第7話;君の知らない痛み、僕の知られたくなかった嘘
朝の空気は、昨日よりも少しだけ冷たかった。
秋がすぐそこまで来ていることを、頬を撫でる風がそっと知らせていた。
北川颯太は、鏡に映った自分の姿をじっと見つめていた。
痩せた頬、やつれた目の奥にある影。
「まだ、大丈夫」と言い聞かせるように微笑んでも、その表情はどこか虚ろだった。
──だけど。
今日こそは、話すと決めていた。
藤原紬に、すべてを。
教室の扉を開けた瞬間、陽の光が窓から差し込み、紬の背中を金色に照らしていた。
彼女はいつものように、窓辺で静かに本を読んでいた。ページをめくる手が細く、繊細で、どこか切なげだった。
「…紬」
呼びかけた声が、思ったより掠れていた。
彼女はすぐに顔を上げた。
目が合った瞬間、いつもの笑顔が咲く。
けれど、それが眩しければ眩しいほど、颯太の心は痛んだ。
「話があるんだ。放課後、少しだけ時間をくれない?」
紬は首をかしげ、小さく微笑んだ。
「うん。何時でもいいよ。…颯太の声なら、ちゃんと聴く」
──夕方、屋上。
夏が残した最後の光が、校舎の影にゆっくり沈んでいく。
誰もいない風の通り道で、ふたりきり。
空は澄み渡り、遠くで鳥の声が響いていた。
颯太は柵にもたれながら、空を見上げて言った。
「本当はずっと、言えなかったんだ。怖くてさ」
「俺さ…余命半年って言われてるんだ。医者に、春まで生きられるか分からないって言われて」
風が吹いた。
紬の髪が舞い、長い沈黙が訪れた。
「ごめん」
それだけが、やっとの声だった。
──でも、紬は泣かなかった。
代わりに彼女は、そっと近づいてきて、颯太の手を握った。
あたたかく、震えていない手だった。
「知れて、よかった」
彼女の声は、ふるえるどころか、どこまでも穏やかだった。
「ずっと、隠して苦しかったでしょ?…私の前では、もう、強がらなくていいよ」
颯太の胸に、何かが崩れる音がした。
張り詰めていたものが、一気にほどけて、涙があふれた。
声にならないほどの想いが、頬を伝って落ちていく。
「……ありがとう」
紬の肩に額を預け、颯太はただ、その瞬間を噛みしめた。
紬の指が彼の背をそっと撫でる。
それは「大丈夫」と語るようで、同時に「一緒にいるよ」と伝える祈りのようでもあった。
その夕暮れ、ふたりの心は確かに繋がっていた。
命の長さではなく、心が交わる深さで。
沈みゆく陽の中で、影が重なり合う。
あの空の向こうに、まだ知らない明日が待っていると信じたかった。