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3 ありゃ反則だ


「なんだ寝てるのね。なら話が早いわ」

 パロマは完全に伸びてしまっている警備員を、警備員室の窓から見下ろした。

 この警備員は、もしかしたらスタンガンで攻撃されたことをきっかけに深い眠りについているのかもしれない、とフアンは思った。警備員は椅子に腰かけたまま、上下に一定速度で肩を動かしている。警備員室の中に入って耳を澄ませば、すやすやと心地のいい寝息が聞こえてくるだろう。

「これ、持っていただいても?」

 パロマはフアンに白い大きなバッグを差し出した。フアンはだまってそれを受け取る。

「ありがとう。じゃ、警備員室の中を通って先に外に出ておいてもらえる?」

「お前はどうするんだ?」

「彼を起こすわ」

 何を言っているんだ、このお嬢様は! と、フアンはぎょっとする。

「なぜ!」

「あのね」

 パロマはどうして分からないの、といった表情でフアンをじろりと見つめた。

「いきなりあなたが入ってきて、気絶させられて、起きたらお嬢さんがいない。男が連れて行った! ってすぐに気がつかれるわ。それじゃ意味ないのよ。うまく切り抜けるから、取りあえず早く外に出て。出たら左に行って、最初の道を曲がったところで待っててちょうだい。警備員が今にも起きるんじゃないかって、私怖いの」

「……わかったお前に任せよう。荷物は持ったままでいいのか?」

「いいわ、はやく!」

 パロマは警備員室の扉を開け、顎でフアンを促した。フアンは面倒くさそうに頷くと、警備員に触れないように気をつけながら警備室に入り、外へとつながる扉を内側から開けた。パロマの指示通り、左に折れ、最初に目に入った道にするりと逃げ込む。

 しばらくして、パロマの声がした。何を言っているのかはよく分からない。数分のやりとりがあった後、彼女が来る気配がした。フアンは黙って、身をひそめる。

 パロマは走りながら登場した。満面の笑みを浮かべている。

「成功よ! さぁ連れて行って」

 フアンはパロマに背中を押され、倒れそうになりながらも前に進む。パロマは走る速度を緩めない。フアンも追いかけるように彼女の隣についた。

「案内よろしく、泥棒さん」


「どうやったんだ?」

 道を慎重に選びながら、フアンはパロマに問いかけた。パロマがフアンの隣でくすくす笑う。

「私は寝れなくて屋敷をうろついていたの。そしたら血相を変えたあなたと出会った。何かと思えば、あなたは警備員が倒れたっていうの。慌てて駆けつけたら警備員は椅子の上で気絶していた」

 そこまで言うと、パロマはだんだんと歩調を緩めた。フアンもそれに合わせて減速する。パロマは胸に手を当て、大きく何度も呼吸をした。フアンはなんともなかったが、彼女の様子を見ていると心配になった。もしかしたら、このお嬢様、普段は運動をしないのかもしれないな、と思い、

「休むか?」

 と問いかけたが、パロマは首を横に振った。

「いいわ。それより続き」

 まるでいたずらが成功した子供のように、パロマは心底嬉しそうな顔でフアンを見上げた。その表情に、思わずフアンはふきだしてしまう。

「な、なによう!」

 パロマはフアンから視線を外し、俯いた。

「いや、嬉しそうだから」

「嬉しいに決まってるわ!」

「あぁ、そうだったな」

 フアンは「続きを」と促した。

「そう、続きね!」

 まるで幼い子供が、クリスマスの朝にプレゼントを抱えて「パパ見て!」とプレゼントを見せるときのように、パロマは生き生きとした表情を浮かべる。

「私と工事に来た青年は必死になって警備員を起こそうとしたの。でも、青年は時間になってしまったから帰ってしまった。その後すぐに警備員は目覚めたって設定」

「そんなので成功したのか?」

「まさか。ここからが凄いのよ。警備員は当然言うでしょ、あいつは俺を気絶させた! 悪い奴だ!」

「そうだな」

「勇敢なお嬢さんは言うのよ。なんですって! あいつが! 許せないわ、捕まえてくる!」

 パロマは拳を振り上げ、迫真の演技を見せた。

「警備員は止めるわ。お嬢様、危ないからおやめください。でも私は言い返すの! えぇい許せるものですか! あなたはここでちゃんと見張ってて、大丈夫無茶はしないわ。相手は私を勘違いしたお嬢様だと思っている! まだ近くにいたら、とっ捕まえてやるわ!」

