第6話 境界線の向こう側
帝都オルクスの空は、聖なる光と混沌の闇が入り乱れ、断末魔の叫びと金属の咆哮で満たされていた。
ログアウトという逃げ道を失ったプレイヤーたちは、絶望の中で為すすべもなく蹂躙されていく。
「ケイ、右翼の防衛線が崩れる! 援護を!」
「ミナ、上空の魔術師部隊を叩け! 詠唱させるな!」
リディア・フォン・クロウは血の気の失せた唇を噛み締めながら、的確な指示を飛ばし続ける。
だが、無限に湧き出てくるかのような連合軍の物量の前に、戦況は刻一刻と悪化していた。
このままでは、帝都の陥落、そしてオルクス陣営の全滅も時間の問題だった。
「くそっ、キリがねぇ……!」
ケイの振るう剣が敵兵を薙ぎ払うが、すぐに新たな兵がその隙間を埋める。
「リディア様! このままじゃジリ貧よ! 何か手は無いの!?」
ミナの悲痛な声が響く。
リディアは敵の総大将、大司教レオンが座す巨大な飛空艇を睨みつけた。
「……策は一つ。あの忌々しい頭を、直接叩き潰す!」
「旗艦に乗り込むってか!? 無茶だ!」
ハルトが叫ぶ。
敵陣のど真ん中に浮かぶ旗艦は、幾重もの防衛網に守られている。近づくことすら至難の業だ。
「無茶は承知の上よ。ハルト、敵の通信網にハッキングして、旗艦の防衛システムの脆弱な箇所を探り出しなさい!」
「やってる、とっくにやってるさ! けど、こいつら、外部からの干渉を完全にシャットアウトする特殊な防壁を……ん?」
ハルトがコンソールを叩く指を、ふと止めた。
彼は敵の防壁を突破しようとシステムの深層を探るうち、偶然にも、通常ではアクセス不可能な領域に迷い込んでいた。
そこに存在したのは、おびただしい数の暗号化されたデータブロック。それは、まるでこのゲーム世界の設計図のようだった。
「なんだ、これ……開発者用のバックドアか……?」
好奇心に駆られたハルトが、いくつかのファイルを解凍してみる。
すると、彼の目に信じられないキーワードが飛び込んできた。
[Project: Nexus_ver.7.2]
[System_Log: World-Linkage System Final Test Phase]
[Caution: Subject mental-wave is unstable]
[Key_Subject: R.K. (Lydia von Crowe)]
「R.K.……? リディア……?」
ハルトは愕然とした。
R.K.は黒崎玲奈(Kurosaki Reina)のイニシャルだろうか。なぜ、リディアの名前と並記されている?
そして、「World-Linkage System(世界連結システム)」とは一体何なのか。
「リディア様! やべぇもん見つけた! このゲーム、ただのVRMMOじゃねぇ!」
ハルトの報告は、戦場の喧騒にかき消されそうになった。
だが、リディアの耳には確かに届いていた。
彼女は直感した。この世界の真実の輪郭が、すぐそこにあるのだと。
「ハルト! そのデータの中に、あの『次元の裂け目』を制御している座標はないの!?」
「座標!? ちょっと待て……あった! これだ!」
リディアの瞳が、決意の光に輝いた。
「皆、聞くのよ! あの次元の裂け目の中心に突入するわ!」
「はぁ!? 正気かよ!」
「敵の本陣のど真ん中に飛び込むってこと!? 自殺行為よ!」
仲間たちの制止も、もはや彼女の耳には入らない。
「そこに、この狂った戦争を終わらせる『何か』がある。私の勘がそう告げているの!」
リディアの覚悟に満ちた声に、三人は顔を見合わせ、そして頷いた。
もう、この無茶苦茶な女王様を信じて、地獄の果てまで付き合うしかない。
「ケイ、ミナ! 道を切り開け!」
「「応!!」」
ケイが先陣を切り、ミナが矢の雨を降らせて活路を開く。
ハルトはリディアの背後で彼女を護衛しながら、座標データをナビゲートする。
四つの影は、一条の黒い流れ星となって、敵陣の心臓部――巨大な次元の裂け目へと突き進んでいった。
そして、彼らが裂け目に飛び込んだ瞬間、世界から音が消えた。
そこは、戦場ではなかった。
無数のデータが光の川となって流れ、世界の法則が剥き出しになったような、混沌とした情報空間。時間の感覚すら曖昧になる、異次元の回廊。
その奔流の中で、リディアは『見た』。
――ギロチンの刃が、陽光を反射してきらめいている。
――『悪女リディアに死を!』と叫ぶ、愚かな民衆の顔、顔、顔。
――「これで、フォン・クロウ家は私たちのものよ」と嘲笑う、アリアとセリナ。
――「神よ、この罪深き魂に裁きを」と祈りを捧げる、聖女エレナ。
何度も夢に見た、前世の処刑の記憶。
だが、その光景はどこか違っていた。まるで、巨大なスクリーンに映し出された映像のようだった。
そして、そのスクリーンを眺めるようにして、数人の人影が立っている。
白い衣服を纏った、研究者のような人々。
『Project: Nexus_ver.7.2の被験者R.K.の記憶データとの同期率98.7%。『エターナル・ネクサス』の世界構築は最終段階に移行します』
『素晴らしい……。彼女の深層心理が、これほどまでにリアルな異世界を構成するとは』
『やはり、彼女こそが二つの世界を繋ぐ『特異点』だ。彼女の魂そのものが、サーバーの役割を果たしている……』
理解を超えた会話。
私の記憶が、この世界を作っている?
私が、サーバー?
脳が焼き切れそうなほどの情報量と衝撃に、リディアの意識が遠のいていく。
「リディア様!」
「しっかりしろ、リディア!」
仲間たちの声に引き戻され、彼女ははっと目を開いた。
いつの間にか、混沌の情報空間は抜け出していた。
だが、そこは敵の旗艦の上ではなかった。
床も、壁も、天井も、すべてが真っ白な光で構成された、無機質な空間。
その部屋の中央に、一人の青年が静かに佇んでいた。
黒いTシャツにジーンズという、この世界にはあまりに不釣り合いな、現代的な服装。
彼はリディアを見ると、どこか懐かしむような、そして少しだけ悲しそうな目で、静かに口を開いた。
「――ようやく来てくれたんだね、黒崎玲奈さん。いや」
青年は、穏やかな声で続けた。
「リディア・フォン・クロウ」
その声に、リディアは聞き覚えがあった。
それは、彼女がこのゲームを始めるきっかけとなった、開発者からの招待状に記されていた名前。
「あなたは……アキラ……?」
青年――アキラは、静かに頷いた。
出口のない戦場の果てで、リディアたちは、この世界の創造主と対峙していた。