⑧ いざ! コンフラン領へ!
この年の六月に、アデルが学園を卒業した。
彼女は三年間首席を死守し、有終の美を飾った。
卒業式には婚約者の王子がアデルをエスコートし、そして卒業パーティでは今までの自分の行動を謝罪し、彼女に婚約の続行をお願いした。
アデルは、アリスが見たら震えあがる程の悪い顔で、謝罪を受け入れた。
そうして学園の卒業後、コンフラン家はアデルの独身最後の思い出作りに、家族揃って領地へと向かった。
アリスは初めての旅行に興奮しすぎて、前日は眠れずに鼻血を出してしまった。そのおかげで(?)馬車の中では騒がずに爆睡。同じ馬車に乗っていたアデルとルイは、ゆっくりと読書が出来る事に味を占めた。
彼らは気づいたのだ。
いつも元気いっぱい猪突猛進のアリスは、その活力を養う為に長時間の睡眠が必要な事を。
それから領地に着くまでの一週間、二人は道中の宿泊先でディナーの度にアリスに、これから起こるであろうワクワクドキドキ冒険の日々を語って聞かせた。
そしてワクワクドキドキ冒険の日々に思いを馳せたアリスは、興奮MAXで夜に眠ることが出来なくなり、馬車の中で眠って過ごすという悪循環が生まれた。
アデルは穏やかな顔でルイに言った。
「気に病むことはないわ。これは必要悪よ」
「・・・これが、必要悪・・・」
アデルとルイがほくそ笑んでいたことを知るものは、誰もいない・・・。
「・・・・んがっ」
******
そんなこんなで一週間後に、ヴィルフランシュ王国の北端にあるコンフラン領に到着した。
馬車の窓から見えるのは、どこまでも続く水平線。
始めて領地に来たアリスとルイは大興奮で、二人揃って窓枠に齧りついて流れる景色を眺めていた。
「ヴィルフランシュ王国には、他にも海に面する北の領地を持つ家はあるけど、我がコンフラン家程恵まれた海岸を持っている家は無いの。
船の航海に最も適した潮の流れで辿りつくのは、このヴィルフランシュ王国ではコンフラン港のみだから、輸出入する船は全てがこのコンフラン港を利用するのよ」
アデルが二人に説明するが、アリスは聞いているのかいないのか、・・・聞いていないであろう。
アリスはおでこと鼻を窓に擦りつけながら、目をキョロキョロと動かす。
ルイはアデルを憧憬の目で見つめながら、彼女の説明を一つも聞き逃さない様に相槌を打っていた。
港にはひっきりなしに船がやってきて積み荷を降ろして、そして新たに乗せて、次々と出航していく。
港の横に着岸出来ない船が、港の傍にアンカーを降ろし、小舟が荷物を取りに向かう。
その大小様々な船が行きかう賑やかな港を、切り立った崖の上から観察をして、そして一行はカントリーハウスへと向かった。
カントリーハウスとは言うが、その姿は要塞城である。
潮の流れが穏やかで着岸しやすいということは、戦時中であると敵の襲撃を受けやすいという事でもある。
ヴィルフランシュ王国の歴史には、あちらこちらで戦争があった戦国時代がある。
海を挟んで北にある大陸には巨大な帝国があり、いつも他国と戦争を起こしていた。
その頃、コンフラン家は騎士団を擁する辺境伯だった。
八十年程前に大戦が終結し、コンフラン辺境伯は、騎士団を解体することを条件に、コンフラン領の隣の領土にありながら王家が保有していた鉱山と、侯爵への陞爵が与えられた。
これは王家からの希望というより、和平を結んだ帝国からの希望であった。
初代侯爵は、戦争で荒れ地となった土地を、王家の補償金と褒賞金で整え、そして鉱山で得られる収入で港を整え漁師への補助金とした。
騎士団のメンバーは、望む者は王立騎士団か、他の辺境伯家が擁する騎士団への推薦状を渡し、残りたい者には鉱山や漁業への仕事を斡旋した。
軍師としてカリスマ性を放っていた領主は、経営者としての手腕も持ち合わせていたようだ。
そうして、最上位貴族の新参者であったコンフラン家は、終戦から十年が経つ頃には、ヴィルフランシュ王国でも髄一の資産家となった。
城塞の第一の門を潜ると、中には所狭しと店が並び、多くの商人が声を張り上げ活気が溢れている。
その光景を食い入るように見るアリスとルイを、アデルはニマニマと見つめ続ける。
(はぁ~、癒しだわ~・・・)
