53.新たな大地
あれよあれよと日時は過ぎ、早くもシャトレアから出発する日となった。あの日から、これと言ってグリュンに変化は訪れおらず、若干一安心している所である。
俺は荷物をまとめ、忘れ物がないかを確認し、鍵を閉める。長かったようで短い生活だった。なんだかんだ過ごしやすかった気がする。
グリュンも楽しかったようだし、また訪ねてみるのもいいかもしれない。
そう考えていると、待ちくたびれたのか目の前のグリュンが主張を始めた。
「ねぇヴェル?行かないの?」
「あぁ、行くからちょっと待ってくれ」
「そう言って当分行かないの、俺知ってる」
「……まぁ確かにな」
正論を言われたところで出発する。今はもう慣れた潮風に別れを告げて、歩き始めた。そうしてしばらく歩くと、海から離れたからかいつもの森の風景に戻る。
見慣れている景色だが、やっぱり安心するな、と考えていると目の前のグリュンの服の袖に、ひらりと白色の何かが一瞬だけ垣間見えた。
……包帯?いや、グリュンは光魔法が使えるから、怪我をしても治癒できるはず。
でもまぁ確かに、小さな怪我だったりしたら使わないし、おかしくはないか。
「あ、ヴェルー?そこの果物食べて良い?」
「あぁ良いぞ……って、それ酸っぱいやつだが」
「早く言ってよ……」
余程酸っぱかったのかしぱしぱと瞬きをしながら、それでも最後まで食べようと四苦八苦して果物を齧るグリュンを横目に、ふと遠くを見渡す。もう少しで関所を通れる。となると雪原地帯に入るから防寒着を出しておかないといけないな。
そう思いつつ、無事に食べ終えたグリュンと一緒に関所まで向かう。
あれ?そう言えば何でここには関所があるんだ?今まで見たこともなかったよな……。強いて言うなら門ぐらいで、こんなに物々しい境はなかったはず。
まぁ……良いか、死にはしないだろうし。
「こんにちは、通っても良いですか?」
「こんにちはー!」
「おお元気だな、カードを見せてくれたら良いぞ」
「はーい」
「分かりました」
二人揃ってあまり活躍していないカードを出す。
正直何が伝わるのかはわからないが、これで通れるなら楽だとは思う。
「兄弟か、良い旅になると良いな」
「はは……ありがとうございます」
何度目かわからないその勘違いを利用しつつ、無事に関所を抜ける。
こうなってくると、真面目に兄弟としての設定も考えておかないと、誰かに似てないって言われたときに困る可能性が出てきたな……。
とは言えそれは後で考えるとして、今は目の前を見よう。
そう思って周りを見渡す。北国特有の深緑色の木々と、焦げ茶色の土に生えた緑の苔。先程とは似ても似つかないその景色に、俺は思わず息を呑んだ。今までよりも寒色系の色が多めにあり、暖色が多かった俺たちの生活圏とは正反対の風景。所々雪が積もっているのもまた美しかった。
「……グリュン、寒くないか?」
「うん、大丈夫!」
「そうか、寒かったら無理する前に言うんだぞ」
「はーい」
確か道中に小さな村があったはず。おそらく明日には到着するぐらいの距離なので、一旦ご飯の心配はしなくてよさそうだ。
その時、ふと何かが俺の頭の上あたりで動いた気がして、ほとんど反射神経で引っ捕まえる。すると、それはいつもグリュンが一緒に行動を共にしているクラだった。
「どうした?俺の方に来るのは珍しいな」
そう言うと、クラは何か言いたげに、いや本当に何かを伝えたげにハサミを振る。だが、やはり聞き取れないし分からない。
この時ほどクラが話せたら良かったのにと、思ったことはないかもしれない。
「もしかして……グリュンのことか?」
ハサミがぱぱっと振られる。それは正解なのか?それとも不正解なのか?
その後もしばらく対話を試みたものの、結局意思疎通ができることはなく、最後はクラが諦めて俺の所から離れ、定位置へと戻っていった。
対話って難しいな、と息をつくと同時に、小さなくしゃみが隣から聞こえて音の方を向く。すると少しだけ凍えているような様子のグリュンがいた。
「うー……ヴェル、寒いかも」
「分かった、ちょっと待ってくれ」
がさごそと重ね着が出来そうな物を、取り出してグリュンに手渡す。服を幾つか渡して、最後のマフラーをついでに俺が巻く。
……それにしても。
「前髪伸びたな、邪魔じゃないか?」
「いや?そうでもないよ?」
「……そうか、まぁグリュンがそう言うなら良いんだが」
完全に瞳を隠すように伸びてしまっている前髪のせいで、ここ最近グリュンの目をまともに見れていない。目も悪くなりそうだから俺としては切りたいのだけれど、でも遠回しに拒否されるので無理強いできなかった。
ゆっくり太陽が沈み始める。今日はここで夜を明かした方が良いだろう。特にグリュンにとっては慣れない雰囲気で、そして気温にもそこそこの差があったので、早めに休んだ方が良いような気がする。
「グリュン、今日はここで休もう」
「はーい、水入れておいた方が良い?」
「ああ、助かる」
「水はあっためる?あっためない?」
「グリュンが冷たいスープを飲みたいなら、温めなくて良いぞ」
「それはやだ!?」
いつの間にか手伝ってくれるようになったグリュンに感謝しつつ、簡単な食べ物を作る。思えば俺も、料理がまだ出来るようになったよな。最初は焦がした物しか作れなかったのに。
「美味しい……。やっぱり安心する味」
「特に変わったものは入れてないんだがな」
「お母さんの味、みたいな」
「それを言うなら、せめて父さんの味にしてくれないか……?」
ふふ、と二人で笑い合う。こうしていると、旅に出る前と変わらない。
些細な事で笑い合える幸せ。そんな日々がずっと続いて欲しいと、心から願ったのだった。




