78.今際の、
駆ける。風に靡く草原を切るように、何処までも駆ける。
スルアヴェラよりも先に接敵しなければ護れないから、という理由で俺だけ先に先行させてもらっていた。
そんな俺の横ではスルアヴェラの使い魔『水鳥』が、小さな羽を羽ばたかせて必死についてきている。だから俺のポケットに入る?って最初に聞いたのに……。
「ぴっ!?」
「ん?どうしたの?」
「ぴ、ぴい…っ!」
あるところまで進んだ時。突然水鳥が怯えを示して、思わず首を傾げる。きゅっ、と後ろに隠れてしまったその子に、スルアヴェラの所に帰っていいよと指示を出し終えた、その時。
──殆ど反射神経で、俺は後ろへと宙返りをした。
その瞬間、地面にめり込む特殊な刻印の施された剣。それは間違いなく、ヴェルの魔力を内に秘めていた。
「……っ!危な…。ねぇ、人に刃物向けちゃダメって言われなかったの?」
「…何者だ、貴様は」
「俺?…俺はグリュン。グリュン・ノワール。──貴方が斬った、ヴェルノアールの息子だ」
「何だと…?」
腰に携えた二対の短剣を、両手に構える。
実戦で使うのは、別に初めてではない。だが、圧倒的な強者を相手にするのはこれが初めてだ。
ヴェルと鍛錬した時でさえ、手加減してあった。殺される心配なんてないし、大怪我をする事も無かった。
……けれど、これは違う。命を賭けた本気の勝負だ。
「…その言葉の意味を理解しているのだろうな、貴様」
「してる。…だから何?」
「それはつまり、あのヴェルノアールの味方になるという事だ!人類だけではない、他種族までもを敵に回すという事にもなるのだぞ…!?」
その言葉に、一瞬呆気にとられる。
そうしてその勇者の言葉を理解した俺は、思わず笑ってしまった。
「……っ、ふふ、成程ね」
「…何がおかしい?」
「いや?……ねぇ、何か俺の事を勘違いしてない?まぁ“事”、というか“考え方”かな」
「考え方、だと?」
別に、俺は人類の敵になる事を恐れているわけではない。
他種族だって関係ない。
俺はただ──ヴェルのいない未来が怖いのだ。
「……俺は、ヴェルと一緒にいられるなら、世界の敵だってなんだってやってやる。
──人類なんて、知ったことか」
そう告げた瞬間、俺の喉元すれすれに勇者の剣が通る。
成程、挑発は成功したらしい。まぁ本心だけど。
それでも、冷静さを欠いた生き物は何よりも狩りやすい。その証拠に、剣にフェイントが混ざっていない。
ひらひらと踊るように剣を躱し、隙を見て剣にダメージを与えていく。
今回、ユグナを倒す必要はない。あくまで“剣を折る”事が目的だ。
ただ……なにか、違和感が……?
「…竜化を克服する為に竜の血を取り込んだのが仇になったようだな」
「……っなんで、それを…!?」
「解る。私は魔力の色が見えるからな」
「そう、いう事か…!」
確かに俺は、少なからず竜の血を宿している。
──故に、俺はどうやらドラゴンキラーの対象になっているようだ。
だから、剣にダメージを与える度に微力な魔力を奪われていたのか。気怠さが増しているとは思っていたが、妨害系の魔法ではなかったのか。
……だとすると、厄介だ。
「──さぁ、人の子よ。精々足掻いてみせるがいい」
「……はっ。その余裕、いつまで持つか楽しみだね」
重心を落とし、短剣を逆手に構える。地を蹴った瞬間、視界が歪んだ。風圧で草が千切れ、刃が擦れ合う音が耳を焼く。
勇者の剣は大振りだが、速い。そして、力任せに見えてその一撃一撃に隙がない。剣筋は一直線、ただ、無駄がない分だけ避けづらい。
「…避けてばかりか?威勢良く啖呵を切ったわりには、臆病者のようだな」
「ふ、慎重って言ってほしいね。…荒れ狂え、世界よ──『暴風』」
「なっ……!?」
俺の前で、黒色に染まった竜巻が勇者を飲み込むように荒れ狂う。
最近知ったのだが、自分が想像しやすい前口上を考えておけば、魔法の発動が素早く出来るらしい。まぁ最も?ヴェルはそんな事しなくても早いんだけどね。
そんな事を考えながら俺は、暴風を目眩しに足首を返して斬り上げの軌道で刃の根元を狙う。刻印の位置を正確に見極め、二本の短剣を交差させて叩き込んだ。
火花が散り、金属の悲鳴が空を裂く。手応えはあったものの、勇者は微動だにせず、次の斬撃を放った。
「まだッ!」
鋭い踏み込み。重い。刃の重みだけで地面が軋むような。
俺は咄嗟に身を捻り、剣先を肩で受け流した。その浅い裂傷に血が滲む。しかしながら痛みよりも衝撃の方が先に来て、思わず苦痛の声を少しだけ溢した。
じんじんと手首が痺れる。反撃に転じようとした瞬間、勇者が低く呟いた。
「竜の血を宿す者よ、その身で罪を知れ。
……聖なる輝きよ、全てを浄化せよ──『聖光波』!」
──その瞬間、空気が変わる。
勇者の剣が淡く光り、刻印が脈動する。光が広がると同時に、足元の地面が弾け飛んだ。
まさか──衝撃波。
思考が追いつくより先に身体が吹き飛ばされる。背中から草原を転がり、肺の空気が一気に抜けた。
立ち上がろうとするが、体が動かない。腕が重い。何かが……?
──そうだ、魔力。
吸い取られ続けた魔力が、今ここで、牙を剥くなんて。
それでも何とか立ちあがろうとする俺に、残酷なまでに視界が滲む。短剣を支えに膝を立てた瞬間、また光が閃いた。
「貴様はここで終わる──何も遺す事なく」
目の前に閃光。剣が振り下ろされる。
咄嗟に短剣で受け止めたが、力が違いすぎた。金属が悲鳴を上げ、腕が軋む。
──駄目だ。受けきれない。
「くっ……!」
刹那、閃光が弾け、短剣の一本が砕け散った。衝撃が腕を裂き、後ろへと吹き飛ばされる。
転倒した俺を、勇者は冷たい目で見下ろした。その碧眼の瞳が、金色の髪が。まるで俺を穢らわしい存在だとでも言うような雰囲気を纏っていた。
すっ、と刃先が喉元に迫る。
冷たい光が、俺の視界を覆う。
「竜の子よ、ここで終われ。お前は、災いの種だ」
「……そっか、災い……ね……」
息が漏れる。苦笑が滲む。
──ねぇ、ヴェルもこんな気持ちだったのかな。
世界のみんなに敵って言われて、頼れる人もいなくて。
ずっとずっと、孤独だったんだよね。
体はもう動かない。魔力を吸われ、抵抗の余地もない。
それでも、脳裏には一人の姿が浮かんでいた。ヴェルの顔。あの、穏やかで静かな眼差し。
──護りたい。
俺以外に、誰が護るの?
……誰が、護ろうとしてくれるの?
その想いだけが、かろうじて俺を繋ぎ止めていた。
「……まだ、終われるわけ……ないじゃん」
掠れた声で呟いても、剣は容赦なく振り上げられる。
次の瞬間、剣が振り下ろされ──世界が、白く弾けた。
焼けるような光と共に、全てが途切れる。
風の音も、鼓動も、何もかもが遠ざかる。
そんな中、意識の底で確かに何かが軋む音がする。
──それが『覚醒』の兆しだと、まだこの時の俺は知らなかった。