魑魅魍魎が跋扈する社交界で、殺伐とした自分の心が癒されていくのを感じるアデルであった。
第二の門を潜ると、そこには広大な土地が広がり、城塞の要であったと思われる大砲などがまだ残っている。今は閑散としているが、戦時中には騎士館や納屋、厩舎があったそうだ。
そして、戦後に建てられたと思われる、雰囲気の違う、王都にある邸と同じ造りの門を超えると見えてくるのは、戦国時代に誰にも攻略を許さなかった石造りの要塞城。
無骨な建物ではあるが、その歴史に刻まれた栄光を物語るように威風堂々と建っている。
アリスとルイは、歴史の教科書に載っている絵と同じ建物を前にして、口を開けたまま見上げる。
アデルは最初にこの城を見た時に、洗練さの欠片も無い要塞城に失望したが、男の子のルイはともかく、アリスは違うようだ。
「こんなお城なら・・・」「隠し通路とか隠し部屋が絶対あるわ!」
目をキラキラさせて冒険の一ページを開こうと、
・・・したがルイが先に我に返った。
アリスの手を握って、「(アリスが)迷子にならないようにね」と笑った。
そして、タウンハウスの裏庭で遭難しかけた事すら記憶の奥底へと追いやったアリスが、「仕方無いわね。(ルイが)迷子にならないようにね」と言って、ルイの手を握り返した。
アデルは、ルイの見事な手腕に感動し、同じように感動した執事長のセバスチャンとハンカチを渡しあった。
「おじぃちゃま! おばぁちゃま!」
城の扉の外には、祖父母と侯爵の弟一家が並んで待っていた。
アリスはいの一番に祖父に抱きついた。
「ぐぉふぉっ!!!」
前侯爵は内臓が飛び出そうになったが、眼球は少し飛び出た。
元気溌剌な孫の一撃がかなり効いたようだ。
ルイは、チラッと前侯爵夫人を見つめる。何度も会って、孫の様に愛してくれているが、まだ生垣ぐらいの壁を作っているルイ。しかし前侯爵夫人は、満面の笑みで手を広げて、ルイが抱き着くのを待っている。
もちろん老婦人にタックルをするようなルイでは無い。おずおずと夫人に近づいて行った。と、思ったら、夫人のテリトリーに入った瞬間に引っ張られてギュウギュウと抱きしめられた。
こちらは呼吸が出来ずに、少し天国の扉を開きかけていた。
今度は祖母に抱き着いたアリスと代わって、ルイが前侯爵に挨拶をし、アリスにタックルされたお腹をさすってあげる。
「ルイルイ・・・。いい子に育って・・・」
祖父はダメージに咳き込みながらも、ルイの頭をナデナデした。
ルイは、他人の自分ですら温かく家族の様に受け入れてくれる侯爵家に、頬を少し染めて俯いた。
そうすると、黄金色の瞳をけぶる黒いまつ毛が耽美的で・・・。
それを目の当たりにした前侯爵は年甲斐も無く頬を染めながら跪いて、ルイと目線を合わせ彼の肩を強く掴む。
「ルイルイ・・・。それは、いけない。それはいけないよ!」
「???」
意味が分からず戸惑うルイに、大丈夫だと侯爵夫人が声を掛ける。
「あなたはまだ知らなくていいから、老人の戯言は無視しなさい」
聞き分けのよいお子様のルイは、笑顔で「はい」と、侯爵夫人に返事をした。
侯爵夫人はルイに甘い笑顔を向けて頭を撫でてあげた後、般若の顔で前侯爵に向き直る。
「お義父様」
「申し訳ございません」
前侯爵、敗北の瞬間であった。
そして侯爵一家は、前侯爵の横に並んでいる前侯爵の次男一家と挨拶を交わす。
アデルとアリスの父親の弟で、普段は王都にいる兄侯爵の手伝いとして、普段はここで領地経営を手伝っている。
二人にはアリスとルイの二つ下の子供がいた。
母親似の茶色い髪に茶色い瞳のパウルは九歳。人見知りで、母親の膨らんだドレスの後ろに隠れてしまっている。両親とアデルは会った事があったため、チラチラと顔を覗かせて辛うじて挨拶をした。
小さな体に気弱そうな男の子はアリスの大好物だった。新たな子分の登場に、アリスは興奮して目をかっぴらいている。
そのせいで、いつもの最上級の天使の美貌は損なわれている。
王家主催の折々のパーティに参加する為、一年に一度二度は王都にくる叔父夫婦は、アリスにも会った事がある。
しかし興奮しているアリスは天使感が薄れているため、叔父夫婦もちょっと言葉に詰まった。
(あれ? アリス、ちょっと天使感が薄れた・・・???)
