破られた忠誠
フィリシアは、少し眉を寄せながらライナーに言った。
「ライナー…ルシアン様を止めてくれたのはありがたいけど、ライナーもルシアン様とやってること、変わらないわよ」
ライナーは目を細めて言い返す。
「何だと?」
フィリシアは肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。
「だって、そうでしょ」
ライナーは少し黙ったあと、低く言った。
「最近のお前を見てて思うんだけど…お前、いろいろ危なっかしいからな」
その言葉に、フィリシアの眉がぴくりと動いた。
「なによそれ?バカにしてるの?」
ライナーは首を横に振り、真剣な目で彼女を見た。
「そんな弱々しい様子だったら、変な奴に絡まれるってことだ。侯爵令嬢なんだから、もっとビシッとしろよ」
フィリシアは目を見開いた。
「私…弱々しいかしら?そんな感じだった?」
ライナーは少し視線を逸らしながらも、はっきり言った。
「最近のお前はそんな感じだ…それに、お前、最近優しすぎるんだよ。俺にでさえ、すぐに笑顔見せやがって。そんな奴じゃないだろ」
フィリシアは、言われて初めて自分の態度を振り返る。
「そうかな…?」
ライナーは彼女の目をまっすぐ見て、短く答えた。
「そう」
そして、少し声を落として言った。
「もうお前、こうなった以上…そんな顔、俺以外に見せるなよ」
フィリシアは息を呑んだ。
「え…?」
その瞬間、ライナーは自分の言葉に気づき、目を逸らした。
「じゃあもう行くわ、俺」
そう言って、彼は早足でその場を離れていった。
「え、ライナー!」
フィリシアはその背中を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
---
石畳の道を歩いていたライナーは、角を曲がった先でルシアンと鉢合わせた。
ルシアンは一瞬、目を逸らした。気まずさがその表情に滲んでいる。
それも当然だ――ついさっきの一件で、二人の関係は主従関係から何かに変わったからだ。
だが、ルシアンは意を決したように口を開いた。
「何か…あの時はごめん。でも俺、本当にフィリシアのことが心配だったんだ。最近の彼女、元気なさそうで…」
ライナーは立ち止まり、少しだけ眉を動かした。
「アイツは体調が悪いって言ってたじゃないですか。深入りするのは、あいつにとっても良くないですよ」
その言葉に、ルシアンの表情が変わった。
目の奥に、抑えきれない苛立ちが浮かぶ。
「ライナー…君にフィリシアの何が分かるんだよ」
ライナーはその言葉に、わずかに目を見開いた。
そして、静かに言い返す。
「……分かりませんよ、そんなの」
その答えは、誠実であると同時に、どこか突き放すようだった。
ルシアンは眉間にしわを寄せ、低く言った。
「じゃあ…フィリシアのことに口を出さないでくれ」
その瞬間、空気が変わった。
風が止んだように、周囲が静まり返る。
二人の間に、初めて明確な亀裂が走った。
それは言葉ではなく、沈黙の中に漂う不協和音だった。
ルシアンの言葉に、ライナーは一歩踏み出した。
その瞳には、普段の無表情とは違う、鋭い光が宿っていた。
「殿下、あなただって……アイツのこと、分かってるんですか」
その問いは、静かでありながら、突き刺すような重みを持っていた。
ルシアンは息を呑み、ライナーの目をまっすぐ見返す。
その視線の奥に、答えを探そうとする迷いがあった。
「それは……そうとは言えない」
言葉にした瞬間、ルシアンの声がわずかに震えた。
ライナーはその目を見つめ続けていた。
まるで、相手の心の奥底まで見通そうとするかのように。
「……なら、アイツのことは、アイツ自身が知ってるんです」
その言葉には、静かな決意が込められていた。
「殿下が無駄に干渉することじゃない」
風が吹き抜ける。
二人の間に、言葉では埋められない距離が生まれていた。
ライナーの言葉は、ただの忠告ではなかった。
それは、フィリシアの尊厳を守ろうとする、彼なりの信念だった。
そしてルシアンは、その信念に触れた瞬間、自分の焦りと不安を痛感する。
フィリシアを想う気持ちは本物でも、それが彼女のためになっていたのだろうか。
---
アウレリアは、窓辺に腰掛けながら外の様子を眺めていた。
庭の向こうで言い争うライナーとルシアンの姿が、遠くに見える。
「ふーん……面白い展開だなぁ」
彼女は頬杖をつきながら、くすりと笑った。
「お兄様も、そういうことだったんだぁ」
その声には、どこか楽しげな響きがあった。
まるで舞台の幕が上がるのを待つ観客のように。
──そして数刻後。
アウレリアは、フィリシアの部屋を訪れた。
扉の前に立ち、軽やかに声をかける。
「お久しぶりです、フィリシアさん」
フィリシアは振り返り、驚いたように目を見開いた。
すぐに礼儀正しく頭を下げる。
「アウレリア様! ご機嫌麗しゅうございます」
アウレリアはにこにこと微笑みながら、部屋に入る。
その笑顔は、どこか無邪気で、どこか計算高い。
「ねえ、やっぱりフィリシアさんって、ライナーさんのこと好きでしょ?」
その言葉に、フィリシアの動きが止まった。
まるで心の奥を突然覗かれたような感覚。
「……えっ」
アウレリアは肩をすくめて言った。
「勘よ」
フィリシアは、胸の奥がざわつくのを感じながら、問い返す。
「なぜ、そんなに私とライナーの仲が気になるんですか?」
やっぱり、アウレリア様はライナーのことを……。
その時だった。
「フィリシアさんのことが気になるから」
その言葉に、フィリシアは目を丸くした。
「え……?」
「どうして、そう思われるのですか?」
アウレリアは、まるで花を愛でるような目でフィリシアを見つめる。
「こんなに美しくて、強くて、気高いフィリシアさんが恋に落ちる方って、どんな方なのかなって思ってるの!」
その笑顔は、純粋にも見え、どこか挑発的にも見えた。
「なによそれ……」
フィリシアは心の中で呟いた。
「ねえフィリシアさん、私は別に、ライナーさんが好きでも何でもないよ。ただ、あなたの近い距離にいるから気にしてるだけ」
その言葉を聞いても、フィリシアは信じることができなかった。
アウレリアの瞳の奥に、何か別の感情が潜んでいるような気がしてならなかった。




