55.ヴェルの宝物
「ん……?今日は起きてこないな」
朝ごはんの準備をしていて、なんとなくそう思う。
まぁ確かに、グリュンが寝坊することは、時々ある。けれど、大概はご飯の匂いがしたら一目散に起きてくるのだが。
昨日のこともあるので、少しだけ様子を見てみようかとグリュンの元へと向かう。扉を開けると、すやすやと眠っているグリュンがいたので、大丈夫そうだなと少し安心した。
「それにしても、大きくなったよなぁ」
拾った頃はまだ小さ過ぎるぐらいの子供だったのに、と思いながら、邪魔そうにしている前髪をそっと払う。俺は絶対切ったほうがいいと思うのだが。
その後、しばらく寝顔を見つめるという、とても親バカのような事をしていると、グリュンが少しだけ身じろぐ。そろそろ起きるか、と思いそのまま待つ。いつもはこんな事をしないから驚かれそうだ。
───ぱち、と目を覚ます。
俺の目に映ったその黄緑色の瞳は確かに──
───確かに、『竜の瞳孔』だった。
「……待て、何でグリュンがそれを持っている?」
「っ、これ、は……」
極めて冷静に、言ったつもりなのだが、それでもグリュンには恐れを与えてしまったらしく、ぎゅっと服を握りしめた。
怒るつもりは全くない。だが俺はその症状に見覚えがある。
それは早く治療しないと、最悪命に関わるもので──
「……ヴェルは」
「ん?」
「これ見せても、俺のこと捨てない?」
「あぁ、捨てない。あいにく俺は、グリュンを死ぬまで大切にすると決めている」
「ほん、とに……?」
恐る恐る見せられた右腕は、ほとんど竜の鱗で覆われていて。少しだけまずいと思ってしまった。
『竜化』と呼ばれるその病は、簡単に言うなら段々体が竜へと変化し、最終的には自我を失ってしまい、完全な竜となってしまうと言うなかなか厄介な病気だ。
治療法はただ一つ。この世界にいる七体の元素竜の血をもらい、その体に流すこと。
こう見えて俺も、一応『闇』の元素竜ではあるのだが、グリュンの適性を見る限り『光』かもしくは『風』がいいのだろう。
ただなぁ……あの二人は性格に難が……。
まぁそうも言っていられない。そう思いグリュンを抱える。
「っわ、ヴェル?」
「体、痛いんだろう?我慢しなくていい」
「……本当に、ヴェルには敵わないなぁ」
そう気丈に振る舞ってはいるが、小さく震えているのを俺は見逃さなかった。確かに怖いよな、唐突に自分の体が自分ではないものになってしまうのは。
「大丈夫、グリュンが俺を救ってくれたように、今度は俺が救う番だ」
「……ねぇヴェル、あのね」
そうグリュンが何かを言いかけた、その時。
バン!と大きな音を立てて俺たちの部屋の扉が開いた。
何事だ、と脳が認識するよりも先に、咄嗟に反射で後ろに下がる。
……嫌な予感がする。こう言った時の俺の勘は嫌なほど当たるのだ。
「やっと見つけたぞ、賊が」
小さく呟くように言いながら入ってくるその姿は、俺には全く見覚えのない人で。それにもかかわらず殺意を向けられているのは、理解ができなかった。
氷のような髪色で、黄緑色の瞳を持つ目の前の人は、どこかグリュンに似ているような感覚さえ引き起こされる。
「貴様、そのお方を誰だと思っている?」
「……誰か?俺の息子、それ以外にないんだが」
「とぼけるな!そのお方は我が国の最後の希望なのだ!」
何を言っているかは正直よくわからない、が。とりあえずグリュンが狙われていることだけは分かった。
そう判断した俺は、躊躇わず最低限の荷物を回収して窓から飛び降りる。幸いにも三階だったので、多少の時間は稼げるだろう。
ただ、何処に行けばいい?少なくともここからは逃げたほうがいいのだろう。
追われる前に駆け出す。できるだけグリュンを揺らさないように努めながら。
その時、再び誰かが俺の目の前に現れる。けれど今回は、俺が知っている人だった。
「……ルクリーヴァ、何しに来た」
「あら、その言い方はないでしょう?ヴェルノアール」
ルクリーヴァ、『光』の元素竜。それは俺が大嫌いな竜の一匹。戦闘能力は俺よりも劣るのだが、何よりも小賢しくてうざったい。あと話し方が苦手だ。
コツコツと足音を立てて彼女は近づいてくる。そして俺に近づくと、わざと見せびらかすように白金の髪を手で払って、こう言った。
「大人しくその子を渡して頂戴な」
「嫌だと返しておこうか」
「そう……」
くるり、と踵を返す。あれ、珍しく物分かりが良いなと思っていると、突然鋭い光の矢が飛んできた。闇属性特攻のつくそれは、グリュンには効かないものの俺にはかなりの傷を与える。
何とかそれを、剣で払い、数歩下がる。
やっぱりこうなるんだよな、とは流石に言えなかった。
「良い剣ね、貴方には勿体無いぐらい」
「相変わらず一言多いんだな」
「……貴方こそ、強がりなところは変わってないのね」
「曲がった性格に比べたら良いものだろう」
攻撃はやはり単調で、武器を使わずとも身のこなしだけで回避できる。
ただ、引っかかる。こいつが正攻法を仕掛けてくるとは思えない。何か裏があるはずなのだが。例えば弱体化の魔法を秘密裏に仕込んだり、だとか。
思案を巡らせて、ルクリーヴァの動きを観察する。
……やけに右側を気にしている?何が──
──そう思ったその瞬間、途端に体が金縛りにかかったかのように動かなくなった。
「あぁ良かった、ちゃんと引っかかってくれて」
「すみません、お手を煩わせてしまい……」
「良いわぁ、珍しい子に会えたんだもの」
先程部屋に入ってきたやつと、ルクリーヴァが会話をしている。
何故だ?……もしかして二人は繋がっていたとでも言うのか。
俺はこの魔法を解除しようとするものの、なかなか解除の糸が見えず、未だに動けない。これは『光縄』と言って、これもまた闇属性特攻付きの拘束技だ。
止まってしまった俺からグリュンがそっと降りる。
──待て、何を……。
そう考えて、一つ思い付いた。ただ、それはあまりにも……
……あまりにも、自己犠牲が過ぎる。
「俺が、一緒に行けば良いんでしょ?だから、この人には手を出さないで」
「……っ、癪ですが、ユーフェリア様がそう言うなら見逃します」
「……?ありがとう」
「じゃあね、元気でまた会いましょう」
そう言って三人は歩き始める。
最後、グリュンは振り向きざまに何かを俺に言った。
それは、先ほど遮られた言葉で。
今まで言われたことのない、大切な言葉で。
「──父さん、なんて、最後に言うなよ……」
パキパキと、時間経過で拘束が解けていく。
その氷が割れるような音が、俺には違う音のように聞こえて。
「……絶対に、取り返して見せるからな」
俺は、こんな事で旅の終わりを迎えさせない。
まだまだグリュンには、見て欲しいもの、出会って欲しいものがある。
『竜化』が完全に進む前に助け出して見せると、そう心に決めたのだった。
『今までありがとう、楽しかったよ──父さん』
溢れ落ちた一筋の涙を、俺は気付かないふりをした。




