1.出会いと少しの後悔?
それは単なる気まぐれだった。
そろそろ世界最強の竜として君臨しておくのにも飽きてきたので、人の姿を真似して森の中を何となく散歩していたら一人の人間の子供を見つけた。
ボロボロの布切れ同然のものに包まれていたそいつはどうやら生まれたばかりのようで。
俺は見て見ぬ振りをしようかとも思ったが暇つぶしくらいにはなるかと思い、拾った。
……のは良かったものの、そこからどうするべきか分からなかった。
同族の竜ならともかく、人間だからなぁ……。
俺にとっては未知の生き物すぎて、腕の中に抱えたまま帰ってきた住処の中で若干、いやかなり後悔をしていると、突然大きな声をあげて泣き出してしまった。
「え、ちょっ……」
少しだけ現実逃避気味に視線を逸らしたあと深呼吸をして赤子と向き合う。
今まで生きてきた数万年の知識の中で何か役立つものはないかと頭を働かせ、ひたすら考える。人間といえば、と思い出してはみるものの出会う人全員に逃げられてしまっているので碌な記憶がない。人間とのあるようでないような記憶を必死に思い返して、思い返した末にようやく一つだけ思い出すことが出来た。
そう言えば人間の母はよく子供を揺らしていたような……?
薄く記憶に残るその光景を再現するようにゆっくりと左右に揺らす。
「よ、よしよーし……?」
恐る恐るやってみると何か気に食わなかったのか更に大泣きを始め、ついでにじたばたと暴れ始めてしまった。
その後も頭を撫でてみたり、慣れない子守唄を歌ってみたりと様々なことをやってはみたものの泣き止む気配もなく、どちらかと言うと悪化していくだけで。
どうしたら、と再び考えるうちに人型に保つ為の魔力調整がおろそかになってしまったのか、ポン、という軽快な音を立てて元の竜形態に戻ってしまっていた。
「しまった……ってあれ?」
突然現れた大きな竜を怖がることもなく、その子供は途端笑顔を見せて笑い出す。何がそんなにおかしかっただろうかと自分の体を見下ろしてみても、いつもと変わらない、真っ黒な鱗と毒々しい色をした紫色の爪。
笑うどころか怯える方が正しいのではないかと思うような見た目で。
実際俺もこの怖がられるだけの自分の体が嫌いだ。
……なのに、この子供は喜ぶそぶりを見せた。
──あぁ、もう。
「子供って分からん……」
♢♢♢
そんな俺の苦労や悩みはありつつも子供はすくすくと育っていった。
ただ初めて話した言葉が「きれい」だったのは未だに育て方間違えたのではと思っている。
俺を見て綺麗って思うはずないよなぁ。全身真っ黒なただの竜だし。怖いし。
……子供って分からんなぁ。
何度目か分からないその言葉を心の中で呟く。
その時、ふと何かの気配がして顔を上げると立派に成長した子供の姿が見えた。
「おかえり、グリュン」
「ヴェル、ただいまー」
ふわふわとした栗色の髪を少し伸ばして後ろで一括りにしたその姿は、白く陶磁器のような肌に綺麗な二つのペリドットがはまっているのも相まってぱっと見ただけでは性別が分からないほど中性的な美しさを秘めている。一応誤解がないよう先に言っておくが男だ。
そしてその子供の瞳は自然の色、森の色をそのまま溶かしたような優しい黄緑色をしていたから俺がグリュンと名付けた。
ちなみに言わずもがな、ヴェルというのは俺の名前だ。
本当はヴェルノアールなのだが発音しにくかったのかヴェルと呼ぶようになっていた。
──神話時代から生きる太古の竜、ヴェルノアール。
ヴェルノアールに寿命は存在せず、永遠の時を生きる。
爪には猛毒を持ち、闇夜の漆黒を吸ったような色の鱗。
夜空をそのまま映したような紫紺の瞳は夜の闇で妖しく光る。
そんな、世界最強と言われている竜が。
「絶賛子育て中って、言ったら笑われるんだろうなぁ……」
俺だったら確実に笑う自信はある。というか絶対笑う。
そんなことを考えていたら思わず笑みが溢れて、グリュンに首を傾げられてしまった。
「どうかしたの、ヴェル?」
「いーや、何でもない」
♢♦︎♢
ふわふわとまどろんでいた意識がだんだんと覚醒していく。
今では懐かしい、俺の大切な思い出。俺の人生ならぬ竜生を変えてくれた出来事。
俺は穏やかにすやすやと眠っているグリュンの髪をそっと撫でる。
これからどんな事が待ち受けているのかは分からない。けれど一つだけ確かに言えるとすれば。
──きっと楽しい事に違いない。