(子供の顔は日に日に変わるから。絶対口に出しちゃダメよ!)
夫婦が心の中で会話をしている間に、母親のドレスの後ろからアリスを見たパウルは、その美貌にポッとなった。
最上級の天使ではなくても、天使は天使。
地上の人間からすれば、天上人の美しさだ。
さらにアリスの横には耽美派が涎を垂らしてしまう倒錯的な美少年。
アリスの天使感も二倍増し・・・、いや、増し増しである。
パウルは二人の圧倒的主人公感に気後れしてしまった。
ここに、アリスの手下が生まれた瞬間であった。
城内に入ると、外の無骨なイメージとは違い、王宮にも引けを取らない高級な調度品に埋め尽くされた、華やかな雰囲気であった。
戦後に嫁いできた歴代の侯爵夫人の為に、その夫が王都にも負けない優美な城を築き上げた結果である。
アリスとルイはまた口を開いたまま、右に左にと首を動かしながら、祖父母と両親の後について、ファミリールームへ。
ファミリールームは煌びやかな回廊からは想像もできない程、落ち着いた雰囲気だった。
使っている調度品は最高品質だが、威丈高でもなく主張もしない家具が見事なバランスで配置され、誰もが長居をしたくなるほどの心地の良い雰囲気を作り出していた。
それは、いつでもにこやかに皆の話を聞いて、やさしく相槌を打っている前侯爵夫人の様であった。
侯爵夫人もアデルも、このファミリールームがこの城の中で一番好きだった。
大きな窓の外に広がるのは、この城が崖の上に建っていることを忘れさせるほどの広大な庭と、それに続く森。
アリスとルイは手を繋いだままキャッキャと楽しそうに、部屋をぐるっと一周する。
その間にアリスの表情は、巨匠レオナルドの絵画で見られる天使顔に戻ったため、叔父夫婦はニマニマと天使二人が楽しそうにはしゃいでいる姿を見つめ続けた。
ちなみに、侯爵は前侯爵にそっくりな気質で、根っからのビジネスマン思考であり、この弟は前侯爵夫人に似たおっとりとした性格だった。そして彼の最愛の妻と子供も、彼に似ておっとりとしていた。
チャキチャキ兄夫妻とおっとり弟夫妻。
全く正反対の二家族だが、仲はとても良かった。
パウルはまだ緊張していた為アリスとルイの元には行けなかったが、大好きなアデルが横に座ってくれたので、もそもそと自分の近況を話したり、アデルから王都の様子を聞いたりして過ごした。
アデルはパウルのこの、少し田舎臭い・・・素朴な性格が可愛くて仕方がなかった。
ずっと頭をなでなでしながら、パウルがもそもそ話すのを相槌を打ちながら聞いていた。
それからの日々を、アリスとルイは楽しく過ごした。
隠れ通路を探している最中に、またしてもアリスが遭難してしまったが、アリスの専属メイドであるキキが探し出して事なきを得た。
侯爵家では、最も出来るメイドがアリスの専属であり、高収入である。
キキは、今年のボーナスも期待できそうだと、心の中でほくそ笑んだ。
そうしてパウルとも少しずつ仲良くなったアリス達は、楽しい日々を送っていた。