15 また正面突破?
警備員が、その銃声に全員身をこわばらせた。
「止まって、両手を上にあげて」
バレリオは銃声には驚かなかったが、その声には驚いたようだった。目を閉じ、その声に従い、無表情で両手を上にあげた。両掌を開き、何も持っていないことをアピールする。
「一人でも銃を抜いてみなさいよ、私はあいつを撃つからね、今みたいに」
パロマはそう言って、銃を片手に警備員を睨みつけた。白いスカートに白いブラウスという落ち着いた格好と、右手に持たれた銃があまりに不釣り合いだ。パロマは部屋のドアをそっと開けると、廊下に姿を現した。表情は無く、淡々と指示を出していく。
「まぁ、私は使用人の立場だから、言う事聞いてちょうだい。この父親のボディーガードさんよりも、権力は上よ」
警備員は皆、巻き込まれたくないのか小さく頷くだけだ。
パロマは小さな銃を手にし、バレリオに照準を定めたまま、フアンに視線を投げた。フアンは突然の出来事づくしにきょとんとしていた。とりあえず、閃光弾は使わなくてよい状況になったのだと判断し、そっと手を身体の横に戻す。
パロマの表情が一瞬揺れた。何かを言おうとしている――フアンはパロマの言葉を待ったが、パロマは視線をそらすと、冷酷にこう言っただけだった。
「何しに来たのよ」
その言葉は自分に投げかけられているのかと思い、フアンはぎょっとしたが、パロマの視線はバレリオに注がれていた。バレリオは黙って、両手をあげたままだ。
「父様ね、嫌になるわ。残念ながら目には目を、よ。あなたが私を連れだした時のように、私は銃であなたを脅すの」
パロマは冷たい表情のまま、静かに言った。
「銃を置いて」
バレリオは、言われたとおりに腰の銃を床に置いた。
「手を上げて動かないで」
返事もしないまま、バレリオは指示に従う。背中から向けられた銃の威圧を感じているのだろう。
「――お嬢様」
バレリオが口を開くのと同時に、銃声が轟いた。警備員が小さく恐怖の声を上げる。銃弾は、白い壁を撃ち抜いた。
「動かない、というのは喋らない、と同意よ? 私は本気なの、説得しようとしても無駄。とりあえず私の話を聞いてちょうだい」
パロマはそう言うと、あなた達も動かないでね、と警備員にくぎを刺した。その後、フアンに向かってゆっくりと歩き出したが、途中で我慢がならなくなり、早足になる。フアンも駆けだし、銃を片手に走って来るパロマをしっかりと抱きしめた。柔らかい肌が、フアンの頬に触れる。
「フアン――」
パロマは、力いっぱいフアンに抱きつくと、少し離れ、大きな黒目でフアンを見上げた。フアンは小さくパロマの名前を呟くと、確認するようにパロマにキスをした。何度か小さなキスを交わした後、フアンは横目でパロマの持っている銃を見る。再開の瞬間にも、彼女は銃口をバレリオから外すことは無かった。抜け目ないその行動に、思わずフアンは噴き出す。
「……なによ」
フアンの笑った意味を理解しながら、パロマは一緒に笑った。わざと口を尖らせ、拗ねているような仕草をする。
「助かった」
フアンが頬にキスをすると、パロマはとん、とフアンの胸を叩いた。
「こっちのセリフよ……こんな恰好して」
泣き声を隠すかのように、パロマはフアンの胸に頭を押しつけた。小さく「びっくりした」と呟き、フアンの背中に腕を回す。
「俺もびっくりした。いろいろなパターンは考えてたけど、パロマが銃をぶっぱなすパターンは想定外だ」
「――いろいろ、私は考えたの」
聞いて、というパロマの言葉に、うん、とフアンは頷く。まるで分かっていた、というような返事に、パロマはこれ以上ない安堵感を覚えた。大きな掌が、パロマの頭を優しく撫でる。
「何言われても驚かないよ」
フアンの言葉に、パロマはやっぱりそうだ、と確信した。彼は、たくさん考えてくれていた。私のことを、きっと何回も考えてくれた。私がそうであったように。
フアンが助けに来てくれるかもしれないという事も、何度も考えた。しかし、そんなのは夢物語だと何度もその想像をかき消した。ただ、彼は私のことを考えてくれるだろうという予想はあった。そうであってほしいと願っていた。
まさか本当に助けに来てくれるとは、パロマは心から喜んだが、それと同時に、フアンがパロマの気持ちを察してくれていることもまた、嬉しかった。
