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魔法より深い忠誠

4話

翌朝。


フィリシアは玄関前に立ち、制服の裾をそっと整えた。朝の空気はひんやりとしていて、屋敷の庭に咲く白い花々が静かに揺れている。馬車の車輪が石畳に止まる音が、出発の時を告げていた。


「本当に、もう行くのね……」

母ルイーゼがそっと近づき、フィリシアの髪を撫でる。その手はいつも通り優しくて、けれど今日は少しだけ震えていた。


「うん。学園に戻らなきゃ。……大丈夫、ちゃんとやるから」

フィリシアは笑顔を作ったが、胸の奥では不安が渦巻いていた。事件の記憶、王太子の姿、そして自分の杖から放たれた闇の魔力──それらが、彼女の心を静かに締めつけていた。


ルイーゼはフィリシアの頬に手を添え、じっと目を見つめた。

「あなた、無理して笑ってるでしょう?……母親にはわかるのよ」

その言葉に、フィリシアは一瞬、目を伏せた。


「……何だかこの先がずっと不安で…。ちょっとだけ、怖い。でも、逃げたくないの」

「ええ、あなたはいつもそうだった。小さい頃、夜に雷が鳴っても、ガブリエルたちを守るために布団から出て行った子だったわ」

ルイーゼの声は、誇らしさと切なさが混じっていた。


「でもね、フィリシア。守ることばかり考えないで。あなた自身が傷ついたら、誰があなたを守るの?」

「……お母様が、守ってくれる?」

「もちろんよ。遠くにいても、ずっとあなたの味方。だから、辛い時は思い出して。あなたには帰る場所があるって」


フィリシアは、母の胸に顔を埋めた。ルイーゼはそっと抱きしめ、髪を撫で続けた。

「……ありがとう。行ってくるね」

「ええ。行ってらっしゃい、私の誇りの娘」


父ターキッシュは何も言わず、ただフィリシアの頭に手を置いた。大きくて、重くて、無骨なその手は、言葉よりも多くを語っていた。

「……気をつけて行け」

短く、それだけを言って、彼は背を向けた。


「お姉様、またすぐ帰ってきてね!」

「次は一緒にピクニックしましょうね!」

従弟と従妹たちが駆け寄ってきて、フィリシアの腰にしがみついた。彼女はしゃがみ込み、ぎゅっと彼らを抱きしめる。


「うん、すぐ戻るよ。……約束する」

その言葉に、子どもたちは満面の笑みを浮かべた。けれどフィリシアは、心の中でそっと呟いた。

(戻れるかな……ちゃんと、全部終わらせられるかな)


馬車の扉が開き、御者が静かに頭を下げる。フィリシアは立ち上がり、家族一人ひとりの顔を見つめた。母の優しい微笑み、父の背中、従弟従妹たちの小さな手。


「行ってきます」

そう言って、フィリシアは馬車に乗り込んだ。扉が閉まり、車輪が動き出す。屋敷が遠ざかるにつれ、胸の奥にぽっかりと空いた穴が広がっていく。


けれどその空白は、決意で埋めるしかなかった。

(私はもう、守られる側じゃない。守る側になる──)


---


馬車は静かに走り出し、屋敷の門が遠ざかっていく。

フィリシアは窓辺に頬杖をつきながら、揺れる景色をぼんやりと眺めていた。

春の風がカーテンを揺らし、車輪の音が規則的に響く。


(……あの時、何が起きたの?)


 王太子の処刑。

 闇の魔力。

 そして、自分の杖から放たれた“あの魔力”──


(確かに、あれは私の杖だった。間違いなく、私のもの)


 けれど、あの魔力は自分の意思ではなかった。

 気づいた時には、杖が勝手に反応し、王太子の方へ魔力が走った。


(じゃあ……あれは、私の魔法じゃない?)


 フィリシアは眉をひそめた。

 魔法学科で学んできた知識が、頭の中で警鐘を鳴らす。


(杖に、魔力が仕込まれていた?)


 魔法具に“魔力の痕跡”を残すことは可能だ。

 特定の魔法を封じ込める技術もある。

 もし誰かが、フィリシアの杖に闇の魔力を仕込んでいたとしたら──


(犯人は、私の杖に触れられる人物)


 学園内で、フィリシアの私物に自由に触れられる者。

 魔法学科の生徒か、教師か。

 監督生としての立場を利用すれば、杖を預ける場面もある。


(……魔法学科の誰か?それとも、先生?)


 疑念が胸の奥に広がっていく。

 信じていた人たちの顔が、次々に思い浮かぶ。

 セシル、ルシアン、ライナー──いや、彼らは剣技学科だ。杖には触れない。


(でも、誰かが……私の杖に、何かを仕込んだ)


 フィリシアは拳を握りしめた。

 その瞬間、馬車が小さく揺れ、窓の外に見慣れた尖塔が見えてきた。


(……もう着いたの?)


