第4話 天裂き、黒薔薇は咲く
『白百合の騎士団』の出現以降、リディア・フォン・クロウは変わった。
仲間との軽口はそのままに、しかしその瞳の奥には常に冷たい炎が燃え盛っている。彼女が発する覇気は、もはや単なるゲームアバターのそれを超えていた。
「ハルト、あの白百合……アリアとセリナの行動パターン、装備、交友関係。些細な情報も見逃さず、すべて洗い出しなさい」
「ミナ、ケイ。あなたたちは対人戦の訓練を。相手はそこらの雑魚ではないわ。騎士団を名乗る以上、統率の取れた集団戦を仕掛けてくるはずよ」
ギルドハウス代わりの酒場で、リディアは矢継ぎ早に指示を飛ばす。その姿は、まさしく戦争を前にした司令官だった。
「へいへい。ま、あの二人、やたら目立ってるから情報は集めやすいぜ。なんでも、天光の連邦の聖女エレナってのと、もうズブズブらしい」
「やっぱり『光の教団』と繋がってたのね。厄介だわ」
「だが、相手が誰であろうと、俺たちのやることは変わらない。リディアの剣となるだけだ」
ハルトが指先で器用に情報ウィンドウを操り、ミナとケイも静かに闘志を燃やす。
リディアの抱える闇の深さは分からない。けれど、彼女がただならぬ覚悟で前に進もうとしていることだけは、三人とも理解していた。
ならば、仲間としてやるべきことは一つ。
この無茶苦茶で、最高に面白いマスターの背中を、全力で支えることだ。
『黒薔薇』が着々と牙を研いでいた、そんなある日のことだった。
帝都近郊の『骸の荒野』でレベリングに励んでいた彼らの頭上で、事件は起こった。
ゴゴゴゴゴ……!
不意に、世界が揺れた。
紫色の黄昏の空に、まるでガラスが割れるような亀裂が走る。亀裂は瞬く間に広がり、空間そのものが悲鳴を上げているかのような不協和音を響かせた。
「な、なんだこれ!?」
ハルトが驚愕の声を上げる。彼の目の前には、通常ではありえないシステムエラーを示す警告ウィンドウが明滅していた。
「サーバーが不安定になってる! 座標軸に異常な負荷が……おい、これってまさか!」
『次元の裂け目』。
それは、本来隔てられているはずのサーバーエリア同士が、異常な負荷によって一時的に接続されてしまう、極めて稀なシステムバグ。
裂け目の向こう側から見えたのは、闇の帝国とは対照的な、澄み切った青空と白亜の建造物。
――『天光の連邦』だ。
そして、その裂け目から、光り輝く鎧に身を包んだ一団が、雪崩を打って現れた。
「神の御名において、不浄なる闇の眷属を浄化する!」
雄叫びと共に、彼らは骸の荒野にいた闇の帝国プレイヤーたちに、無差別に攻撃を開始した。
NPCとプレイヤーからなる混成部隊、『天光騎士団』。その統率された動きと苛烈な攻撃は、個々の実力で勝るプレイヤーたちをいとも簡単に蹂躙していく。
「ちっ! 面倒なことになったわね!」
ミナが舌打ちし、素早く弓を構える。
「リディア、どうする!?」
「決まっているでしょう」
リディアは扇を優雅に振って、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「私たちの名を、このサーバーの全ての愚か者たちに知らしめる好機よ。――『黒薔薇』、戦闘準備!」
彼女の号令一下、四人は即座に戦闘態勢に入る。
ケイが盾を構えて前線を構築し、天光騎士の一撃を弾き返す。ミナの矢が空を切り、敵の魔術師の詠唱を中断させた。ハルトは敵の陣形データを高速で解析し、弱点情報を共有する。
「敵の前衛、聖属性のエンチャントが付与されてる! 闇属性のリディア様とは相性が悪い、気をつけて!」
「分かっているわ!」
リディアは的確に指示を飛ばし、自らも『黒刃の裁き』で応戦する。だが、敵はあまりに数が多く、組織的だった。聖なる光の魔法が雨のように降り注ぎ、ジリジリと防衛線が削られていく。
周囲では、他の闇の帝国プレイヤーたちの悲鳴が木霊していた。
「くそっ、強すぎる!」
「なんだよこいつら、イベントでもないのに!」
敗走する者、光の粒子となって消えていく者。荒野は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「このままじゃ、ジリ貧だ……!」
ケイの盾にも、ひびが入り始める。
その時、リディアが静かに息を吸った。
「あなたたち、少しだけだけ時間を稼ぎなさい。私が、この戦場を支配するわ」
そう言うと、彼女は目を閉じ、膨大な魔力を練り上げ始めた。その足元から、黒い魔力のオーラが渦を巻いて立ち上る。
「リディア様、まさか……!?」
ミナが息を呑む。
それは、膨大な魔力を消費する、リディアの最大最強のスキル。文字通りの、切り札。
「ケイ、ミナ! リディアを守るぞ!」
ハルトの叫びに応え、二人が決死の覚悟でリディアの前に立つ。
降り注ぐ光の矢を、ミナが撃ち落とす。迫りくる騎士の剣を、ケイが身を挺して受け止める。
そして――リディアの瞳が、カッと開かれた。
「――咲き誇りなさい、絶望の華。『黒薔薇の呪縛』!!」
リディアが持っていた扇を天に掲げた瞬間、世界が一変した。
大地が絶叫し、地面を突き破って無数の巨大な黒い茨が姿を現した。茨は瞬く間に成長し、天光騎士団の主力を、まるで巨大な鳥籠のように、完全に包囲、封鎖した。
それは、見る者を畏怖させる、禍々しくも美しい、黒薔薇の牢獄だった。
「な、なんだこれは!?」
「身体に力が……!」
茨の檻に囚われた騎士団は、混乱に陥る。
呪縛の効果はエリア封鎖だけではない。内部の敵に、継続的な闇属性ダメージと、全ステータスを低下させる強力なデバフを与えるのだ。
形成は、完全に逆転した。
「さあ、反撃の時間よ!」
リディアは魔力をほとんど使い果たし、肩で息をしながらも、勝ち誇った笑みを浮かべる。
弱体化した騎士団は、もはや『黒薔薇』の敵ではなかった。
ケイの剣が騎士の鎧を紙のように切り裂き、ミナの矢が的確に急所を射抜く。
そして、リディアが残った魔力を振り絞って放った『漆黒の嵐』が、とどめとなった。
黒薔薇の呪縛が解ける頃には、そこに立っていたのはリディアたち四人のみ。天光騎士団は甚大な被害を受け、次元の裂け目の向こう側へと撤退していった。
静寂が戻った荒野で、リディアの身体がぐらりと傾いだ。
「リディア様!」
「無茶しすぎだ、馬鹿!」
ミナとケイが、倒れそうになる彼女の身体を両側から支える。
「ふふ……これくらい、どうってことないわ……」
強がる彼女の顔は、蒼白だった。だが、その瞳は達成感に満ちて輝いていた。
この日、この戦いは、『骸の荒野の惨劇』として、サーバー中の知るところとなる。
そして、『黒薔薇』というギルドの名と、それを率いる『闇の魔女』リディアの名は、伝説の始まりとして、すべてのプレイヤーの脳裏に深く刻み込まれることになった。
遠く、天光の連邦。
聖女エレナは、騎士団からの報告を受け、静かに目を伏せていた。
「黒薔薇の……リディア。やはり、あなたは『悪』そのもの。私が、必ず浄化してみせます」
二人の因縁が、ゲーム世界を巻き込み、今、本格的に動き出そうとしていた。