 大声をあげると同時に、パロマは全速力で走りだした。おい! とフアンも慌てて追いかけようとするが、パロマはすぐに立ち止り、くるりと片足で反回転し、フアンに向き直る。

「それで、走ってあなたのところへ来たのよ」

 にこり、と不敵な笑みを浮かべたお嬢様が、泥棒の目の前にいた。フアンは小さく鼻で笑うと、天を仰いだ。そこは狭い通路だった。ビルとビルの隙間に、月明かりで照らされた雲が見えた。

 パロマは、予想より軽いフアンの反応に口をとがらせる。何よ、空なんか見ちゃって、と言いたそうな表情だ。しかし、その愛らしい姿をフアンは見ることができなかった。

 フアンはすぐに視線を目の前にいるはずのパロマに戻したが、その時にはすでにパロマはフアンの隣に移動していた。いなくなったか? と一瞬慌てた後、横にいることを確認し、フアンは安堵のため息をつく。

「ちょこまかと」

 呟くが、どうやらお嬢様には届かなかったようだ。

「もっと驚いてくれると思ったんだけどなぁ」

 まったく、なんて自由気ままなお嬢様なのだろう。

 不満そうに言うパロマの頭を、フアンは無意識のうちに撫でていた。

「なっ!」

 パロマの肩に力が入る。長い髪の毛が、反動でふわりと浮いた。

「わっ、すっ、すまん」

 フアンは慌てて、パロマの頭から手を離した。

「いや、なんか、かわいらしかったもんで、悪い」

 離した指先で、決まりが悪そうに顎をかく。パロマが自分を見上げているのが分かったが、フアンは隣を見なかった。

 しまった、年頃の娘になんてことを、俺は。

 俺は何をしているんだ。馬鹿か。

 くすり、と隣でパロマが小さく笑った。

「変な人。かわいいだって」

「言われ慣れてるだろ」

「久しぶりよ」

 悲しそうな声に、思わずフアンは隣のお嬢様に顔を向けていた。彼女は空を見つめていた。大きな瞳に光が入りこみ、きらきらと輝いている。


「久しぶり」


 パロマは確認するように、もう一度呟いた。しばらくの沈黙の後、フアンは「そんなことないだろう」と言った。

「そうね、挨拶代わりや、ご機嫌取りなら、毎日のように言われていたわ」

 フアンはずっとパロマを見ていた。パロマはしゅんと、俯いた。

「本心で言われたのは、久々よ」

「……そうか」

 もうすぐ着く、とフアンは言った。楽しみだわ、とパロマは答えたきり、廃墟に着くまで口を開くことはなかった。


「あれだ」

 フアンは、古いアパートを指差した。

 そこに辿りつくまでの道のりを、フアンはわざと遠回りをして帰った。思いつきで家を飛び出したお嬢様が、冷静になって「やっぱり帰る」と言わないだろうかと、少しだけ期待をしていたのだ。しかしその淡い期待は、期待のまま消えて行った。

 屋敷を出た後からずっと、フアンは彼女の荷物を持っている。その時点で、彼女が全てをフアンにゆだねていることに、フアンは途中で気がついたのだ。いつか家を飛び出す時のための荷物、などといった白いバッグの中には、彼女の夢がたくさん詰まっている。それを泥棒に差し出すなんて、彼女はとんだ世間知らずだが――それはまた別問題だ。

 そのことに気がついてからも、フアンはしばらく遠回りを続けた。フアンは、彼女に時間を与えたかったのだ。

 出たくて出たくてたまらなかった家を飛び出した。わくわくしつつも、泣きそうになるぐらい不安なその心境が、フアンには痛いほどよく分かったからだ。

 フアンにも、彼女と同じように、家を飛び出した過去があった。

 俺もお前ぐらいのときに、おんなじような経験をしたんだ、なんて自分の過去をさらけ出そうとはしなかったが、それでもだまって道を一緒に歩いてやることはできた。

 長い道のりを、屋敷から逃げるように少し早足で歩いた。

 彼女は道中、何を考えていたんだろう。ちゃんと自分の中で、何かしらの疑問と答えが出ていればいいのだが。フアンはそう思っていた。

 しかし、真夜中に女性をずっと連れまわすわけにもいかない。フアンは、出来る限りの遠回りをした後、仕方ないと自分の家に連れて行く覚悟を決めた。

 やっと着いた自分の住みかを指差し「あれが俺の住んでるところ」と紹介する。そのアパートの周りには、一軒家かゴミ捨て場、それに空き地しかなかったので、背の高いアパートはやけに目立っていた。