 思考に沈んでいたせいか、時間の感覚が曖昧だった。

 学園の門が近づいてくる。

 フィリシアは深く息を吸い、表情を整えた。


(まずは、杖を調べる。魔力の痕跡が残っているかどうか。そこから始めよう)


 馬車が止まり、扉が開く。

 フィリシアは、決意を胸に、学園の石畳へと足を踏み出した。


---



学園の門をくぐると、春の陽光が石畳に反射してまぶしかった。

フィリシアは馬車を降り、杖を握りしめながら、正門の前で深呼吸する。


(まずは、杖の魔力痕跡を調べる。それから──)


「フィリシア、来てくれ」


 玄関ホールの奥から、教師が声をかけた。

 年配の男性教師は、眼鏡越しにフィリシアを見据えながら、分厚い書類の束を抱えていた。


「監督生長として、今日の書類整理を頼みたい。剣技学科のライナーと一緒にやってくれ」


「……彼と?」


 フィリシアの声がわずかに低くなる。

 教師は有無を言わせぬ口調で書類を手渡すと、足早に去っていった。


──そして、数十分後。

事務室の窓からは、午後の光が斜めに差し込んでいた。

棚には古い記録簿が並び、紙の匂いとインクの香りが混ざり合っている。

フィリシアとライナーは、机を挟んで山積みの書類と格闘していた。


 静かな紙の音だけが響く中、ライナーがぽつりと呟いた。


「……お前さ、一昨日から変わったよな」


 フィリシアは手を止めて、ライナーの方を見る。

 彼は目も合わせず、書類をめくりながら続けた。


「全然喋らねぇし、声も震えてる時がある」


 その言葉に、フィリシアは少し驚いた。

 彼女の指先が、紙の端で止まる。


(……そんなふうに思ってたんだ)


「まだ病み上がりだからよ」


「だったら早く治癒魔法使うなりして治せよ」


「今回は結構重いのよ……」


「嘘つけ。いつものお前ならその馬鹿力で治してるだろ」


 フィリシアはため息をつき、窓の外に目をやった。

 風に揺れる木々の影が、床に揺れている。


「そんな簡単には……」


「魔法学科のくせにそんなこともできねぇのかよ」


 その一言に、フィリシアの眉が跳ね上がる。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、ライナーを睨みつけた。


「何ですって?魔法すら使えない人に言われたくないわ!」


「そりゃ、俺は剣技学科だから使えるわけないだろ」


「じゃあ何も言わないで!」


 空気が一気に張り詰める。

 事務室の静けさが、逆に怒気を際立たせる。


 ライナーは少し黙った後、皮肉っぽく笑った。


「お前、全然元気そうだな。余計な心配だったか」


 その言葉に、フィリシアの怒りが爆発する。


「あなたって、いつもそうやって人を見下すような発言をするわよね! だから私がこんなに体調が悪くなるのも仕方ないわよ!あなたと話してると頭が痛くなる!」


「人のせいにすんなよ。俺だってお前と話してるとおかしくなりそうだ」


「あら、私はあなたと違ってそんな乱暴な言葉遣いはしないけれど?」


「お嬢様ぶるなよ。本当はただいつもイライラしてるだけのおてんば姫のくせに」


 フィリシアのこめかみがピクッと跳ねた。

 彼女は椅子を蹴るように立ち上がる。


「……あら、なに?そんなに私とやり合いたいの?」


 ゴゴゴゴゴ……

 空気が震えるほどの怒気が、フィリシアの周囲に立ち込める。


「……ああ、上等だ。表出るか?」


 ライナーも剣に手をかけ、ゴゴゴゴゴ……と怒りのオーラを放つ。


 二人は同時に立ち上がり、杖と剣を構え──


次の瞬間だった。


コンコンッ


「おーい二人とも、入るよー」


 ルシアンの明るい声が、事務室の外から響いた。


 ピタッ。


 二人はその場で静止した。

 杖を構えたフィリシア、剣を抜きかけたライナー。

 互いに目を合わせ、無言のままゆっくりと武器を下ろす。


 扉が開き、ルシアンが顔を覗かせる。

 彼の手には、焼き菓子の包みが乗ったトレイ。


「……あれ?なんか空気、重くない?」


 二人は無言で笑顔を作った。

 ぎこちなく、引きつった笑顔を。


「えっと……差し入れ持ってきたんだけど、タイミング悪かった?」


(……この業務、地獄だわ)

(……この業務、地獄だな)


