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護るべき人として

フィリシアは窓辺に腰を下ろし、遠くの灯りをぼんやりと眺めていた。静かな夜だった。風もなく、空気は澄んでいるのに、胸の奥がざわついていた。


ふと、ライナーの言葉が頭をよぎる。


「俺以外にその顔は見せるなよ」


あの時、彼はどんな顔をしていたっけ。怒っていたわけでも、優しかったわけでもない。

何か、もっと複雑な感情が混じっていた気がする。けれど、それが何なのか、フィリシアには分からなかった。


彼の瞳の奥に、何かを押し殺すような光があった。思い出そうとした瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。


「……っ」


思わず額を押さえ、息を吐く。痛みはすぐに引いたが、残ったのは妙な違和感だった。

考えすぎたせいだろうか。

今日は色々あったし、疲れているだけ。そう思い込もうとするが、心のざわつきは消えない。


フィリシアは立ち上がり、窓を少し開けた。

冷たい夜風が頬を撫でる。気持ちいいはずなのに、どこか落ち着かない。まるで、何かが彼女の記憶を遮っているような感覚があった。


「ライナーって……何を隠してるの?」


誰にも聞こえない声で呟いたその言葉は、夜の静けさに溶けていった。けれど、彼女の中で何かが、静かに目を覚まそうとしていた。



---


朝の学園は、まだ眠っているようだった。校舎の窓には淡い光が差し込み、石畳の回廊には誰の足音も響いていない。空気は澄んでいて、静寂が広がっていた。


ライナーは、いつも通りの時間に登校していた。彼の隣には、少し早く来たアウレリアが歩いていた。彼女は制服の裾を揺らしながら、何度もちらりとライナーの横顔を見ていた。


「ライナーさん……今日は、ちょっとお話があるんです」


その声は、静かな朝にふさわしく、穏やかで真剣だった。


ライナーは足を止め、彼女を見た。


「話とは、何でしょうか?」


アウレリアは一呼吸置いてから、言った。


「それは……あなたに、私の思いを聞いてほしいんです」


ライナーは眉を寄せた。思い——?


「私……ライナーさんのことが、どうやら好きみたい」


その言葉に、ライナーは目を見開いた。アウレリアの瞳は、照れと決意が入り混じった光を宿していた。


「いきなりでごめんなさい。でも、こうして一緒にいるうちに、そう思うようになってしまったの。ライナーさんがいない時は、寂しいって思うこともあったの」


彼女の声は震えていたが、言葉はまっすぐだった。


「私……ライナーさんなら、私の婚約者になってほしいと思えるの」


静かな回廊に、沈黙が落ちた。風もなく、誰もいない空間に、二人の呼吸だけが響いていた。


ライナーはゆっくりと口を開いた。


「申し訳ありません、王女様。お気持ちは嬉しいのですが、それにはお応えできません。俺は王女様を守るべき立場として見ております。これは俺の責務であり、大事な務めなのです」


彼の声は静かで、しかし揺るぎなかった。


「そこに、それ以外の視点で……俺は王女様を見れません。王女様は、俺の大切な護るべき方ですから」


アウレリアはしばらく黙っていた。やがて、ぽつりと呟いた。


「そっか……悲しいなぁ。やっぱり、私みたいな歳下は駄目か」


「いえ……そういう意味では……」


ライナーが言いかけたその時、アウレリアはぱっと笑顔を浮かべた。


「うん! 分かったわ! でも、これでライナーさんの気持ちがはっきり分かって良かった! じゃあ、教室に行きましょうか!」


振られたはずなのに、元気な笑顔を見せるアウレリアに、ライナーは戸惑いながらも、少しだけ表情を緩めた。


「王女様が納得してくださったのなら……行きましょうか」


二人は再び歩き出す。まだ誰もいない学園の回廊を、静かに並んで進んでいった。



---


学園の廊下はまだ朝の静けさを残していた。フィリシアはセシルと並んで歩いていたが、突如、遠くから荒々しい声が響いてきた。


「喧嘩……?」


セシルが眉をひそめた瞬間、魔法学科の男子生徒が慌てて駆け寄ってきた。


「フィリシア様!大変です!うちの魔法学科の生徒と、剣技学科の生徒が喧嘩してて……!」


「何ですって!?」


フィリシアは即座に駆け出した。セシルも後を追う。


中庭の一角では、剣と杖を構えた二人の男子生徒が睨み合っていた。魔力が空気を震わせ、剣の刃が朝日にきらめいていた。


「あなた達、何喧嘩してるのよ!」


フィリシアの声が鋭く響く。怯むことなく、彼女は二人の間に立った。


「フィリシア様!聞いてくださいよ!こいつが、魔法学科は杖がないと何もできないってほざいてきたんです!」


「当たり前のこと言っただけだろ!何が悪いんだよ!魔法学科なんか、国でも主戦力にされてないだろ?知的探究だの、そういうことしてるからじゃねぇの?黙って剣技学科の後ろにいとけよ」


その言葉に、フィリシアの眉がぴくりと動いた。


「あなた、いくら何でも酷い言い方じゃないかしら?」


「は?何がだよ。お前ら、所詮杖がないと戦えないんだろ?」


「それは剣技学科も剣がなければ戦えないでしょう?」


魔法学科の生徒が反論する。


「俺たちは剣以外にも訓練されてるんだよ。体格だって、俺たちの方が屈強だしな。お前らはそうやって魔法使いごっこしてろよな」


その言葉に、フィリシアは一歩前に出た。


「じゃああなた、今の私に剣で斬りかかってみなさいよ」


「は?何言ってんだよ」


「剣技学科の方が強いんでしょう?ほら」


挑発的な言葉に、剣技学科の生徒は苛立ちを隠せず、剣を構えた。


「ああいいよ!それがお望みなら、斬ってやるよ!」


「フィリシア!」


セシルの叫びが響いた瞬間、フィリシアの手から紫の光が迸った。魔力が空気を裂き、剣技学科の生徒を吹き飛ばす。


「うわっ!」


周囲にいた生徒たちが息を呑む。


フィリシアは静かに言った。


「私、杖がなくても生まれつきの魔法で戦えるのよ。そういう人もいるってこと、ご存知?」


その言葉に、剣技学科の生徒は顔を引きつらせた。


「なっ……んなこと知らねぇよ!」


そう叫ぶと、彼はその場を逃げるように去っていった。


「すごいフィリシア様!」


「かっこいい!」


称賛の声が飛び交う中、フィリシアは静かに目を伏せた。


(魔法学科だからとか、杖がないとか……そんなこと言われる筋合いないわよ)


誇りと怒りが胸に渦巻く。だがその瞬間——


「うっ……!」


頭の奥に、鋭い痛みが走った。


「フィリシア?大丈夫?」


セシルが心配そうに覗き込む。


「う……うん、平気よ」


フィリシアは笑ってみせたが、痛みは確かに残っていた。何かが、彼女の中で静かに軋んでいた。

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