第10話(最終話):君のいない春を、君と迎える
三月。
雪解けの音が、街のそこかしこから聞こえていた。
卒業式の予行が終わった体育館。
人が引いたあとの冷たい空気に、藤原紬の気配はなかった。
その日、彼女は学校に来ていなかった。
朝から連絡はなく、スマホも繋がらない。
──嫌な予感がした。
颯太は、制服のまま病院へ向かった。
駅からの道を駆け抜ける途中、白木蓮が咲いていた。
春が来ていた。
けれど、それはあまりにも静かで、優しくて、残酷な春だった。
病院の個室。
窓の外には満開にはほど遠い桜が、まだ固い蕾を閉ざしていた。
「……来てくれると思ってた」
ベッドの上、紬は笑っていた。
いつもの笑顔。でも、それはもう──頬の色を取り戻さない笑顔だった。
「ごめんね、式、出たかったけど……無理だった」
「いいんだ。……無理しなくていいって、言ったろ」
「うん。でもね、卒業、おめでとう」
「ありがとう。……でも、紬の分の桜は、咲かせられなかったよ」
彼女は首を振る。
「違うよ。咲いてるよ。……ちゃんと」
窓の外には、まだ咲いていない桜。
だけど、彼女の目にはそれが見えているようだった。
「ねえ、颯太」
「ん?」
「私、怖くないよ。だって、君の中に残れるって思えたから」
「それって、すごいことだよね。消えるのに、残るなんてさ」
「……紬」
「ありがとう。私の世界に、来てくれて。私を、好きになってくれて」
「違う」
彼は一歩、ベッドに近づいた。
「俺の世界に、君がいたんだよ。……いてくれたんだ」
そっと、手を握る。冷たい手だった。
「だから、春が来ても……君の名前を、俺は呼ぶよ。何度でも。君のいない春に、君と生きてるみたいに」
紬の瞳が、ふっと緩んだ。
「……それ、嬉しい」
それが彼女の、最後の言葉だった。
四月。
校庭の桜は、満開になった。
新しい制服、新しいクラス、新しい日々。
けれど颯太は、相変わらず古びたスケッチブックを抱えていた。
彼女が描いてくれた、自分の横顔。
その裏に、紬の筆跡がある。
「私は、君を忘れない。だから、君も忘れないでいてね」
その日、風が吹いた。
桜の花びらが舞う。
誰もいないはずの隣に、彼女の笑顔が浮かんだ気がした。
──君のいない春を、君と迎える。
そう思えた自分に、そっと微笑んだ。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
この物語は、最終話のタイトルでもある「君のいない春を、君と迎える」という逆説から生まれました。
誰かと出会い、誰かを好きになり、そして別れが訪れる。
それは誰の人生にも起こりうることだけれど──
その“別れ”が、“終わり”ではなく、“始まり”になったら。
そんな願いを込めて、紬と颯太の物語を書きました。
もしこの作品が、あなたの心に一輪の桜を咲かせられたのなら。
私は、それだけで幸せです。
この作品はこれにて終幕です。
またどこかで、物語の中で会えたら嬉しいです。
ありがとうございました。
──作者