光る指輪
プライベートな事情により活動を休止していましたが、再開いたします。
呼んでくださってる方にはご迷惑おかけしました。
「あなたと話したい」
フィリシアの声は、夜の静けさに溶けるように響いた。
ライナーは、彼女の瞳に吸い込まれるように見つめていた。
月明かりに照らされたその瞳には──
目を丸くしてフィリシアを見つめる、自分自身が映っていた。
言葉が、喉の奥で止まる。
何かを言おうとしたその瞬間──
「おい!こっちだ!今あのフィリシア嬢らしき人がライナーを追いかけてったぞ!」
「マジかよ!何考えてるんだ!」
遠くから、男子生徒たちの声が響いた。
ライナーは、はっとして顔を上げる。
次の瞬間、何も言わずにフィリシアの手を掴んだ。
「ちょっ……ライナー!」
フィリシアの声が後ろから聞こえる。
けれど、ライナーは振り返らない。
彼は、寮の裏側、裏手の茂みをすり抜けて走る。
フィリシアも、手を引かれるままに足を動かす。
石畳から土の道へ。
木々の間を抜け、夜露に濡れた草を踏みしめる。
そして──
二人は、誰も知らない“秘密の花園”へとたどり着いた。
ライナーはようやく足を止め、息を整える。
フィリシアも、肩で息をしながら彼の背を見つめていた。
---
二人は、走ったことで息を切らしていた。
夜の空気はひんやりとしていて、草の香りが微かに漂っていた。
フィリシアは、ふと顔を上げて周囲を見渡す。
そこには、月明かりに照らされたバラの茂みが広がっていた。
赤、白、淡いピンク──色とりどりの花が、静かに揺れている。
「……きれい……」
思わず、声が漏れた。
ライナーは、息を整えながらその横顔をちらりと見る。
フィリシアの瞳が、花に向けられていることに少しだけ安心したようだった。
「危なかった……」
ライナーがぼそりと呟く。
フィリシアは、その言葉にゆっくりとライナーの方を向いた。
少しだけ眉を寄せて、戸惑ったような表情を浮かべる。
「……ライナー……ありがと」
声は小さく、どこか不安げだった。
逃げてきてくれたことへの感謝と、迷惑をかけたかもしれないという思いが入り混じっていた。
ライナーは、ため息をついた。
「……お前がオレを追いかけて剣技学科の寮にいる
ところを見つかったら、俺も被害を被るからな」
その言い方に、フィリシアは少しだけ肩の力を抜いた。
けれど、まだどこか気まずそうな空気が残っている。
「ライナー……でも、こんな綺麗なところ、あったのね」
ライナーは、少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。
「そこは……剣技学科の訓練に遅れそうになった時、裏道から行ったら見つけたんだ」
フィリシアは「なるほど」と頷きながら、もう一度バラの茂みを見つめた。
その瞳には、まだ少しだけ揺れが残っていた。
フィリシアは、ふと自分がここに来た理由を思い出した。
胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚に、彼女はライナーの方を向いた。
「そう……私、あなたとちゃんと話したかったの」
言葉は、はっきりしていたが、その瞳には揺れがあった。
ライナーは黙って、彼女の顔を見ていた。
フィリシアは、言葉を探すように一度唇を噛んでから、続けた。
「何て説明したらいいか分からないけど……少し前に、私の杖に違和感を感じて、マクセル先生に調べてもらったの」
声が少しだけ震えていた。
「その時に……私の杖が黒呪法に関係してるかもしれないって言われて……!」
言葉が急ぎ足になり、感情が滲む。
「だから、本で調べようと思ったの!でも……あなたに余計な心配をかけたくなかっただけ!」
そう言って、フィリシアはまっすぐライナーの目を見た。
沈黙が落ちた。
ライナーは、フィリシアの瞳をじっと見つめていた。
その視線は鋭くもなく、優しくもなく、ただ真っ直ぐだった。
風が、バラの茂みを揺らす。
夜の静けさが、二人の間に広がっていた。
ライナーの言葉が静かに夜の空気に溶けていった。
「まあ……何か事情があるとは思っていた。お前があんだけ焦ってたから、ただごとじゃないと感じたしな」
その声は、責めるでもなく、突き放すでもなく、ただ事実を述べるように穏やかだった。
