最終話 悪役令嬢は新たな舞台へ
大司教レオンの消滅と、ログアウト機能の復活。
二つの事実は、出口のない戦場と化していた帝都オルクスに、急速な終焉をもたらした。
絶対的な指導者を失った連合軍は統率を失い、雪崩を打って撤退を始める。
それ以上に、多くのプレイヤーが、現実世界へ帰るためにログアウトを選択していった。
戦場のあちこちで、プレイヤーたちの身体が光の粒子となって消えていく光景が広がる。
「リディア……!」
「よくもレオン様を!」
旗艦のブリッジで、アリアとセリナ、そして聖女エレナは、憎悪に満ちた目でリディアを睨みつけていた。
だが、彼女たちも理解していた。
世界の理を書き換える力を手にしたリディアを、今の自分たちが討つことは不可能だと。
「覚えておきなさい、リディア・フォン・クロウ。このままでは終わらせないわ……!」
エレナが悔しげに言い放つと、三人は次元の裂け目の向こう側へと姿を消した。
いずれまた、相まみえることになるだろう。
だが、それは今日ではない。
偽りの聖戦は、こうして呆気なく幕を閉じた。
後に残されたのは、半壊した美しい帝都と、戦いの終わりをまだ信じられないプレイヤーたち、そして静かに佇む『黒薔薇』の四人だけだった。
「……終わった、のか?」
ハルトが、誰に言うでもなく呟いた。
「ええ、終わったのよ。私たちの勝ちね」
ミナが安堵のため息をつく。
ケイも静かに剣を鞘に納めた。
三人の視線が、中心に立つリディアへと注がれる。
「やったな、リディア様! あんた、マジでこの世界を救っちまったぜ!」
「本当に、心臓に悪いことばかりさせて……。でも、お見事でしたわ、マスター」
「お疲れ様、リディア。お前が俺たちの誇りだ」
仲間からの率直な称賛に、リディアは少し照れたように扇で口元を隠した。
「当然のことよ。この私にかかれば、世界の法則の一つや二つ、覆すことなど造作もないわ」
憎まれ口を叩きながらも、その声はどこか柔らかい。
ハルトが腕を組み、ニッと笑った。
「さて、と! それじゃ、祝勝会は現実世界でパーッとやろうぜ! ログアウトして、美味いもんでも食いに行こう!」
ハルトの言葉に、ミナとケイも頷く。
彼らは、リディアも当然一緒に現実へ帰るものだと思っていた。
だが、リディアは静かに首を横に振った。
「あなたたちだけで行きなさい。私は……もう少し、ここに残るわ」
「……は?」
三人の動きが、ぴたりと止まる。
「どういうことだよ、リディア様? 帰らないのか?」
「ええ。私には、まだこの世界でやるべきことがあるの」
リディアは、眼下に広がる黄昏の都を見下ろした。
この世界は、彼女の記憶そのもの。
彼女の喜びも、悲しみも、そして絶望も、すべてがこの大地に刻まれている。
現実世界に戻っても、黒崎玲奈を待っているのは、前世の記憶に苛まれる虚しい日々だけかもしれない。
しかし、この世界でなら。
彼女は、誇り高き悪役令嬢「リディア・フォン・クロウ」として、生きることができる。
「それに、この歪んだシステムの決着もつけなければならない。そして何より……私の復讐は、まだ終わっていないのだから」
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
仲間たちは、もう彼女を止めることはできないと悟った。
彼らは顔を見合わせ、そして、寂しそうに、しかし理解に満ちた笑みを浮かべた。
「……マジかよ。でも、リディア様らしいぜ」
ハルトが頭を掻きながら言った。
「分かったよ。でも、絶対また会いに来るからな! 今度はもっとすげぇハッキング技術、見せてやるよ!」
「本当に、世話の焼けるお姫様ね」
ミナは呆れたように肩をすくめた。
「たまには顔を見せなさいよ。じゃないと、私たちが寂しいから」
「ここが、お前のいるべき場所だと言うのなら、俺たちは止めない」
ケイは静かに、しかし力強く言った。
「だが、忘れるな。お前がどこにいようと、俺たちは仲間だ」
「ええ……ありがとう」
リディアの声が、少しだけ震えた。
三人は、リディアに手を振ると、次々と光の粒子となって消えていく。
現実世界へと、帰っていく。
一人になったリディアが、静かに帝都の空を見上げていると、不意に背後から声がした。
「君は、この世界に残ることを選んだんだね」
振り返ると、そこにアキラが立っていた。
「ええ。これが、私の選んだ道よ」
「そうか」
アキラは静かに頷くと、リディアの目の前に手をかざした。
すると、空間が揺らぎ、新たな『次元の裂け目』がゆっくりと開いていく。
だがそれは、これまでのような禍々しい亀裂ではなかった。
夜空に浮かぶ銀河のように、無数の星が煌めく、神秘的で美しい『門』だった。
「君がレオンという枷を破壊したことで、World-Linkage Systemは新たな可能性を手に入れた。君の魂は、もはやこの復讐の記憶だけに縛られる必要はない」
アキラは、門の向こうを指し示した。
「君の魂が持つ記憶は、一つだけではなかったはずだ。君が望むなら、この門をくぐり、新たな物語を始めることもできる。それは、この世界での復讐の続きかもしれないし、全く新しい人生かもしれない。あるいは、現実に戻る道を選ぶことも」
門の向こう側には、無限の可能性が広がっているように見えた。
リディアは、その美しい深淵を、血のように赤い瞳で見つめた。
そして、彼女の口元に、いつもの不敵で、悪役令嬢らしい笑みが浮かんだ。
「私の物語の結末は……この私が決める」
彼女が、希望に満ちた未知の世界へと、優雅に一歩を踏み出す。
その選択の先にあるものが何か、まだ誰も知らない。
異世界悪役令嬢の戦いは、一つの終わりを告げ、そして、新たな始まりを迎えようとしていた。
-了-