12 いつだって世話になった
「丸一日ちょうだい。明日の十二時までに、必要な情報をそろえておくから」
フアンがほしい情報を述べた後、アルベルトはさらりと言ってのけた。かなり多い注文かな、と思っていたフアンは、尊敬のまなざしを向ける。
「まじで……? 俺なら五日はかかる」
「情報で飯食ってるの、これぐらい早くしないとね、仕事にならない。もちろん一人ではしないよ、情報屋は横に繋がってるんだ。何人かに協力を依頼するさ」
じゃぁね、とアルベルトはメモを片手に席を立った。
「明日の十二時以降、フアンさんは盗みを結構できるわけだ。心の準備でもしておいてよ」
壁に掛けてある上着を取り、すたすたと早足でアルベルトは出て行ってしまった。その背中に向かって「よろしくな」と叫んだが、返事はなかった。
「一日か……心の準備が必要かも」
心臓のあたりに胸を当てた。心臓は――平常通りの早さだ。
「今から緊張してたら、本番では身が持たない、か」
フアンは立ち上がり、アルベルトの部屋を出た。そういえばあいつ鍵もかけずに、不用心だな、とつぶやく。アルベルトはアルベルトなりに、急いでくれているのかもしれないとフアンは思った。
「あ、やっときた、荷物持ち!」
フアンが引き取り屋に入ると、豪華なソファに座っていたアンナが立ち上がった。
「遅い!」
「これでも……走ってきた!」
フアンは、アルベルトとの交渉が終わるとすぐにアンナに電話をかけた。ホセの看病を自分がすべきかどうかを聞くためだ。フアンとしては、すぐにでも引き取り屋に向かい、買い物を済ませて準備をしたいところだったが、ホセをほったらかしておくわけにもいかないと思ったからだ。
しかし、電話をかけるとすぐに「重くて持てない! 交渉終わったら来て! すぐに!」と怒鳴られたため、フアンは走って店に向かった。息はかなり上がっている。全力疾走は久々だった。
「最近トレーニングしてないでしょ。しときなさいよ、体力大切!」
アンナははい、とフアンに荷物を渡した。大きな紙袋が二つだ。
「ありがとな、買い物」
「うん。クリシェにも、お礼言っときなよ」
「もちろん」
フアンは店の奥にいるメリッサに向けて、大きな声を出した。
「ありがとよ、メリッサ!」
大きな机の真ん中という定位置につきながら、彼女はにやりと笑った。
「なんだか面白そうなこと、たくらんでるんだろ?」
あぁ、とフアンは軽い方の荷物を持っている手を挙げた。
「必要なものは全部、入ってるはずだよ。サービスもしておいたからね」
「恩に着る」
「盗んでおいで、へまはするんじゃないよ」
必ず、と叫び、フアンはアンナと店を出た。
「ホセのとこに帰ってやれ、俺はゆっくり帰る」
「うん、そうする。帰ってきたら家に寄って」
「わかった、買い物ありがと」
「おう」
アンナは笑顔を返すと、ヒールのまま駆けだした。
「体力のあること」
フアンは颯爽と駆けて行く彼女の背中を見ながら、ゆっくりと歩いた。
もちろん、何も考えずに歩くわけではない。
ぶつぶつと、彼は呟いていた。何度も何度も、頭の中で作戦を推敲する。
「正面突破……人数は……情報に寄るか……助っ人は……彼女を人質に取られたら……」
様々なパターンを想定し、何度も何度も考えた。
失敗は、許されない。
部屋に帰り、荷物を開けて購入したものを並べる。広げるたびに、思わずにやりと笑顔が漏れた。
「すげぇ品ぞろえ」
フアンが好む盗みの道具は、小さくてシンプルな物が多かった。例えば鍵を開けるための道具は、業者が使用するものから泥棒用に作られたものまで様々だが、フアンはその中でも細くて使いやすい針金を選ぶ。もちろんただの針金ではなく、泥棒用の針金だ。
今までの盗みの中で、メリッサには幾度となく世話になった。万が一ばれた時のための逃走用の閃光弾から、先日使用した作業着、真っ黒で動きやすい靴、小さな無線機……あの店には何でもそろっている。
メリッサは、いつだってそれを笑顔で提供してくれる。
「どうせまた、面白いことをするんだろう」
と、にやりと笑って、店の奥からひょいと望んでいるものを出してくれるのだ。
壁という壁に商品が並べられ、それでも足りず床にまで広がっている商品の中から、メリッサはすぐに店の商品を見つけ出す。
「いつだって世話になった」
フアンは、買ったものを手に取り、小さくつぶやいた。
あの便利な引き取り屋を、教えてくれたのは師匠のアンナだ。今でも鮮明に思い出せる。青で染まる彼女は、初めてフアンが店に入った時の反応を見て、腹を抱えて笑っていた。
「そこまで驚くことないだろう!」
メリッサと二人で、楽しそうに笑っていた。
「――世話になるのは、これで最後にしたいもんだ」
