要石の絆
この物語はフィクションです。実在の神社、地名、神名が登場しますが、これらは物語の演出上の設定であり、実在の団体や人物とは一切関係ありません。
プロローグ 始まりの震え
「佑真、いるんでしょ。ゆ〜う〜ま〜!」
二階の窓を見上げながら零が叫ぶ。道行く見知らぬ人も、何事かとチラッと横目にしながら、足早に通り過ぎていく。『ったく、小学生かよ』思わず舌打ちした俺は、ベッドから上半身だけを起こして、少し窓を開けた。遮光カーテンの隙間から眩しい光が佑真の目に飛び込んできて、反射的に目を閉じてしまった。……真っ暗な視界に、何かが……気のせいか。気を取り直して窓を腕が通るほどだけ開けた。そして、下で見上げているであろう零に向かって、腕だけ出しておいでおいでのジェスチャーをした。
間もなく階段を駆け上る音がし、一呼吸おいてドアを開け、腰に手をつき仁王立ちしている。零は怒りを込めたような足音で俺の所に早足で向かってきた。俺は『やばい、殴られるのか?』と手元にあった布団をギュッと握りしめた。
……っと、零は俺を通り越して手を伸ばし、遮光カーテンを一気に開け放った。一気に眩しい光があふれ、暗かった部屋の隅々まで光の槍が突き刺している。
「何時だと思ってるのよ」
「ん、昼くらいか」
「お昼、過ぎてるわよ」
「そっか」
「そっか、じゃないわよ。ホントにもう」
俺は、佐倉佑真。いろいろあって、目下引きこもり中だ。昼夜逆転生活が長いせいか、明るいうちはどうも調子が出ない。そして、零……新堂零は、幼なじみだ。無邪気というか、人懐っこいからどんな人とも……クセが強い俺のような人とでも……仲良く出来るというすごい才能の持ち主だ。
今日は、町の神主さんに地震に関する事を教えてもらう事になっている。地震予知……一定の周期でテレビ等が取り上げ話題になるが、所詮エンタメだ。俺の地震に対する悩みを聞いてみんなは信じてくれるだろうか?
「大丈夫だよ。何だったら私が、話し相手というか練習台になるから、話してみて」
零は、いつになく真剣な顔で言った……。
第一話 遠い日の記憶 大災害
……佑真は、言葉の紡ぎ方を忘れてしまったかのように、ぽつりぽつりと話し始めた。
佑真は、幼い頃からよく夢をみていたという。そして、その夢の内容はありふれた日常の出来事が多かった。それは、早ければ翌日、二〜三日で夢の内容と同じ事が現実でも起こる。いわゆる既視感やデジャヴュと言われるものだ。『あぁ、またか』と、佑真自身あまり気にしていなかった……あの時までは……。
…………地下で眠る何かが動いている……高速道路が横倒しになって倒れている……まっ暗闇の中、火竜が飛び回り、どこかの町を火で満たしながら飛び回っている……その火竜が天へ昇っていった…………
はっと飛び起きた佑真の額には、汗で髪の毛が張り付き、全力疾走したかのような荒い呼吸で胸が痛いくらい心臓が暴れている。しかも、怒りの感情とともに絶望感のような……上手く言葉にできない強い感情に支配されていた。
いつもの夢とは、まるで違う。しかも……『天が怒っている』……と、漠然と佑真は感じて、なぜだかとても怖くなった。
翌朝、目が覚めた佑真は、すぐに慌ててテレビのニュースや新聞の記事を探した。いつもの夢のパターンなら、翌日目にする出来事が多いからだ。
しかし、新聞に大きな出来事の記事はない。テレビで、どのチャンネルに変えても、タレントが〇〇とか〇〇で事件……といったスキャンダルやニュースの類いの内容ばかりで、佑真が夢で見たような事はなかった。
『あぁ、良かった。ただの夢だったんだ』と佑真は、心の底から安堵した。次の日も、その次の日も何もなかった。だが、日が経つにつれ、夢の事を忘れるどころか色鮮やかで強烈なイメージになっていく。
漠然と『天が怒っている……まもなく神様がやってくる』と……。
怖い夢を見て、ちょうど1週間が経った早朝……家全体が揺さぶられるような激しい揺れと大地の叫び声が聞こえた。立ち上がることさえできない大きな力……本棚が倒れ電灯が揺れて天井にぶつかっている。階下の食器棚も倒れたようで、ものすごい音を立てた。
…………大地や神様の圧倒的な力に人は、ただひれ伏すしかないのかもしれない…………
突然、どこかの山上で、古の神々の姿と地震を司る神様が大地を揺るがしているという光景が、佑真の脳裏にフラッシュバックのように映し出された。そして、その神々の前に佑真がいる……その神様の生まれ変わりであり、その強大な力を引き継ぐ者だと告げられた。そして……。
その日を境に、佑真が見る夢がガラッと変わった。日常のデジャヴュのようなものは、ほとんど見なくなり、誰か(神々)の声や感情を告げられて、それを受け取る夢になった。
その為か……佑真は、小規模の地震や天候不順の予兆を感覚的にも感じ取れるようになっていった。
しかも困った事に、佑真の感情が高ぶると……大地の揺れや異常気象を引き起こしているように感じるようになっていった。
最初は偶然の一致だと思っていたが、夢でのお告げと連動しているという事に気付き……次第に佑真は、自分自身の力が怖くなっていった。『いつか、あの時の夢みたいな大地震や大災害を自分が起こしてしまうのではないか』と……。
『でも、こんな事を話したとしても、誰も信じない。恐らく精神的不調だと思われるだけだろう。この事を理解してくれる人は居ない。つまり、相談できる人もいない……というよりも、変な奴に思われたくないし、人に関わる事も極力避けるべきだ……』
いつしか佑真は、一点を見つめたまま動きを止め、話す事さえもやめてしまっていた。
「そんなに深刻に考えない方がいいよ」
零は、持ち前の明るさで佑真を励まそうとした。
「そうだな……」
佑真も小さく呟いた。
そして、佑真の頭の中では『一人で勝手に思い込んでいるだけかもしれないし……偶然の一致が、たまたま続いただけなのかもしれない……。いや、偶然の方が……自分に関係ないなら、どんなに気がラクになるか……』と、やはり言葉に出来ない思いが止まらなかった。
今日は、町で一番古い神社へ行ってみる事になっていた。その神社の神主である榊泰然は、日本各地の口伝や古文書の研究もしており、地震に関する知識も深いという。
そして、『もしかしたら佑真の持つ内なる力に関する話が聞けるのではないか』と零が言った。
「そんなに期待はしてないが……」
「神主さんは、専門的見地からも、佑真の話をぜひ聞かせてほしいって言ってたよ」
「まぁ、ダメ元で行ってみるか」
「うん、何でもいいから……。とにかく、一人で閉じ籠もって考えていても仕方ないでしょ。あれこれ深刻に考えないで、先ずは行ってみようよ!」
零に急かされながら、出かける準備をする佑真の瞳に、窓から差し込む明るい日差しが反射し、一瞬金色に光ったように見えた。
第二話 古の神社
町から離れ、舗装されていない細い山道を零が運転する軽自動車が進んでいる。助手席の佑真は、緊張した様子で前方を見つめていた。車一台がやっと通れるほどの道は、草木が両側から伸び放題になってきた。
「この道で合ってる?」
「多分……」
零は、車のナビをチラッと見て、
「ナビだと……もうすぐ到着するはずだけど……」
と言った。
まもなく開けた場所にたどり着き、大きな木の陰に一台の白い軽トラックが停まっているのが見えた。その場所は、駐車場といっても数台しか停められない……どちらかと言えば、小さな広場という方がしっくり来る感じだった。
