⑪ 再び天使降臨!
お茶会を成功させたアリスは、夏休みに入ったパウロと一緒に領地へと戻った。
しかし大人の社交界はまだまだ続いている為、アリスが領地で過ごせる時間は短い。
アリスは今まで訪れていた場所に、再度視察に訪れる。今度は領主になった事を想定して話を聞いて回る。視察なのだから普通にコンフラン家の後継ぎとして訪れればいいものを、何故か今回も村娘に扮しているアリス。どうどうと視察しながら村娘の格好をしている。そして領民から「姫様」と呼ばれてにこやかに笑顔で手を振り返している。しかしその矛盾に誰も突っ込まない。
ただ誰もが、一生懸命に走り回り、どんな小さな声でさえも拾って手を差し伸べるアリスに、笑顔が溢れた。
アリスが領地を縦横無尽に走り回っている頃王都では、国王が老齢を理由に退位し、ラファエルに王位を譲渡するという噂が上がっていた。
毎年その年の最後に行われる王宮主催のパーティで、その事が発表されるのではないかと王都中の貴族だけでなく、平民達にも噂となっていた。
ラファエルがあまりにも若いため不安に思う者もいるかと思われたが、概ねが若い国王を歓迎していた。
ラファエルが真面目で評判がいい上に、女神の色を引き継いでいる事も受け入れられている理由ではあるが、王位を譲ったとしても国王がいなくなってしまう訳では無いので、若い国王がいきなり全ての舵取りをする事は無いだろうと、皆が無意識にそう思っていたのだ。
領地での視察が終わると、アリスは直ぐに王都に戻って行った。
馬車に向かって手を振る子供達に、負けじと大きく手を振り返しながら。
王都に戻ってからも、アリスは忙しくしていた。
お茶会に参加したりエマに会いに行ったりしながら、イザベラの結婚式にも参加した。
自力でブーケトスを制したアリスは、満面の笑みでルイの元へ駆け寄る。同じ失敗をしないルイのせいで、もうたわわがたわわる事は無い。満面の笑みで駆け寄る愛しい少女を、余裕の表情で受け止めるルイであった。
全てが終わる。そんな予感がしていたアリスは、次に結婚出来るのは自分だと、勝利のブーケを手にして大興奮だった。
そんなアリスが可愛くて愛おしくて。
ルイが甘ったるい瞳でアリスを見つめた為、出席者の視線が美貌のカップルへと吸い寄せられた。
自分の結婚式にイチャイチャし出したカップルに制裁を与えるイザベラ。
「甘~~~~~~い!!!
今のは、ただの甘いカップルって意味だけで無くて、考えが甘いの甘いも含まれている、ダブル・ミーニングですのよ。お分かり?
ブーケトスを制したから次は自分の番だって、安直な考えをしていらっしゃるんじゃございませんこと?」
「あんちょこ?」
「あ・ん・ちょ・く!
あなた、大事な事をお忘れかと思いますけど、アデル様のブーケを取っておきながら、あたくしに先をこされましたのよ。
つまり! 『ブーケトスでブーケを取った女の子が次に結婚する伝説』は、ただの伝説であったとあなたが実体験で立証しましたのよ!」
力いっぱいドヤ顔で、右手を腰に左手はアリスを指で差しながら、イザベラがもの凄く性格の悪い事を言う。ガーンと呟いて元気をなくしたアリスの肩を抱いて、「大人げないぞ、イザベラ!」とイザベラに文句を言うルイ。そんな二人を前にして、オーッホッホッホ! と、イザベラの高笑いが教会前の広場に木霊した。
秋晴れの美しい空の下、つかの間の平和であった。
それから間もなくして国王が危篤であるというニュースに、ヴィルフランシュ王国に激震が走ったのだった。
国王が危篤になった数日後に、貴族院の会員に招集がかかった。
貴族院には中央議員と地方議員があり、通常議会では中央議員が国の政策や問題を会議で決め、国王に上げて最終承認を貰う。中央議員は世襲制で高位貴族がほとんどであるのに対し、地方議員は国への貢献度で与えられ、会議も年に数度の本会議にのみ参加できる。
しかし議員であれば、議長に問題提起をし承認を得れば議会を開くことが出来る。
今回の議題は、『国王不在の今の国の運営について』であり、招集をかけたのは、元王太子派の筆頭のルーアン子爵だ。
彼はここぞとばかりに、ラファエルの未熟さを指し示し、元王太子を臨時の国王にするべきだと発言した。元王太子は国王が不在の間に何度か国王代理を経験しているが、ラファエルにはまだその経験が無いからだ。国王の派閥であるコンフラン侯爵やカイゼルスベルク公爵以外は、誰もラファエルが国王から既に引継ぎを受けている事を知らないのだ。
「アンリ殿下は問題なく職務を行っていたし、国王が不在の時も代理としてきちんと国の運営を行っていた実績があります!