「どうだ、ぼろいのが遠くからでも分かるだろう」

「そうね……素敵」

 素敵? と思わずフアンは声をあげたが、パロマは真剣そのものだった。まるで素晴らしい絵でも見るような視線を、おんぼろのアパートに注いでいる。

「……素敵か?」

「素敵よ。フアンの部屋はどこ?」

 パロマの歩く速度があがっていく。おいおい、そんなに楽しみなのか!? フアンは動揺をなんとか隠しつつ、あくまで冷静なそぶりを見せる。

「二階だ」

「人はどれくらい住んでるの?」

「二階には俺だけ。最上階に二人と、三階に二人。一人は多分長いこといないな。四階はこの前まで人がいたが、最近いなくなった」

「もったいない」

 あの屋敷を捨てたお前に言われたくはないだろう! そんな突っ込みをしたくなったが、やめておく。少なくとも、あのアパートには、彼女の忌み嫌うものたちは何一つとしてないのだ。もしかしたらパロマは、きらびやかな世界そのものが大嫌いなのかもしれない、とフアンは思った。


 二人はアパートに辿りついた。静かに、とフアンはパロマを二階まで連れて行った。さすがにこの時間帯は、住人全員が寝ているだろう。パロマは小動物のように、足音ひとつたてまいと、本当に静かについて来た。思わず噴き出しそうになったが、こらえて自分の部屋まで急ぐ。

 古い扉を開けた。息を吐く。やっと帰宅、だ。

「どうぞ」

 フアンは家の中に入り、扉を手で押さえた。

「お邪魔します」

 パロマは何のためらいもなく、フアンの部屋に入った。

 どれだけ信用されているんだ、とフアンは苦笑してしまう。

 パロマは怖がる様子も、怯える様子もなく、むしろ興味津々と言った表情で、フアンの部屋を見渡した。

 壁は、ひび割れたり、ところどころ崩れたりしている。小さなソファとテレビ、作業机とベッドが置いてあるだけの、小さな部屋だ。部屋の左隅には小さなキッチンがある。流し台には、無造作に食器が重ねられていた。綺麗にしておくんだったとフアンは後悔するが、仕方ない。どうやったって、盗みがえりに女性が一緒に来るなんて、予測できるはずがない。