零は、その軽トラックの横に駐車し、エンジンを切った。どうやら、この先は徒歩で進むらしい。
「静かだな」
「うん、森林浴できそう……」
車を降りた二人は、清々しい空気を胸いっぱいに吸い込み深呼吸してみた。
「空気が美味しいって、こういう事を言うんだろうね」
「そうだな」
神社の周囲は深い森に囲まれ、虫や鳥の声が聞こえてくる。木々が絡みつき、自然に還りつつある鳥居をくぐり、二人はゆっくりと苔むした参道の石段を登っていく。
参道の脇には、いくつか石灯籠が残っているが、どれも傾いたり、一部が欠けたりしている。
「今は参拝する人がいないのかな?」
「近くに住んでいる人がいないのかもね」
ひっそりとした境内は、鬱蒼とした木々が茂り、昼間でも薄暗い。風が吹くと木々の葉が触れ合い、静寂の中に微かな音が響いた。
そして、 忘れられたような手水舎が見えてきたが、手水鉢には水は溜まっていない。龍の口から水が出た形跡はあるものの、今はただの置物と化している。その近くには、 かつては参拝者があったことを示すような、古い絵馬や奉納された石碑などが、ひっそりと残されている。しかし、それらもかなり風化が進んでいる。
木造の拝殿や本殿は、長年の風雨に晒され、一部は朽ちかけている。屋根瓦も剥がれ落ち、隙間からはかつての壮麗さを偲ばせる彫刻が覗くが、それもまた時間の流れを感じさせている。
「昔の人は、徒歩でここまで来てたのかな?」
「多分、そうなんじゃない……分かんないけど」
「ここは、車があっても来るのは大変だぞ」
「うん、だから榊さんが来るまで長い間管理する人もいなかったらしいよ」
参道を上りきった境内で、零は軽く汗ばんだ額にハンカチを当てている。佑真は、辺りの風景に見覚えがあるような気がして、
「俺らって、ここに来るの初めてだよな?」
「そうだよ。だって佑真、神社とかお寺とかは年寄りが行くもんだって言ってたじゃん」
「そっか……気のせいか……」
拝殿の横にある小さな社務所の方から、何かが……ガサガサと音を立てている。佑真と零は、顔を見合わせてゆっくり静かに歩を進める。
そこには、ハシゴにのぼってブルーシートと一人で格闘している男性がいた。
「手伝いましょうか……」
佑真は、自然と口に出たその言葉に自分で驚きつつも、その人に近づいて行った。横にいた零も、同じ気持ちのようで、笑顔で頷いた。
その人は、ゆっくりとハシゴから降りてきた。零がその人と佑真の間に立ち、
「神主さん、こちら私の幼なじみの佐倉佑真です……そして、こちら神主さんの榊さんです」
「はじめまして佐倉さん。私は、ここの神主を任されました榊泰然です。よくいらっしゃいましたね」
「は、はじめまして。佐倉佑真です。よろしくお願いします」
佑真は、ペコリとお辞儀をした。
榊は、髪の毛に少し白いものが混じっているが、60代にしては若い印象を受ける。
「榊さんは、大学の教授だったんだって」
零が佑真に耳打ちした。
「えっ、教授が……神主?」
「はい、以前は古文書や伝承を若い学生たちと一緒に調査研究しておりました……楽しかったですよ。ご縁がありまして、この神社の神主をさせていただける事になりました。こちらの神社には、古くからの……幻の古文書があるという事で調査を続けております」
そもそも、かなり前から神社への人の行き来がなくなり、神主も不在という事が分かったのだという。榊は、荒れ放題の神社を放っておけず、大学を辞めて臨時の神主を買って出たということだ。
「ここは、古くからの大切な神様の場所……廃れて荒れている状態が何とも……見るに偲びないと感じた訳です」
「そう、榊さんは最近やっと資格と許可が下りたんですよね」
「大学の教授を辞めて神主になるって……初めて聞いたな……あっ失礼しました」
「いやいや、お恥ずかしい話です」
普段は、人に関わる事を避けている佑真が、初対面で緊張して話せないのなら分かるが、逆に思った事がすぐ口に出てしまっている……佑真だけではなく零も不思議に思い始めていた。
「ところで、神主さん。ハシゴに登って何をしてらっしゃったの?」
「あぁ、建物の雨漏りが酷いので、手が届きそうな社務所の屋根にシートを掛けようかと思ったのですが……」
榊は、屋根に立て掛けられたハシゴの近くで、だらりと垂れ下がっているブルーシートを指差した。
「お二人がいらっしゃる前に、ササッとやってしまおうと思いまして……しかし、案外難しいもんですなぁ」
と、頭をかきながら静かに笑った。佑真が話をする前に、とにかくブルーシートを張ってしまおうということになった。
第三話 隠された神社
漠然とだが……佑真は、恐怖心から人と関わることを避け、固く閉ざしてきた心が、この神社……この場所……この人(榊)によって開かれていくように感じられた。
初対面であった榊に、佑真が閉じ込めてきた言葉や想いを聞いてほしい。絡み合ってしまっている糸玉を解きほぐせるのは榊なのだと……理由も分からないが、直感的にそう思った。
「なるほど。佑真さんは、幼少の頃から地震に関する夢や神様からのお告げを聞かれていたのですね」
「はい……神様や火竜も夢に出てきました。おかしな妄想に取り憑かれているだけかもしれませんが……」
「いえいえ。私は、佑真さんがおっしゃるような……神様のお告げや、強大な力を受け継ぐということも有り得ると考えています」
「そう言っていただけるだけでも、話した甲斐があります。実は、変な奴だと思われそうで怖かったんです」
「それは、それは……勇気を出して、お話ししてくださったのですね。ありがとうございます」
佑真の心配に反して、榊は佑真の話を全面的に受け入れ、むしろ興味深そうに手元の分厚い手帳にメモをしている。佑真が言葉に詰まっても無理に聞き出すことはせず、静かに待っているだけだった。
「実は、この神社は何者かによって隠されてきたのかもしれないのですよ」
榊が、深刻そうな佑真を気遣ったのか、いたずらっ子のように笑いながらそう言った。
「えっ、そうなんですか?」
佑真と榊の邪魔をしないように言葉を控えていた零が、思わず身を乗り出してきた。
「この神社の御祭神は、建御雷神である可能性が高いと考えられています。日本神話に登場する武神です」
榊が説明を続ける。
「そして、建御雷神は、地震の原因である大ナマズを抑えた神としても有名です。現在でも人々に信仰されており、地震除けのご利益もあるとされています」
それを聞いて、佑真の呼吸が止まった。夢で見たのは、すべてを焼き尽くす火竜だ。それは災厄の源であり、地震を引き起こす存在のはずではないのか。しかし、目の前の榊は「地震を除ける神」だと静かに語っていた。相反する二つの事実に、佑真の頭の中が激しく軋む。
「……でも……日本各地で不穏な動きが……小規模地震や異常気象が頻発し始めています。これは、地下深くに眠る龍神が目覚めようとしている予兆だと夢で見ました」
榊は、佑真が話す夢の内容を手帳に書き込んだ後、顔を上げた。
「……やっぱり、俺のせいで大災害が起きてしまうのでしょうか?」
絶望したように佑真が苦しげに言った。
「いいえ、そうとは限りませんよ。むしろ……もしも建御雷神の力を受け継いでいるとしたら……佑真さんが、この危機的状況(大災害の予兆)から救ってくれる鍵なのかもしれないですね」