元王太子妃もそうです! 社交や王宮の管理をきちんと行っていたにも関わらず、国王によって蟄居させられてしまった。
それに比べてラファエル殿下は、王太子になってまだ数年しか経っていなのですぞ?
そんな、まだまだ経験の浅い二十代の若者を、後ろで見守ってくれる国王がいない状態で、国の運営を任せられますかな?」
大声でがなり立てる子爵が会議を掌握していく。
現王太子派であるコンフラン侯爵やカイゼルスベルク公爵はラファエルを押しているが、その発言は精彩に欠ける。
誰もが、あの王太子妃が戻ってくることを考えれば、現王太子が国王代理になるべきだと思っていた。たとえ現王太子の力が不十分であったとしても、現王太子妃はあの知略のコンフラン家の才能を一身に受けたアデル・コンフランなのだ。どう考えたって、元王太子夫妻を国王代理にする必要性がない。
しかし、現王太子派の発言の弱さになかなか追随する事が出来ず、ほとんどの貴族議員が様子見をしていた。その為になかなか決着がつけられず、思いの外この議題に時間を奪われる事となった。
誰もが最善を分かっているのに、何故か針がそちらを向かないまま時間だけが過ぎていく事に、多くの貴族達が不安を感じ始めた。
人妻となったイザベラの新居で、クラスメイトの女子四人でプライベートのお茶会をした時も、話題は国王代理が誰になるのかであった。
「何で今更あの毒婦を戻す必要がございますの? アデル様も王太子殿下も今問題なく執務をこなしていらっしゃるのに」
アデルファンのイザベラがぷんすこ怒っていた。
「でも。今の流れ、良くないと思いませんか?」
「ねぇ」
クラスメイトの怯えにアリスが不思議に思って訊ねる。
「どうして?」
「だって、誰もが直ぐにラファエル王太子殿下が国王代理に決まると思っていたのに、なかなか議会で話が纏まらないではないですか?」
「このままルーアン子爵の派閥に押されて、アンリ殿下と共にあの方が戻ってくる可能性もありそうじゃない?」
二人の意見はもっともだとアリスは思った。
アリスから見たら、何でもすぐに解決してしまう父が居ながら会議が長引いているのは、それが必要だと侯爵が思っているからだと分かる。しかし、コンフラン家が何をしているのかを知らない人々からしたら、この状況は不安を感じてしまうのだろう。
正直、アリスも父親が何をしているのかを知らない。
国王が倒れてからは、侯爵ともルイとも会えていないからだ。
(だけど、もうすぐ解決するって言ってたもん・・・)
侯爵夫人から譲り受けたウェディングベールは、アリスの部屋のリビングの鏡台の傍に飾ってある。
イザベラの結婚式で貰ったブーケと共に。
イザベラはアデルを妄信しているので、同級生二人が何を不安に思っているのかと軽くあしらっているが、二人の不安は消えないまま。
「大丈夫よ。あの女が戻って来ることを、我が家が許さないわ。だって、せっかくアデルお姉様の安寧の為に追い出したのに」
同級生の気安さで、アリスはあっさりとコンフラン家が元王太子妃を王宮から追い出した事を話してしまった。
「大丈夫よ」
アリスは満面の笑顔で二人にそう言った。ただそれだけ。
どう大丈夫なのか、全く説明していないのに、同級生二人が安心したのだ。
「アリス様がそう言うなら大丈夫ね」
二人が自分を何でそこまで信じてくれるのか、アリスには不思議だった。
しかしふと、これってとても大事な事なのでは無いかと感じた。
(不安が溜まると、良くない方向に考えちゃうのよね・・・)
アリスは以前ジュリエットに傷の事を言われてから、不安で悪い方悪い方へと考えてしまった事を思い出していた。