フアンは、目の前のことに集中していないことに気がつき、慌てて首を振った。
何を悠長に、未来のことを考えているんだ。
「まずは、目の前のことだ」
自信はあったが、やはり怖かった。明日の十二時までに、しなければいけないことは山ほどあった。
(アルベルトの情報……おそらく二十から三十人が限度……配備はここに置く……パロマはここにいるか……ここにいるか……ここ……屋敷からは出さないだろう……移動中を狙う方がたやすい……出していたら……次の期間は……周期は……場所は……トーレス……別荘……会社……社長室……車の種類……よく使用する警備会社……確実に……変えてきたら……そこまではしない……可能性は低いが……ありえる……持っている……みっつ……持っていないのは……ふたつ……これ以外には特殊……メリッサが持っている……コネクションもある……心配ない……)
広げられた見取り図、書きなぐられたマーク、消された印に、コピーされた地図の数々。広がる情報、文字の羅列、時々手に取られる盗みの用具。
(ロープは必要だろうか……長さ……重さ……持ち運び……収納は……ポケットが多い……これは入る……入らない……これはいらない……これはしのばせる……帽子の中……ワッペンの裏……階級……無線機……ポイントはここ……こいつが一番……アルベルトの情報……決行時刻……シャルル……ここにいる……いない場合……解雇されていたら……パロマの心境……パロマの母……兄……ここにいる……情報はある……行動時刻……調べられる範囲……予想できる……)
走るペン、宙を舞うメモ用紙、ノートパソコンの画面、アウトプットされた画像。
(車がある場合……無い場合……こちらのルート……必要な物……ルートは数種類……パターンEが濃厚……この場所に……ここの空港……駅……船……)
フアンは時間を忘れていた。日が落ちて、一度食事をとったが、それでも思考は止まらなかった。
夜中の一時ごろ、扉がノックされた。その音にはっと顔を上げ、フアンは現実に引き戻される。
「アルか?」
「ごめん、俺」
その声に、フアンは息を飲むと、急いで扉まで駆けつけた。開けて、目の前にいるホセの姿に安堵のため息を漏らす。
「大丈夫なのかよ」
「全然、殴られただけだから、余裕」
「ごめんな、パロマのこと、かばおうとしてくれたんだろ」
「フアンさんにお礼を言われる筋合いはないよ」
男前の彼は、目を細めて舌をちらりと出して見せた。
「ま、フアンさんがパロマちゃんの恋人なら話は別だけどさ」
「……全部アンナに聞いたんだろ」
「キスして熱い抱擁をかわしたことまでね」
「はぁ!? 何で知ってるんだよ!?」
「お、ビンゴ」
ホセはにこりと笑うと、アンナに言っとく、と無邪気に言った。頬を真っ赤に染めたフアンは、「あてずっぽうかよ、怖いなお前……」と深いため息をつく。
「いや、二人の関係が謎だったから、鎌かけてみただけだよ。でもよかった、おめでとう」
「結ばれた瞬間引き裂かれたけどな」
「どうやってまた結ばれに行くの?」
「もう大体プランはできてるよ。多分うまくいく、というか、いかせる。成功させる」
「そのいき。俺にも何か手伝えないかなって思ってここまで来たんだよね」
「……まじ? じゃぁ――」
一通りフアンの説明を聞いた後、ホセは「危なっかしいなぁ」と笑った。そうなんだよ、とフアンも真面目に頷く。
「嫌なら大丈夫だ、他に頼む」
「タクシーとかでしょ? 信頼性は俺の方があるね。待ってて来なけりゃ、あ、違うプランだなって思って逃げちゃえばいいんでしょ。そのまま仕事場にでも行くさ、仕事は真夜中からだし」
「夜景撮影?」
「御名答。スーツだからね、おなかの痣が隠れてありがたいよ」
「遠慮なしに頼んじまうぞ?」
「もちろん」
終始笑顔を絶やさないホセの肩を、フアンは力強く掴んだ。
その手が震えていることに気がついたホセは、初めて真剣な表情を見せる。
「大丈夫だよ。フアンさんは歴史に残る名泥棒だから。俺が保障する」
その言葉に、フアンは小さく笑った。いつから名泥棒になってたんだよと呟きながら、目は床を見つめる。
「この盗みを最後に、足を洗いたいよ……もう、盗みはこりごりだ」
「未来のことまで考えられているなら、余裕じゃない」
ホセはそう言って、白い歯をのぞかせると、拳をぐいと突き出した。フアンは、ホセの肩から手を離し、拳を勢いよくぶつける。
「よし」
ホセは、じゃぁまた明日、と握った拳を開いて握ってを繰り返し、ゆったりと踵を返した。
「ありがとう」
フアンの言葉に、ホセは振り向かず「パロマちゃんのためだってば」と笑った。
「明日のことだよ」
「楽しみ」