きっと彼は、何を言っても「そうだと思っていた」と言うのだろう。
パロマはフアンから離れると、黙って見ているバレリオと警備員に向かって、はっきりと言った。
「明日のこの時間までに、私はここに戻るわ」
警備員は相変わらずきょとんとしていたが、バレリオは驚いたようだった。目を見開き、それは、と言いかけて口をつぐむ。銃口は相変わらず、バレリオを狙っているためだ。
「父に言って。必ず戻って来ると」
そう告げて、パロマは静かにフアンを見上げた。
フアンは小さく笑うと「予想内だ」とパロマにしか聞こえないほどの声で言った。その言葉に、パロマは安堵する。よかった、やはり彼は、私の気持ちを察していてくれたのだ。
バレリオは、信じられないという視線でパロマを見つめているだけだった。その表情からは、とても「はい」と言えるか、という彼の気持ちが見て取れた。パロマは小さくため息をつくと、「どうぞ意見を」とバレリオの開口を許可した。
「信じられません」
「あら、どうして」
とぼけたように言うパロマだったが、表情は硬い。
「一日あれば、遠くに逃げられます。戻って来るなどという口約束を、信じられると思いますか」
「信じてほしいと言ったら」
「……私が下せる判断ではございません」
確かにな、とフアンも聞きながら思う。ここでほいほいと彼女を逃がすのは、馬鹿もいいところだ。
「私はただ、信じてとしか言えないわ。第一、彼がここに来ることが予想外だったの、それは分かるでしょう? 私は彼と話がしたい、だから一日ちょうだい。そうしたら戻って来る」
「ですが……」
困惑したようなバレリオを見て、パロマはまたもため息をついた。わらわらと人が集まって来ている。状況を飲みこめない者がほとんどだが、パロマが騒ぎの中心にいるのは見て分かるため、皆出方を伺っているようだった。
バレリオに向かい、ならば数時間はどうだ、とフアンが提案しようとしたその時、バレリオの背後から声がした。
「私が人質になりましょう」
全員が、その声の主を見た。その声の主は、シャルルだった。バレリオよりも背の高い彼は、上から威圧的な視線を投げかけ、もう一度言う。
「私が、人質になりましょう。お嬢様が戻ってこなければ、私を好きにすればいい。この怪我で、つきっきりで看病をし、私のためにお嬢様は泣いてくださった。この絆に嘘は無いと、私は信じている。お嬢様は、私のために、必ず戻ってきてくださいます――いかがです?」
シャルルの提案にフアンは驚いていたが、パロマはそんな素振りは見せなかった。きっと、シャルルとはもう話がしてあるのだろう。
もっともパロマは、シャルルが言ったあの言葉は俺に対してのメッセージもふんだんに組み込まれていた、なんてことには気がついていないかもしれないがな――とフアンは小さく苦笑する。あのやろうめ。
「……ペドロ様に、連絡を」
バレリオはポケットから携帯電話を取り出すと、慣れた手つきで操作をし、耳に当てた。しばらくして「もしもし、バレリオです」と小さく言う。そのタイミングで、ぐいとパロマは手を突き出した。
「携帯貸して」
無言で見つめるバレリオに、これ見よがしに拳銃をちらつかせ、パロマは「はやく」と手を上下に振った。バレリオは眉間にしわを寄せると「少々お待ちください、パロマ様が」と言い、パロマに携帯電話を渡した。
「父様? パロマです」
代わったパロマは、つっけんどんとした態度で電話に出た。しばらく黙っているところを見ると、向こうで何か言われているようだ。パロマはフアンをちらりと見ると、困ったように舌を出した。その表情に、フアンは思わず笑うが、バレリオとシャルルの両方に睨まれ、慌てて表情を元に戻した。
「………………はい、用件を言っても?」
やっと長い一方的な会話が終わったのか、パロマは小さくそう言った。その後何度か返事をすると「あのね、聞いてよ」とイライラした口調で言った。どうやら話を聞いてもらえる体制にすらなっていないようだ。
「……あのね、私出掛けるから」
父親のどなり声が、携帯電話から聞こえてきた。あまりの大きさに、パロマは慌てて耳から話す。何を言っているのかは聞きとれないが、怒鳴っているのだという事は、フアンにも分かった。電話の向こう側でぎゃんぎゃんとパロマの父は騒ぎ散らしている。