佑真が見る夢の断片を、榊は古文書や神話の知識によって、分かりやすく解説してくれた。この神社の古文書や由緒書は損傷が激しいため現在研究所で修復中だが、修復が終わればもっと詳しい話が出来るだろうとも言った。
また、榊はこの神社だけではなく、他の神社にも訪れてみないかと、佑真と零を神社巡りに誘ったのだった。
第四話 タケミカズチノカミ
遠い昔、一人の修験者がこの山に龍穴を見つけ、小さな祠が建てられたという。
やがてそこが縁起良い土地とされ、その後多くの人々が移り住んできたことで、一時期は大変栄えたそうだ。
しかし、いつの頃からか、その神社の存在さえも世から消され、今に至るまで隠され続けてきたというのだ。
「私が各地の古文書を調べていた時に、鹿島の流れをくむ隠された神社があるらしいと書かれているのを見つけたんです」
榊が落ち着いた声で話し始めた。佑真と零は、まるで昔話を聞く子どものように、榊の話にじっと耳を傾ける。
「日本には神様はたくさんいます。山の神、川の神……これらは山岳信仰や水神信仰と呼ばれています。仏教が伝来してからは、インドの神様と日本の神様を同一視するなどして、うまく溶け合ってきたんですよ」
話を聞いていた零は、不思議そうな顔をして言った。
「へぇー、元々のところに別のものが来ると、今だったら、よそ者扱いしたり、争ったりしそうだよね?神様って喧嘩しないの?」
「ふふ。いい質問です。争いがないわけではありません。しかし、古来から日本人の心には、十七条憲法の第一条にある『和を以て貴しと為す』の精神がありました。私は、その心を現代でも、未来へも……ずっと守り続けてほしいと心から願っているんです」
「それって、聖徳太子の……」
「今は、厩戸皇子って言うんだっけ?」
榊は軽く頷き、一呼吸置いて続ける。
「現代ではピラミッドのように上下や少数多数で区別することが多いですが、『和を以て貴しと為す』の『和』は『輪』とも言えるのです。漢字は違いますが同じ音ですね。そこで『輪』の中と考えれば、元々いるものも他からやって来たものも、輪の中では同じように尊いと考えられます。それぞれに違いがあるからこそ素晴らしいのです。同じものばかりだとつまらない、と思いませんか……そう思うのは私だけのですかね」
榊は、明るく笑ってみせた。
「歴史は、往々にして勝者や権力者が残してきたものですから。書物や口伝であっても敗者や少数意見が残ることは少ないのです。しかし、古来からの神社の古文書や由緒書には、思わぬヒントが書かれていたり、隠されていた古文書が偶然発見されることもありますから……」
榊は広がってしまった話を本筋に戻した。
「この神社が鹿島の流れをくむとすれば、御祭神は建御雷神になります。彼は武神、雷の神、剣の神として知られています」
「剣の神……」
佑真が小声で呟いた。
「はい。神話では、伊邪那岐という神様の剣の血から生まれたとされ、国譲り神話で活躍し、神武天皇の窮地を救った記録もあります。だからこそ、鹿島神宮や春日大社で古くから武運長久や必勝祈願の神として篤く信仰されてきたのです。相撲の祖とも言われていますし、あらゆる面で人々を導いてくれる強い神様です」
佑真の夢に出てきた神様は、まだ名乗ったことがないため、榊の言う建御雷神なのかどうかは不明だ。
だが、建御雷神は地震を鎮める神様であって、地震を引き起こす神様ではないらしい。この決定的な矛盾が、佑真の頭をさらに混乱させ始めた。
榊は、その混乱を見透かしたように、静かに言葉を続けた。
「この神社の由緒を調べただけでは、この矛盾の答えは見つかりませんでした。そこで、私は大学時代の知人で、現代の祭祀や、隠された神社の歴史に詳しい研究者の方に協力を仰いだのです。
ちょうど彼も今、この神社内で調査をしておられます。彼は、最新の知見を持っている素晴らしい人物ですよ。恐らく、佐倉さんの抱えておられる問題の核心、そしてこの国で起きている異変の裏側についての詳しい情報をお持ちではないかと思います。もしよろしかったら、これから彼の話を聞いて、現状を一緒に整理しましょう……さあ、新堂さんも、こちらへどうぞ……」
そう言って榊が促すと、佑真と零は、重苦しい気持ちのまま、社の奥へと続く廊下を進んだ。
第五話 龍神と要石
島田先生は、理知的な眼鏡をかけた細身の男性で、白いワイシャツと無地のスラックス……一見すると研究者というより、IT企業のプログラマーや若社長のようなリーダー的雰囲気を持っていた。
榊に連れられてやって来た佑真と零に気付くと、サッと立ち上がり頭を下げて一礼をした。
「榊先生、こちらの方が……あの『力』の持ち主の……?」
「はい、お連れしました。ぜひご協力をお願いします」
島田の前には、色褪せた古文書のコピーの束と共に、現代的な地震計のグラフやパソコンなどが乱雑に置かれていた。
『古い物と新しい物が同時進行してるみたい……何だか面白そう』と、零は心の中で呟いた。
佑真は先程榊に話したように、島田にも夢の事や大地震のトラウマ、神様と火竜などを説明した。人に関わる事を避けてきた佑真にとって、初対面で話をする事は困難かと思われたが、榊と島田には不思議と話しやすさがあった。
島田は古い木製の机に両手を置いて、佑真をそっとを見た。佑真は、俯いて自分の手を見つめている……まるで暗闇で迷子になったような心細さと孤独感が全身を覆っているようだ。榊と島田の静かで落ち着いた声は、そんな佑真には確かな道標が出来たような気がした……だが、その話の内容は、佑真を絶望の淵へと導いているように感じたのだった。
「実は……あなたが夢で見た火竜は、大地深くで眠りから覚めつつある龍神の力そのものだと思われます。しかも、あの激しい揺れは、龍神の胎動にすぎません」
硬直した表情になった佑真は、言葉を失い、ただ目の前の島田を見つめることしかできなかった。
零は愕然として呟いた。その声には、微かな恐怖が混じっていた。
「胎動って……まだ生まれてないってこと?じゃあ、生まれたらもっと大きな力になるって意味ですか?」
「残念ながら……その通りです。だからこそ、一刻も早く急がねばならないのです」
島田は重い声で応じ、淡々と語る。その話は、雪解けの冷たい水滴が一筋の水流になっていくように古来から変わらない大自然の流れを感じさせた。
「この神社に祀られているという建御雷神の使命は、この龍神(大ナマズ)を鎮めることだと、我々のような研究者は考えています。神様……建御雷神は、地震や災害を起こす巨大な大ナマズの頭を押さえつけるべく、自身の神剣の先端を大地深くに突き刺し、要石としたのだと伝えられてきました。要石は二つあり、今でも大ナマズの頭と尾の部分を押さえています。要石がなければ、大ナマズは日本列島を暴れ回っていたかもしれません。」
「俺の……地震を起こす力ではなく、鎮める神様の力だとしても……なぜ夢をみた俺が、その大地を揺り動かしてしまうんですか?」
佑真は、島田に思いをぶつけてみた。
「それは、佐倉さんの感情が高ぶることで、要石に存在する建御雷神の力が緩み、龍神を不必要に刺激してしまうのではないかと……これが、今異変が多発している原因だと私は考えています」
要石……その言葉を聞いて、佑真の脳裏に、苔むした古い石の塊と、そこから立ち上る凄まじい神様の力のイメージがフラッシュバックした。
