幸せな日常
朝、起きると、僕は毎日欠かさず、その日夢に見た出来事をノートに書く。
日記のようで日記でないモノ。
自分でもどうして書いているのかわからないけど、書かなきゃいけないような、そんな使命感に駆られて、毎日毎日僕はノートに書き続けている。
日記を書き終え、制服に着替えて一階に下り、洗面所で歯磨きと洗顔と髪の毛のセットを終わらせて、リビングに入る。
「おはよ」
「おはよ、和真」
母さんは、台所で朝食の準備を、父さんはコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
いつもと変わらない、朝の光景だ。
「和真、奏音は起きてた?」
「たぶん、起きてると思うよ。降りてくる前に声掛けたら、あと少しで行くって言ってたし」
ソファーに座って、目覚ましテレビを見ながら答える。
時計は七時十分を指している。
「じゃ、僕は行くね」
「じはい、いってらっしゃい」
「気を付けて行けよ」
父さんと母さんに見送られて家を出る。
いつもと変わらない毎日。
それが一番幸せだと、つくづく思う。
家を出て、僕が向かう先は、学校ではなく結花の家だ。
結花の家から学校までは十分くらいで着くから、付き合い始めてからは、毎日結花の家に寄ってから学校に行っている。
少し遠回りになるけど、それは全然苦にならない。
そう、僕が過ごしていた世界は本当に幸せで、こんな生活がずっと続くんだと信じていた。
「本当の幸せってなんだと思う?」
夢の中の世界で、誰かが話していた。
(この声は彩羽と……結花だ)
どうして、結花がこっちの世界にいるのだろう?
「わからない……。けど、あたしは今、幸せじゃない」
「どうして?」
「彼を傷つけて、彼を壊して、後悔させたままだから」
会話の流れがつかめない。
どうして、結花は幸せでないのだろう?
『彼』とは、誰のことなのだろう?
この世界には、意味のわからないことが多すぎる。
「あたしは、幸せが続かないことを知っていた。彼を傷つけることも……だけど……」
「現実は、そんなに甘くない。彼が言ってたよ。『現実は綺麗でも優しくもない。ただ、自分がいて、人がいて、起こるべきことが起こって、死を迎える。それが現実。だから、幸せを願うことは無意味なことだよ』って」
また、『彼』という単語が登場する。
結花が悲しそうな顔をする。
「じゃあ、彼とあたしが出会ったのも、一緒に過ごした時間にあったことも、全部、起こるべきことで、こうなることは決まっていたってこと?」
彼女が今にも泣き出しそうな顔で、彩羽に聞く。
だけど、彩羽は、何も答えなかった。
季節は流れて、夏が終わり秋が来た。
僕たちの関係は相変わらずで、問題という問題も起きず、幸せな時間を過ごしていた。
ただ一つ、心配があるとすれば、夢の世界での出来事のが不安定になっていること。
「和くん。悩み事?」
窓の外を眺めながら、ぼぉ~っと夢の中の『僕』について考えていると、結花が話し掛けてきた。
「ううん、悩み事じゃないよ」
「そう。ならいいけど……」
結花は少し心配そうな顔をしている。
「大丈夫だよ。ほんとに悩みがあったら、ちゃんと結花に相談するから」
「絶対だよ。ウソはダメだからね」
結花が子どものように念を押す。
「わかってるよ。大丈夫」
結花は人一倍、『約束』と『嘘』を気にする。
授業開始のチャイムが鳴ると、結花は急いで自分の席に戻ってゆく。
そして、授業担当の先生が教室のドアをガラガラッと音を立てながら開いて入ってくる。
午前中の授業が終わって昼休みになると、僕は友達でチームメイトの河瀬悠と一緒に、購買部まで走った。
悠は見た目はチャラチャラしていて、先生たちからも目をつけられているけど、クラスのムードメーカーで、友達からの評価は高い。
購買部で適当にパンと飲み物を買って教室に戻る。
「お待たせ」
結花に声を掛けると、結花は一生懸命ノートに向かっている愛歌(悠の彼女)に声を掛ける。
この四人で昼ご飯を食べることが、いつの間にか日課になっていた。
昼休みの間、パンを食べたり、少しのお菓子を食べたりしながら、何気ない会話を楽しむ。
昨日のテレビの話、前に読んだ雑誌の話、ゲームの話、アニメの話、芸能人や音楽の話など、家族と話してるときと同じで、会話の種はなくならない。
意味のない会話でも、本気で笑って楽しむことができた。
昼休みが終わって、午後の分の授業が終わって、HRが終わると、僕と悠が待ちに待っていた部活の時間がくる。
部活のために学校に来ていると言っても過言ではないほど、僕も悠も部活の時間を楽しみにしている。
それに、先輩たちには悪いけど、部活は僕たち二年生への引継ぎが終わったところで、河瀬悠新キャプテンの元、本気で地区予選突破を目標とした新チームへと変わりだしていた。
それが、楽しくて仕方ない。
「じゃ。結花、先行ってるよ」
明日の日直の仕事があると言う結花に声を掛けて、僕と悠は先に部活に向かった。
結花はバスケ部男子のマネージャーをしていて、僕と結花の最初の接点はそこだった。
「和くん。帰ろう?」
着替えを終えて部室を出たところで、結花が待っていた。
「だね」
月光に照らされた道を歩いく。
相変わらず、彼女の左手は僕の右手を握っている。
「ねぇ、和くん。ちょっと公園寄って行かない?」
結花が珍しく、控えめに聞いてくる。
上目遣いで見上げながら言われると、僕に断ることはできないし、元から断る気もなかった。
「いいよ。何か悩み事?」
「う~ん……」
歯切れの悪い返事をして、少し不安そうな表情を結花が浮かべる。
結花は何を考えているのだろう?
公園でベンチに座り、綺麗に透き通った夜空を見上げながら結花の言葉を待つ。
「ねぇ、和くん。和くんは、普通じゃ考えられないような話を信じることができる?」
真剣な硬い表情を浮かべて、結花が口を開く。
彼女は他人の前で自分の弱さを見せることはない。
だから、こうやって二人でいるときだけ、素の自分を見せてくれる。
「いきなりごめんね。でも……」
「信じれるかは、話してくれないとわからないよ。話してくれる?」
「う、うん……」
結花は結局、何も話してくれなかった。
話そうとはしたけど、すぐに口を閉じてしまって、それ以降開くことはなかった。
彼女は何を抱えているのだろう?
僕には何もわからなかった。