56.手放した幸せ
───痛い。やっぱり自分で歩くと体痛いな、なんて。
笑い飛ばせるほどの体力は、もう残ってはいなかった。
あぁせめて最後に、ヴェルに頭撫ででもらったら良かったな。
くる、と後ろをこっそり振り返る。ヴェルの姿はもう見えない。俺の近くの二人は何も気にしていないように歩いていて、それが何だかとても腹が立った。
───人から親を奪っておきながら、何なんだ。
さながらヴェルのようなその心の声に、我ながら少し苦笑いする。
……それにしても、どこに向かっているんだろう。
「……ねぇ、どこ行くの?」
「我らの国、ネーヴェですよ。ユーフェリア様は幼かったので、覚えてないかもしれませんが」
「……待って、もしかして」
そのさっきから言われているそのユーフェリアって人は、俺なの?
俺の、名前……?
……違う、そんな名前じゃない。俺にはちゃんと、グリュンって名前がある。でも、恐らくここでそれを言ってしまえば否定されるだろう。
今、言いはしない。けれど、認めもしない。
ユーフェリアなんて長い名前、俺は嫌い。
ヴェルが俺に与えてくれた、グリュンが俺を指せる唯一の名前。
───でも、そんな強がりも、いつまで持つかなぁ。
そう小さく心の中で独りごちた。
♢♢♢
「お城……?」
大きい。あ、でも、王都で見たお城よりは小さい。
そんなことを考えていると、前の二人はどんどん進んでいく。
え、え?もしかしてここに入らないといけないってこと?
嫌過ぎる、絶対変な人いる……。
ヴェルがよく言ってた。「国の上層部には絶対碌な奴が居ない」って。
「どうかしましたか?」
「え、いや何でもない……」
とても嫌過ぎるが、渋々入る。
王都のお城とは違って、銀と青系の装飾で飾られているのは綺麗なのだけれど、そうは言っても経緯が経緯なので、そこまで感動は覚えなかった。
言い方的に俺の家?なのだろうけれど、どこか他人の家に遊びに来たようなそんな感覚で。そんな風に歩いていると、ある一つの部屋の前で止まる。
どうしたんだろう、と思う前に、水色髪の人が何かを言った。
「ここがユーフェリア様の部屋です。少し待っていてくださいね」
「……私も席を外すわ、親子水入らずに邪魔したくないもの」
喋るだけ喋って、二人は部屋を出て行く。
何なのこの人たち。自分勝手にも程があり過ぎない?
まぁ良いか、と思いつつ、めちゃくちゃ広いベットに寝転がる。ふかふかで、確かに心地いい。けれど、ずっといたいとは思えない。
ずき、と右腕が痛む。右腕だけではなく、全身が痛いのだが、特に右腕が痛い。
「……治るのかなぁ、これ」
そう小さく呟いたと同時に、何かの気配がしてベットから起き上がる。先程とは違い、全く強そうではないその気配に、少しだけ肩の力が抜けた。
……のが間違いだった。
その女性は扉を開けた瞬間、近づいて突然、俺の手を握ったのだ。
「…………っ!?」
「あぁ良かったユーフェリア、無事だったのね!」
もしかしたら失礼なのかもしれない。
けれど一言だけ言わせてほしい。
化粧がけば………いや、大層派手だなと思った。
がっしりと握られている手を、そこはかとなくはたき落として、一歩下がる。正直に言えば近づきたくない。
「どうして離れるの?」
「知らない人と手を繋ぎたくないんだけど」
「……私も覚えてないの?」
「はぁ……?全く見覚え無いけど」
そう俺が言うとあからさまにがっかりされる。
何なの?ここの人たちは自分中心に世界が回ってるの?
偉い人たちって我儘、とかそんな事を考えていると、目の前の女性は小さく何かを呟いた。
それを聞こうと耳を澄ますと、とんでもない単語が聞こえて息が詰まりそうになる。
「私は貴方の、お母さんよ……?」
「………は」
「本当に?本当に覚えてない?」
どうやら俺の母親らしい人を見る。水色の髪に青色の瞳。うん、全く似ていない。絶対に違う気がする。けれど、全く違うとも言い切れない。何故かと言うと、話し方がどことなく俺に似ているかもしれない。
そう考えていると、どくん、と心臓が嫌な音を立てた。
あ、まずい、と思う前にその場にしゃがみ込む。最近多いんだよなぁ、こんな発作みたいなやつ。
ゆっくり息を吸って吐く。もう慣れたその作業をしていると、小さく駆け寄る音が聞こえて。すると、その人は最悪にも右腕を持って抱きしめようとした。
「ユーフェリア、大丈夫!?」
「……っ、触らないで!」
それでなくとも痛いのに。それに、名前も知らない人に優しくされたくないし、触られたくない。そう思って、添えられた腕を弾く。
少しだけ申し訳なく思うけれど、でも、今まで会ったこともない人に母親だって言われてもそうそう信じれないし、俺をここまで連れてきたやり方も無理やりだったから、信用は塵もない。
そうして、少し俺が落ち着いた頃、その人は唐突にこう呟いた。
「……お父様はもう何日かしたら戻られるわ。ユーフェリアに会うの楽しみにしてる……ねぇ誰か覚えている人はいる?」
「……全部、知らない人」
「そう……ごめんね、疲れてるだろうに無理させて」
……優しくなった?いや、気のせいかな?
あぁもう分かんない、考える前に取り敢えず距離だけは取ろう。うん、それが良い。
その後、ぱたん、と扉の音を立ててあの人は部屋を出ていった。正真正銘、今日はもう誰も来ないだろう。
再びベットに寝転がって、一つため息を吐く。
───あぁ、本当に。
「……ヴェルに、会いたいなぁ」