フィリシアはその言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。
けれど、彼女の中にはまだ引っかかるものがあった。
あの時、ライナーが見せたあの真剣な眼差し。あれは、ただの心配ではなかったはずだ。
フィリシアは、そっと問いかけた。
「ライナーは……何であの時、あんなに私に聞いてきたの?」
その瞬間、ライナーの目がわずかに見開かれた。
驚きと、何かを隠そうとする気配を感じた。
「だって、剣技学科のライナーが黒呪法のことを知ってるとは思えなかったし……ライナーも、きっと何か事情があるのよね?」
言葉は柔らかかったが、真っ直ぐだった。
フィリシアの瞳は、ライナーの奥にある何かを見つめようとしていた。
ライナーはしばらく沈黙していた。
その沈黙は、風の音とバラの葉擦れに包まれて、長く感じられた。
やがて、彼は静かに座り直し、低い声で言った。
「俺は……詳しくは言えねぇけど、黒呪法のことを色々知ってる。だから、お前が何か隠してたのが嫌だったんだ。黒呪法は……世界的にも禁じられてるだろ?だから、危険なことだと感じた」
その言葉には、過去の痛みのようなものが滲んでいた。
フィリシアは、戸惑いながらも口を開けて、ライナーの横顔を見つめた。
彼の瞳は遠くを見ていた。
まるで、誰にも触れられたくない記憶を抱えているように。
風がまた吹いて、バラの茂みがざわめいた。
その音が、二人の間に広がる沈黙をそっと包み込んだ。
フィリシアは、ライナーの言葉を静かに受け止めた。
「そっか……」と呟き、少しだけ目を伏せる。
「そういうことだったのね」
その声には、責める色はなかった。ただ、優しさだけが滲んでいた。
ライナーは俯いたまま、何も言わなかった。
けれど、フィリシアはそっと言葉を重ねる。
「良かった。ちゃんと聞けて」
その一言に、ライナーははっとして顔を上げた。
驚いたようにフィリシアを見つめる。
「……納得したか?」
声には、信じられないという戸惑いが混じっていた。
「うん」
フィリシアは、静かに頷いた。
ライナーは、彼女の顔をじっと見つめる。
まさか、この説明で納得してくれるなんて。
普通なら、黒呪法のことを“知っている”と聞けば、驚いて問い詰められるはずだ。
それなのに──
「お前……こんな答えでいいのかよ? 俺はお前に詳しく話せないんだぞ?」
その問いは、どこか自分を責めるような響きを持っていた。
だが、フィリシアは首を横に振って、穏やかに微笑んだ。
「いいの。あなたからちゃんと事情を聞けたから。私は、あなたと面と向かって話したかったの」
ライナーは、言葉を失ったようにフィリシアを見つめる。
その瞳には、戸惑いと、少しの安堵が混ざっていた。
フィリシアは、ゆっくりと言葉を続ける。
「たしかに、あなたにそんな事情があるなんて知らなかった。
でも、詳しく話せないことにも、きっと理由があると思う。
私は……お互いの誤解を解きたかっただけだから。
これで本音を話せて、満足だわ」
そう言って、フィリシアはにこっと笑った。
その笑顔は、夜の静けさの中で、ひときわ柔らかく輝いていた。
ライナーは、目を丸くした。
その反応は、フィリシアの言葉が、彼の予想を大きく超えていたことを物語っていた。
風が、ふたりの間をそっと通り抜ける。
バラの香りが、静かに漂っていた。
ライナーは、フィリシアの視線から目を逸らしたまま、ぼそりと呟いた。
「まあ……お前がこんなんで言いつうなら……」
その言葉に、フィリシアは静かに「うん」と頷いて立ち上がった。
夜風が、彼女の髪をそっと揺らす。
「ありがとね、ライナー。いきなりだったのに」
優しく言って、微笑みながら彼の方を見つめる。
「あなたの気持ちが分かって良かったわ。さあ、帰りましょう!」
そう言って、フィリシアは座ったままのライナーに手を差し出した。
その手は、迷いなく、まっすぐに彼へ向けられていた。
ライナーは、しばらくその手を見つめていた。
真顔のまま、何も言わずに。
けれど──ふっと、口元が緩んだ。
「……本当、お前は……よく分かんねぇ女だな」
そう言いながら、ライナーはその手を掴んだ。
その顔には、優しさが滲んでいた。
五歳の頃──
最初に出会った時、フィリシアが差し出した小さな手を、ライナーは無視した。