楽しみ、楽しみぃ、とメロディを口ずさみながら、ホセは階段を上って行った。
フアンは扉を閉じ、ふうと一呼吸する。気がつくともう夜中の一時だ。
もう一呼吸する。急に睡魔が襲ってくる。
「あいつのタイミングはピカイチだな」
いつのころだか、気がつくとアンナの部屋に住みこむようになっていたホセは、フアンにとって弟のような存在だった。人懐っこい笑顔でにこにこと笑う。出会ったころから名の知れたモデルで、今ではすっかり有名人だが、態度を一度として変えたことが無い。
さっきだって、怪我をした直後なのに、手伝えることはないかと言ってきてくれた。木のいい奴なのだ。
「ホセにも、世話になってる」
走馬灯みたいだ。言って、笑った。少しだけ寂しくなった。
フアンは、計画を練りながら、着々と準備を進めていた。
必要な物を最小限にまとめている。車のトランクに、余裕で入るだろう。
「上手くいったら、しばらくさよならだ」
窓を開けた。ここから見える月が綺麗だと、パロマは言っていた。夕日が綺麗だから好きだと、彼女は微笑んでいた。
目を閉じた。隙間風が冷たかった。フアンは、心細くなって泣きそうになった。会いたくて、ますます涙が出そうになる。寂しくて、怖くて、心臓が弱々しく震えている気がした。
月の見えない、寂しい夜だった。
「パロマ」
呟いた名前に懐かしさを覚え、深いため息をついた。
今までの思い出を、全て小さな荷物に詰めた。フアンは、荷造りをしているときに、そんなことを思った。
それでも、会いたい人が出来た。
助けたい人に出会えた。
「いつかまた戻って来るさ」
窓を閉め、フアンはベッドにもぐりこんだ。緊張して眠れないかもしれないと思ったが、そんなことはなかった。ぐっすりとした眠りに落ちる直前まで、彼は明日のことをずっと考えていた。
次の日、フアンは八時過ぎに起床した。思ったよりもしっかり睡眠がとれた。自分の神経のずぶとさに驚きながら、ひとりで朝食をとった。
食器を動かす音、椅子を引く音、窓の外から聞こえる雑音。フアンは黙々と一人で朝御飯を頬張りながら、耳をそばだてていた。
一人での食事は、とても久しぶりに感じた。パロマがいないと、こんなにも静かだ。
「慣れっこだったのに」
家を出てからもう何年も経つ。たまにホセやアンナといった友人と食事を共にすることは多いが、ひとりでの食事の方が圧倒的に多かった。
それなのに、数日彼女と一緒に過ごしただけで、こんなにも「一人」を思い知らされる。
「……パロマがついてきてくれなかったら」
自分で声に出した過程に、フアンは苦笑する。その時はその時だ、彼女を自由にしてあげればいい。俺自身のように、一人で暮らすのもいいだろう。女の子一人は物騒だが、彼女が望む道に行くことが一番いい。アンナのように、ひとりで食いつないできた女性の例も知っている。
ただ、パロマに泥棒にはなってほしくない。もし彼女が望んだとしても、それだけは止めよう。
「ごちそうさま」
随分と短時間の食事がすみ、フアンは食器を洗った。一人で考えているのは、ずっと、パロマのことだけだ。
彼女の笑顔を想像し、彼女の気持ちを考え、助けてもいないのに彼女の将来を心配している。
恋なんて、意識したのは本当に久しぶりだ。
こんなにも会いたいと切に願うことなんて、もしかしたら十数年ぶりの出来事かもしれない。
会いたい。フアンは手を止めた。
彼女が泣いていなければいい、と思ったからだ。不安になる。大丈夫だろうか。はやく、助け出してあげたい。
「フアンさん」
扉の向こうの声に、フアンは飛び跳ねた。あのけだるそうな声は、間違いなくアルだ。洗い途中の食器はそのままで、蛇口だけひねり、フアンは慌てて扉を開けた。
「どうだった?」
大きな声にアルはきょとんとしていたが、やがて鼻で笑うと、はい、と手に持っていたファイルを差し出した。
「フアンさんがほしがっていた情報全部」
「早い……! まだ九時だぞ」
「優秀だろ」
「恩に着る」
「助け出してよ」
じゃないと許さないから。
くっきりとした隈のある目でぎろりと睨まれ、今度はフアンが硬直する。その様子を見て、アルはもう一度鼻で笑った。
「俺をこんなにこき使って、何にもなかったら承知しないから。そんじゃ」
「ありがとう、アル」
「口座に入金、よろしくね」
ふざけた口調のアルは、頭を下げてじゃぁ、と走って行った。最後まで減らず口を叩く彼に、フアンは小さく笑った。
部屋に戻り、椅子に座って早速ファイルを開ける。素早く目を通し、情報を確認する。よし、ほしい情報全てがここにある。
「行けるだろ」
フアンは頷くと、重要な情報を頭に叩き込んだ。失敗は許されない。今から数時間、最後の詰めだ。




