8.水と揺蕩う夏
ある夏の日、炎天下の下で真っ黒な鱗を晒すほど俺は愚かではないので、楽しそうに川で水浴びをしているグリュンを眺めていた。
グリュンの動きに合わせて舞う水の粒が太陽の光によってきらきらと、まるでグリュンへの祝福のように水飛沫が跳ねる。
「ヴェルー!ヴェルも一緒に入ろう!」
「え、いや、俺は……」
「人になれば入れるよ?」
「……分かった、分かったから!せめて人になるまでは待ってくれ!」
無謀にも日陰から引き摺り出そうとするグリュンを止めて人型になる。
正直この姿でも髪の毛が黒いので暑いのは暑い。
けれどそれ以上にグリュンが楽しみにしているので我慢するか、と思った。
「グリュン、これでいいか?」
「んー……まぁ良いけど」
え、えぇ?何?今の間……明らかに何かあったよな?
何か不満があったのか歯切れの悪い返事を返すグリュンに疑問を持ちつつも、グリュンに手を引かれるまま川の中へ入る。
蒸しかえるような暑さに反して川の中は冷たく、涼やかで。
水面が光を反射し少し眩しいと思いつつも足を触れる水が心地良かった。
耳を澄ますとちゃぷちゃぷ、さらさらという透き通った音が俺の周りを包む。
「どう?涼しいでしょ?」
「ああ、それにこんなことをしたのは初めてだ」
「──初めて……」
「……?どうしたグリュン?」
先程の不服そうな顔から一変して嬉しそうな笑顔が広がる。
言葉に出さなくともはしゃいでいるらしいグリュンを見て更に困惑した。
そんな喜ぶような事、言ったか俺?
改めて思い返してみても思い当たる事もなく、喜ぶような事もなく。ただただ疑問を自分に残していくだけだった。
思考が低迷しかけたその時、ぱしゃ、と冷たい何かが頬を触れる。
それに反応して顔を上げると嬉しそうな笑顔とは打って変わった、いたずらっ子のような笑顔を浮かべて笑っていた。
「ヴェル、びっくりした?」
「……した、だからグリュンにもお返ししてあげよう」
そう言った瞬間に笑い声を上げながら逃げていくグリュンを追いかける。走るたびに水の感触がして慣れなかったが、嫌ではないことに気が付く。
俺は跳ねる水も気にせず追いかけて、ようやくグリュンの細く折れそうな腕を掴んだ。
「捕まえた、グリュン」
「うぅ、捕まっちゃった……ヴェル、速い」
「グリュンも十分速かったぞ」
「本当!?」
ころころと表情を変えるグリュンにいつものように目を奪われる。グリュンは俺の竜生の中で初めて護ってあげたいと思った存在。
ほんの気まぐれで育てただけだったのに、こんなにも情が湧いている自分に気がつく。
それほどまでにグリュンとの日々は自分にとって新鮮で楽しかったようだ。
ただ、水浸しになってしまった服は乾かさないと風邪をひくな、と思いグリュンをそのまま持ち上げてこう言った。
「───帰ったら服、乾かそうな」
「はぁい……」
「なんでちょっと不服そうなんだ」
♢♢♢
「うーん………」
「どうしたグリュン?」
「魔力で作った水って冷たくならないの?」
「あー……」
確かに、水魔法だけは常温で出てくるな。微妙に温かくて嫌だよな、特に夏は。
そんな時、俺は水の中に氷を出して冷やしているが、おそらくグリュンにはまだ『二重詠唱』は出来ない。仕方がないので俺が小さめの氷を出してグリュンの手のひらの上にある水にそっと入れた。
「……やっぱりヴェルの氷、綺麗だなぁ」
「別にグリュンが出すのと変わらないだろ?」
「でも、なんか違う気がする……」
むむむ、と理由を解明しようとしているのか、それともただ見ているだけなのか、どちらともよく分からない反応をしながらグリュンがその氷を眺めているのを横目に、乾かし終えた服を畳んでいく。
「そう言えば、何で水を冷やしたかったんだ?」
「え?ただ興味があったから?」
そんな自由研究みたいに言ってたのか……。
まぁでも、興味を持つ事は悪い事ではないから良いのだが、何だか振り回された感だけ微かに残っている。
そんな俺の考えは露知らず、グリュンは呑気に水と氷で遊んでいたのだった。