あれは、ただの石ではない……この国を支える、安定させるための神の楔だったのか。佑真の心臓の音が、耳元で激しく脈打つのが聞こえてくる。
「あなたの悩みと『力』は、ただの個人的な妄想ではありません。むしろこの国の……根幹に関わる問題なのです」
島田のその言葉が、電気のように佑真の全身に強い衝撃を与えた。
『ただの引きこもりの俺の力が、この国の運命を左右する楔或いは『鍵』かもしれないだって?そんなことって……あり得ない……』否定するように大きく頭を振った。『でも……逃げられない事実だとしたら……』佑真は血の気が引いてきた。
追い討ちをかけるように榊が続ける。
「建御雷神には、歴史上、明確な敵対者がいました。それが、国譲り神話で敗北し、諏訪へ追いやられた土着の神、建御名方神です」
零が驚いたように息を飲む。
「国譲りって、日本神話の、あの……!?」
「ええ。そして、現代においても、この建御名方神を崇拝する者たちがいます。その中でも少数ですが、過激な思想を持つ者たちの活動が知られてきました。彼らは、建御雷神によって不当に奪われた権威を取り戻すべきだと考えている。つまり、古代の歴史を逆転させることを目指しているのです」
島田は静かに、しかしキッパリと告げた。
「表向きには知られていませんが、実はその『根幹』を揺るがそうと目論んでいる者たちがいるのです。彼らは、その手段として、今、目覚めかけている……或いは目覚めさせて龍神の力を利用しようと画策しているのでしょう」
佑真の背筋に冷たいものが流れるような感覚が走った。『自然災害ではなく、誰かの悪意がこの国中の異変を加速させているのだろうか』
「信奉者……ですか。誰が、そんなことを?」
「彼らは単なる集団ではありません。その背後で、龍神の目覚めを最も加速させている特別な人物がいるはずです。おそらく、神様との距離が近い者……神主や巫女の立場にある者かもしれません」
島田は机の上の手帳に書かれているどこかの古文書のメモを2人に見せた。そのインクの匂いは、古い事象と過去からの重みを運んでくるようだった。
「その謎の人物は、要石の鎮める力を出来るだけ弱め、次の大災害を人工的に引き起こそうとしているはずです。佐倉さんをこの神社に呼んだのは……あなたこそがその暴走を止める唯一の鍵だという神様からの啓示だと、榊先生と私は考えています」
「そんな話……信じられるわけないでしょう!」
佑真の声は甲高く、上ずっていた。
「俺はただの引きこもりですよ。大学受験に失敗して、昼夜逆転して、カーテンを閉め切った部屋から出られなくなった落ちこぼれだ。そんな俺が、要石だの、龍神だの、この国の根幹だのって……笑わせないでくださいよ!」
怖気づく佑真を尻目に見て、零はため息をついた後、きっぱりと言い放った。
「話がデカいのはわかるけど、ちょっと待って。整理させてください」
零は手のひらを榊と島田に向け、一つずつ指を折った。
「一つ、地震は龍神の胎動。二つ、それを抑えてるのが建御雷神の要石。三つ、建御名方神信奉者が歴史を逆転させるために、龍神の力を使って要石を壊そうとしてる。で、四つ、その手引きをしてるのが謎の人物。これで……合ってますか?」
「はい、その通りです、新堂さん」
榊は、零の簡潔な説明にしっかり頷いた。
「ほら、佑真。話はシンプルだよ。誰かが、私たちの住むこの国を壊そうとしてるんだよ。信じるか信じないかは、旅に出た後で決めればいいから。でもね、まずは、この力のせいで引きこもっていた生活はもう終わりだよ!ほら、しっかりして!」
勢いづいた零が、強くバチンと激励の気持ちを込めて佑真の背中を叩いた。その衝撃が、佑真の思考を強制的に現実に引き戻した。
暗い部屋で一人、自分の力を恐れ、自らを呪って震えていた日々。その力が、今、使命となって目の前に突きつけられた。
佑真は、窓から差し込む明るい光の方を見た。その瞳には、まだ自信の色はなかったが、臆病な恐れの色も薄れていた。
『この話が妄想なら、それはそれで構わない。だが、もし本当なら、俺が動かなければ誰かが傷つく。大災害を回避させたい』その強い一念が、恐怖を上回ったのかもしれない。『……もう後戻りはできないんだ……』
「分かりました。やります。何をすればいいか、教えてください、島田先生」
「ありがとうございます!佑真さん、零さん」
島田は、心底安堵したように息をついた。その声は、彼もまた大きなプレッシャーに晒されていたことを物語っていた。
「まずは、経津主神を祀る香取神宮へ向かいましょう。私の研究によれば、建御雷神の協力者であり、次に狙われる場所の手がかりを掴めるはずです」
「お言葉ですが、島田先生。『水戸鎮石社』はいかがでしょうか。小さな社ですが……」
「なるほど、関連のある場所とも言えますね。香取の前に立ち寄っていただきましょうか」
しばらく榊と島田が目的地の検討をしていたが、決定した。
「香取神宮に行く途中……水戸鎮石社、ね」
零はすぐにスマホを取り出し、ルート検索を始めた。
「あれ?出ないですけど……」
榊が笑顔で答える。
「小さな社などは普通の検索に引っ掛からない事もありますので、神社庁から探して住所から検索してみてください」
「なるほど、神社庁……名前……住所……検索、と」
真剣な顔でスマホを操作する零の顔が、ぱっと明るくなった。
「あった!さて……車は出すけど、費用はワリカンよ。あと、これからの活動に備えて、体力づくりも並行で計画するね」
こうして、佐倉佑真と新堂零の、龍神と要石を巡る旅が始まる。
第六話 旅の始まり
零が運転する車は、すぐに山道を抜け、アスファルトの匂いがする幹線道路に入った。助手席に座る佑真の体はまだ固い。まるで、自分だけがアニメやゲームの世界に放り込まれてしまったような、非現実的な感覚が拭えなかった。
車内は、零がコンビニで買ってきた缶コーヒーの匂いと、車の芳香剤なのか石鹸の香りが混じっている。佑真の車酔いを心配した零がさりげなく、新鮮な空気がはいるように少しだけ助手席の窓を開けた。カーステレオからは、二人が好きなアニメの歌が流れていた。この日常が、自分たちが守るべき世界なのかもしれない。
『本当に俺にできるのか?』という不安が、頭の中でぐるぐると渦を巻く。
零は信号で止まると、運転席からちらりと佑真を見た。
「ねえ、佑真……大丈夫、って言っても信じないだろうけど。私たちは今、神主さんたちのおかしな話に付き合ってるフリをして、ドライブしてるだけ。そう思って、とりあえず外の空気を楽しむことにしようよ」
「……あ?……うん、そうだな……」
零は、慣れた手つきで車線変更をして車の流れに合流していく。運転免許すら持たない佑真は、その手際よさに小さな劣等感を覚える。
『……いきなり壮大な使命を背負ったと言われても、俺は今も、助手席に座っているだけの無力な落ちこぼれだという事実は変わらないのに……』
「はい、そろそろ休憩だよ!」
零が突然、ハンドルをきって脇道に入っていく。
「え、まだ目的地は先だろ?」
「うん、せっかくだから観光もしようよ。ほら、ここ、霞ヶ浦湖畔の『竜の御前の展望所』っていうの。引きこもり君(佑真)のリハビリにもなるし……さあさあ、車から降りなさい。神主さんの話が本当かどうかとか、鹿島に縁のある場所で確かめるのも大切でしょ?」