それがたった一人の事だったら、自分の中だけで終わってしまうが、目の前の同級生達の様に二人で一緒に不安になったら。
もっと多くの人々が一斉に不安を感じて、それが共鳴しあったら。
それがとても良くない事の様に感じて、アリスはいきなり席を立ちあがった。
「用事を思い出したから、今日は帰るね。みんな、今年最後の王宮パーティで会いましょう!」
アリスが笑顔で去っていく姿を二人の同級生は唖然と見ていたが、イザベラは何かを感じ取って、アリスの背に向かって大声で返事をした。
「もちろんよ! 王宮のパーティで会いましょう!」
アリスは急いで邸に戻ると、キキに白のドレスを用意する様に指示を出す。
アデルのお気に入りのその白のドレスは、アリスの天使感が激増しする。
アリスが以前に教会でサタネラと対峙(退治とも言う)した時にも着ていたドレスだ。
それを着てアリスは一時間かけて馬車で中央教会へと向かった。
そこには多くの民が祈りに来ていて、不安そうに会話をしている人々もいた。
「王太子様が国王代理にすぐ決まらないだなんて、何か問題があるからじゃないのか?」
「こんなに時間がかかるという事は、代理だからでは無いんじゃないか?」
「どういう意味?」
「国王様のお体が良くないから、・・・このまま国王になる可能性があるんじゃ・・・」
「一時の国王代理なら、多くの人に支えられて若い王太子様でも対応できるかも知れないが、経験も知識も無い王太子様ではまだ国王の執務は無理だって、お貴族様は考えているんじゃないのか?」
「それほど国王様のお体が悪いなら、今後どうなってしまうのかしら・・・」
ほんの少しの不安を口にしただけで、それに共鳴する人数が増えると不安はいきなり大きくなる。
アリスは、帝国に隙を与える事だけは避けなければいけないと思った。
(それなら私のする事は一つよ)
アリスが教会の中央回廊を歩いていくと、どこからともなく声が聞こえてくる。
「天使様だ・・・」
「天使様がいらっしゃったぞ」
教会を彩るステンドグラスに降り注ぐ、晩秋には珍しい力強い陽の光。
それらがキラキラと幻想的な光を生み出し、アリスを神々しく照らし出す。
力強く前を見据えてアリスは、祭壇に向かって一直線に歩く。
回路を歩いていた人々も、身近なお祈り用の長椅子に座ってアリスの動向を凝視する。
アリスは祭壇の前に跪いて、手を組んで女神像にお祈りを捧げる。
誰も物音を発しない。
ただ、厳かなその瞬間を目に焼き付ける様に黙って見続けた。
アリスがそっと立ち上がって振り返る。人々と対峙するように。
そして一言。
「大丈夫ですよ。全て、大丈夫です」
そう笑顔で言って、また前を真っ直ぐに見据えて歩いて教会を出て行った。
何も知らないキキは、正直「何が?」と思っていたが、回りを見渡すと誰も彼もが安堵の表情を浮かべていた。
「天使様がおっしゃるなら大丈夫だ」
「私達が心配する事は何も無いよ」
誰も「何が?」と思っていない状況を目にして、理解が追い付かないキキはとりあえずアリスの後について馬車に乗り込んだ。
「帰りも出来るだけ多くの教会に寄って帰りましょう」
アリスの指示で、王都の端にある中央教会から反対側の邸までの間に、区間毎にある他の教会に寄り道しながら帰った。
どの教会でもアリスが同じことをすると、人々は安心してお祈りを捧げて家路へと帰って行った。
そうしている間に、アリスが邸に着く頃には外は真っ暗になってしまった。
