61.約束
戴冠式が、あと二日後に迫っている。
にもかかわらず決定的な進入経路だったりとか、総合戦力は未だ不明のままだ。正直一番警戒すべきなのはルクリーヴァぐらいなのだが、うっかりグリュンの生みの親をサクッとしてしまっては、それはそれで指名手配になるような気がするので、下手に暴れられない。
「もう少し頑張れないか?」
「カァ!!」
「え、うるさい?一生懸命やってる?あぁごめんって」
カァカァと使い魔の罵詈雑言を一心に受ける。今まで構ってあげなかった代償が、全てこちらに降り注がれて。こんなことならもう少し大切にしておけば良かったかもしれない。いや、今までも別に雑に扱っていたわけでは無いのだけれど。
言葉だけでなくついには嘴で突き始めた俺の使い魔に、少しため息をついた。これは俺の怠惰を呪うべきだ。
「……そう、だな。名前でもつけようか?」
「カァ」
「今更?とか言うな」
ふてぶてしく羽繕いを始めたのを横目に見つつ、名前をどうしようかと考える。今まで全く考えてきていなかったので、欠片も考えがない。
うーん、と悩む。黒色で鴉……か。
「じゃあ、クレーエでどうだ?」
「───カァ!」
「……満足した、のか?」
珍しく嬉しそうに飛び立っていった俺の使い魔、もといクレーエを眺める。
名前、付けて欲しかったのか?
そう考えると、今まで悪いことをしたなと思った。名前を付けないまま契約してはや何万年だもんな。そりゃあグレるか。
それはそうとして。今日は何をしようか。城下町はかなり見て回ったし、町周辺の様子も確認はしている。
……じゃあ今日は城への潜入、か?
いや、それはそれで不法侵入者になってしまいそうではあるが。けれど、奪還しに行って迷ってしまっては元も子もない。
「じゃあ、行くか」
壁に立てかけていた剣を取る。使いたくはないが、万が一という事もある。
とはいえ、今日はまだ様子見だ。例えグリュンが居たとしても、下手に連れ出してしまっては速攻で指名手配だ。それは避けたい。
そう考えつつ、俺は宿を出て、城の方へと向かったのだった。
「……とか言ってると、出会うんだよなぁ」
♢♢♢
城門から少し離れた路地裏で、俺は少し考えていた。潜入するにしてもどうやって行くべきか。一番安全なのは透明になる魔法を使う事だろうが、あれは持って一時間。それに音も消す魔法も同時にかけるとすると、四十分が良い所か。
けれど、背に腹は変えられない。そう思って『二重詠唱』を始めた。
「汝、我に縁を結ばせ賜え──『透徹』『絶音』」
ぱっ、と自分の手が見えなくなるどうやらちゃんと成功したらしい。本当に、二重詠唱は事前の言葉がいるから面倒だ。まぁ、同時に扱えるのは楽なのだが。
一つずつ単体で唱えると、どうしても一つ一つの魔法の合間に少しの間が生まれてしまう。だから二重詠唱があるのだが───。
「三重とか、五重とか……ああなってくるともう長すぎるんだよな」
二重詠唱は一応、初歩の初歩である。やろうと思えば俺は十までいける。けれど、滅多に使うことはない。そこまでして滅ぼしたい相手がいるなら別なのだが……まぁ今の俺にそんな敵はいない。
そんな事は置いといて、だ。取り敢えず城に侵入しよう。
そう考えて、城まで近づく。警備は少ないが、それ以上に城の構造自体が頑丈だな。この固さだと竜形態の俺が踏みつけないと壊せないんじゃないか……?
しばし考える。正面からは流石に入れない。そうなると壁を越えて入るというのが一番早いか。
たん、と軽く跳躍して城を囲む城壁を越える。緑の草の上にそっと着地して辺りを見ると、高く、高くそびえ建つ塔の下に来ていた事が分かった。
「……あれ、ここは……?」
ふと、その様子に既視感を覚える。この建物は、いつの日か見たような。
うーんと頭を悩ませて考えていると、脳裏に不貞腐れたクレーエが蘇った。少し前に教えてくれた、あの情報は確か……。
「……そうか、あそこにグリュンが居るんだったな」
元気にしているだろうか、ちゃんと眠れているのだろうか。決して手のかかる子ではないし、心配する年でもないのだけれど。けれど、幾つになっても心配だった。
……そんなことを考えていても、帰ってくるわけではないので。
気持ちを切り替えて、城にそっと忍び込む。複雑な構造はしていないようなので、頭の中に地図を描きながら進んでいると、足音が聞こえて。
見つからないという自信もあるが、一応曲がり角の死角に隠れて様子を伺った。
「…………帰り、たいなぁ」
小さく、囁き程度に呟かれたその言葉に思わず首を傾げる。この声は、もしかしなくても。
そっと顔を出して声の方向を見る。そこには確かにグリュンがいた。
良かった、無事だったのだと安堵するのと同時に、少しだけ何かが変わっているような気がして。例えるなら───そう、俺の雰囲気に似ているような。
そんな中、グリュンはどこかに向かっているのか、ゆっくりと歩みを進めて行く。
その時、突然グリュンがこっちを見た、ような気がして。
「───え……ヴェル?」
その言葉に、思わず心臓が大きく音を鳴らす。魔力感知においてはグリュンの方が秀でているとはいえ、まさか俺ですら見破られるとは思っていなかった。
内心そう焦っていると、当のグリュンは見えないはずの俺の元まで駆け寄ってきていて。逃げるわけにもいかないし、かと言って本当に見えているのかも定かではない、が。
いつもの癖でグリュンの身長に合わせるように、少しだけ屈む。すると、グリュンは俺の右手をそっと握った。
「本当に、いる……?」
恐る恐ると言った様子で紡がれた言葉に、少しだけ苦笑いをする。もっと自信を持っていいと思うのだが。
話しかけられた以上、無視はできないので『絶音』だけを切ってから、俺はこう返した。
「……あぁ。久しぶりだな、グリュン」
「なん、で……どうして……?」
困惑したような声。でも握りしめられた手の強さが、決して嫌がっているわけではないことを物語っている。
本当に、いい子に育ちすぎたのだ。もう少しわがままを言ってくれてもよかったのだ。
時折見せるグリュンの自己犠牲は、あまり俺にとって好ましくなかった。過去の自分と重なってしまうようで。その先の未来が決して明るいわけじゃないことを知っているから。
──とはいえ、時間もあまりない。酷かもしれないが、手短に俺の考えを伝えておこう。
「……グリュン、落ち着いて聞いてくれ。今はまだ、ここから救えない」
「………うん」
「でも、二日後──戴冠式の日に、必ず助けに来る」
「っ!分かった……!」
そう伝えた途端、グリュンの顔が輝く。ぎゅ、と力一杯抱き締められたので息が一瞬詰まってしまったが……それでも嬉しそうな顔で、笑顔でいてくれる方が俺だって嬉しい。
まだまだ子供なグリュンの頭を撫でて、その小さな背を見送る。
「─────」
小さく呟いた俺の言葉は、誰に拾われることもなく、ただ風に溶けて消えていったのだった。
♢♢♢
あの後、少し探索してみたものの、これといって何かあったわけでもなく。結局グリュンに会ったことと、城の頑丈さを知れたこと以外は何も収穫がなかった。
……まぁ、元気そうでなによりだったな。
俺にとっては、グリュンが元気な事、笑ってくれる事が一番大切で。
ふぅ、と一つ青い空にため息をつく。
来るべき日に、思いを馳せながら───。




