苺の午後、君の言葉に救われて
8話
昼下がりの陽光が、校舎の中庭に柔らかく差し込んでいた。
食堂では昼食を終えた生徒たちが、テーブルに集まり、昨日の夜間捜索の話題で盛り上がっていた。
「ねえ、フィリシアとライナーのペア、すごくなかった?」
「うん。他のペアを助けながら、森の中でトップレベルの怪物を倒したって」
「しかも、その直後に黒曜石を回収して、課題達成まで完璧だったらしいよ」
「え、あの二人で?あんなに仲悪いのに?」
「学科で二人だけずばぬけて一番強いって言われてるけど、連携できるとは思ってなかった」
「むしろ、あの不仲でよく連携できたよね。奇跡じゃない?」
「…もしかして、実は仲いいんじゃない?」
その言葉に、周囲がざわっと反応したちょうどその時——
廊下の奥から、聞き慣れた火花のような声が響いてきた。
「ライナー!私を監督生会議で皮肉るとか、どういう神経してるの?」
「あーすいませんね。あいつらも笑ってたし、いいだろ」
「関係ないわよ!あんたの発言で、私がどれだけ気まずかったか分かってる?」
フィリシアの声は怒気を含み、ライナーは肩をすくめながら、監督生の腕章をつけて歩いていた。
二人は昼の監督生会議の後で、校舎内を巡回している最中だった。
「気まずいって…お前、あの場で普通に反論してただろ」
「それは当然でしょ。黙ってたら、あんたの言い分が通るじゃない」
「へぇ、じゃあ俺が黙ってたら、お前の言い分が通るってことか?」
「……そういう理屈はいいわよ!」
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いつものように火花を散らす二人だったが、ふと、廊下の奥から甘い香りが漂ってきた。
その香りは、バターとバニラが混ざったような、甘くて濃厚な香りだった。
フィリシアはぴたりと足を止める。
「……この匂い、もしかして……ムースリーヌ?」
ライナーが怪訝そうに眉をひそめる横で、フィリシアは香りのする部屋の前に立ち、迷わずドアを開けた。
中にいたのは、エプロン姿のルシアンとセシル。
調理台の上には、苺の断面がずらりと並んだ、まるで宝石箱のようなケーキが置かれていた。
「あ、フィリシア、ライナー!ちょうどよかった」
ルシアンが笑顔で手を振る。
「フレジェ作ってるんだけど、手伝ってくれない?」
フィリシアの瞳が輝く。
「フレジェ……!貴族の春の宴でしか出ないって言われてる、あの……!」
ライナーはすぐに踵を返そうとしたが、ルシアンの笑顔の一言で足を止める。
「ライナーも一緒にね」
「……チッ」
こうして、4人でのお菓子作りが始まった。
フィリシアはセシルから苺の並べ方を教わりながら、真剣な顔で作業していた。
「断面を揃えて……でも、斜めになっちゃう……!」
「焦らなくて大丈夫よ。苺にも個性があるから」
セシルが優しく微笑む。
一方、ライナーはムースリーヌを絞る手つきが妙に器用で、ルシアンが感心する。
「ライナー、すごい!その絞り方、完璧じゃん」
「ほんと、厨房にいたって通用するわ」
ライナーは不敵な笑みを浮かべ、どこか得意げだった。
そして、隣でフィリシアが作ったフレジェを見て、思わず吹き出す。
「お前、まじ?苺の墓場かよ。まあ食べる専門だもんな」
フィリシアは手を止め、眉をひそめる。
「……何ですって!?」
火花が、再び散った。
午後の陽が傾き始めた頃、4人は学院のテラスに並んで座っていた。
白いテーブルクロスの上には、それぞれが作ったフレジェが並べられている。
ライナーのフレジェは、まるで菓子職人の手によるかのように完璧だった。
苺の断面は均一に揃い、ムースリーヌは滑らかで艶やか。
上に流したラズベリージュレが陽光を受けて、宝石のように輝いていた。
「……俺、天才か?」
ライナーは腕を組み、満足げな顔で言う。
その隣に置かれたフィリシアのフレジェは、見る者の心をざわつかせる出来栄えだった。
苺は斜めに傾き、ムースリーヌははみ出し、ジュレは端に偏っている。
まるで、ケーキが「助けて」と叫んでいるような悲壮感が漂っていた。
ライナーはそれを見た瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「ブッ……!お前、これ本気で作ったのか!?