それからずっと、二人が手を掴み合うことはなかった。
けれど今、月明かりの下で、初めてその手が重なった。
バラの香りが、静かに二人を包み込んでいた。
それから、ライナーはフィリシアと普通に話すようになった。
まるで何事もなかったかのように、いつも通り言い合いをしていた。
「私がこの計算式、先に解いたんだからね!」
フィリシアが勝ち誇ったように言う。
「その式は俺も書こうと思ってた!」
ライナーがすかさず反論する。
二人は、きっと睨み合っていた。
けれどその様子を見ていたセシルは、ルシアンの隣でぽつりと呟いた。
「元に戻ったんだ……良かった」
ルシアンは目を点にして、困ったように言う。
「戻ったのは良かったけど……相変わらずだなー」
フィリシアは、はーっとため息をついた。
「じゃあ、今回は引き分けにしましょう」
ライナーは少し驚いたように眉を上げる。
「あ?いいのか?」
フィリシアは、にっと笑って言った。
「次は負けないから!」
その笑顔は、どこか柔らかくて、前より少しだけ近くなっていた。
---
フィリシアは、自室の扉を静かに閉めた。
一日の終わりの空気が、部屋の中に満ちている。
窓から差し込む月の光が、棚の上を淡く照らしていた。
その棚を横切ろうとしたとき──
ふと、視線が止まった。
棚の上に置かれた、小さな箱。
その上に、ひとつの指輪が乗っていた。
淡い青の石がはめ込まれた、繊細な銀の指輪。
そう──あの時、謎の美少女から渡されたものだ。
フィリシアは、静かに指輪を手に取った。
石が、月光を受けて微かに輝く。
その輝きを見つめながら、彼女はベッドにゴロンと仰向けに倒れ込んだ。
長い銀髪が、シーツの上にふわりと広がる。
その髪は、夜の静けさの中で、まるで光を纏っているようだった。
「また会えるわ。きっと」
少女がそう言った時の声が、耳の奥に蘇る。
フィリシアは、指輪を見つめたまま、その姿を思い出す。
金色の髪が、風に揺れていた。
青い瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。
その顔は、どこか懐かしくて──
「なんか……あの娘、以前にもどこかで見た気がする」
ぽつりと呟いた言葉は、誰にも届かない。
けれど、フィリシアの胸の奥に、確かな違和感として残った。
フィリシアはそっと薬指に指輪をはめる。
指輪は、彼女の手の中で静かに輝いていた。
---
フィリシアは、指にはめた青い石の指輪をじっと見つめていた。
その輝きは、月光を受けて静かに揺れている。
けれど──その静けさを破るように、廊下の向こうからざわざわと声が聞こえてきた。
(……何かしら?)
フィリシアは立ち上がり、部屋の扉を開けて外に出た。
廊下では、魔法学科の女子生徒たちが集まって、興奮気味に話していた。
「ねえ聞いた?ルシアン様の妹様が留学から帰られたそうよ!」
「聞いたわ!グラフィス学園に編入してこられるらしいわね。しかも明日来られるんですって!」
フィリシアは、その言葉に足を止めた。
(ルシアン様の……妹様?)
その瞬間、話していた二人がフィリシアの存在に気づいた。
「あっ!フィリシア様!聞かれましたか!?明日、ルシアン様の妹様が来られるって話!」
フィリシアは、少し驚いたように頷いた。
「ええ。聞いたわ」
「噂に聞けば、とてもルシアン様に似ているんですって!」
「そうなの!?ってことは金髪碧眼の王女様!?やだ~、おとぎの国のお姫様みたい!」
その言葉に、フィリシアははっとした。
──金髪、碧眼。
(まさか……あの時会った少女は……!)
街で出会った、あの美しい少女。
金色の髪が風に揺れていた。
青い瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。
その記憶が、指輪の輝きと重なっていく。
──場面は変わる。
王宮の一室。
窓辺のベッドに腰掛け、城下町の夜景を見下ろしている少女がいた。
金色の髪が、月光に照らされて輝いている。
その瞳は、青く澄んでいて、どこか遠くを見ていた。
「ふふっ……楽しみ」
少女は、窓の外に向かって微笑んだ。
その笑みは、純白な天使の微笑みだった。
そして、物語は静かに動き始める──
これから週に3回ほどの投稿を行いたいと思います。