零に促された佑真は、久しぶりに地元から離れた場所の空気を深く吸ってみる。水辺特有の湿った草木の匂いと、海とは違う淡水の生臭さが混じり合っていた。
展望台から見えるのは、雄大な霞ヶ浦。古代の「香取海」の名残だ。水面は陽光を反射してキラキラと輝き、景色は確かに美しい。
零は観光案内板を指差した。
「ほら、ここにも書いてある。『昔、この湖底には龍神が住み、暴れるたびに大波が村を襲ったが、鹿島の神の神剣によって鎮められた』だってさ。建御雷神の武勇伝ってやつ?」
零は楽しそうにスマホで写真を撮っている。その伝説は、昔話やおとぎ話のように現実離れしていると思っていた……佑真の視線が、ふいに湖面の中心に釘付けになった。
『景色は綺麗だな。しかし、その水面が……他の場所とは違う不自然な色合いを帯びているように見えるぞ……気のせいか?』
深い緑色の水の中に、まるで墨を流し込んだような黒い渦が、微かに、しかし確かに脈動しているように見えた。
そして、ゴウ……という低い唸り声?……まるで大地と水が、深く呼吸しているかのような、腹に響く重低音だ。
『……零には……これが見えたり、聞こえていないのか?』
佑真の指先が、ピリピリと痺れだした。この音を聞いていると、頭の奥が締め付けられるように痛み、力の暴走の予兆を感じ始めた。
「なあ、この音……」
「ん?トラックじゃないの?この道の先は工事現場があるし」
零はあっさりと言い放ち、自動販売機で買った炭酸飲料の蓋を開けて渡してきた。
佑真は黙って飲み物を受け取った。
『零には感じないのか……龍脈の異変は、もう、こういう形で日常に紛れ込み始めているのか……』佑真の観光気分は一瞬で吹き飛んだ。
炭酸飲料を飲み干した二人は、車を再スタートさせた。観光という名の現実逃避は終わりだ。
「カーナビを『水戸鎮石社』にセットし直すわね」
車は幹線道路を離れ、川沿いのひっそりとした細い道に入っていった。佑真は窓を開け、顔に風を浴びた。さっき湖畔で感じた湿っぽさと違い、どこか冷たく乾いた空気に変わっていた。
ようやく車が停まったのは、川沿いのさらに細い道に入った先だった。水戸鎮石社は、苔むした小さな社だ。周囲は湿地帯になっており、空気がじっとりと重い。
「これが補助的な要石代わりの神社?かなり小さいね」
と零が言いながら、車を停めた。
二人が車を降りた瞬間、佑真の全身に鳥肌が立つのを感じた。先ほど霞ヶ浦とは違う感覚だ。冷たく乾いた空気が、ここでは濃密に充満している。
境内というにはあまりに狭い空間だった。おかしな事に目の前の小さな社の注連縄は、不自然に中央で千切られて、地面にだらしなく垂れていた。
「何これ、神社の人がメンテナンスしてないのかな?」
零はそう言いながら、スマホを取り出した。
「一応、管理者の電話番号を調べてみるね……神社庁の方がいいのかな?……ええっと……」
零が現実的な解決策を模索する中、佑真は注連縄を無視し、社殿の正面に敷かれた古い石畳に視線を落とした。
石畳には、焦げ付いたような黒いシミが三箇所、不規則な三角形を描いていた。佑真が近づくと、鼻の奥に、焦げた硫黄のような、異様な刺激臭がする……それは、以前佑真が夢で見た火竜が残す形に酷似していた。
「零、この匂い、感じないか?それに、この形……」
「匂い?んー、ちょっと土が湿ってる匂いくらいかな?……形って?」
やはり零には感じられない。これは、佑真の力だけが捉えられる異変だ……何者かが謎の儀式で力を振るった痕跡だ。
佑真は、その黒いシミの中心に、何かが鋭く叩きつけられたような小さな穴を見つけた。彼は恐る恐るその穴に手をかざす。手のひらには、まるで地面の奥深くに広がる冷たい不協和音のような……微細な振動が伝わってきた。『これが……これで要石に打ち込まれた楔が、緩んだのか?』
「ここだ……ここで、誰かが要石の力を弱める儀式を行ったんだ!」
佑真は確信した。恐らく謎の人物が、本命の香取神宮の前に、まず補助の鎮石を破壊しに来たのだ。彼らは俺たちの一歩先を進んでいる。
「まずい……榊さんに連絡だ!」
叫ぶ佑真に気づいた零は、すぐに電話をかけた。スピーカーフォンにしたスマホから、榊の落ち着いた声が流れてきた。
『佐倉さん、新堂さん、何かありましたか?今調べている古文書には「力の脈動」を示していて……』
「神主さん、ビンゴです!」
零は興奮気味に状況を報告した。
「私たち、今『水戸鎮石社』に来てるんですが、結界が破られた痕跡があると佑真が言ってます。焦げた跡と、注連縄が切れてます!」
電話の向こうの榊が、微かに息を飲んだ音がした。
『やはり、敵は下準備を始めましたか。水戸鎮石社は、古文書によれば、要石の補助と気流を調整する役割を担っています。建御名方神の信奉者は、本命の要石の結界を弱体化させるために、まず周辺の補助的な鎮める作用を破壊しに来たのでしょう。急いで調べてから、また連絡します。くれぐれも気をつけて……』
零が電話を切ると、すぐに佑真に顔を向けた。
「ねえ、神主さんの話、ちゃんと理解した?」
「あ、ああ……」
佑真は顎に手を当てて、脳内で情報を整理した。
「ゲームで言えば……つまり、鹿島と香取の要石が、メインの強固なバリアだろ。で、水戸鎮石社は、そのバリアが破られないように、エネルギーを安定させる『サブバッテリー』ってことか?」
「そう!そんな感じ!」
零はパチンと指を鳴らした。
「つまり、敵はラスボスの城のバリアをいきなりぶっ壊すんじゃなくて……先に電力供給源を潰しに来たってわけね。この場所が電源ケーブルが切断された場所だと……」
「敵は賢いな。メインバリアを無効化する前に、バックアップシステムを停止させたんだ……」
佑真は社の小さな穴を見つめた。敵対勢力の存在が、急に現実味を帯びてきたのを感じる。
零は運転中かもしれないという事で、今度は佑真のスマホに榊から電話がかかってきた。
『(電話越しの榊の声)佐倉さん、新堂さん、出来れば少し急いでください。古文書の情報によれば、敵は次に、水の異変を抑える祭具を狙う可能性が高いです。それは、タケミカヅチノカミの武具を祀る『神路ノ社』に運ばれたはずです』
榊が、二人の行き先を示した。
「神路ノ社ね。了解」
零は素早くナビに目的地を入力する。佑真も、もう躊躇することなく助手席に座っている。
「急ごう、零。このままじゃ、本当にメインサーバーがダウンするぞ!」
佑真の言葉には、もはや臆病な恐れの色はなかった。まだ見ぬ敵への強い対抗意識が、その瞳に宿り始めていた。
第七話 タケミナカタノカミ
零が運転する車は、細い道を戻り主要道路を走り出した。その後は、利根川沿いの細く曲がりくねった道を進む。フロントガラスの向こうには、午後の光を反射した川面が、不気味に黒く見える。
水戸鎮石社での焦げた硫黄の匂いと、千切られた注連縄のイメージが、佑真の脳裏に焼き付いて離れない。敵は、俺たちが「サブバッテリー」と表現した補助的な結界を、まるで……いとも簡単に破壊した。
「……ねえ、その……どんな人たちなんだろうね」
零が、ハンドルを握りながら、乾いた声で小さく呟いた。
「神主さんは、タケミナカタ信奉者って言ってたけどさ。歴史を逆転させるとか、規模がデカすぎて……なんか現実離れしてるよね……」
その時、再び佑真のスマホが鳴った。画面には「榊神主」の文字。すぐにスピーカーフォンに切り替えた。