「綺麗な部屋」

 パロマの感想に、フアンは思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

「いやいや! どこがだ、ちゃんと見たか」

「だって、あんなに月明かりが差し込むのよ」

 パロマはベッドを指差した。確かに、ベッドの横にある窓からは、月明かりがよく差し込む。

「お前の部屋も、そうだったろ」

「そうだったかしらね」

 つん、と突っぱねられた気がした。もう触れてほしくはないようだ。

「ところで、この部屋に住んでいいの?」

「どっ、どうしてそうなる! 唐突に同棲宣言するな!」

「えっ」

「えっ、じゃねぇよ! なぜそんなに驚いた顔をする!」

「なんだつまんない」

「お前はもう少し」

「パ、ロ、マ!」

 パロマは、フアンの叫び声を、叫び声で遮った。口を開けたまま、フアンは硬直する。

「パロマって呼んで。お前は嫌よ」

「……パロマって呼ぶからここに住むのは勘弁してくれ」

「なんでよう」

「なんでも何も、当たり前だろ!」

 慌てふためくフアンを見て、きゃらきゃらとパロマは笑いはじめた。

「なっ!」

 フアンの頬が赤くなるのが、自分でも分かった。

 くそう。このお嬢様、からかいやがったな……。

「冗談よ、あぁもう面白い! 隣の部屋に住めって言ったのはフアンよ」

「そんなこと言ったっけ」

「忘れてる!」

 お嬢様は、夜中にも関わらず大声で笑いはじめた。フアンは慌てて、とっさに彼女の口を右手で塞ぐ。

「し、静かに!」

 パロマは素早く口を閉じた。目にはまだ笑みが残っている。

 そっと白い指先がフアンの手の甲に触れた。ゆっくりと、フアンの手が下ろされる。

「ごめんなさい。楽しくて」

 パロマは微笑した。上品な微笑みだった。フアンは、逃げるように身を引いた。


 今さらながら、後悔する。俺はこいつを盗んで、どうしたかったんだ? ――フアンはすぐに考えるのを止めた。体中が重い。とりあえずゆっくり寝て、冷静になろう。


 フアンは手にしていたバッグを机に置き、ひとつため息をついた。

「……とりあえず、寝よう。部屋は隣の部屋でいいか? 俺の部屋と、扉ひとつで繋がってる。いつでも入ってこれるから、何かあったら呼んでくれ。嫌ならもう一つ隣の部屋でもいいが、どうする?」

「隣の部屋がいいわ。心細いの」

「わかった」

 フアンは、隣の部屋に通じる扉を開けた。中に入ると、少し埃っぽかった。アパートの住人で、何ヶ月かに一度全ての部屋を掃除するのだが、前回掃除したのは三カ月ほど前だ。埃っぽいのも無理はない。

 フアンはベッドに近づき、とんと軽く枕を叩いた。ほこりがふわりと舞い上がる。月明かりに照らされてきらきらと舞っているのは綺麗だが、あくまでほこりだ。あぁ、とフアンはため息をついた。

「あぁの……パロマ」

「何?」

「この部屋は少々埃っぽい。少しタバコ臭いかもしれないが、俺の部屋のベッドの方が綺麗だ。明日隣の部屋を掃除しよう。だから取りあえず、今日は俺の部屋で寝てくれないか?」

「私、埃っぽくてもかまわないわよ?」

「俺がかまわなくないんだ」

 フアンは自室に戻り、着替えを取り出して隣の部屋に放り投げた。

「もう寝るだろ? 洗面所はここだ」

 入口のすぐ左にある扉を開け、フアンは中を瞬時にチェックした。よし、綺麗だ、綺麗だ、よな?

 歯ブラシとコップを手に取り、それも隣の部屋に置く。その後また洗面所に戻り、洗面台の下にある戸棚から、新しい歯ブラシを取り出した。奥を探ったが、コップはさすがに見当たらない。

 フアンは歯ブラシを手にしたまま、台所へ小走りで駆けて行き、ガラスのコップをひとつ取り出し、歯ブラシを中に入れた。

 どたばたと動き回るフアンをおとなしく見ていたパロマに、はいと歯磨きセットを差し出す。

「歯磨き粉は新しいのないから、悪いが置いてあるやつを使ってくれ。タオルやらは、洗面台の下の棚にある。汚くはないから安心して使ってくれ。今日はそんなに寒い日じゃないから、毛布とかはいらないと思うけど、もし寒かったら遠慮なく起こしていいから」

 じゃ、とフアンは急ぐようにして隣の部屋に向かおうと踵を返した。

「あっ」

 パロマは突然声をあげ、フアンの服の裾をぐいとつかんだ。

「ん? どした?」

 フアンは振り返る。パロマは、ガラスのコップを大事に抱えながら、歯を出して笑った。


「ありがとう」

「――どういたしまして。ゆっくり寝ろよ」


 パロマは頷くと、洗面所にコップを置きに行った。フアンは冷静を装いながら、隣の部屋に向かった。

 扉を開け、部屋に入り、扉を閉める。

「…………いやいやいやいやいや」

 フアンは、埃っぽい床に腰を下ろした。扉によりかかり、長い溜息をつく。

 頭をかき、冷静になろうと試みる。

「いやいや……おかしいだろ。俺、何しちゃったんだ?」

 フアンは頭を抱えた。目を閉じ、最初に浮かんだのが、パロマの最後に見せた笑顔だった。

「ありゃ反則だ……」

 フアンはしばらく座り込んで、様々なことに想いを寄せた。しかし、やがて睡魔が襲ってきたため、埃まみれのベッドから乱暴に埃をはらうと、服を着替え、ベッドの中にもぐりこんだ。

「考えるの、止めた、止めた」

 歯磨きをする余裕はなかった。枕に顔をうずめた瞬間、フアンは眠りに落ちていった。



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