フレジェっていうか、フレジェの亡霊じゃねぇか!」
「ぐぬぬ……っ」
フィリシアは唇を噛みしめ、悔しそうに睨みつける。
「苺が……言うこと聞かなかったのよ……!」
ルシアンがそんなフィリシアに、ふわりと笑いかける。
「でもさ、フレジェも個性あるから。形だけがすべてじゃないよ。
フィリシアのは、なんか……情熱を感じるっていうか」
フィリシアは一瞬、救われたような顔をした。
だが、ルシアンのフレジェを見た瞬間、その表情は凍りつく。
ルシアンのフレジェは、ライナーのそれに勝るとも劣らない完成度だった。
苺の配置は芸術的で、ムースリーヌの層も均一。
しかも、上に飾られた金箔が、貴族の気品を漂わせていた。
「……え、ルシアン様の、完璧じゃない……?」
セシルのフレジェもまた、静かに美しかった。
派手さはないが、丁寧に仕上げられたそのケーキは、まるで彼女の性格そのものだった。
フィリシアは、自分のフレジェを見下ろした。
斜めの苺、はみ出したクリーム、偏ったジュレ。
そして、周囲の完璧な作品たち。
「……ぐぬぬ……っ」
彼女の悔しさは、苺よりも赤く、ムースリーヌよりも濃厚だった。
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テラスに吹く風が、苺の甘い香りをふわりと運んだ。
フィリシアは、目の前の完璧なフレジェを見つめながら、そっと口を開いた。
「そういえば、ルシアン様って……本当にお菓子作りが好きですよね」
彼女の声は、どこか感心と親しみが混ざった響きだった。
「王太子様がお菓子好きだなんて、何だか不思議ですね。
ちょっと意外だけど……でも、すごく似合ってる」
ルシアンは、少しだけ目を伏せて、照れたように笑った。
「よくみんなから言われるよ……。
お母様からも言われた。『過去でも、お菓子作りが好きな王様なんていなかった』って」
その言葉に、フィリシアの胸の奥が、ふわりと温かくなった。
──ふと、記憶がよみがえる。
まだ幼かった頃。
王宮の庭園で、初めてルシアンに会った日のこと。
彼は、当時から変わらず優しくて、温厚な性格だった。
威厳に満ちた陛下とはまるで違って、ふわふわしているというか……
まるで、春の風みたいな人だった。
(たしか、妹様がいらっしゃったわよね)
(今は留学中でいないけど……)
フィリシアは、ルシアンの横顔をそっと見つめた。
(こんなに優しい王太子様がいる国は、幸せだろうなあ)
彼の指先は、まだフレジェの端を整えていた。
その仕草さえ、どこか柔らかくて、見ているだけで心がほどけていくようだった。
テラスに穏やかな風が吹き、フレジェの甘い香りがふわりと揺れた。
ルシアンは、自分のケーキを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……本当は、あんまりいい目で見られてないんだ」
その声は、いつもの柔らかさとは違って、少しだけ沈んでいた。
フィリシアとセシル、ライナーの視線が、自然と彼に向く。
「王太子のくせに、お菓子なんか作るなって、よく言われてて……」
ルシアンは苦笑いを浮かべた。
「まあ、それはそうだよね。王太子なんだから、剣技の鍛錬をしてた方がみんな安心するだろうし。
俺、王太子にしてはちょっと……なよなよしてるかもな」
その言葉に、空気が変わった。
フィリシアは、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような感覚に襲われた。
そして、気づいた時にはもう言葉が口をついていた。
「そんなことないです!」
ルシアンが驚いたように目を丸くする。
「ルシアン様が作るお菓子は、いつも美味しくて……
食べるたびに元気になりますし!どうかそんなこと、おっしゃらないでください!
ルシアン様にそんなこと言う人は、私が許しませんわ!」
その言葉は、真っ直ぐで、熱を帯びていた。
ルシアンの瞳が、ぱあっと輝いた。
頬がほんのり赤く染まり、ふっと柔らかな笑みが浮かぶ。
「ありがとう……そんなふうに言ってくれるなんて……救われた気がする」
フィリシアは、はっと我に返る。
「あっ、いや、これは……私もお菓子大好きですから……同士としてというか……」
ルシアンは、ははっと笑った。
「うん。同士として、ね」
その様子を、ライナーは静かに見ていた。
何も言わず、ただ視線を向けていた。
風が、テラスの苺の香りをさらっていく。
甘くて、少しだけ切ない午後だった。
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