『新堂さん、佐倉さん。今、運転中ですか?神路ノ社に向かっているのですね。気をつけてください。古文書の情報から、信奉者たちの目的をもう少し詳しく解析できました』
榊の声は落ち着いているが、微かな焦りが滲んでいるように聞こえる。
『彼らは、国譲り神話で敗れ、諏訪へ追いやられた建御名方神の末裔を自称しています。建御雷神の勝利を「武力による不当な支配」だと見なしているようです。彼らが目指すのは、建御雷神が確立した秩序の完全な解体、つまり歴史の逆転です』
榊は言葉を選びながら続けた。
『そして、その秩序は、地下で眠る巨大な力……龍神や大ナマズと、大地を巡る龍脈によって成り立っています。龍脈とは、大地を流れるエネルギーのことで、各地の要石は、この龍脈の主要な点に打ち込まれています。信奉者は、龍神を覚醒させることで、その龍脈の抑えや結界を破壊しようとしているのです』
「龍脈……大地のエネルギーライン、ですか」と零が確認した。
『その通り。要石は、彼らにとっては敗者を封じるための鎖なのです。それを破壊するために、彼らは龍神という原始の巨大な力を利用しようとしているのです……』
佑真は、眉間に皺を寄せた……専門用語が多すぎて、頭がパンクしそうになってきた。
「ちょっと待ってください、神主さん!」
佑真が思わず口を挟んだ。
「俺、ゲーム脳なんで……RPGに例えて整理させてください」
「私も賛成!」
零は表情を緩めてハンドルを握り直した。
「まず、タケミナカタ信奉者って……『ゲームの敗北者側が立てたリベンジカルト』だよな。彼らの目的は、歴史を逆転させて、タケミナカタが勝つという『裏ルート』(歴史の逆転)に世界線を移行させること……かな……」
「そうだね……」
零は軽く頷いている。
「で、龍脈ってのは、世界中に張り巡らされた『魔力の供給ケーブル』って感じか……。鹿島とか香取の要石は、そのケーブルの『魔力安定化の中央ポイント』ってことか?」
「そういうことになるね!そして、水戸鎮石社は『補助的なポイント』になるのかな……」
「……つまり信奉者は、リセットボタン(龍神の目覚め)を押す前に、この『システム』の回路自体をショートさせて、縛っている鎖を切りたいんだな……」
『(榊の声)大雑把ですが……その解釈で大丈夫でしょう』
佑真が榊の話の解釈を続けた。
「龍神は、その妨げとなるものを吹き飛ばし、彼らが目指す世界を再構築するためのリセットボタン……つまり彼らは、そのリセットボタンを押す前に、鎮石社のような「監視カメラと通信設備」を先に潰しに来たって事……」
榊と佑真のやりとりを聞いている零が、真剣な表情でハンドルを握り直した。
「彼らは非常に計画的で姑息なゲリラ戦術をとっている。私たちの動きはもう向こうにバレてるってこと……」
『(榊の声)神路ノ社は、水の異変を抑える重要な祭具があります。敵はそれを奪い、龍神の制御を容易にしようとするはずです。この時間差であれば……もしかしたら、彼らの術の痕跡ではなく、敵そのものに遭遇するかもしれません。注意してください……無理しないように……』
電話が切れると、車内には重い空気が流れ、しばらく沈黙が続いた。
佑真は窓の外を見る。遠くの空に、鉛色の雲が急速に広がり始めている。それは、龍神の動きによるものなのか、それとも、これから始まる戦いの予兆なのか。
「……敵に会うかも、か……」
佑真が低い声で呟いた。
「まさか、現実で裏ボスと遭遇することになるなんてね……」
佑真は、窓の外を流れる単調な風景と車の微かな振動によって、意識が深く沈んだ……。
彼の目に映ったのは、光を放つ神様と無数に点在する結界だった。
巨大な岩の結界の中心に、威厳に満ちた白い光の柱が立った。それが、佑真の持つ力の源、建御雷神あるいはその祖霊からのメッセージだと、直感的に理解できた。
『おまえの持つ力は、鎮めるものにあらず』
声は、性別も持たない、純粋な音の波動として、佑真の心の奥に響いた。
『我が末裔よ。その力は、暴れる大地の龍神を「押さえつける」のではなく、「乱れた龍脈を調和させる」ためにある。激しい感情は、おまえの持つ調和の力を歪ませる。感情を無に、水面に映る月のように鎮めよ』
そして、結界の向こう、遠く離れた場所でも、別の穏やかな光が輝いているのが見えた。
『急げ。その調和の光と、経津主神の相棒の力が合わさったとき、初めて龍脈の乱れは抑えられる。敵が奪おうとする祭具は、龍神の力を増幅させ「錯乱の原因」となる。それだけは、決して渡してはならぬ』
「……佑真!大丈夫?……随分と、うなされていたわよ」
零の声にハッと我に返った。強い光に当てられたように、目の奥が痛む。夢の内容は曖昧だが、手のひらに残る強い神聖な力の感覚だけが、ただの夢ではなかったと物語っていた。
「夢を見たんだ……俺の力は『災害を起こす』ものじゃない。榊さんや島田先生が言ってた通りだ!」
佑真は身を乗り出して、零に告げた。
「俺の力は、龍脈が乱れたときに、その波を鎮める『調整役』つまり俺が『鍵』なんだ。つまり、要石システムの、一番大事な『鍵』を持っているってことみたいなんだ」
零はすぐにその言葉を理解し、探り始めた。
「なるほど。佑真がずっと恐れを感じていた災害や天変地異の現象は、佑真の力が暴走した結果じゃないのね。感情の乱れで鎮める力を停止させた……龍脈が暴走するのを許したってことね」
「ああ……。俺の力は『防御』であって、『攻撃』じゃないんだ。感情が乱れると、その防御が崩れて機能を停止する。その隙に、龍脈が暴走する……。俺がパニックになると、世界がピンチになるってわけだ……」
「そういうことか……だから、『鍵』を持つあなたは、冷静でいることが絶対条件なのね。それなら私は、あなたが混乱しないためのストッパーになるわ。さあ、行くわよ」
車は埃を上げながら砂利道を進む。ナビが示す神路ノ社は、水戸鎮石社よりもさらに人里離れた、森と川の合流地点にあった。
車を停め、二人が森の奥へと続く小道を進む。周囲の木々は古く、昼間だというのに薄暗い。
佑真の右手のひらが、脈打つように熱くなってきた。それは、力が過敏に反応している証拠だった。夢で聞いた「感情を無に、水面に映る月のように鎮めよ」という言葉を思い出した佑真は、右手を強く握りしめた。
「ねえ、佑真、何か感じる?」零が小声で尋ねた。
「ああ。空気がおかしい。あの鎮石社よりも、もっと強い力が……何かが乱れてる。敵が、もう着いているからだろう」
木々の切れ目から、ようやく社殿が見えてきた。それは、歴史を感じさせる茅葺きの屋根を持つ、簡素な社だった。しかし、その周囲の光景は、有名な観光地やパワースポットとは真逆で人けがなかった。
社殿を囲むようにして、七、八人の黒い人影が立っていた。
彼らは全員、フード付きの黒い服装に身を包み、顔の大部分を覆っている。彼らは建御名方神の信奉者……歴史の逆転を企むヤツらだ。
社の正面の地面には、白いチョークのようなもので幾何学的な紋様が描かれている。そして、その周囲に信奉者たちが小さな火を焚いていた。立ち上る煙は、異様な匂いを放ち、森の空気を一層重くする。
その光景を見た瞬間、佑真の頭の中に、甲高い不協和音が響き渡った。まるで龍脈の魔力供給ケーブルが、無理やり捻じ曲げられているようなイヤな感覚だ。
彼らの中心には、社殿から持ち出された、古びた金属製の祭具が置かれていた。それは細長く曲がった、弓のような形状をしていた。きっとあれが神様の言っていた「錯乱の原因」となる祭具に違いない。