「明日には、戻るから!」
どうやら自分のことを言うつもりはなさそうだ、とフアンは察した。あくまで簡潔に物事を済ませたいらしい。
「どうせ父様はまだ帰ってこれないんでしょ? 話? 私だってあるわよ! だから帰って来るって言ってるでしょ! こんな狭い部屋にいて、気が狂いそうなのよ! 出かけるの! いいでしょ! わかったわよじゃぁシャルルは残す! え? そうよ人質よ! 逃げるわけないでしょ私一人で何にも出来ないわよ知ってるでしょう!」
今度はパロマが電話越しに叫ぶ番だった。電話の向こうでも相変わらず何かを叫んでいるようだったが、構わずパロマは続けた。
「明日のこの時間までには戻ります! そうよ! 何? いるわよそいつの電話からかけてるの! 冷静になってよ! 詳しくはそいつに訊いて! シャルルになんかしてみなさいよ、していいのは明日私が帰ってこなかったらよ! いい! 約束やぶったら二度と戻ってこないから! え? だから! 父様がシャルルを傷つけなければ明日戻って来るわよ! 冷静に訊いて! 分かった? もう切るわよ、一日旅に出るの!」
パロマは耳から携帯電話をひっぱがすと、マイクに向かって
「さよなら!」
と叫び、通話を強制的に終了させた。そのあまりの迫力に、フアンもバレリオもあっけにとられていた。シャルルだけは慣れているようで、表情一つ変えていない。
「……ありがと」
パロマは不機嫌なままバレリオに携帯電話を返すと、じゃぁ、と手を上げた。それが合図だったのか、それとも今までの経験のなすわざなのかは分からないが、シャルルが静かにパロマに歩み寄り、そっと荷物を手渡した。小さな白いバッグだ。それを受け取り、行ってくるわ、とパロマはシャルルに小さく言った。シャルルはいってらっしゃいませ、とパロマに微笑みかけた。
フアン、とパロマがフアンを呼ぶ。あぁ、とフアンは頷き、パロマの後ろについた。
「あなたが、好きなように父様に報告してくれて構わないわ。本当のことを言ってもいいし、嘘を伝えてもいい。まかせたわよ。じゃぁ、また明日」
パロマはバレリオに早口でそう伝えると、すたすたと進んでいった。フアンは振り返らず、パロマの後ろをついて行った。人だかりができているが、パロマは「聞いていたでしょ、どいて?」と一言言った。すっとそこにいた人は左右にどき、そこにできた道を二人は早足で歩いて行った。
「また正面突破?」
フアンがふざけて言うと、もちろんとパロマは笑った。
「だいぶみんな集まってたけど、状況は飲みこめてないはず。フアンは、お嬢様を警備するためにつけられた警備員よ、だれも盗みに来た泥棒だなんて思わないわ」
「相変わらず肝が据わってるな」
「フアンに言われたくないわ」
くすりとパロマは笑うと、「走ろう」と言った。パロマはそう言って振り向くと、笑顔でフアンに手を差し伸べた。フアンも笑顔でその手を取った。
ぐい、とパロマはフアンの手をひっぱり、全速力で走りだした。
「おいおい!」
笑いながらもついて行くフアンの手を、パロマはぎゅっと握りしめた。
二人は走って屋敷を出ると、ドアの前にいた警備員が止める声も聞かず、門まで到達した。
「開けて!」
門番のパウロは素っ頓狂な声で何かをパロマに行っていたが、早くとパロマが急かすので、状況も読みこめないまま門を開けた。
「ありがと、明日戻るわ! じゃぁね!」
パロマはパウロに手を振ると、フアンに訊ねた。
「どこにいく?」
「あっちに車を待たせてる」
「じゃぁ行きましょう!」
ばいばい! と走って行くお嬢様と警備員の背中を見つめ、パウロは首をかしげるしかできなかった。
「なんだあれは……」
随分と、楽しそうな顔をしていた。あんな笑顔は久々に見たな、と状況が読みこめないままに、パウロは嬉しくなって、小さく微笑んだ。
「あの車ね?」
パロマはフアンの指示に従いながら走っていた。数度曲がったところに、黒い車が止めてあった。小さくて可愛らしい車の後ろ姿が見えている。
パロマはさらにスピードを上げると、車のドアを開けて飛び乗った。あまりのはしゃぎようにフアンは笑うと「おい、ドアぐらい開けさせろよ」と車の中を覗き込んだ。