 心の声が、ぴったり重なった。


---



事務室の空気は、さっきまでの怒気が嘘のように静まっていた。

ルシアンが持ってきた焼き菓子の香りが、紙とインクの匂いに混ざって甘く漂っている。


フィリシアは一口かじると、目を見開いた。


「……おいしい~!」


 口の中に広がるバターの香りと、ほんのりとした柑橘の風味。

 彼女は思わず笑顔になり、ルシアンに向き直る。


「ありがとうございます、ルシアン様。とっても美味しいです!」


 ルシアンは照れくさそうに笑いながら、トレイを机に置いた。


「よかった。あまり食べることないお菓子だったから、少し心配だったんだけどね」


 隣で黙っていたライナーの皿は、まだ手つかずのまま。

 それに気づいたルシアンが、軽く声をかける。


「ライナーも食べなよ。」


「……俺、甘いもの苦手なんで大丈夫っす」


 ライナーは視線を逸らしながら、ぼそりと答えた。


「せっかくルシアン様が持ってきてくださったのだから、食べなさいよ!」


 フィリシアが眉をひそめて言うと、ライナーは小さく舌打ちした。


「……うるせ」


「はあ!?何その態度!」


 また空気がピリつき始めた瞬間──

 ルシアンが、ライナーの口元に焼き菓子をすっと差し出した。


「はいはい、喧嘩しない。これは甘さ控えめのやつ。騎士団仕様だよ」


 ライナーは一瞬、目を見開いたが、無言でそれを受け取ると、口に運んだ。

 もぐもぐと噛みしめるその姿を、フィリシアはじっと見つめていた。


「どう?美味しい?」


「……美味いっす」


 その答えに、ルシアンは満足げに微笑んだ。


 フィリシアは、二人のやり取りを見ながら、ふと考え始める。


(そういえば──二人は、私とセシルのように幼い頃から一緒だったよね)


 けれど、セシルと自分のような“親友”ではない。

 ライナーは、ルシアンに“仕える者”として接していた。


(彼は将来、国王に仕える近衛騎士団に入る。

 ルシアン様を守る立場になる人──だから、友人というより、主君として敬愛しているのよね)


 その関係性が、言葉の端々に滲んでいる。

 ライナーの無骨な態度も、ルシアンへの忠誠心が根底にある。


(だから──あの時)


 フィリシアの胸に、事件の記憶がよぎる。

 自分の杖から放たれた闇の魔力が、高速でルシアンの方へ向かった瞬間。


(ライナーは、守るという思いで、傷を負いながらも全て斬った)


 あの一撃。

 闇の魔力を斬って、あの傷で済ませられる者など、普通はいない。


(……彼は、命を懸けていた)


 フィリシアは、焼き菓子をもう一口かじりながら、静かに目を伏せた。

 その甘さが、ほんの少しだけ、胸のざわめきを和らげてくれた気がした。


---




フィリシアは、学院の図書館の奥にある魔法理論書の棚に立っていた。

古びた革表紙の書物を一冊ずつめくりながら、彼女の指先は震えていた。


(私の杖が──勝手に魔力を放った。あの時、私は呪文を唱えていない)


 それは、魔法使いにとってありえない現象だった。

 杖は、持ち主にのみ忠誠を誓う。

 他者が呪文を唱えても、反応しないのが常識。


 けれど、あの闇の魔力は確かに自分の杖から放たれた。

 それを確かめるため、フィリシアは“杖の忠誠”に関する文献を探していた。


 一冊の分厚い魔法理論書に、彼女は目を留めた。


 「杖は、持ち主に一生の忠誠を誓う。

  他者が呪文を唱えても、魔力は発動しない。

 ただし、例外が存在する──」


 フィリシアは息を呑み、ページをめくる。


  「例外①:杖の持ち主より、圧倒的に強い魔力を     持つ者が握った場合、

 杖は忠誠を捨て、その者に従うことがある」


(圧倒的な魔力……そんな人物が、私の杖に触れた?)


「例外②:強力な催眠魔法を用い、杖に“持ち主である”と錯覚させることで、

一時的に操ることが可能。ただし、この魔法を使える者は極めて稀である」


(催眠魔法……そんな高度な術を使える人が、学院に?)


 「例外③:呪文を唱えずとも、強力な魔力を杖に込めることで、

  杖が暴走し、魔力を放つことがある。

  この現象は、魔力の不安定な者に稀に見られる」


(暴走……でも、私はその時、魔力を込めた覚えはない)


 フィリシアは本を閉じ、静かに立ち上がった。

 このいずれかの方法で、誰かが自分の杖に手を加えた──そう確信した。


(この件は、私ひとりでは判断できない)


 彼女は図書館を後にし、魔法学科棟の最上階へと足を向けた。

 そこには、グラフィス学園魔法学科の主任──元・王国魔導師長、マクセル先生がいる。


 魔法理論の第一人者であり、王国の魔法制度を築いた人物。

 フィリシアは、彼女の知識と洞察にすがるしかないと感じていた。


(マクセル先生なら……何か知っているかもしれない)


 彼女の足取りは、焦りと決意に満ちていた。

 杖の裏切りが意味するもの──それは、魔法使いとしての根幹を揺るがす事態だった。



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