佑真の胸に、無性に激しい怒りが湧き上がった。
「あいつら、絶対に許さない!あの祭具を奪って、龍神を暴走させるつもりだ!」
佑真の掌の熱が、制御不能な痛みに変わる。体中の血管が浮き上がり、彼の調整役としての力が、逆に暴走を始めたのだ。周囲の木の枝が微かに震え、地面の土が振動し始める。
「佑真、ダメ!」
零が瞬時に佑真の腕を掴んだ。零の指先は驚くほど冷たかった。
「よく見て!私たちは間に合わなかったんだよ!」
零が指差した先……信奉者たちの一人が、弓型の祭具を乱暴に装束の中にしまい込んだ。儀式は既に終わり、彼らは撤収準備に入っている。
「ここで戦ったら、私たちは確実に負ける。そして、『鍵』であるあなたの存在を敵に教えることになるんだよ!」
零の冷たい指先と、論理的な言葉が、佑真の暴走と右手の熱をかろうじて留まらせた。
『感情を無に、水面に映る月のように鎮めよ』……神様の言葉が脳裏で蘇る。佑真は必死に呼吸を整え、熱を逃がそうとした。
その間に黒い集団は、素早く森の奥へと姿を消してしまった。
信奉者の気配が完全に遠のいたのを確認し、二人は急いで車へ戻った。
零が運転席に座ると、佑真は悔しさのあまり自分の太腿を拳で叩いた。
「くそっ……何もできなかった。……俺、やっぱり……」
「違うよ!」
零はバックミラーを見ながら言った。
「敵は次に、いよいよ『メインサーバー』(香取神宮の要石)を狙うはずよ。残ってるのは、そこだけだもの。急がないと世界システムがダウンするのよ」
零は車を勢いよく発進させた。
佑真にも、強い意志が宿っていた。
「急ごう、零。フツヌシの『相棒の力』と俺の『調整役』としての力を合わせるんだ。これが最後のチャンスだ!」
彼らの旅は、ついに防御線の最後の砦へと向かう。時間との戦いだ。
第八話 作戦会議
零が運転する車は、夜の帳が降りた香取神宮近くの道の駅に滑り込んだ。人目につかない駐車場の一角で待っていたのは、榊と島田だった。二人の顔には、安堵と同時に、深い疲労の色が浮かんでいた。
「ご無事で……新堂さん、佐倉さん」
「神主さんこそ……」
零は車を降りるなり、早口で報告を始めた。
「神路ノ社は、残念ながら間に合いませんでした。弓型の祭具を奪われてしまいました。敵は七、八人。フードで顔を隠していましたが、動きに迷いはなかったです。そして、次に狙うのは香取神宮で間違いありませんね」
佑真は、神社の名前を聞くたびに、怒りが蘇り掌が熱くなるのを感じた。鹿島を通り、水戸鎮石社と神路ノ社が破壊された今、残る要石の結界は、ここ香取だけになってしまった。
榊は、助手席に座る佑真に、湯気の立つ缶コーヒーを差し出した。
島田は、冷静な視線で二人を見つめながら、最新の調査結果を口にした。
「敵は、私たちが思っていたよりも遥かに周到です。彼らを率いているのは、守屋ちとせという女性だと分かりました」
「守屋……ちとせ」
佑真が復唱した。
「はい。彼女は、建御名方神守屋の系譜の末裔です。彼女の家系は、千年にもわたり、敗北の記憶と武神への恨みを受け継いできたのです。彼女たちの目的は、もはや歴史の逆転だけではない。龍神を覚醒させ、建御雷神が作り上げたこの世界の秩序そのものを、破壊することなのです」
島田は続けて、奪われた祭具の危険性を説明した。
「奪われた弓型の祭具は、龍神の力を制御不能な状態(錯乱)に導く増幅装置です。我々の解析では、あれを使われれば……暴走した龍神の力は、あなたの『鍵』としての力でも鎮めきれないかもしれません」
「待ってください!」
佑真が思わず口を挟んだ。
「じゃあ、もう打つ手はないんですか?」
「いいえ、あります!」
榊はきっぱりと言い切った。
「あなたの力こそが、この狂気を鎮められる唯一の『鍵』なのですよ、佐倉さん」
佑真は、夢の啓示の内容を思い出してみた。
「さっき夢で、神様と無数の結界の光を見たんです。そして神様が『その調和の光と、フツヌシの相棒の力が合わさった時、初めて龍脈の乱れは抑えられる』って……」
佑真の話を聞いた榊の目が大きく開かれた。
「それは……間違いありません。香取神宮の御祭神は経津主神です。建御雷神の相棒として、共に国譲りを成し遂げた神です。二柱の力が調和してこそ、日本の大地は安定するのです」
島田は、地図に香取神宮の参道と裏山をペンでなぞった。
「敵が狙うのは、要石への直接的な接触と儀式でしょう。夜明け前に間違いなく動くはずです。私たちができるのは、要石の場所で守屋たちを待ち伏せ、儀式を阻止することです。我々は無線で周辺を監視し、可能な限りサポートします」
続いて、零も佑真に伝える。
「私が、佑真のストッパーになるから。佑真は、経津主神の力と自分の『鍵』としての力を、調和させることだけに集中するんだよ」
榊と島田は、もう一度二人を見つめ、静かに頭を下げた。
「どうか、ご無事で……」
「健闘を祈ります。情報は随時送ります」
榊たちは、複雑な事情があるので、これ以上は同行できないことを告げた。島田も、
「我々は別の場所から、敵の増援や逃走ルートを塞ぐ手配をします」
と言い、二人は車を降りる佑真と零を見送った。
彼らの背中は、もう、数日前まで引きこもっていた青年と、その友達という姿ではなくなっていた。彼らは、この世界の運命を背負い力強く立っていた。
静まり返った香取神宮の森。透き通るような神聖な空気の中、二人は足音を立てないように参道を進む。
佑真の右掌が、鹿島よりも遥かに強く、荘厳な神聖な力に触れているように感じる。それが、経津主神の穏やかな力だ。
その清浄な力の中を突き破るように、甲高い、不吉な不協和音が響き始めた。
とうとう守屋の一派が、動き出したのだ。
第九話 決戦
夜明け前の香取神宮の森は、深い霧に包まれていた。佑真と零は、人目を避けて小道を外れ、要石が埋まっているとされる森の奥深くを目指した。
佑真の右掌は、熱を通り越して、まるで内部で光っているかのように脈打っていた。それは、この地に満ちる経津主神の荘厳な力に共鳴している証拠だ。その力は、夜の森全体を包み込む穏やかな調和の光のように感じられた。
しかし、その清浄な調和を破るように、甲高い、耳をつんざくような不協和音が響き始めた。
零が立ち止まり、低い声で囁いた。
「あそこよ」
木々の切れ目、要石からほど近い小さな広場。そこには、神路ノ社で見たのと同じ黒装束の信奉者たちが、円陣を組んでいた。彼らの中心には、憎悪と狂気を纏った守屋ちとせが立っている。
彼女は、奪った弓型の祭具(増幅装置)を両手で持ち上げ、祭具の先端を要石が埋まっている地面に向けていた。ここでも祭具からは、大地に流れる龍脈の力を無理やり捻じ曲げるような、不吉な音波が放たれていた。
佑真の体は、守屋ちとせが放つ憎悪のエネルギーが伝わり、一瞬にして硬直した。
「焦るな……パニックになるな。俺は鍵なんだ。大丈夫だ、ちゃんとストッパーが隣にいるんだから……」
零の背中を見つめながら、佑真は必死に自己暗示をかけてみる。
「見つけたぞ、お前……武神の末裔だな!」
突然、佑真の存在に気づいた守屋ちとせが叫ぶ。彼女の目は、眠る龍神の狂気を宿したかのように赤く輝いている。
「よく来たな、建御雷神の血を引く者よ!その力は、我々を封じた鎖そのもの!だが、もうすぐ時代は終わる!千年の恨み、今ここで晴らしてくれるわ!」