小動物のような目でパロマはフアンを見つめると、ごめんなさい、と舌を出した。そうして、なかなか入ってこないフアンにむかって手を伸ばした。
「はやく二人きりになりたかったの」
パロマはフアンの顔を小さな手で包み込むと、自分の唇をフアンの唇に押し付けた。唐突なキスにフアンは驚き、離れた際に「ちょっと待て」と言うが、「いや」というパロマの拒否の後、もう一度キスをされる。
「愛してるフアン、助けに来てくれてありがとう――夢みたい、本当に、愛してる」
唇が離れた後に、こんなことを言われてしまっては……フアンは苦笑する。待て、と抑制するのが惜しくなってしまう。頬に手を触れると、パロマは自分の手をその上に重ねた。
「俺もだ、パロマ。愛してる」
うん、と頷きもう一度キスをしようとしてくるパロマの唇に、そっとフアンは自分の親指を当てた。
「後で」
「どうして?」
少しさみしそうに言うパロマの目を見ていられず、フアンは視線を横にずらした。車のミラーを見ると、ミラー越しに運転手と目があった。がっつりと見られている。角度からして、あいつ、見やすいように調整しやがったな、とフアンは心の中で悪態をついた。
運転手は顔をわざと上にあげると、鏡には運転手の唇が映った。そうして、声を出さずに「ワオ」とおどける。恥ずかしくて耳まで熱くなる。
「離れていて、寂しかった。会いたかった」
パロマは、運転手とフアンとの無言のやりとりに気がつかず、ただひたすらにフアンを見つめている。
「俺もだ、パロマ、でもとりあえず――」
「どうして? もっとキスしちゃだめ?」
「いや、してほしいが、その――」
運転手が、ミラー越しに「続けていいよ」と言って、ウインクを投げてくる。あのやろう……フアンは、耳まで真っ赤にして俯いた。
「ホセが見てる」
「えっ」
横、とフアンが運転席を指すと「お熱いね」とホセが笑った。今度はパロマが赤くなる番だった。フアンと同じように、耳まで真っ赤だ。
「……言ってよ! フアン!」
「説明してる暇が無かったんだよ! 車に入ろうとしたらお前が……いきなり……」
「びっくりしちゃった、俺」
と、ちゃちゃを入れるホセに、もう! とパロマは叫ぶと、運転席を何度も叩いた。
「いるなら言ってよ! いるなら言ってよ!」
「いや、二人きりになりたかったんでしょ? 俺は空気になったほうがいいかなぁと思って黙ってた。運転手は空気のように振る舞うのも、仕事の一環だもんね?」
「ホセの意地悪! もう!」
パロマは頬を真っ赤にしながら、ホセに向かって微笑んだ。
「怪我、大丈夫だったのね? よかった――あのときは、ごめんなさい」
「気にしないで、俺が喰いとめられてたらなって悔やんでるぐらいだから。でも、二人が戻ってこれて何より何より」
ホセは振り返って微笑むと、つめたら? ともう一度パロマをからかった。パロマはもう、と運転席を軽く叩き、車の奥に移動する。
「うわ、警備員の服似合わないなぁ」
フアンが車に乗り込むと、ホセは楽しそうにそう言った。うるせぇ、と返すフアンの頬は緩んでいる。
「俺の最悪の予想では、二人は追ってから逃げて、急いで車に乗り込み、銃弾を避けながら俺は運転をする……って感じだったんだけど、穏便に出てこれたの?」
「穏便……ではなかったよな?」
フアンはそう言うと、パロマを横目で見た。ふん、とパロマは鼻で笑う。
「少々私が暴れたら穏便にすんだわ」
その言葉に、ホセは大きな声で笑うと、車を発進させた。
「何それ最高だね。ま、詳しい話は今度、だ。フアン、駅でいいんだっけ?」
ホセの質問に、フアンはちょっと待ってくれ、と頼み、パロマを見つめる。
「さっきホセが言った通り、二人で逃走ってことも考えてたんだ。出来るだけ遠いところに行けるよう、チケットも数枚とってある、ホテルも確保してる。でも、それは無理だろ? 近場のホテルも一応はとってるが、明日帰る以上、隠れる必要はないと思うんだが」
パロマは、そうね、と小さく頷いた。
「みんなに、挨拶がしたいから、できれば帰りたいわ」
だよな、とフアンは笑った。
「帰ろう」
その言葉に、ホセも嬉しそうに微笑んだ。
「よかった、アンナが喜ぶよ」