笑顔を顔に浮かべては見せるが、うまくいってはいないことは自分でも判った。それでもパロマは、少し心配そうな表情を浮かべただけで、すぐににこりとフアンに微笑みかけた。

「お金、貰ったわよ」

 パロマの手には、小さな袋が握られていた。どうらや宝石が入っていた袋を財布代わりに使うらしい。

「じゃ、帰ろうか」

「うん。トリガーさん、ありがとう」

「いいえパロマ、フアンもね。いい品が入って嬉しい限りさ」

「ありがとう、メリッサ」

「また何かあればおいで」

「あぁ」

 行こう、とフアンは踵を返した。後ろでパロマが、また来るねとメリッサに言った。返事は聞こえなかったから、きっといつもの調子でメリッサは微笑んでいるのだろう。

 店を出ると、太陽がさんさんと道を照らしていた。もう昼も近い。今日は暑くなりそうだと思った。

「家に帰ろう」

 フアンは振り返らずに言った。パロマに何か訪ねられるような気がして、怖かったのだ。

 しかしパロマは何も聞かなかった。小鳥のようにフアンの隣によりそい、ありがとうと笑っただけだった。

 フアンは目を瞑った。

 彼女はこれからどうなるのだろうか。

 俺はこれから、どうしたいのだろうか。


 一旦家に金を置き、ふたりは買い物に出かけた。大金を持ち歩いて変えるとき、フアンは気が気で仕方が無かったが、幸運にもあまり人には遭遇しなかった。二三人顔見知りに会ったが、皆パロマを見て口笛を吹き、フアンににやりと笑いかけるだけだった。そのたびにパロマは困ったように笑ったが、フアンは冷やかしを無視し続けた。

 買い物には近くの町まで出かけた。あまり栄えている場所ではないが、小さな店がいくつかあった。スーパーで食料と、その近くの服屋で服を数着購入した。服はアンナから貰ったものがあるはずだったが、自分でも買ってみたい、とのことだった。

 パロマは動きやすいようにと、ジーンズを二本にシャツを四枚購入した。それを着ているパロマは活発な少女と言う印象を与え、とてもお嬢様には見えなかった。

 店を出た後、フアンはもう買いたいものは無いか? と訪ねた。単純に服の枚数が少ない気がしたため出た質問だったが、パロマは意地悪く笑うと、小さな声で言った。

「下着は大丈夫よ、ちゃんと逃げるとき用の鞄の中に入れてあるから!」

「おい、パロマ!」

「あははフアンの顔、真っ赤!」

 服が入った袋を抱えながら、パロマはくるくると回った。

「危ないからじっとしておけ!」

「はぁい」

 くそう、とフアンは頭をかいた。その表情を見て、パロマは笑いをこらえきれずに吹き出した。

「こんなおじさんをからかって何が楽しい!」

「楽しいわよーう」

「そうかよう、そりゃよかった、ははっ」

 フアンも我慢できずに、一緒になって笑った。



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