ちとせの号令と共に、信奉者たちが佑真と零に襲いかかってきた。零は瞬時にバッグから取り出した懐中電灯で彼らの目を眩ませ、その隙に佑真を広場の中心へと押し出す。
「佑真!私のことは気にしないで!あなたは調和させる事だけに集中して!」
零は、身を挺して信奉者たちの物理的な攻撃さえも防ぐストッパーとなった。その冷静で勇気ある行動が、佑真をパニックの淵から引き戻した。
ちとせは祭具の力を最大まで引き上げていく。大地は激しく揺れ、要石の周囲の地面がひび割れはじめる。
「ハハハッ……絶望だろう?ちっぽけなお前の力では、憎悪で増幅された狂気は鎮められないぞ!」
佑真は、思わず恐怖で呼吸が止まりそうになった。しかし、攻防を続ける零の姿が目に入ったその時……彼は目をつむり、自らの内面にある感情のすべてを意図的に手放したのだ。
『絶対に……大災害を起こさせない……止めてみせる……誰も傷つけたくない……』
怒り、恐怖、無力感……それらを全て、水面に映る月のようにと強くイメージして……静かに鎮めた。
「俺の力は、防御なんだ……俺の使命は、調和の鍵なんだ……」
佑真の掌から、静かに、だが強力な光が放たれた。それは、彼自身の『鍵』としての力だ。
その光は、周囲の経津主神の穏やかな力と瞬時に共鳴し、二つの調和の光が一つに束ねられた。
建御雷神の末裔が持つ「調和」の力と、経津主神の神が守る「平穏」の力が合わさった光の波動は、ちとせの祭具から放出される狂気の不協和音を包み込み、ゆっくりと、しかし確実に中和し始めた。
守屋ちとせは信じられないものを見るように目を見開いた。彼女の祭具が発する狂気を抑え込まれ、機能不全を起こし始めたのだ。
「なぜだ……なぜ、調和など……!この世は、憎しみと復讐で満たされるべきなんだ!」
祭具の力が完全に中和され、龍脈が元の平穏な流れに戻ると、大地を揺らしていた地震が止んだ。信奉者たちは力を失い、その場に倒れ込んだ。
ちとせも、膝から崩れ落ち、祭具を地面に落とした。千年越しの復讐は、佑真の冷静な調和の光によって、無残に敗れた。
朝の光が、濃い霧を切り裂いて森の中に差し込んできた。
その時、広場の四方から、黒い特殊な防護服に身を包んだ複数人の影が駆け込んできた。彼らを率いるのは、島田だった。彼は手に通信機を持ち、迅速に指示を出している。
「佐倉くん、新堂さん、無事ですね!我々の特殊部隊です。結界の中和を確認しました。直ちに対象の確保にかかれ!」
島田の部隊は、地面に倒れ込んだ信奉者たちと、呆然と座り込む守屋ちとせを迅速に拘束し始めた。彼らの動きは迅速かつ正確で、いかにもプロフェッショナルな組織であることを示している。
「私たちは、鹿島神宮の特殊祭祀法人と協力し、敵の逃走ルートを塞いでいました。佐倉くんの『鍵』としての力が、彼らの術を完全に無効化したおかげで、捕獲に成功しました」
零は、傷だらけになりながらも、無事な様子の佑真の元へ駆け寄る。
「やったわね、佑真!あなたが、世界を救ったのよ!」
呆然と立ち尽くしていた佑真は、その場に座り込み、全身の力が抜けていくのを感じた。
「俺は……」
「あなたは、見事にあなたの使命を果たしました。この国は、あなたの力で安定を取り戻しました.本当にありがとう」
島田は、一研究者としてではなく、この国の根幹に関わる者として、深く頭を下げた。
佑真は、もう部屋の暗がりを必要とする臆病者ではなかった。彼は、この世界の「鍵」としての役割を、見事に果たしたのだ。
彼の掌は、もう熱く脈打っていない。ただ、輝く朝日を……羽毛のような温かさを全身で受け止めていた。
エピローグ
夜明けの光が差し込む香取神宮の森。
大地は静まり返り、要石は再び力強い結界の光を放っている。佑真と零は、森の入り口近くで待機していた榊神主と島田先生の車に収容された。
黒装束の信奉者たちは、気を失っているか、抵抗の意思を失った状態で島田先生の部隊によって確保された。中心にいた守屋ちとせは、憎悪の念を宿したまま、自ら抵抗することなく捕らえられた。彼女の傍らに、弓型の祭具が無力な道具となって転がっていた。
零は、疲労困憊で眠ってしまった佑真に毛布をかけながら、後部座席から榊に尋ねた。
「……守屋ちとせは、どうなるんですか?」
榊は、静かな声で教えてくれた。
「彼女たちは、一般の司法の場ではなく、『裏側の秩序』によって裁かれます。千年にもわたる恨みは深く、簡単に消えるものではありませんからね。それに、彼女が起こした『世界の仕組みを壊そうとした』という罪は重いのです。ちとせは、その身に封印の責務を負うことになるでしょうね」
「封印……」
「ええ。監視の下、二度と世に干渉できない場所で、彼女の持つ『敗者の系譜』の力ごと鎮められる。それが、裏側の世界における『調和』となるのです」
隣にいた島田が、現実的な補足を加えた。
「我々、特殊祭祀法人の監視下に置かれます。彼女たちの組織は、単なるカルトではありません。佐倉くんの『鍵』としての力がなければ、世界は崩壊していたでしょう。理論では割り切れない、意志の力が勝利したのです」
榊は、道の駅まで車を走らせた後、零に振り返った。
「佐倉さん、そして佑真さん。感謝してもしきれません。あなた方の冷静な分析力と判断力は、『鍵』としての佑真さんにとって『最高の盾』(ストッパー)でした」
島田も深く一礼した。
「我々は、これより結界の修復と、裏側の秩序の再構築に全力を尽くします。あなた方の日常が、平穏に戻ることを願っています」
そして、榊と島田は、深い感謝と共に二人を乗せた車とは別の方向へ、静かに走り去っていった。
『神々の囁き』
香取の森の上空、夜明け前の薄い霧の中。
大地を揺るがした狂気は、すでに霧散していた。鹿島神宮の主神、武の神建御雷神の御霊が、静かに森を見下ろしている。その威厳に満ちた姿は、神話の時代と変わらない。
「終わったか、経津主神よ……」
その声は、雷鳴となって響く。
香取神宮の主神、剣の神経津主神の御霊が、穏やかな光となって応える。
「はい、建御雷神。あなた様の末裔は、見事に調和を成し遂げました。あの青年が持つ『鍵』としての力は、我々の力が持つ『平穏の意志』と合わさり、憎悪を乗り越えました」
「フッ。我々の力など、所詮は原始のエネルギーに過ぎぬ。それを調和させ、秩序を保つのは、人の意志なのだ」
建御雷神は、遠ざかる榊たちの車を見つめた。
「守屋ちとせが背負った憎悪は深い。だが、あの末裔(佑真)の『感情を無にする意志』こそが、千年にもわたる敗者の系譜の物語を、ここで終結させたな」
経津主神は、佑真と零が乗った車が、再び日常の光の中に溶け込んでいくのを見守った。
「あの二人は、今後も『鍵』と『盾』として、互いを支え続けるでしょう。調和は、彼らの日常の中に定着しましたね」
「ああ。要石の結界は強固になった。我々の時代は、これで再び静寂を得た。彼らは、もう我々が直接干渉すべきではない。しかし、我々が定めた『世界のルール』を、『調和の意志』という形で継いだ。それで良い」
経津主神の光が、朝日と共に一層強くなる。
「建御雷神、次の物語が始まるまで、我々はこの調和を見守り続けましょう」
二柱の神々の声は、風に乗って遠ざかり、香取の森には、再び変わらぬ日常の静寂が戻った。
目に留めてくださり、ありがとうございました。




