75.癒水球
「っうわ!?」
宿への帰り道。何かお詫びの品として、買えるものはないかと屋台を物色していた時。突然一人の男性が、俺に勢いよくぶつかってきた。
幸い俺はヴェルに鍛えられているので、何なら相手が尻餅をついたのだが。
ので、手を差し出そうとしたその瞬間。
パシッと手を弾き、その男性はそのまま走り出してしまった。
「……変なの。…って、え!?」
まぁそんな人はどうでもいい、と、思って顔を上げた途端、多くの人がこちらに向かって走ってきていることに気がついた。
しかも皆、揃って恐怖の色を纏って。
「……何か嫌な予感がする」
ゾッとするような負の気配。それが徐々に濃く、大きくなっていく。ヴェルは俺よりも強いから。心配はないと思うけど、でも、それでも。
──心から不安感が抜けない。
少しだけ躊躇ったけれど──手遅れになる前に。そう思って俺は駆け出した。
「──『瞬風足』!」
足に風を纏わせ、移動速度を上昇する魔法。魔力消費が激しいので長期使用は不可能だが、それでも一時的に使用するだけならメリットが余りある。
風に逆らって、建物の間を縫って、ヴェルの気配がする方へ近づいていく。
そうして俺は──信じがたい光景を目にした。
「……っ、ヴェル!?」
ぱっくりと裂けた服。それでも出血も、目立った外傷も見られないのは、ヴェルに対して治癒魔法を使い続けているスルアヴェラのお陰だろうか。
でも、何故。ずっと目を閉じたまま、何も言わな……。
……待って。魔力が…無い?
あんなに膨大にあった魔力が、全部無い。どうやって、いやその前に、誰が──
「──勇者ユグナ。名前ぐらいは、聞いたことあるんじゃない?」
「…随分冷静だね、スルアヴェラ」
「〜〜〜っ、ボク以外の誰が、冷静になれるって言うのさ……!?」
「俺は至って冷静だけど」
「……嘘。そんなに殺気ダダ漏れで、冷静な訳がない」
痛いところを突かれ、思わず息を詰める。
完全無意識下の行動。思ったよりも焦りが出やすいらしい俺は、一度深呼吸をして、再度スルアヴェラに問いかけた。
「……それで?何があったの」
「…勇者ユグナが、お兄ちゃんを恨んでるって話、聞いたことない?」
「……ごめん、知らないかも」
「じゃあ“氷結を残す竜の怒り”は?」
「──っある、かも」
「…それならまだ、話は早いか」
スルアヴェラが語り出したのは、とある勇者の軌跡。
復讐に燃えるその人は、ある時竜に対する特攻を持つ剣を入手する。
──その名も、ドラゴンスレイヤー。
斬った対象が竜の場合、生命力でもある魔力を全て奪う性質を持っていた事から、その名が付いたとされている。
「今はまだ、ボクが魔力を注いでるから生きてる──けど、長くは持たない」
「……解決策は?」
「手っ取り早いのは魔力を吸収し続けている剣を折る事……だけど、まずユグナを倒す事自体が不可能に近いから、現実的じゃないね」
「…そう。でも俺は行くよ」
「……話聞いてた?」
だって、もし対象が竜限定なら、俺はおそらく対象外。一番この中ではユグナと対等に戦えるはず。
それに……
「俺ってさ、大切な人を傷つけられるのが一番嫌なんだよね」
「グリュン…?」
「……それに、まだ謝れてないから」
酷いこと言ってごめんなさい、我儘言ってごめんなさい、って。
──言えてないから。
「…分かった。ボクは止めないよ。でもグリュン。一つ提案があるの」
「……何?」
「ボクも、着いていっていい?」
「…はぁ!?」
「自殺行為なのは十分分かってる。でも、お兄ちゃんがこうなったのはボクのせいだから…だから……!」
「……分かった、けど…ヴェルの魔力供給はどうするの?俺魔力の性質が違うから、そもそも手伝えないんだけど…」
そもそも、剣を壊す前にヴェルが死んじゃったら元も子もない。
そう思ってスルアヴェラに問うと、彼女は唐突に手のひらの上に水晶玉のような水球を生み出した。
透き通るような淡い水色。光に煌めくそれは、とても滑らかそうな見た目をしていて。
「それは……?」
「『癒水球』って言ってね、魔力を満たした水球なんだけど。この中にお兄ちゃんを封じれば、私が死なない限りお兄ちゃんも死なない。半永久的に魔力供給が出来る魔法なんだ」
「……成程ね。俺への保険か」
「分かった?こうでもしないとボクを護んないでしょ」
「自分の身ぐらい自分で守ってよそもそも」
少しだけ先の見通しができて心が軽くなったのか、そんな軽口が叩けるようになって。思わず二人揃って少しだけ笑ってしまった。
そうしてスルアヴェラは、その水球にヴェルを封印する。
淡い水の球の中で、竜形態のヴェルが小さく丸まって眠っていて。それを見ていると、何とも言えない、苦しさが込み上げてきた。
大きいはずの背中が、今は小さい。
……けれど今は、悲しんでいる暇も、辛くなる暇もないから。
だから俺は、スルアヴェラの情報を頼りに、ユグナの捜索を始めたのだった。
「…そういえばさ、グリュン」
「何?」
「そんな話し方、出来たんだね。前まであんなふわっふわな話し方してたのにさ」
「あぁー……うん、そうだね…」
「……?」
妙に歯切れの悪いグリュンに、スルアヴェラは思わず首を傾げる。
そうして少しの間考え込んでいたグリュンは、ふと立ち止まって、小さな声でこう言った。
「──まだヴェルの前では、子供でいたいんだ」
それは酷く幼稚で、けれどそれは。
たった一つの、グリュンの願いだった。