アリスは、今日の自分の行動が両親にどう映るのかが不安で、今更ながらにドキドキしながら夕食の為に食堂へと向かう。
侯爵はそこまで熱心な信者ではないが、夫人が敬虔な信者であることをアリスは知っている。
アリスがそっと食堂に入って行くと、今日は珍しく侯爵も夫人も、そしてルイも揃っていた。
「アリス、帰って来たのか。天使のお仕事ご苦労様」
侯爵がニマニマと笑顔でそう言ったので、アリスは誰がどう見ても挙動不審な動きで自分の席に座った。それを見た侯爵とルイは笑いをこらえて、侯爵夫人は盛大なため息をついた。
「みんなもう食べ終わったから、アリスも早く食べちゃいなさい。この後は家族会議よ」
自分の行動を知られているのに怒られなかった事に首を傾げながら、アリスは急いで食べようと目の前にサーブされた前菜に手をつけた。そして、貴族令嬢としてギリギリセーフの速さで食事を終え、家族揃って侯爵の執務室へと向かった。
「ちゃんと女神様にお祈りしなさいね」
「やる前に『ごめんなさい』ってお祈りしたよ」
母親からの注意にアリスは下唇を突き出しながら言い訳をする。
「でもアリスのしたことは正しい。帝国が動く前に終わらせる予定だったが、まさか皆があんなにすぐに不安がるとは思わなかったからね。お父さん達の読みが甘かったようだ。だからアリスが今日起こした行動は悪くなかった」
侯爵が褒めたので、アリスは満面の笑みで父親を見た後、そのまま母親を見て、まだしかめっ面をしている母親に気付いて“反省しています”の顔を作った。
「僕から見たらただのセクハラじじぃですが、やはり在位が長い国王の危篤となると、皆の不安が大きいのですね」
ルイも意外だったようで、隣に座ったアリスの頭を撫でてあげながら言った。
かなり失礼な発言だが、侯爵夫妻も神妙に頷く。
「もしかすると、帝国のスパイによる扇動があったのかも知れないな・・・。まぁどうでもいい。
昨日ルイが仕事を終えたので、今日議会でラファエル王太子が代理で国王の執務をする事を決めてきたよ。というか、彼は前から国王の執務を手伝っていたし、国王が倒れてからも代理として仕事をしていたからね。無意味な会議だよ」
この国の貴族はバカばっかりだな、と侯爵が小さく呟いた。
やっぱり議会が長引くように父親が操作していたんだと気づいて、アリスは胸を撫で下ろした。
そこでアリスは、今回の全ての全貌と、これから起こる事を初めて聞いた。
「決戦は二週間後に開かれる、王宮のパーティだ。そこで、アポリーヌ」
侯爵が妻の名を呼ぶ。決して子供達の前では呼ばないのに。
夫人は逡巡した後に、意を決したかの様に顔をあげる。
「私があの女を引きずり落したいのは変わらないわ。だけど、あなたがやって」
「いいのかい?」
「ええ。感情が高ぶってしまいそうだもの。絶対に失敗したくないから・・・」
「ふっ・・・。これだけの証拠が揃っていたら、失敗なんてないよ」
侯爵が労わる様に妻の顔を窺い見る。
彼女がどれほどマノンを愛していたか、マノンを死に追いやったサタネラの息の根を止める事に執念を燃やしていたか、知っているからだ。
「だからこそ、私の代わりにあの女を、地獄の底まで落として欲しいの。アダム・・・」
アポリーヌの決意が固い事に気付いた侯爵は、アリスが目を擦って二度見してしまうほど性格の悪い顔をしながら妻に約束をした。
「任せてくれ。あの女が地面に這い蹲って、悔しさで「ぐぬぬぬぬ」って言うところを見せてあげるよ」
「ぴぇっ!」
アリスは恐怖で、危うく漏らしてしまうところだった。
ざまぁは侯爵がするの?
恐ろしすぎるのですが・・・? (BYキキ)




